2-1 ジョブは木こり
現実逃避をするように、過去を思い出す。
5年前、私をふくむ10歳の子供たちを村長が、教会のある町まで引率してくれて、私は教会で原理のわからない超常のなにかに提示された選択肢のなかで、上級戦闘職の斧聖じゃなくて、生産職の木こりを選んだ。
家に帰り、選んだジョブを報告したら、
「お前はバカだ」
父のスクースに殴られた。
バカだと言われて殴られたら、相手が父親でも頭にくるので、にらみつけようと視線を上げたら、なにも言えなくなってしまった。
だって、殴った父があらん限りの絶望に直面したかのような表情で、涙を流して泣いているから。
父に殴られたのも初めてだけど、父が涙を流すのを見るのも初めてだった。
怒りで上がってきた血が、さっと引いていく。
わずかに冷えた頭で思考する。
「バカはあんただよ。ファイスが選んだってことは、村長もそれを認めたってことだ。それをあたしたちが、どうこう言うことじゃないだろう」
父の頭をはたいて、説教をする母のトルニナの言葉は正しい。
リザルピオン帝国においてジョブの選択は、基本的に個人の自由だ。
けど、それは平民以上の身分の者に適用される。
法的な分類だと家畜と似たような扱いの農奴は、基本的に本人じゃなくて所有者の希望が優先されてしまう。
まあ、人格者な村長は、本人の希望を優先してくれたけど。
私のときも、確認のために木こりでいいのかと言われたけど、斧聖を強制されたりはしなかった。
「…………そうだな、すまない」
父は気落ちしたように背中を丸めて、寝室に行ってしまった。
父が殴って、涙を流した理由を推測することはできる。
ジョブには戦闘職や生産職のような区分があるけど、これは平民と農奴のような身分のようなものとは違う。
例えば、同じ斧スキルを使用したとして、戦闘職の斧士なら身体能力に大きな補正がかかり、生産職の木こりなら器用さや感覚などに大きな補正がかかる。
習得できるスキルに差異もあるけど、戦闘職と生産職の大まかな違いはこれぐらいだ。
まあ、同レベル、同スキルの戦闘職と生産職が戦ったら、戦闘職のほうが高確率で勝つと言われているけど、大半の平民や農奴が戦闘を生業とする人生を選択するわけじゃないから、生産職を選ぶことが人生においてデメリットというわけじゃない。
けど、これは表向きの話だ。
父はナゾイモの畑以外にも魔樫を伐採することを村長から任されているけど、魔樫を伐採することだけを考えるなら、戦闘職の斧士じゃなくて生産職の木こりのほうが効率がいい。
なにしろ、木こりのジョブになると、伐採スキルを習得できる。
身体能力への補正の大小を考慮しても、魔樫を伐採するだけなら伐採スキルを習得できる木こりのほうがいい。
でも、父は斧士を選んだ。
木こりが選択肢になかったんじゃなくて、木こりも斧士と一緒に提示されたけど、木こりを選ばなかった。
それは父が生産職になりたくなかったからだ。
ジョブとしては生産職の木こりのほうが、父にとって戦闘職の斧士よりも生活においてメリットがあったと思うけど、それでも選ばなかった。
あるいは、選べなかった。
リザルピオン帝国だけか、それともこの村だけの価値観なのかはわからないけど、戦闘職よりも生産職のジョブを下にみる傾向がある。
まあ、男性限定の話だけど。
女性は生産職のジョブを選んでも、なにか言われることはほとんどない。
法的に区分されているわけじゃないけど、生産職についた者は、戦闘職についた者から、差別というほど強くないけど、生産職についた者を村や家族が危機に直面したときに、戦う気概がないと戦闘職の者がマウントをとるように揶揄することがある。
前世での学歴マウントに少しだけ似てるかもしれない。
だから、周囲から臆病者とみなされないために、父はメリットのある木こりじゃなくて、斧士を選んだ。
平民ならまだしも、農奴が生産職につくと、周囲から向けられる視線の圧力も、平民と農奴の両方から強くなる。
そういう風潮は知っていたし、周囲から面倒な視線を向けられるリスクも理解したうえで、私は木こりを選んだ。
なにしろ、木こりになると伐採スキルが習得できる。
伐採スキルは対象が植物に限定されるけど、斧を振るうときに斧スキルとは別に動きをアシストしてくれるのだ。
より早く、斧の高みへと至るのに、伐採スキルを習得しない選択肢なんてない。
斧聖は上級戦闘職で、斧を振るうときの補正が、斧士よりも強力で選択肢として魅力的だけど、斧聖を選んだら伐採スキルを習得することはできなくなる。
伐採スキルは木こりの固有スキルだから、木こりを選ぶ以外で習得する方法がない。
少なくとも、私は知らない。
それに、生産職の木こりのジョブは、他の生産系スキルを習得して成長しやすいように、補正してくれる。
私にとって、周囲の視線と態度が悪くなる程度なら、木こりは斧聖よりもメリットが大きい。
ただ、そのことを、父や家族がどれくらい気にするかという視点が致命的に欠けていた。
それに、斧聖は上級戦闘職だから、生産職とは逆に農奴でも周囲から尊敬や称賛の視線や態度を向けてもらえたりもする。
前世で例えるなら、東大卒だと周囲に告げたときに、得られるくらいの尊敬と称賛だろうか。
けど、その程度だ。
伐採スキルを習得できる機会を見逃すほどの価値はない。
でも、父にとっては、私が金を捨てて鉄を選んだように思えたんだろう。
父は、あまり口にしないけど、なんとなく農奴であることをコンプレックスに思っているような気がする。
だから、少しでも周囲から見下されないように、父は木こりじゃなくて斧士を選んだ。
他人を、家族を理解するのは難しい。
なにしろ、前世よりも明確に、感謝と愛情を両親に抱いているけど、二人を理解しているとは言い難いから。
「ファイス」
周辺を警戒するために巡回していたはずのシャードに声をかけられて、私の意識が過去から現在に戻る。
あるいは、非生産的な現実逃避の終了。
目の前には、地面に倒れた無数の魔樫。
過去を思いながら、斧と伐採スキルを起動させることなく、すべての魔樫を一撃で伐採している。
かつては、父でも1日がかりで1本か2本が限度だったものを片手間で伐採してる。
相対的に言えば、これは凄いことなのかもしれないけど、私という個人の視点で見たときに、現状は喜べるものじゃない。
なにしろ、半年前に魔樫をスキルを起動させることなく一撃で伐採できるようになってから、斧スキルがまったく成長していないから。
でも、斧スキルが見せる高みを見失ってしまったわけじゃない。
斧スキルを起動して、斧を振るえば今も目指すべき高みが感じられる。
けど、前よりも明確じゃなくて、濃霧で遮られたかのようにぼやけていると感じてしまう。
それでも、伐採スキルが成長していたから、大丈夫だって自分を誤魔化せていたけど、その伐採スキルも、2か月前から成長していない。
原因はわかっている。
魔樫が対象だと、これ以上の斧スキルの全力を見せる余地がないんだと思う。
例えば、時速200キロ出せる車があったとしても、そのスピードを出せる道路がないと意味がない。
どう頑張っても、時速100キロしか出せない短い直線の道路で、工夫しても200キロの世界へは至れないだろう。
とは言え、この魔境に魔樫以上に斧と伐採スキルを試すのに相応しい対象はない。
環境が変わらなければ私の斧の限界はここということになる。
改めて自覚すると心が重くなる話だ。
平民ならともかく、移動の自由に制約のある農奴であるこの身だとなかなか難しい。
思考の海で現実逃避していても、行き詰った現実を直視することになるので、とりえず目の前のことに意識を向けてみた。
「シャード、どうしました?」
視線をシャードに向けると、珍しく焦った表情に出会う。
私と同じように、弓聖のジョブを教会で提示されながらも、生産職の狩人を選んだシャード。
まあ、木こりの伐採スキル以上に潜伏、索敵、解体スキルと狩人になるだけ習得できる有用なスキルがあるから、当然の選択だと思う。
シャードも、私と同じように、家族やアプロアから、弓聖を選ばなかったと惜しまれた。
それでも、シャードが弓聖じゃなくて、狩人のジョブを選んだことを後悔しているという話は聞いたことがない。
まあ、本人が寡黙だから、内心では色々あるけど、黙っているだけの可能性はあるけど。
「6人、新人が襲われている」
シャードの言葉に、気持ちを瞬時に切り換える。
「…………ユーティリ!」
私が魔樫を伐採している間、近くで警戒してくれているはずのユーティリに視線を向ければ、魔樫の切り株に身を預けて眠っていた。
一瞬だけ、イラっとしたから永眠させようかと思ったけど、すぐに落ち着いて起こすために少しだけ強めにユーティリを蹴る。
平民で村長の息子を蹴るなんて無礼だけど、非常時には許されているし、当人の許可も事前に得ているから、後で私が罰せられることはない。
「うぉ…………どうした」
ユーティリが蹴られたことへの抗議をすることはなく、寝ぼけた表情だけど状況を把握しようとする。
「未熟でバカな自殺志願者が6人」
まだ、15で若輩の私が言うのもなんだけど、最近は強い魔物との交戦経験がほとんどないのに、魔境の奥へきてしまう若いのが多すぎる。
「……はぁ、またか、救援する。シャード、案内してくれ」
「了解」
シャードが即座に駆け出す。
一瞬だけ周囲の倒れた魔樫に視線を向けてから、気持ちを切り換えてシャードを追いかける。
貧乏性なのかもしれないけど、伐採した無数の魔樫を放置するのはもったいないと思ってしまう。
村長から収納袋を預かっているから、魔樫の回収は物理的に可能だけど、意味がない。
というよりも、需要がない。
原因は私だ。
私が魔樫を伐採しすぎたせいで、供給過多になってしまった。
子爵に納める税にしても、来年は魔樫での物納を断られている。
ここにくる行商人にしても、さばき切れないと買い取りを拒否している状態だ。
村の木工スキルを習得している者たちが、練習の一環で作った魔樫製の家具を格安で、各家に売っているから、辺境の村なのに農奴の家の家具でも素材だけは貴族や成功した商人並みだったりする。
それでも処理できない伐採した魔樫の山が、村の一角を占拠していて、これ以上は魔樫を伐採しても持ち帰るなと村長に厳命されてしまった。
現状、村だと魔樫よりも黒竹のほうが需要があるから、父も村長から魔樫じゃなくて黒竹の伐採を頼まれている。
間伐や、利用が目的でもない樹木の伐採をすると、酷い自然破壊をしているようで、少しだけ罪悪感を覚えてしまう。
魔樫は魔境の樹木だから、1か月もすれば伐採の痕跡がわからないくらい新しいのが生えて以前と同じような状態を維持するから、前世のような伐採のしすぎではげ山になるようなことはない。
「はぁ」
これも、現実逃避だ。
これから向かった先で起こることは、どう転んでも面倒だと確信できる。
だから、一瞬でも向かうのを遅らせる理由を探しているのかもしれない。
とはいえ、本当に人命がかかっているから、こんな無駄な思考は一瞬で終わらせる。
「気乗りしない、人助けだな」
いつもと変わらない魔境を駆け抜ける。
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