21 引率
「よう、大丈夫か?」
言うほどユーティリの表情は、こちらを心配しているようには見えない。
というか、意図がわからない。
無関係じゃないし、同じ死地を脱したから、お見舞いにくるのも変じゃないけど、アプロアたち3人と一緒じゃないことに違和感を覚える。
「体は大丈夫です」
デビルウルフにやられた傷は、すでに治っている。
今もベッドで寝ているのは、念のためだ。
命にかかわるほどの重傷でもなかったけど、軽傷と笑えるほどでもなかったから、傷が治っても数日はベッドから動くなと、母のトルニナから厳命されてしまった。
「体以外に、悪くするところがあるのか?」
心や精神を病むという発想がないのか、ユーティリは不思議そうに首をかしげる。
「母に泣かれて、罪悪感で心が苦しいです」
子供がデビルウルフという強力な魔物と戦って胸から血を流して帰ってきたら、母親が涙を流して心配するのはわかる。
普通のことで、当然だとも思う。
けど、だからと言って、母を安心させるために当分は魔境に行かないと言えば、子供が無理をするなと言われる。
母としては、怪我をして欲しくないし、危険なこともして欲しくないけど、やりたいことを無理して我慢させたいわけじゃない。
私としても、母を心配させたいわけじゃないけど、斧スキルを成長させるなら、魔境に行くしかなくて、母に禁止されなければ、継続してしまう。
ある意味で、母の子供の成長や、やる気をできれば邪魔したくないという善意につけこんでいる。
それでも、斧を極めることをやめることができない。
なかなか業の深いことだ。
「ふーん、そんなもんかね」
「あなたは親を泣かせたり、心配させて罪悪感にのたうち回ることはないんですか?」
「バカか、泣かせて、心配させて、失望させたぐらいで、罪悪感を覚えるなら、とっくに真面目に働いて、自警団のお荷物なんて呼ばれていないな」
ユーティリは胸を張って堂々と言い切る。
…………あれ、一瞬だけいいこと言ってるように思えたけど、ただのクズの発言だった。
「それで、ご用件は?」
「親父に頼んで、お前たちの引率の専属にしてもらった」
ユーティリの口にした言葉の意味はわかるけど、やっぱり意図がわからない。
基本的に怠惰なユーティリが急に真剣に仕事に取り組むようになる。
デビルウルフを倒せたから、その達成感で仕事に対して前向きになったとか、ありえなくはないけど、どうにも違和感を覚えてしまう。
「はぁ?」
「なんだ、ボクじゃ不満か?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど、なぜやる気に」
「ヒティスが、喜んで笑顔を向けてくれたんだ」
ユーティリの言葉になるほどと思いつつも、詳細を確認したくなった。
「どういうことですか?」
「倒したデビルウルフは、ボクがもらうことになっただろう」
「ええ、フォレストウルフと違って美味しい肉でもないですから。皮にしても加工費用が大変ですから」
記念ということで、ユーティリ以外の4人で少し味見してみたデビルウルフの肉は毒じゃないけど、シンプルに美味しくなかった。
生や、ゆでた薬草ほどまずいわけじゃないけど、黒玉の油や黒竹のタケノコのおかげで日々の食生活も向上してきたので、摂取して特別な効能があるわけじゃないので、現状だと進んで食べたいとも思わない。
「そう、それでボクの取り分になったデビルウルフをヒティスにあげたんだ。鎧作りに役立ててくれってね。そしたら、ボクの手を取って喜んでくれたんだ」
嬉しそうに笑顔で言うユーティリに、彼がやらかしている可能性を思い浮かんだので、確認のために口を開く。
「……鎧作りを依頼したんですか? あるいはデビルウルフの対価をもらいましたか?」
肯定してもらいたかったけど、ユーティリの口から出たのは、
「はぁ? そんなせこいことするわけないだろう」
否定の言葉。
「…………ヒティスさんは農奴です」
私は勘違いされないように注意しながら、慎重に言葉を口にする。
「……だからなんだ。身分が違うから、好きになるなとでも言う気か?」
ユーティリは、こちらの想像通りに、顔を不愉快そうにしかめた。
怠惰だけど、この人も村長の息子で、アプロアの兄だ。
身分を気にしないで、身分にとらわれない善性。
いいことだけど、閉鎖的な辺境の村という環境だと、少々問題を起こす可能性がある。
そして、当人はそれを問題のある行動だと認識していない。
最悪だ。
「いえ、そういうことじゃなくて、婚姻関係もない女性が村の有力者から、一方的に高価なものをもらうのは周囲と軋轢をうむかもしれません。今回だけなら、ともかくデビルウルフやそれに類するものを継続的にあげた場合、最悪だとヒティスさんが村八分になることもありえます」
ヒティスが平民なら多少の波風はあるかもしれないけど、大事になるリスクはない。
でも、ヒティスは農奴だ。
法的には、人じゃなくて、家畜のように村長の保有する財産。
そんな農奴が村長の息子から、高価なものを貢がせる。
ここで対応を間違えると、平民からだけじゃなくて、農奴からも反感を買うかもしれない。
「いや……そんなことは…………どうしたらいい」
自分の下心をふくんだ行為が、ヒティスの立場を悪くするかもしれないと思い至ったようだ。
けど、そんなことを8歳の子供に聞かないでくれとも思うけど、放置もできない。
どうやら、ヒティスへの下心があるから、私たちの魔境への引率に乗り気だったようなので、彼のやる気が下がると、魔境のゴブリンが出現する領域までへ行けなくなるかもしれないから。
「手っ取り早くて簡単なのは、ヒティスさんにもう会わないことです」
否定されるだろうと思って口にした言葉は、やはりユーティリによって即座に否定される。
「それは嫌だ」
「じゃあ、結婚するのはどうですか?」
次善の策を提案してみる。
けど、
「はぁ?」
ユーティリは心底意味がわからないという顔をしている。
「ヒティスさんは農奴ですが、問題ないでしょう」
ただの農奴に村長の次男が貢ぐのは問題だけど、結婚を前提にした相手なら話は変わってくる。
だから、ユーティリがヒティスと結婚してしまえば問題は、問題でなくなるだろう。
「ちょっと待て」
「なんです」
「ヒティスの気持ちはどうなる」
そう平民で有力者の息子のユーティリが言って、不思議だと農奴で子供の私が応じるのは変な気がする。
「重要ですか、それ」
「当たり前だろう。嫌われているのに、無理やり結婚とかお互いに地獄だろう」
「村長の次男と農奴の結婚です。自分の身分も平民になれるんですから、ヒティスさんも納得するとは思います」
農奴の女性は、平民と結婚すれば平民になれる。
納税の義務が発生するとか、メリットばかりじゃないけど、物から人になれるのは多少のデメリットが気にならないくらい魅力的なはずだ。
ヒティスがユーティリに対して好意を抱いていなかったとしても、平民になれるということは結婚に納得するぐらいには魅力的だろう。
「それはヒティスが我慢して色々と諦めるって意味だろう。そんなのダメだ」
ユーティリは真面目な顔できっぱりと言い切る。
まあ、一般論として農奴の女性であるヒティスは、ユーティリが結婚を申し込めば、断れないし、断らないと伝えたかっただけで、ユーティリが承諾するとは思っていなかった。
ユーティリは仕事に関して怠惰だけど、村長の息子でアプロアの兄だ。
身分に関して無頓着で、人の心情を気づかうから、好意の有無に関係なく結婚を相手に納得させるのを嫌がるだろうとは、予想ができた。
「なら、仕事の依頼ということにすればいいかと」
「仕事の依頼?」
「はい、デビルウルフが鎧作りの素材として、有用かどうかの調査をヒティスさんに依頼したということにすれば、あなたが無償でデビルウルフを提供した言い訳にはなるでしょう」
これなら、ヒティスの好感度を稼ぐために、魔物をユーティリが継続的に倒す理由になって、積極的に私たちが魔境へ行くときの引率になってくれるだろう。
「そんなことでいいのか?」
ユーティリは納得がいかないという風に首をかしげる。
「ええ、大丈夫だと思いますよ」
閉鎖的な共同体だと実態よりも体裁や理由が、重要だったりする場合もある。
それにヒティスにしても、漠然とデビルウルフの素材を任されるよりも、明確な依頼という形にしたほうがやる気になるかもしれない。
「そうか、なら、後でヒティスに説明をしに行かないとな」
ヒティスに合うオフィシャルな理由ができたからなのか、ユーティリは今日一番の笑顔を浮かべている。
「それがいいでしょう」
説明されてヒティスも、嫌がったり拒絶したりはしないだろう。
まあ、その前に無償でデビルウルフを受け取ってしまったヒティスがうかつだとも言える。
彼女としては、目の前のデビルウルフを素材としての鎧作りに興味が移って、高価なものを村長の次男から無償で受け取ったら、周囲からどう見られるかとかの視野が欠けていたんだと思う。
ユーティリがヒティスに説明したら、彼に感謝して好感度が上がるかもしれない。
「…………ところで、だ」
「はい」
「仮の話としてだけど、ヒティスに結婚を申し込んだとして嫌がられないかな?」
ユーティリがもじもじしながら聞いてきた。
美形とはいえ、成人男性がそんな仕草をしているのを見せられても、私としてはうっとうしいとしか思わない。
身分と権力で結婚することに即座に反対して、少しだけ感心していたのに、ヒティスと結婚できるという可能性には興味を捨てきれないようで、ユーティリの評価が私のなかで下方修正した。
なにより、8歳の子供に聞くようなことじゃない。
「…………嫌がられることはないと思いますよ」
「そ、そうか」
嬉しそうに目をキラキラさせるユーティリに釘を刺すために、言葉を口にする。
「まあ、喜ばれるかはわかりませんけど」
「ええぇ……」
ユーティリががっかりしたように肩を落とす。
「ファイス、大丈夫か? バカアニキ、なんでいるんだ?」
アプロアがシャードとエピティスを連れて私の部屋に入ってきた。
「黙れ、愚妹。ボクはファイスとこれからのことについて話し合ってたんだ」
ユーティリの言葉に、アプロアが胡散臭そうに顔をしかめながら応じた。
「ええぇ」
「それより、お前のほうこそ、なんの用だ」
「べ、別に、新しい装備の相談だよ」
アプロアの言う装備の相談とは、多分、村長がデビルウルフを倒してユーティリが素材としてもらうから、私たち子供の4人に釣り合う物を用意してくれるということについてだ。
素材を受け取ったのが、ユーティリなんだから、彼が補填を用意するべきなんだろうけど、怠惰で貯蓄などろくにしていない彼に、デビルウルフの素材に匹敵する価値のものなんて用意できるわけがない。
まあ、村長としては、怠惰でろくに働かなかった次男が、子供の引率で魔境へ挑んだら、デビルウルフを倒してレベルまで上げてきたんだから嬉しくなって、大盤振る舞いを約束してくれたんだと思う。
「そうか、慎重に選べよ」
ユーティリが慣れた手つきでアプロアの頭をなでると、彼女は嫌そうに払いながら応じた。
「わかってるよ、うるさいな」
「はいはい、ボクはこれから用事があるから、出てくよ」
推定ヒティスの元へ向かうユーティリに声をかける。
「あの……」
「うん?」
「これから、よろしくお願いします」
静かに頭を下げる。
「お互いにな、弟君」
ユーティリが不思議なことを口にする。
「弟?」
私は村長の親族じゃないし、そこに加わる予定もないんだけど、私は意味がわからず首をかげる。
けど、
「早く出てけ、バカアニキ」
なぜか、アプロアが真っ赤にしてユーティリを追い立てていた。
謎だ。
けど、魔境で斧を極める状況ができたのはありがたい。
これからも、私は全身全霊で斧を極めて見せる。
次回の投稿は2月9日を予定しています。




