17 鎧を求めて
「ファイス、いくぞ」
笑みや冗談のような弛緩した雰囲気の微塵もないアプロアに、赤いゴブリン銅製の片刃の大剣を向けられる。
応じる私も真剣だ。
「どうぞ、遠慮なく」
でも、私の手には武器がない。
まあ、必要ないというか、武器を持つわけにはいかない。
1歩、アプロアは踏み込むと同時に、大剣を袈裟斬りに振るう。
瞬間、反射的に避けようと動こうとする体を、意志の力でその場に固定する。
「ッグ」
強烈な衝撃が一直線に体を襲い、息ができなくなる。
衝撃が過ぎ去ると、残滓であるかのように熱を持った痛みが騒ぎ出す。
無意識のうちに、膝をついてしまう。
「ファイス! ……大丈夫か?」
アプロアが大剣を放り出して、慌てて近寄ってくる。
激痛は滞留し続けて、肺は正常な呼吸を再開できなくて、どこをどう考えても、全然、大丈夫じゃないけど、少しだけ嬉しい。
でも、痛みが嬉しいわけじゃない。
ここ最近、クシをプレゼントして以来、アプロアとの関係がぎくしゃくしていたから、嫌われてしまったんじゃないかとおびえていたから。
少なくとも、痛がって膝をついても心配されないほど好感度は下がっていないようだ。
「……大丈夫、です」
この言葉には説得力ないと言った自分で思ってしまう。
なにしろ、立ち上がるどころか、顔を上げることすら難しい。
客観的に見てダメージは大だろう。
「バカが、ここまで無理する必要なんてないだろ」
アプロアが泣きそうな顔で吐き捨てる。
「……言い出しっぺは、私ですから、私が安全確認をするのは……当然かと」
静かに息を吸って痛みを刺激しないように肺を満たしてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「バカ……」
それだけ言ってアプロアはうつむいて沈黙してしまう。
実験の相手に、アプロアを指名したのは間違いだったかもしれない。
罪悪感の針が、チクチクと心を攻め立ててくる。
これだったら、お互いに遠慮や手加減と無縁と思われるフォールあたりに頼んだほうが、気持ち的には楽だったかもしれない。
それでも、
「アプロアを1番信頼しているから」
「……えっ」
私の言葉に、一瞬驚いて、すぐに顔を赤くしてしまう。
わからない。
今の言葉に顔を赤くする要素があっただろうか?
剣のスキルレベルや人格への信頼を考えれば、アプロアが最適というのは変じゃないと思うんだけど…………わからない。
とはいえ、実験は成功した。
無茶苦茶痛くて、ノーダメージとは言えないけど、目立った出血はなく動けないような傷もない。
まあ、残留する痛みで、動く気にはなれないけど。
それでも、極論だけど痛みを無視すれば、全力でダッシュすることすら可能だ。
胸に手をやると、そこには明確に斬撃の痕跡がある。
鎧の上に。
この鎧の防御力を証明するために、鎧を装備した私をアプロアに手加減なしで切り付けてもらったのだ。
鎧を装備した人間を真剣で切り付けるような実験をするなと言われそうだけど、鎧の性能を証明するのにどうしても必要な手順だったし、なにもいきなりこの実験をしたわけじゃない。
前段階として、木製の簡易的なマネキンような物に、鎧を装備させて、それを切り付けるという実験をすませて、鎧の防御力はあるていど確認できていたから、最終確認のためにこの実験を行った。
まあ、鎧の性能を証明するためのパフォーマンスの側面もある。
しかし、この鎧、なかなか凄い。
アプロアは子供で女性とはいえ、スキルが7もあれば、前世で素人の大人が振るう剣よりも確実に鋭い。
衝撃は殺しきれなかったけど、その斬撃を受けても1滴でも出血することはなかった。
まあ、それでも鎧にはしっかりと一筋の斬りあとが残っている。
この鎧が、村で広まればゴブリン退治で死んでしまう村人の数を減らせるかもしれない。
というか、冷静に考えると、これまで父を含めてゴブリン退治をしていた人たちが、鎧に相当する防具を装備していなかったことに驚く。
でも、少し考えればわかる。
鎧というのは、高価で貴重なのだ。
その素材が金属じゃなくて革でも、鎧は農奴どころか平民でも、所持できる物じゃない。
この村でも自前で鎧を持っているのは、村長を含めて数人だ。
ある意味で、これは辺境において革命的なできごとかもしれないと思ってしまう。
もっとも、この村でこの鎧が普及するのには、時間がかかるかもしれない。
それも、供給の問題じゃなくて、需要の問題で。
なにしろ、私が考案したこの鎧の素材は、金属や革じゃなくて、布を使用している。
なので、あるていど鎧が完成して、マネキンモドキに装備させて試し切りをして見せても、村長を筆頭に懐疑的な姿勢の者が多かった。
まあ、懐疑的な人の気持ちもわからないでもない。
布が鎧になるというのは、彼らにとっては常識外のことなんだと思う。
私の場合は前世の記憶で、古代のどこかの国で布を重ねて膠で固めた鎧を使用したということを、なにかのアニメか、ゲームか、もしくはそれ以外のなにかで知っていたから、完成した布製の鎧を見ても違和感がない。
時間がかかるかもしれないけど、この鎧は広まるだろう。
なにしろ、この鎧は値段が安い。
凄く安い。
まだ、生産体制が整ってないから、明確には言えないけど、それでも安物の革鎧の十分の一以下のコストで生産できそうだ。
最初は膠の調達に関して、少し暗雲が漂いかけたけど、ゴブリン由来の膠なら簡単に必要量を確保できた。
なんと、この布鎧を作るために、簡単に入手可能な膠を探すまで、倒したゴブリンから膠を抽出するということを、この村ではしていなかったそうだ。
倒したゴブリンからゴブリン銅の装備と角以外は利用価値がないというのが、この村というか、この世界の常識だった。
見た目が人型で抵抗があるけど、それなりに肉が確保できそうなのに、食が豊かじゃなかったこの村でゴブリン肉が食卓に並ばないのには理由がある。
不味いというのもあるけど、不味いだけなら、薬草やナゾイモも不味い。
それ以上に、ゴブリン肉には毒がある。
強力な毒じゃないから、大量の薬草と一緒に食べれば、軽い腹痛で済むらしいけど、費用対効果が悪すぎる。
そして、今回、私も鎧の素材にならないかと、改めて調べてみたけど、ゴブリンの皮は加工する価値がない。
皮の性質なのか、加工するのにやたらと手間がかかるのに、やたらと脆くて、完成しても徒労感にさいなまれた。
皮に独特なゴムのような伸縮性でもあれば活用法が見えてきそうだけど、そんなものはない。
それでも、前世の知識を使ってゴブリンの皮をハードレザーみたいにしてみたけど、ダメだった。
脆すぎて、鎧どころか日用品にもならないレベルだ。
ゴブリンの角に関しては、錬金術で簡単に加工できるらしいので、錬金術師の見習いが日用品から装飾品など多岐にわたって作っている。
ゴブリンの角で作ったアクセサリーなどは、象牙よりも灰色がかっていて独特の味があって、そこそこ裕福な村の装飾品として、流通しているそうだ。
ちなみに、辺境の貧しいこの村には、そういう文化はあまりない。
錬金術が使える者もこの村にいるけど、ゴブリンの角で作るのは日用品か、行商人向けの商品としての小物や装飾品だ。
このように、この村ではゴブリンを利用価値のない害獣のように見なしていた。
もっと言うなら、ゴブリン銅の付属物として見なしてた場合があるかもしれない。
なので、価値のないゴブリンから、価値ある膠を抽出できるか試したことがなかったそうだ。
前例がないというのは、その素材について知識的な蓄積がないということで、そこが少し怖い。
もしかしたら、数か月後に突然、ゴブリンの膠を使った布鎧が壊れるリスクはある。
それでも、これだけ安く、早く作れるこの鎧には有用性があるはずだ。
なにしろ、この布鎧はナゾイモの糸で作った布を重ねて、膠で固めて、漆モドキを塗ったら完成。
材料は、この村でも余るほど入手可能なナゾイモの布や近くの魔境で入手可能な物なので、材料費が安くて加工に関しても、それなりに経験とスキルがあれば製作可能。
ちなみに、私が実験で装備している布鎧も、裁縫系のスキルを持つ農奴の女性ヒティスにお願いして作ってもらったものだ。
彼女には貫頭衣やロープのような簡単な物しか作ったことがないからと、初めは断られたけど、村人たちがゴブリン退治で命を落とさないためにと、言ったら協力を了承してくれた。
まあ……もしかしたら、私の後ろにいたアプロアに、ビビッて了承してくれた可能性がなきにしもあらず。
でも、問題ない。
なにしろ、現在、彼女は鎧づくりに目覚めたようで、より合わせる糸の太さ、折り方、重ねる布の厚さや枚数などを調整して、試行錯誤を繰り返している。
漆モドキから塗料を作っている農奴と協力して、防水や防御力など最適な塗料の開発にも手を貸しているようだ。
とにかく、村長を納得させるだけの鎧ができたと安堵する。
実のところ、この鎧開発は、失敗の連続だった。
安価で大量生産可能な鎧が必要となったときに、少し期待していたゴブリンの皮がダメで、軽く絶望したのが懐かしい。
次に思いついた布鎧にしても、決して順調とはいかなかった。
私が布鎧の素材として考えていたのは、ナゾイモの布じゃなくて、魔境で採取可能な鉄蛇草という植物から作った布。
素材に問題はなかった。
それどころか、予想以上に高性能で、膠で固めなくても鎧として成立するレベルだ。
それなのに、結局、鉄蛇草を採用することはなかった。
理由は簡単だ。
鉄蛇草の入手可能な場所が、魔樫など伐採できる魔境の深い領域。
しかも、見た目は大木に絡みついた太さ数センチのツタなのに、採取するのに斧を1時間以上振るう必要があるらしい。
それに、加工も手間だ。
細かい工程は省くけど、苦労して採取した鉄蛇草を糸にするのに、最低でも1か月はかかり、10人前後の人員が作業で拘束される。
うん、無理だ。
1日、数時間ぐらいなら、この村の農奴でも別の作業のために都合をつけられるけど、1か月も糸づくりに専従させることはできない。
だから、性能的に魅力的だったけど、鉄蛇草を布鎧の素材に使うのは諦めた。
そして、理解もできた。
これだけ鉄蛇草が高性能なのに、この村どころか、この国でも広く防具などで採用されていない理由が。
なにしろ、手間がかかりすぎる。
ドラゴンすら生息するこの世界では、ファンタジーな魔物の皮などで、安価に代替可能なので、お金がないけど技術があるから自作するような、特殊な事情でもなければ鉄蛇草を防具に加工することはない。
だからこそ、本当に、膠で固めたナゾイモの布鎧が実用レベルで安心した。
これで、どうにか村長と交渉できる。




