16 引率されて
「いらない」
拒絶の言葉。
あるは否定の言葉。
それが今、アプロアから私に向けて紡がれた。
よほど怒っているのか、アプロアはうつむいて表情は見えない。
胃がキリキリと痛む。
シャードとエピティスに救援を求めて視線を向けるけど、2人とも目を合わせてくれない。
2人には思わずプレゼントした物を返せと言いたくなってしまった。
まあ、言わないけど。
そんなことよりも、今はアプロアだ。
私にはアプロアが不機嫌になっている理由が思いつかない。
村長からクシの量産をお願いされて、アプロアたちと魔境で修業をできなかったから、お詫びの気持ちを込めて、3人に竹炭で作った物をプレゼントを作った。
シャードには前世の曖昧な知識で、作った和弓のような構造の取り回しのよさそうな短弓。
先ほど試射してみたところ、以前の弓よりも威圧的な風切り音を奏でて、遠くまで直進して、シャードにしては珍しく興奮した様子で、一言だけ「感謝する」と言ってきた。
弟や妹の多いエピティスには、竹刀のような実用品よりも、遊べる物がいいかと、竹馬と竹トンボを贈っている。
回すだけで飛翔する竹トンボを気に入ったようで、10回以上飛ばしてから、まっすぐに私の目を見て、感謝の意を伝えるかのようにエピティスはうなずいた。
ここまで、良かった。
そう、ここまでは、問題がなかった。
けど、アプロアに特製のクシを差し出したら、アプロアが沈黙して空気が凍結した。
でも、アプロアが怒る理由がわからない。
アプロアへのプレゼント用に作ったクシは、他のクシと違って白じゃなくて、鮮やかな光沢をもつ緋色をしている。
この緋色の塗料は、白い塗料を作っている農奴の1人が、気まぐれで漆モドキに薬草やゴブリンの骨だけじゃなくて、ゴブリン銅の粉末を適量混ぜたらできあがったらしい。
髪をツヤツヤにする効能も、白いクシと変わらないし、なにより緋色が綺麗だから、アプロアは喜んでくれると思っていった。
アプロアが緋色というか、赤系統の色が嫌いという情報も聞いたことがない。
だから、本当にアプロアが怒る理由がわからなくて不安になってくる。
「お……お前には、オレの髪が見えないのかよ」
「髪?」
アプロアの言葉の意図がわからずに首をかしげながらも、あらためてアプロアの髪を見直す。
この村の女性として珍しく髪が肩に届かないくらい短いけど、変なところはない。
あえていうなら、アプロアもシャンプーやクシのなかった、この村の住人だから茶色の髪も多少はボサボサしている。
それでも、以前のわらたばのようだった母の髪に比べれば綺麗だ。
「茶色の綺麗な髪だと思うけど?」
だから、自然と思ったことを口にする。
「……! バッカ、ちげーよ。そういうことじゃなくて、こんな短い髪だと、これで髪を手入れする意味なんてないだろ。オレには似合わないんだよ」
アプロアが顔を赤くして語気を強める。
「そんなことはないでしょう。元からアプロアは容姿が整っているし、その短い髪形もお似合いですから、クシで手入れをすればより美しくなると思いますよ」
「…………帰る」
再びうつむいたアプロアは、肩を震わせながら走り去ってしまった。
一応、渡した緋色のクシ持ち帰ってくれたけど、アプロアの怒るポイントがわからない。
本当に、わからない。
実は容姿にコンプレックスがアプロアにあるとか?
しかし、そんなことが、ありえるのだろうか?
例えば、平民でうざったく絡んでくるフォールだけど、あいつが私たちに絡む理由はアプロアだ。
容姿端麗で、村長の娘というステータスもある自分の惹かれている少女が、自分たちじゃなくて農奴と仲良くしているから、嫉妬しているのだろう。
このように、主観的客観的な観点から、容姿端麗なアプロアが自分の容姿にコンプレックスを持っているとは思えない。
それなら、アプロアが怒ったのは、単純にクシのような身だしなみを整える道具よりも、シャードやエピティスに贈ったような実用的な物か、遊技的な物の方が良かったかもしれないと、密かに思ってしまう。
「ここから先は油断しないように」
村長の穏やかな口調で紡がれる言葉に、私、シャード、エピティスの3人が緊張でややこわばった表情でうなずく。
村長は実年齢の40代よりも、10歳くらいは若く見えるあごひげを生やした整った容姿のオジサンだ。
けど、中肉中背と言える体格なのに、レベルや傭兵の経験なのか立っているだけで風格がある。
少し離れたところにいるアプロアは、不機嫌そうでうつむいているけど、緊張はしていないようだ。
クシをプレゼントして怒らせてから、アプロアの機嫌は直っておらず気になるけど、それよりも現状だと恐怖と興奮の混ざったような緊張感で、あまり意識をそちらに割けない。
今、私たちは魔境の少し深いところにいる。
普段なら立ち入ることを禁止されている領域だ。
特別に、村長が引率してくれることで立ち入ることを許されている。
なんのためか?
レベル上げだ。
なんでもフォレストウルフを倒して自分だけレベルが上がったことを、アプロアが気にしているので、黒竹や黒玉の利用方法を見つけた私たちに、特別な褒美という形式で魔境でレベル上げの引率を村長がしてくれるそうだ。
村長は親バカなのかな?
アプロアに甘すぎだ。
正直、レベル上げはありがたいけど、怖くもある。
というか、前日に明日、レベル上げに魔境に行くからと、唐突に村長から告げられて、こちらとしては魔境で戦う心構えができているとは言えない。
村で最強の村長が引率してくれているし、私たちがレベル上げの相手にするのはゴブリンだから、危険度で言えば前回のフォレストウルフよりもかなり低いけど……それだけだ。
フォレストウルフよりも戦闘能力の低いゴブリンの攻撃でも当たれば死ぬことがある。
万全な安心安全にはほど遠い。
踏み込んだことのない、私たちにとって魔境の未知の領域。
1歩ごとに、呼吸が乱れて、心臓がうるさい。
浅い領域と魔境の植生や見た目に大きな変化はないのに、目につくすべてがどうにも恐怖をかき立ててくる。
体の震えとこわばりの原因が、恐怖か、寒さか、判別もできないほど感覚があいまいだ。
修業して4人のスキルも上がっているから、客観的に考えればゴブリン相手なら負けることはありえない。
でも、いつもは4人のなかで1番冷静なはずのシャードでさえ、せわしなく視線を動かして落ち着きがない。
周辺への警戒を密にしているというよりは、視点が定まっていないようにも見える。
あれだと、視界に異変が映っても見逃してしまいそうだ。
アプロアとエピティスにしても動きが、どこかぎこちなくて、とてもじゃないけど、ゴブリン相手に十全に戦えるとは思えない。
でも、村長に撤退を進言することはできない。
なにしろ、私は身分が農奴で、この国の法律的には村長の所有物にすぎない、最低限の人権すらない哀れで儚い物だ。
撤退を進言したくらいで、村長が怒るとは思っていない。
この人はそんなに狭量じゃないと知っている。
それでも、それでも、だ。
そんな人格的に信頼できる相手でも、機嫌を損ねた瞬間に人生が文字通り終了してしまうと思うと進言する口は重く、のどは堅くなって音を響かせない。
悲しいことだけど、思ったよりも私は臆病で勇気がないらしい。
「うん、いるね。誰からいく?」
村長の声には緊張感がない。
遊園地のアトラクションを体験する順番でも聞いてるのかと、錯覚してしまうほど普段通りだ。
でも、視界に入ってきたのは、気軽なアトラクションなんかじゃなくて、殺し合いの相手でもあるゴブリンが1体。
120センチぐらいの身長で、不気味な緑色の肌と、額から生やした短い角が、実に印象的だ。
顔はサルをより野性的にしわくちゃにしたようで、わけもわからないけど生理的な嫌悪感と不快感をかき立てられる。
のどがしまって息が苦しい。
心臓が冷たいなにかで締め付けられる。
なにのに、鼓動はうるさく騒ぐ。
「うん? どうした? 相手も1体だし、ちょうどいいだろう?」
村長は返事をしない私たちを不思議そうに見つめて首を傾げる。
そこには、悪意なんてない。
ただ、理解できていないだけ。
ゴブリンと戦うことに恐怖する事実を。
村長の視点で考えると、年齢的に早いかもしれないけど、戦闘に使えるスキルレベルが5以上ならゴブリン1体を相手にして負けるなんて考えられない。
多分、それはとても正しくて、間違っている。
能力的に問題なくても、友達や自分が傷つき死ぬかもしれない覚悟を確立できていない心が、十全に動くことを阻む。
4人のなかで、声を上げる者はいない。
ゴブリンは魔物らしく、数の劣勢や村長の戦闘能力に恐怖して立ち去ることなく、こちらへと歩みをゆっくりと進めてくる。
後、10秒もためらって怠惰に停滞する猶予はない。
視界のはしでアプロアが懸命に震える手を上げようとしているのが、見えてしまった。
意識的に短く息をして、恐怖を押し出し、覚悟が決まったと思い込む。
それでも、震える手と、乱れる心臓を無視して、口を開く。
「私から……行きます」
口が乾いて、のどが絞まって声が出にくい。
それでも、言えた。
アプロアが驚いたような表情で、咎めるような視線を向けてきている気がするけど、気にしない。
これは勇気なんかじゃない。
臆病だから、さっさと終わらせようという思惑だ。
「うん、頑張りなさい」
ほがらかで軽い口調で紡がれる村長の言葉を背に受けながら、ゴブリンに向かってゆっくりと歩みを進める。
恐怖と興奮で平静からかけ離れている心を切り換えるために、静かに赤いゴブリン銅の斧を構えながら、斧スキルを全力で起動させる。
「動く薪、動く薪、動く薪」
自己暗示のように小さく口の中で繰り返して、冷静を偽造した。
「ギャ」
威嚇と笑いを混ぜたような声を上げて、ゴブリンがこちらに走ってくる。
こちらには村長がいるから、いくら好戦的な魔物であるゴブリンでも、戦力差を悟って逃げ出すかもしれないと、ほんの少しだけ警戒したけど、杞憂だったようだ。
こちらに向かってくるゴブリンは長さが50センチくらいで、太さが子供の腕くらいの木の枝を棍棒のように振り上げて、防具は装備していない。
ここの魔境で出現するゴブリンとしては標準的な装備だ。
ゴブリン銅製の武器を装備したゴブリンも出現するけど、確率は半分以下らしい。
そんな思考をすることで、自分は相手を冷静に観察できているから、冷静なんだって自分に言い聞かせる。
でも、心は落ち着かない。
ゴブリンが1歩、こちらに迫るごとに凍り付くように体が硬くなる。
まるで、自分が石になってしまったんじゃないかと思ってしまう。
そんなダメダメな心身と関係なく、ゴブリンが間合いに入ると同時に全力起動させている斧スキルが反応する。
強張りながらもできるかぎり脱力して、初動に反応しやすいようにしていた私の体を、斧スキルが傀儡人形を操るように動かす。
淀みなく、遅滞なく、斧が赤い軌跡を描いてゴブリンの首を切り落とす。
『レベルが2に上がりました』
脳内にレベルアップの声が響く。
けど、それに喜ぶ心が不在だ。
「これは……ダメだ」
自戒の言葉が自然と出てしまう。
別に、赤い血を噴き出して動かなくなったゴブリンに同情したわけじゃない。
ただ、ただ、自分の動きの酷さが目についたからだ。
確かに心身共に、十全とはいえない状態だった。
でも、そんなことが言い訳として認められないほど、私の動きはダメだった。
動きの大半をスキルに任せていたから、不満点は出てくるだろうと思っていたけど、この結果は予想外だ。
予想していたよりも、動きながら、動いているものに斧を振るうのは難しい。
でも、これはこれで面白い。
レベルアップには、そこまで興味はないけど、斧の修練としてゴブリン退治に興味が出てきた。




