2-4 アプロアへの気持ち?
投稿とメンテナンスのタイミングが重なってしまい1日遅れました。
「ファイス、お前はバカなのか」
村の広場でフォールと話しているところに合流したアプロアに、徴兵に応じることを伝えたら、こう言われてしまった。
数か月ぶりに顔を合わせたばかりなのに、なかなか酷い。
「けど、私が行かなければ、誰が行くんですか?」
平民になるという明確な目標があるから私は前向きになれるけど、平民になることに命をかけるほどの価値を見出していない農奴にとっては、徴兵なんて死ぬリスクと殺人を強要される嫌なことでしかない。
それなら、この村に割り当てられた徴兵の席の1つは私が埋めるべきだろう。
まあ、それでも、まるで灰色のなにかにささやかれるように、未知の戦場への恐怖と躊躇いがないわけじゃないけど、斧を極めるならここで足踏みしているわけにはいかない。
「それは……」
「父たちに、行かせるわけにはいかないと思います」
ここ数年で、私たちの世代と、父たちの世代でジョブと身分に関係なく実力に差が開いてしまっている。
原因は私の広めたスキルの修行法。
スキルをオフにして、スキルを起動したときの動きを再現しようとするもの。
なかなか有用で、村人の魔境での死亡率の低下と質の向上と、修行へのモチベーションの向上につながっている。
けど、すべての村人に恩恵があったわけじゃない。
私たちよりも上の世代、具体的に言えばフォールたちの世代でギリギリだった。
それよりも上の世代はジョブと身分に関係なく、そもそもスキルをオフにすることがどうしてもできなかった。
だから、父たちの世代は、相対的にレベル差以上の実力差ができてしまっている。
まあ、村長と傭兵時代を共に過ごした実力者だった数人は、父たちと同じようにスキルをオフにできなかったけど、元々のレベルとスキルが高いから実力に差ができるどころか、いまだに追いつけない。
どんな戦場で、どんな相手と戦うのかはわからないけど、父たちの世代よりも私たちの世代が行ったほうが生還率は上がるだろう。
「…………」
「実力的にも、私たちの世代が行くべきです」
「だが……徴兵だぞ」
「でも、誰かが行かないといけません。そして、農奴のなかで実力がトップクラスの私が行かないのはダメでしょう」
実力があるから、その損失を恐れて村として失われても痛手にならない、生産性の低いメンバーに行かせるという考え方もあるかもしれないけど、私は嫌だ。
それに、そういう判断や思考をアプロアやユーティリにして欲しくない。
「実に献身的だね。子爵家の者として感謝を」
手を叩きながら現れたのは、派手すぎない程度に装飾の施された身なりのいい、赤い髪のさわやかな笑顔を浮かべた上品な印象の青年。
彼の言葉を信じるなら、子爵家の者。
つまり、貴族。
実に、面倒だ。
伝聞と、この村への態度を考えると、子爵は良心を持ち合わせたまともな領主だと思える。
だけど、その家族がまともかどうかは、わからない。
名君の子供が、暗君や暴君などという例はいくらでもある。
私が農奴だとわかった瞬間に、視界に入った罪などと言って切りかかってくる危険性もゼロじゃないし、そんなことが発生しても子爵が自分の子供可愛さで、形式的な裁判すらしない可能性もありえるのだ。
まあ、目の前の青年が、良心的で自制的な可能性もあるんだけど、農奴や平民にとって貴族は、なにをされても耐えるしかない災害のような存在でもあるので、あまり関わりたくない。
一応、村長の家で読み書きの勉強のついでに覚えた知識を参考に、青年に向かって沈黙したまま頭を下げる。
平民はともかく、農奴は基本的に貴族の許しがあるまで話しかけてはいけないので、黙ったまま頭を下げるのが正解。
決して私がコミュ障で不愛想だから、黙っているわけじゃない。
「シャルモ様、どうしてここに? 父と話すことがあったのではないのですか?」
アプロアの喋り方に違和感を覚えた。
シャルモという貴族を相手にしているから、当然なのかもしれないけど、言葉も態度もさっきよりも硬い気がする。
「ああ、それはもう終わったよ。ゼルトス殿は君の意思を優先するそうだ」
嬉しそうなシャルモと、対照的にアプロアの表情が強張っている気がする。
「それは……」
「ああ、だから、君が了承してくれれば、側室として迎えることができる」
シャルモが笑顔で告げた言葉に、場の空気が重く広がり凍り付く。
「側室?」
ユーティリがシャルモに聞こえないくらい小さい声でつぶやき、顔をしかめる。
「……ですから、自分は貴族になるつもりはないと」
やんわりとした拒絶。
アプロアはシャルモとの結婚を望んでいるわけじゃないようだ。
それに、シャルモの言ったゼルトス、村長がアプロアの意思を優先するというのも、子爵家との政略結婚よりも、アプロアの希望を大事にするという遠回しの拒絶の意味だと思われる。
もっとも、目の前の青年には、まったく通じていないようで、文面通りにアプロアが了承すれば村長が追認してくれると解釈しているようだ。
「子爵家の者として、君ほどの人材を愛人として迎えるわけにはいかない」
シャルモがなかなか飛躍したことを言う。
アプロアの貴族になるつもりがないを、側室になるのも恐れ多いから愛人にしてくれと解釈したようだ。
立場的に、黙れと言える相手でも身分でもないけど、彼には沈黙してもらいたい。
シャード、ユーティリ、フォールと友情、親愛、憧れなど思いは違っても、アプロアを大切に思っていることは共通している。
そんな3人だから、シャルモの側室や愛人という単語を聞いて、表情が消えて武器に手を伸ばそうとしている。
「お受けすることはできません」
アプロアがシャルモを見すえて言い切った。
応じるシャルモは少しだけ驚いたような表情をしただけで、すぐにさわやかな笑顔に戻った。
「ふむ……そうだね、少し話を急ぎすぎたようだ。今回のごたごたが終わったら、落ち着いた状況で再び確認しよう」
シャルモが軽快に去っていく。
まだ、結婚を断られたと思っていないようだ。
色々と問題も多い人のようだけど、平民に拒絶の言葉を口にされても怒らないくらいには理性的なようで、そこは評価できる。
「あっ…………おめでとう?」
なんとも、重くて冷たい空気に場がつつまれているから、空気を変えるつもりで言ってみた。
「っ!」
「…………っ!」
声にならない叫びが、口からもれる。
アプロアに股間を蹴り上げられた。
あまりの激痛で、立っていられなくなり、その場で膝を折りうずくまる。
汗が止まらない。
鉄蛇草の布鎧を装備していても、自分の布鎧は動きやすさを優先して腰や太ももなどを守るパーツがないので、当然だけど股間の守りもない。
攻撃されて、命中したら、ダイレクトでダメージがくる。
それに、レベルが15ぐらいのアプロアと私では10以上のレベルの差があるんだけど、急所への攻撃を無効化するほどの防御力は獲得できていない。
レベルが20以上になって、前世のオリンピック選手どころか特撮のような動きもできるようになったけど、体の強度は上がっているけど常識的な範囲だ。
例えば、ナイフを持ったレベル1の子供の攻撃でも、むき出しのおなかには刺さらないかもしれないけど、首へ攻撃されれば一撃で私を殺せるかもしれない。
そんなどうでもいい思考をして、痛みをごまかす。
どうにも、私は言葉を間違えて、アプロアの地雷を踏んでしまったようだ。
「…………バカ」
消えるように言い残して、アプロアが去っていった。
見間違えじゃなければ、アプロアの目には涙があった気がする。
シャルモにも毅然と向かっていたのに、なぜ?
無数の疑問の芽が花開くけど、それ以上に闇色の冷たい罪悪感で心が埋めつくされてしまう。
「ユーティリ」
「なんだ」
「私はどうして蹴られたのでしょう」
「…………はぁ、バカだからだろう」
ため息交じりに告げたユーティリの言葉に、シャードとフォールも無言で同意するように力強くうなずく。
私としてもアプロアが、シャルモとの結婚に前向きじゃないことはわかっていたけど、だからこそこちらからあえて「おめでとう」と言って、彼女に否定してもらってから詳細を聞こうと思っていたのだけど、このことは私が思っている以上に彼女にとって自分で消化しきれていないデリケートな問題なようだ。
「まあ、私の察する能力は低いようですね。アプロアがシャルモ様との結婚をここまで嫌がっているとは」
私の目には人の話を聞かない面倒な人としか見えなかったけど、悪人というほどじゃなさそうだった。
少なくとも結婚に前向きになれなくても、結婚の話を口にしただけで股間を蹴るほど嫌悪感を抱くほどの相手には見えない。
「…………お前はなにを言っているんだ」
「なにって、アプロアはシャルモ様との結婚が嫌だから、怒ったのでしょう」
「…………はぁ、お前がここまでバカだったとはな。関係が進展しないわけだ。愚妹の努力不足だけが原因じゃないのか」
「……どういうことです」
疑問しかない。
ユーティリの言うことが正しいなら、アプロアが怒ったのはシャルモが嫌いだからじゃないということになる。
それならなぜ、アプロアは私の股間を蹴り上げて、涙を流すほど怒り傷つくことになったのかわからない。
「あぁ……ボクが言うことじゃないな。そうだな、ファイス」
「はい、なんでしょう」
「お前、アプロアとの結婚を考えたことあるか?」
ユーティリが真剣な表情をするから、どんなことを聞かれるのかと、緊張して身構えていただけに拍子抜けだ。
「なにを言っているんです。そんなわかりきったことを今さら聞きますか?」
それはあまりも当たり前のことで、改めて確認する意味もよくわからない。
「えっ、そうか」
「ええ、そうですよ」
「そうなのか」
「当然、あるわけないじゃないですか?」
きっぱりと言い切ると、応じたユーティリだけじゃなくて、シャードとフォールも驚愕の表情を浮かべていた。
なぜ?
「…………はぁ、ないのか?」
「あるわけないでしょう」
「……うちの愚妹、アプロアに不満でもあるのか?」
「質問の意図がわかりませんが、そもそも私は農奴ですよ」
アプロアとの結婚、それは私が彼女をどう思うか以前の問題で、私が農奴という時点でほとんど成立しない。
「……だから?」
「だからもなにも、農奴の私が平民の女性と結婚することは、そもそも、リザルピオン帝国の制度上不可能です」
「そんな身分ぐらい」
「帝国で身分は絶対です。農奴の私と平民の女性が結婚することは不可能。だから、そんな不可能な可能性について考えたことはないです」
身分で人を差別しないことはユーティリの美徳だけど、彼の将来を考えれば修正したほうがいい価値観かもしれない。
「お前は、アプロアが嫌いなわけじゃないんだろう」
「当然です。慕う理由は数あれど、嫌う理由なんて皆無です」
ときに勇敢で、面倒見がよく、優しくて、努力家。
アプロアに好感を持たない理由がない。
これで彼女を嫌う人物がいるなら、それはそいつの性格に問題があると断言できる。
「それなら、仮にアプロアが強くお前との結婚を望めば、村長である父はお前を平民にしてくれるんじゃないのか」
「そうですね、制度上は私の所有者である村長が、農奴から解放して平民にすると告げれば、不可能ではないでしょう」
帝国の制度上、農奴と平民は明確にわかれているけど、農奴の所有者が望めば所有物である農奴は簡単な手続きで、平民になれる。
農奴が平民になるための慣例はいくつもあるけど、法的には村長がこの村の農奴を明日から平民にすると望めば全員を平民にすることが可能だ。
「なら……」
「でも、村長はそんなことをしませんよ」
「父はアプロアを溺愛している。強く頼めば」
「無理ですね。確かに、村長はアプロアを強く愛しています。でも、あの人は村長です」
「どういう意味だ」
「娘に言われたからで、農奴を平民にしていては、村の秩序が保てないという話です。そんなことをしたら、この村の農奴たちは不満に思うでしょう」
娘が望んだから、私だけ特別扱いで平民になる。
この村にとって、農奴の不平不満の芽で、将来的な村長との不和の原因になりかねない。
愛する娘が望んだとしても、村長はそんなリスクのあることをしないだろう。
あの人はアプロアの父である前に、この村を統治する村長だ。
「まったく、農奴を平民にしてしまえばいいのに」
「ダメですよ」
「どうして」
「この村にとって農奴は、非常時に切り捨てる要員だからです」
「そんなの非道だろう」
「そうですね、でも、非常時には必要なことです」
災害に戦争、予期しないなにかで、だれかを切り捨てる。
非情なことだ。
切り捨てるくらいなら、前もって備えておけばいい。
まったくもって正論だけど、可能かどうかは別の話だ。
村長も、喜んで切り捨てるわけじゃない。
非常時に、どうしようもないから、制度上切り捨てるのが難しい子爵の領民でもある平民じゃなくて、切り捨てやすい農奴を住まわせている。
貴族よりは危うい立場の平民だけど、非常時でも簡単に農奴や奴隷にできないくらいには、帝国の法律で守られていると言えるだろう。
まあ、幸いなことに、私は村長が農奴を切り捨てるような非常時に直面したことがないけど。
「普通の農奴ならともかく、クシとか鎧とか、色々やっているお前なら村長もその功績で平民にできるんじゃないのか」
首を傾げながら告げたフォールの言葉に、過大評価だと訂正の意を込めて応じた。
「私だけの功績というわけじゃありませんし、なによりアプロアと親しいので、娘の友人だから平民にしたのかと周囲に邪推されるでしょう」
「ここの村人をお前は疑いすぎだ。古くからお前を知る村人たちは、お前だけの功績ではないと思っても、お前が平民になるのに相応しくないとは思わないぞ」
「それ……最近の村人の感情を除外していますよね」
「それは……」
「こういう風に、農奴が慣例を破って平民になるのはリスクが大きいんです」
「でも……」
なぜかシャードが悔しそうにうつむきながら言葉を口にしようとするけど、私が遮るように口を開いた。
「よくわからない、仮の話はやめましょう。それに」
なぜ、3人がここまで仮の話にこだわるのかはわからないけど、本当に重要なのはアプロアの気持ちだろう。
それを無視して、他人の都合や思惑で話を進めるのはよくない。
「それに?」
「農奴が徴兵から生還すれば、戦果に関係なく慣例で平民になれるんですから」
農奴が平民になるなら、これがもっとも一般的な方法で周囲から不平や不満が出ない。
「……なるほど、そういうことか」
突然、ユーティリは笑顔になって、1人で納得するようにうなずく。
「はい?」
「斧以外に興味のない鈍感なバカかと思ったが、徴兵に乗り気だったのはそういうことか」
ユーティリから嬉しそうに肩を叩かれる。
なぜ?
ユーティリが喜ぶ理由がわからないから、不気味というほどじゃないけど違和感を覚える。
「お前のこと信じていたぞ」
フォールの言葉が理解できない。
なにを信じるんだ?
「任せた」
シャードに真剣な眼差しで言われて、肩を叩かれる。
いつの間にか、私はなにを任せられたのだろう。
だけど、なぜだろう。
雰囲気的に、この場でそのことを口にすることができない。
次回の投稿は3月29日1時を予定しています。




