2-6 行軍と傭兵ゴルディド
晴れてはいるけど、暑すぎずに過ごしやすい陽気。
居心地の悪くなる嗅ぎなれない異郷の匂いを運ぶ風も、さわやかなそよ風程度。
出かけるなら、絶好の天気だ。
でも、今はろくに舗装されていない道を、悲しいことに嬉しくもない行軍中。
雨風で体温を奪われるよりはましだけど、遠くからの視野を邪魔するものがなくて、予想外の突風が飛翔する矢の軌道に干渉することもない。
つまり、弓や魔法で狙撃するには絶好の天気だ。
行軍している者の数は約3000人。
狙撃されるとしても、その内の10人程度の私たち村から徴兵されたメンバーをわざわざ選ぶとは思えない。
確率的にはとても、低い。
それこそ、奇襲で狙撃されて、私たちが狙われて致命傷を負う可能は、もっと低い。
でも、0じゃない。
だから、気が重くなる。
斧を極めるために、自由に移動する権利を獲得して、平民になるという目的意識のある私ですら、このストレス。
望まぬ戦場に連れて行かれる者のストレスは想像したくもない。
だからかもしれないけど、行軍する周囲を見渡せば、近くにいる同じ村の者たち以外は、うつむいた生気のない陰鬱な表情の者であふれている。
悲壮感しかない。
まるで死者の葬列のようだ。
見たところ、大半の者が平民、農奴を問わず鎧を身に着けていないようで、粗末な鉄製の武器を手にしているだけ。
それに、正確な数値はわからないけど、レベルとスキルが一桁なのは確実だろう。
もしかしたら、両方とも一桁どころか、1の可能性も十分にありえる。
数の上では、これがこの集団における主力。
前世の常識で考えれば、兵士の装備や練度よりも、戦場で勝敗を決する要因になるのは数だ。
でも、この世界だと数は無力じゃないけど、レベルとスキルが高い個によって数の有利を覆すことも珍しくもない。
私たちの村のように、戦死の確率を減らすためにも、レベルやスキルが低い者は足切りで、徴兵に応じられないようにする、ということを他の村ではしていないのだろう。
他の村だと徴兵に応じるのが、イコールで戦死と認識していて、村にとって失っても痛くない人員を選抜しているのかもしれない。
とはいえ、レベルとスキルが1、防具なしでろくに使い方もわからない鉄の槍を手に、戦場では敵陣に突っ込むことになるのだから、彼らの陰鬱な雰囲気も別に変じゃないのか。
それに比べて、私はデビルウルフの攻撃にも耐える鉄蛇草の布鎧と兜、雨具にも防寒具にもなる魔法防御力とそれなりの物理防御力を備えたフード付きのデビルウルフの毛皮のマント、手には魔樫も伐採できるクルム銅製の大斧、ウールベアの革で作ったベルトには投擲用のクルム銅製の手斧が6つ斧頭を引っ張れば、すぐに使えるようにセットしてある。
他にも予備の武器としてクルム銅製の鉈も帯びているけど、これは今の私の体格に比べると少しだけ小ぶりだ。
それもそのはずで、このクルム銅製の鉈は、デビルウルフを倒してユーティリが素材を独占する代わりに、村長が用意してくれた物で、今の私には小ぶりで最適な大きさじゃないけど、お守りのような物だから問題ない。
同じ時にシャードはクルム銅製の剣鉈で、アプロアとエピティスは薬草とかの採取に使いやすいクルム銅製のナイフをもらっていて、今も私と同じように武器というよりはお守りとして携帯している。
あるいは、4人にとっての目に見える絆の象徴かもしれない。
そして、足にはウールベアの革で作られたブーツを、ゴブリン銅でつま先やかかとなどを補強することで、再現してみた安全靴モドキ。
サンダルとかに比べて蒸れやすいけど、地面に枝や小石とかが転がっていても、気にすることなく強く踏み込むことができるのは大きい。
私と一緒に村からきているメンバーは武装に大剣や弓とかの差異はあるけど、防具がほぼ同じか、もう少し防御する面積が多い。
一緒に行軍している伯爵家の領軍よりも、装備の面では超えている。
自分たちの装備の凄さを誇りたくなりそうだけど、優良な質と装備と言えるはずの領軍ですら、装備の質がその程度と言えるから、どうにもその事実に背筋が寒くなってきてしまう。
それに、徴兵された者たちの大半が、サンダルか素足で心配にもなる。
粗末な装備の彼らは、敵じゃなくて友軍だ。
戦場で敵とぶつかったときに、彼らが戦線を支えないといけない局面もあるだろう。
…………期待できるとは思えない。
「どうした坊主、敵の姿も見えてねぇのに、もうビビったのか」
陰鬱な事実を確認してうつむきそうになっていると、近くを歩いていた山賊のリーダーのようなひげを生やした悪人顔の男ゴルディドに声をかけられた。
こんな容貌だけど、彼は伯爵と契約した傭兵の内の数はともかく装備と練度ではトップクラスの傭兵団の代表をしている。
第一印象はレベルで負けているけど、装備とスキルの差でどうにかなるかもしれないというものだ。
見た瞬間に、雰囲気や人柄とかよりも、勝てるかどうかを瞬時に考えるようになったのだから、私もずいぶんとこの世界に染まってきている。
彼だけじゃなくて、同じ傭兵団の仲間たちも素材はわからないけど高そうな革製の防具を装備して、ミスリルほどじゃないけど迫力ある剣を帯びていることからも、装備に手を抜いていないことがわかり友軍として、少しは安心できるといえるだろう。
そんな傭兵団のトップでもあるゴルディドが、声をかけてきたのは偶然じゃない。
伯爵領から出発するまで野営していたときに、彼らと接触していたからだ。
これは元傭兵だった村長の指示で、有力そうな傭兵団と接触するように言われていた。
短期間、接触したぐらいで味方になってくれるような安易な者たちじゃないけど、将来的に彼らに不利益にならない範囲で助力してくれるかもしれない。
それに、少しでも友好的になれば、傭兵たちの情報網で得た情報を手にすることができるかもしれないのだ。
そして、ゴルディドたちとの友好の懸け橋になったのは、持参したフォレストウルフの肉。
私たちと同じように、伯爵領へと集められたゴルディドたち傭兵の食事も、量に多少の違いはあっても内容は同じだった。
カロリーという点では問題ないのかもしれないけど、嬉しくて待ち遠しい食事内容とは言えない。
だから、持参したフォレストウルフの肉を提供した。
それも、普通のフォレストウルフの肉じゃない。
魔境で採取できる子供の身長並みに大きな直径のキクラゲのようなキノコを、干して粉末にした物をまぶして熟成させてある。
このキクラゲモドキの干した粉末は、生肉にまぶすと保存性が高くなり、前世のコショウのように特殊な魔道具で保存しなくても腐りにくくなるし、コショウとトウガラシとマスタードを混ぜたような味で調味料としても悪くない。
でも、独特の辛みと酸味に癖があり、村でも食べられない人がそれなりにいた。
その筆頭が、村長でキクラゲモドキを見るたびに渋い顔するようになったのも、村では名物になっている。
幸いにも、フォレストウルフの肉も、キクラゲモドキの味も、傭兵団には好評で、最初はこちらを警戒していたゴルディドも、すぐに笑顔であいさつする間柄になれた。
まあ、ゴルディドたちの視点で見ると、徴兵された平民と農奴の集団なのに、全員鎧を装備していてレベルとスキルも高いと立ち振る舞いで推察できる。
そんな連中が都会だと高級食材になるフォレストウルフの肉を手に近寄ってくるのだから、こちらを不気味に思われても仕方がない。
もっとも、野営地で上等な肉を焼いたら、周囲から無数の嫉妬の視線を向けられたけど、一切れだけ渡して追加は情報、金銭、物と交換だと提示したら素直に引き下がった。
ゴルディドのような有力な傭兵と交流していたから、関係者と勘違いされたのかもしれない。
「別に、ビビっていませんよ。ただ、攻城兵器や騎兵が見当たらないなと思っただけです」
内心ではいつ敵と出会うのか不安に思っているけど、強がってそれらしいことを口にする。
「ほう、攻城兵器や騎兵を知っているのか」
「知識としては。実物は見たことがありませんけど」
攻城兵器はともかく、騎兵を見かけないのは意外だ。
そもそも、ウマやそれに類する騎獣を、周辺で行軍する領軍のなかに見かけない。
貴族のシャルモですら、自分の足で歩いている。
この世界にもウマやロバが存在しているのは、村に来る行商人の馬車を引いていたから間違いないだろう。
でも、それなら、地形を考慮して、兵科として騎兵を連れてこなかった可能性もあるけど、貴族が騎乗しない理由がわからない。
「いやいや、最近の入団を希望していた奴に聞かせてやりたいな。兵の種類どころか、武器を持って敵と戦うのが傭兵だと思ってるバカが多すぎる」
ゴルディドはおどけたように肩をすくめる。
荒くれ者にとって、質の高い装備と練度を維持している傭兵団は、就職先として魅力的なのかもしれない。
「間違っていないのでは?」
「違うな、傭兵の一番大事な仕事は生き残ることだ。勝利や任務をどうこうっていうのは、軍人に任せておけばいいんだよ」
「そういうものですか」
「おうよ。それで、攻城兵器だけどな」
ゴルディドの長くなりそうな説明を遮るように、口を開く。
「伯爵の直属の部隊が収納袋で運搬しているのでしょう?」
収納袋に入れて運搬しているのなら、行軍中に見かけないのは当然だ。
しかし、ゴルディドによって即座に否定される。
「違う」
「えっ! 私たちは砦の奪還に向かっているんじゃないんですか?」
攻城兵器の投石器や破城槌なしで、砦を攻略する。
前世、映画で見たワンシーンを思い出す。
城壁の上から、粗末な梯子に命を預けて進軍する相手に、投石、熱した油やお湯、梯子の破壊で対処して、無残に戦場で命を散らすおぞましい光景。
切実に思う。
やりたくないと。
……ああ、もしかしたら、魔法が攻城兵器の代わりになるのかもしれない。
そう信じたい。
そうであって欲しい。
「そうだが、違う」
「……はい?」
意味が分からない。
どういうことだろうか。
「伯爵の目的は砦の奪還だが、攻城戦にはならんからな」
「なぜです。砦を奪った侯爵家の軍は総数が2000に届かないはずです。籠城したほうが有利なのでは?」
「お前、問題になっている砦を見たことないだろ」
ゴルディドがニヤリと笑う。
少々面倒だと思ったけど、思考をクールダウンさせてスルーした。
「私は移動の自由のない子爵領の農奴ですよ、伯爵領の砦を見れるわけがないでしょう」
「それはそうだな、すまん。国境にある砦だがな、実態は砦とは名ばかりの石造りではあるが、小ぶりな見張り台だな。100人すら収容できないだろう」
ゴルディドの説明によれば、帝国と王国の国境にある奪われた砦は、主要な街道から外れていて、双方の付近の領土に重要な資源があるわけじゃないので、将来的に両国間で戦争になるとしても、ここが進行ルートになる可能性は低いので、戦略的な重要性は皆無。
けど、ならなんで、そんな砦があるのかといえば、過去に両国間の戦争で、帝国が快勝して王都まであと少しのところまで進軍したときに、王国の別動隊が誰も警戒していなかった戦略的に重要じゃない地点から進行して、手薄になっていた帝国の領土を蹂躙することで、帝国の主力を主戦場から引きはがすことに成功。
帝国は王国を下せる好機を逃したことで、二度とこのようなことにならないように、現在の伯爵家の先祖に砦の建築を命じたそうだ。
とはいえ、この砦は国境を守るための施設じゃなくて、王国軍が進行してきたら、帝都に伝令を即座に送れるようにするための見張り台としての機能しか期待していなかったので、ここにこもって籠城なんて不可能らしい。
「だから、砦を出て野戦ですか。……侯爵家の軍は撤退するのでは?」
「どうして」
「兵力の少ない軍隊で、野戦をするのは不利なはずです」
伯爵家の号令で近隣から徴兵された大半の兵が、装備と練度に不安があるけど、数は脅威だ。
侯爵家としては無理する理由がなさそうではある。
……いや、それを言うなら、侯爵家が籠城もできない砦をわざわざ攻略した意味もわからない。
私の視点だとすべてが無駄な浪費にしか見えない。
「間違っちゃいないが、正しくもないな。侯爵家の軍はこちらに比べて、兵の数は少ないが、装備と練度では向こうが上だ」
「だとしても、リスクが高すぎませんか?」
「なに、ここまでは侯爵家の連中の思惑通りだろうよ。価値の薄い奪いやすい砦を陥落させて、伯爵家の軍を戦場に引っ張り出すところまで」
「侯爵家は、伯爵家に強い恨みや因縁でも?」
そうでもなければ説明がつかない。
兵を動員して行軍するだけで、農奴や平民からすれば、天文学的な数字の資金と資源が1日ごとに消えていく。
侯爵家が勝てたとしても、得られるのは戦略的な価値の低い砦と、伯爵家が動員した兵に勝てたという事実だけ。
私の感覚だと割に合うとはとても思えない。
「いや、細かい因縁はあるだろうが、オレの知る限り何代も恨むというエピソードは聞かないな」
「……なら、もっと、わかりません。侯爵家の行動の意図はなんなんでしょう」
「あん? なんだ、知らないのか。侯爵家の次男か、三男が最近15になったらしい」
脈絡のないゴルディドの言葉に、首をかしげながら応じた。
「……はぁ、それがなにか」
侯爵家の息子が15になったからといって、なんだというのだろう。
「妙なところで、察しが悪いな。当主の侯爵様は、息子の成人祝いをかねて、初陣を勝利という形で体験させたいんだろう」
「……成人祝い…………成人祝いですか!」
確かに、この世界は15で成人と見なしている国が多い。
けど、15になった成人祝いが戦争?
意味が分からない。
村長がユーティリとヒティスの結婚祝いで、屋敷と呼べるような立派な家をプレゼントしていて、親バカだなと思っていたけど、戦争を息子にプレゼントするって想像できないし、理解できない。
「なにを、驚いているんだ。貴族なら珍しくもないだろう」
ゴルディドは、驚く私を不思議そうに視線を向けてくる。
なんでも、そういう時は傭兵団として稼ぎ時らしいので、支払い能力のある貴族の家族構成と誕生日は記録しているそうだ。
確かに、これなら帝国と王国の戦争と両国は認めないし、認めたくもないだろう。
前世の感覚だと、領主の息子の成人祝いに、家族が徴兵されて戦死したら、強い反発があって反乱でも起こりそうだけど、そういうことはあまりないらしい。
良くも悪くも、帝国や王国の住民にとって当たり前のことだから、家族が戦死して悲しんで理不尽に感じたとしても、災害と同じようなものだと諦めているのだろう。
いや、そもそも、異を唱えるべきものだという発想がないのかもしれない。
それなりに、この世界の価値観や倫理観に慣れてきたと思っていたけど、まだまだのようだ。
「それで、騎兵はいないんですか?」
「よく考えろ、いるわけないだろう」
「はい?」
部隊として騎兵を運用しなくても、部隊を率いる隊長クラスが騎乗するのは変じゃないと思う。
「お前、ウマと走って負けると思うか?」
「は? そんなの…………あ」
今の私は鎧を装備したままで、前世のサラブレットよりも長く速く走れると断言できる。
前世の人間並みの身体能力のレベル一桁の者なら、ウマなどを運用するメリットがあるけど、10レベル超えた者にとってはメリットがあまりない。
貴族の場合は、見栄と実利のために、子息にレベル上げをさせるから、ウマよりもはるかに強い騎獣を調達して騎乗しないかぎり、メリットがないようだ。
ゴルディドの話だと、見栄で行軍中にウマに騎乗していた貴族が、奇襲を受けたときに反応が遅れて戦死することが何回もあったので、貴族でも戦争での行軍中に騎乗することはあまりないらしい。
そうやってゴルディドと話すことで、戦場へ向かう恐怖を緩和しつつも、未知の情報を知ることができたと喜んでいた。
……このときまでは。
どうにも、ゴルディドが私に声をかけたのは、会話をして暇をつぶす相手が欲しかったようだ。
傭兵なら、もっと奇襲を警戒しろと思わなくもないけど、そこはベテラン傭兵、ちゃんと警戒しながら話してくるから注意することもできない。
それでも、ゴルディドの話す内容が、少しでも身になることなら、胡散臭い噂話や都市伝説でも、丁寧に拝聴しようと思っていた。
けど、聞かされるのはのろけだ。
ゴルディドは愛妻家なようで、どれだけ妻が素晴らしいか、どんな情熱的な恋の駆け引きを経て結婚へ至ったのか、どれだけ自分が妻に一途で愛しているかを長々と聞かされることになった。
悪人面のオッサンの妻へののろけ話なんて、興味もないし、面白くもない。
普通に、聞いているだけで苦痛だ。
けど、戦場でのことを考えると友好関係は壊すわけにはいかない。
それこそ、のろけ話が苦痛だからと、ゴルディドの心証を悪くするのは、損でしかないだろう。
でも、苦痛だ。
なので、救援を求めてゴルディドが率いる傭兵団のメンバーに視線を向けたけど、全員からいい笑顔で距離を取られた。
なら、同じ村の仲間なら、手を差し伸べてくれるだろうと、視線を向けるけど、誰も視線を合わせくれない。
まだ、友人と断定しにくいフォールと彼のグループはまだわかるけど、アプロア、シャード、エピティスの3人まで目を合わせてくれなかった。
一応、周囲を警戒しているようなフリはしているけど、あれは違う。
まったく、酷い裏切りだ。
戦う前に緊張はほどけたかもしれないけど、苦難をともに進んでくれないのかと、知ってしまって心は悲しみで満ち溢れている。
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