2 スキルの使い方
「よし、やるか」
今日も私は赤いゴブリン銅の斧を手に薪の前にいる。
母のトルニナには、止めるように言われたけど、この短期間でスキルを習得できて成長できたのなら、やらせた方がいいと父のスクースが援護してくれた。
それでも母はいい顔をしなかったけど、無理はしないと約束して納得してくれた。
私としても、昨日のように斧を振るいすぎて皮が破れて、手を血塗れにするような無理をするつもりはない。
まだ、体中の疲労も抜けきっていないから、なおさら無理はできない。
激マズのイモと薬草のスープの力で、手の傷は大半が塞がっていて、残っているのは軽い筋肉痛と倦怠感だけど、完治はしていないから、昨日ほどの無茶はしないほうがいいだろう。
まあ、そもそも今日は斧スキルを上げるんじゃなくて、メインは別のこと。
斧をなかなか上手く扱えなかったという私の愚痴に、ジョブが斧士で斧スキルを習得している父がしてくれたアドバイス。
スキルを使えとのこと。
これだけだと意味不明だけど、父の説明を聞いて納得した。
斧とかのスキルは習得したら、即座に自動で反映されるパッシブスキルじゃなくて、スキルを意識的に使おうと思わないと効果を発しないアクティブスキルのようだ。
だから、今日は斧スキルの力を試してみたい。
「…………どうすればいいんだ?」
さっそく、困ってしまった。
斧スキルの使い方がわからない。
スキルを習得すると同時に、使い方のマニュアルを自動で自覚できればいいんだど、そういう便利なシステムにはなっていないようだ。
私は斧スキルを習得しているけど、使ったことがない。
というよりも、斧スキルどころか、スキルそのものを使ったことがない。
まあ、そもそも斧以外のスキルは習得していないけど。
前世の日本では当然、スキルという不思議システムは存在しなかったから参考にならないし、ゲームのようにクリック一つでスキルが発動すればいいんだけど、残念ながら押すべきボタンが見当たらない。
「スキル、スキル、斧スキル」
とりあえず念仏のように口にしてみるけど、とくに変化はない。
数分間ぐらい、続けてみるけど、効果なし。
そのまま続けても変化はなさそうなので、実際に斧を振るってみる。
スキルを使えと言った父も、とくに使い方の詳細を説明しなかったから、スキルを使うのに複雑で難解な手順があるとは思えない。
うちの父は、寡黙で甘くはないけど、無闇に厳しいタイプじゃないから、本当は難しいのに苦労してスキルを自力で発動させてみせろと、試練を課すタイプじゃないと思う。
だから、スキルの発動は少し試行錯誤すれば可能なもので、難しくはないはずだ。
斧スキルと口にして、斧スキルを強く意識しながら、ゴブリン銅の斧を薪へと振るう。
心のなかで、軽く舌打ちをした。
斧スキルのことに集中しすぎて、自分と斧の重心へ意識を十分に集中させていなかったから、雑な重心移動で薪割りが失敗すると警戒した。
だけど、体はなにかに導かれるようにヌルりと滑らかに淀みなく動き、ゴブリン銅の斧を軽々と制御して薪を割る。
「……これがスキル?」
スキルの発動は自覚できた。
斧スキルによる斧を振るう的確な動きの補正。
それに、振り下ろした斧の威力が上がっている気がする。
多分、関節や筋肉など、斧を振るったときの体への負担も減っていると思う。
「…………うーん」
凄い。
凄いけど、なんだかモヤっとする。
昨日の自分よりも、斧を振るうモーションに無駄がなくなって、薪も綺麗に割れていた。
暗に、昨日の自分の努力が徒労だったと告げられているような気がする。
昨日の努力で、斧スキルは成長したから、無駄じゃない。
無駄じゃないけど、遠回りはしたかもしれない。
「……はぁ」
小さくため息をしてから、薪割りを続ける。
もう少しだけ、スキルの力を確かめたい。
それに上手くすれば今日も斧スキルが成長するかもしれない。
それから、母に呼ばれるまで、ひたすらゴブリン銅の斧を振るって薪割りを続けたけど、残念ながら斧スキルは成長しなかった。
それなのに、母からは昨日の今日で無茶をするなと、しっかりと怒られてしまった。
「なにが悪い?」
私は困っている。
斧スキルを発動させてから3日間、毎日、斧スキルを習得して成長させた日と同じくらいゴブリン銅の斧を薪に向かって振るっているのに、斧スキルがまったく成長しない。
それなのに、母からはいい加減に無理はするなと怒られ続けている。
これだと、怒られ損になってしまう。
一応、父に斧スキルが成長しないと相談したんだけど、『スキルは毎日成長するものじゃない、この前成長したのはただの偶然だ』と頭をなでながら慰められた。
父の言っていることは嘘じゃない。
この世界でスキルはメインに使っているものが、1年に1つ成長するかどうかというレベルものというのが常識になっている。
だから、人によってはスキルが生涯一桁ということも珍しくない。
スキルが簡単に成長しないものという父たちの経験則による常識を否定するつもりはないけど、同時に絶対の法則というわけでもないと思っている。
現に私は斧スキルを習得して、すぐに斧スキルを成長させることができた。
偶然?
あの努力を偶然と言われるのは嫌だけど、仮にあの成長が偶然でも、偶然なりに成長した理屈があるはずだ。
斧スキルが成長したときと、成長しなかった3日間の違いはなにか?
「…………斧スキル?」
違いがあるとすればこれくらいか。
斧スキルを使用しているから、斧スキルが成長しない。
そんなことがありえるだろうか?
スキルを使用するとスキルが成長しないなんて、ゲームだったら不条理すぎて絶対にありえない。
しかし、ここはゲームじゃないから、絶対にありえないとも言えないかな。
ここで首を傾げて悩んでいても、解決することじゃない。
とりあえず、斧スキルを使わないで、薪割りをしてみよう。
数日やっても、結果が出なければ方針転換をすればいい。
「……難しい」
目の前には、割れていない薪がある。
斧スキルをオフにして、スキルによる斧を振るう動作への補正がなくなっただけなのに、使い慣れたはずのゴブリン銅の斧が以前よりも重いと感じて上手く扱えない。
なんとか薪に命中するけど、速さも威力も低すぎた。
だから、スキルの補正なしで、斧を振るうのが難しいと感じる。
それに、スキルを意識することなく、滑らかにオンにすることに慣れてしまったので、オフにするのが難しい。
意識的にスキルを使わないと思っていないと、無意識のうちにスキルを使ってしまいそうになる。
それだけスキルを使うということを習熟したのかもしれないけど、現状だとそれが仇でしかない。
スキルを使わないと強く意識すればスキルをオフにできるけど、それだと斧を振るうことに集中できない。
……これは、あれだ。
マニュアルの免許を持っているけど、普段はオートマの自動車を運転していて、久しぶりにマニュアルの自動車の運転に戸惑って苦慮するような感じだ。
どうにも斧を振るう動きが雑になっている気がする。
進歩がないどころか、退化だ。
いつの間にか、心の奥がゆらゆらと揺れている。
灰色の足音が、ヒタヒタと幻聴のように響く。
心の中で焦燥の風が吹いている。
まだ、ささやかなそよ風でしかない。
けど、心の根幹をへし折るような強風に成長するであろう未来を幻視してしまう。
一度、目を閉じて、深呼吸をして、気持ちを切り換える。
邪魔な雑念は、聞こえないし、見えないと思い込む。
不安から逃げて恐怖を振り切るように、目の前の薪と手にするゴブリン銅の斧に意識を集中する。
振るう。
斧と体、双方の重心の把握が甘い。
振るって、振るって、振るう。
斧が段々と手に馴染んできた気がする。
重心は把握できるようになってきたけど、斧と体、双方の重心を滑らかに移動させて、一つの振るう動きへと収束させることができていない。
さらに、振るって、考えて、振るって、考えて、振るう。
斧を手の延長だと思い込む。
重心移動はよくなったけど、動きの途中で斧のスキルがオンになりそうになった。
疲労が熱と倦怠感を引き起こして全身を包み込む。
深く静かに呼吸して、体内に溜まった熱を吐き出し、涼しい外気を取り込んで体が冷えるとイメージする。
さらに、深く斧を体の一部だと強く意識する。
スキルを切っても以前と同等の動きにはなっていると思う。
「でも、このままだとダメだ」
明確な理屈はないけど、このまま単純に斧を振るい続けてもスキルは成長しない気がする。
根拠として弱いかもしれないけど、斧スキルをオンにして斧を振るったときのほうが、威力や速さなど総合的に断然上。
最低でも、斧スキルによる一撃を超えないと、斧スキルは成長しないと思う。
「……あえて、斧スキルを全開にして振るった一撃を参考にしてみるか?」
脱力。
斧スキルを意識的に起動させ、現状で出せる究極の動きをイメージ。
何度も脳裏で、斧の軌道を思い描き、体の動かし方を確認する。
スキルの誘導と補正に従い斧を無心で振るう。
「…………最悪だ」
惨憺たる気分。
確かに、威力や速さは出なくていいから、完成度の高いモーションを望んだけど、こうなるとは思わなかった。
違い過ぎる。
なにが、と言われれば、全てが。
さっきまで、やっていた斧を振るう動きの未熟さ、拙さを見せつけられた。
余分がなくて、余剰がなくて、無駄がなくて、あまりにも滑らかで、薪を割るために斧を振るっただけなのに、美しいとすら感じてしまう。
これに比べてしまうと、私の薪割りはあまりにも拙い。
動きの一つ一つが、遅いし精度も甘い。
重心移動や体の動作が、上手くかみ合っていない。
せっかく発生させたエネルギーをあまりにもロスしている。
こんな薪割りはあまりにも醜くて、嫌悪感すら覚えてしまう。
ねっとりとした灰色のそよ風に、心の幹をなでられたような気がする。
でも、大丈夫。
これで私の心が折れたりしない。
現状、斧の振りを自己採点するなら赤点。
けど、絶望する必要なんてない。
だって、知ったから。
この体でもあれだけの芸術のようなモーションが可能だと。
到達すべき地点が見えたなら、少しずつ積み重ねるように、丁寧に歩みを進めていくだけ。
だから、目標に向かって進むために、斧を薪に振り下ろす。




