15 好奇心は猫を殺す
『斧スキルが成長しました。斧スキルが4に成長しました』
待ち望んだ声が聞こえた。
静かに息をして、気持ちを落ち着ける。
心に広がるのは喜びもあるけど、それ以上にあるのは安堵。
なぜなら、私の周囲には10を超える黒竹が伐採されている。
そう、少し前から斧スキルのアシストなしで、黒竹を1撃で伐採すること自体は可能になっていたけど、斧スキルは成長しない。
なぜか、黒竹を斧スキルのアシストなしで、伐採できれば斧スキルが成長するって、思い込んでいたからショックというか不安と焦りも大きかった。
でも、斧スキルが上がった今なら、スキルが成長しなかった理由も少しは予想がつく。
初めて伐採できた黒竹の切り口は荒い力任せなのを証明するようにわずかにデコボコしてるけど、最後に伐採した黒竹の切り口は鋭い刃物で切ったかのように滑らかでまったく違う。
黒竹を伐採できたという結果は同じでも、斧の振るう精密さに差異がある。
つまり、スキルの成長には薪割り、黒竹の伐採した数は関係なくて、重要なのはスキルのアシストなしで、どこまでスキルに近づけるということなのかもしれない。
スキルやレベルのようなゲーム的なシステムがあるから、ついつい回数をこなせば自動的に経験値や熟練度のようなものが入手されて、勝手に成長するって思いそうになる。
まあ、そう安易なわけがない。
それに、そのほうがやりがいもある。
上手くすれば、1回でスキルが成長するかもしれないし、無闇に回数だけをこなしていたら、スキルが成長することは永遠にないということだ。
私の目指す、斧スキルを極める道程はそういうものでいい。
むしろ、そのほうがいい。
とりあえず、斧スキルの成長を実感するために、斧スキルを全開にして黒竹を伐採してみる。
目を閉じて、深く息を吐いて、体にこもった熱を追い出す。
目を開けて、ゆっくりと息を吸いながら、意識が切り替わると思い込む。
静かに、丁寧に、斧を振りかぶる。
全身の筋肉が、抗議するかのようにきしむような痛みという悲鳴を上げてきた。
数時間の黒竹の伐採で酷使したから、筋肉だけじゃなくて、関節や手のひらも痛い。
というか、もはや感覚が鈍くて、虚ろだ。
とても万全と呼べるような状態じゃない。
でも、無視。
強引に今やる理由はない。
今日、休んで、明日、万全の体で試せばいいと思う。
急ぐ理由なんてない。
合理的には。
でも、衝動がそれを許さない。
今、知りたい。
知りたくてしょうがない、成長した斧スキルの領域を。
だから、視線を黒竹の一点に集中させる。
同時に、構えを維持したままで、脱力させていく。
でも、だらけるわけじゃない。
むしろ、体をスキルの要求に素早く応答するために、力みとは逆に心の緊張感は高まっている。
黒竹を伐採するという意図で、斧スキルを全力で起動。
赤い軌跡が、黒竹をなぞる。
激しさとは対極の静かな1撃。
結果は、ゆっくりと崩れる黒竹。
ただ、斧を黒竹に振るい伐採しただけ、言葉にすれば簡単だ。
「…………っ!」
感情が言語化されない。
というか、できない。
歓喜、興奮、感動、あふれて混ざってわけがわからくなっている。
理想の体感、あるいは芸術を経験したのかもしれない。
たかが、斧を振るう。
そんなことに、理想や芸術なんて、言葉がすぎるように思えるかもしれない。
でも、私は、むしろ、言葉が足りないとさえ思ってしまう。
自分のボキャブラリーの貧困さを嘆くばかりだ。
それでも、言語化するなら、憧れのアスリートの超一流のプレーを主観的に体感している感覚に近いのかもしれない。
振るう斧の形状と重心、周囲の地形の傾きや踏み込んだ時の硬さなどを把握、体を動かし力を発生させて、ロスなく増幅するように伝達し、伐採する対象の特性を見極める。
それを斧を振るうという一瞬で行う。
言葉にすれば簡単だけど、実行するのは極めて難しい。
だからこそ、見せられて、体感すれば感動する。
世の中とは、思い通りにならない。
それでも前世は思い通りにしたいことがなかったから気にもしなかったけど、今の私にはしたいことがある。
それが、できないのはなかなかつらい。
アプロアたちに私の修行法を伝えてから1か月、私とアプロアがスキルを7まで上げて、エピティスとシャードも5まで上げた。
大人でもスキル1桁が珍しくもない、この世界で順調な成長と言える。
けど、ここ数日、魔境に行けていない。
現状に不満はあるけど、状況の改善は無理だろう。
なにしろ、私が魔境に行けないのは、村長のお願いだ。
お願い。
前世でも役所で働いているときに経験した、周囲から先生と呼ばれているお偉いさんからのお願いという絶対に拒否できない命令。
忖度と配慮にまみれたそれを、自発的に自分の独断専行ということでやらされたものだ。
慣習と前例主義の要塞じみた役所で、違法じみたそれを1人の地方役人が個人の裁量で異例なことを合法的に行うという矛盾に満ちた思い出。
まあ、村長のこれはそれほど悪質じゃない。
ただ、村の最高権力者のお願いを、農奴の子供には拒絶する余地がないことを、村長が理解していないだけだ。
だから、ここ数日、アプロアからの魔境へのお誘いを断ることになって、彼女の機嫌が悪くなっている。
それなのに、アプロアのついでという形で読み書きを教えてもらっている私に、アプロアとケンカでもしたのかと、村長が聞いてくるのは微妙に納得できない。
早々に、現状から解放されたいものだ。
まあ、無理だろうな。
けど、終わりは見えている。
1か月前後頑張れば、元の日常に回帰できるはずだ。
そうしたら、私はこの言葉を胸に深く刻むだろう。
好奇心は猫を殺す。
そう、きっかけはちょっとした好奇心。
結果として、木工スキルを習得している。
魔境でたっぷりと修業しても、スマホもテレビもない異世界の、さらに子供の娯楽の少ない辺境の村では、夜に寝るまでにそれなりにヒマな時間ができてしまう。
だから、ヒマつぶしの手慰みのつもりで、持ち帰った黒竹を色々といじってみた。
あくまでも、ヒマつぶしだから、黒玉やタケノコと違って特別な成果は考えていない。
というか、手を出してすぐに、成果は出ないと思った。
なにしろ、この黒竹、恐ろしく加工が難しい。
いや……はっきりいって加工は不可能だった。
前世の竹と同じように黒竹もしなるけど、そのまま力を加えるとすぐに割れる。
それはもう、切ったり曲げたりと、加工を試みてもことごとく割れる。
前世の祭りでやった高難易度の型抜き並みに割れる。
黒竹が割れても最初のうちは自分の技量不足だと、思って10日ぐらいは粘ってみたけど、なにも完成しなかったので、そこから、黒竹の竹細工としての可能性は封印して、別の可能性を模索してみた。
次に、取り組んだのが、笹茶だ。
ただ、私は笹茶という存在は知っていても、笹茶の作り方をまったく知らないから、生の黒竹の笹を煮出してみたけど、ダメだった。
強烈な青臭さと苦味でのたうち回ることになる。
でも、ここで、生でダメなら、コーヒーのように焙煎することを思いつく。
やってみてわかったことだけど、黒竹の笹は元から黒いから、焙煎できているのかわかりづらい。
とはいえ、数回の失敗を経て、見た目の変化は黒いからわかりづらいけど、匂いと音に注意していると、変化があるからそのタイミングを逃さなければ、焙煎は成功するようになった。
そして、焙煎に成功した笹で煮出した笹茶だけど、見た目は真っ黒でほぼコーヒーで、味もなんというか、薄いアメリカンコーヒーと麦茶を足して2で割ったような味だった。
前世のコーヒーやお茶のような飲み物の味に比べると少し物足りないけど、お酒と水以外の飲み物のないこの村では十分に美味しい。
この黒竹の笹茶は黒い液体というインパクトから、最初は忌避する人が多かったけど、10日もしないうちに、村中で食事中や、一息つくときに飲まれている。
でも、このことで、村の農奴、平民関係なく両方の少年少女から、多数の苦情が私によこされた。
それは各家庭において笹の焙煎という微妙に手間な作業を、比較的自由な時間を持つ子供が担当することが多かったからだ。
その苦情も、面倒が増えたとか、笹を焙煎しすぎて灰にしてしまったとか、直接私に関係なさそうなものまで含まれていた。
それでも、一応、村で笹茶を飲むという行為は定着している。
思えば、この成功がいけなかったのかもしれない。
1度の成功体験は、次の成功体験を求める呼び水になってしまう。
笹茶で成功したから、他のものもと手を広げることになる。
それは、農奴のなかで炭焼きができる人物に、いくつかのタケノコを報酬にして、黒竹を竹炭にしてもらったのだ。
竹炭、そのまま炭として燃料にも使えるけど、消臭剤として使えるかもしれない。
まあ、この村で消臭剤に需要があるかわからないけど。
とはいえ、完成した、この黒竹の竹炭は成功だった。
いや……現在の状況を考えると、ある意味では失敗とも言える。
この黒竹の竹炭、予想外に応用がきくから、燃料や消臭剤以外にも使い道ができた。
むしろ、黒竹の竹炭を燃料や消臭剤として使っているほうが少ない。
黒竹の竹炭、強力な浄化というか、解毒作用のようなものがあるようで、汚れた水を竹炭で作った水筒に入れておくと、綺麗で安全な水になる。
だから、竹炭の浄化能力がわかると、村にあるすべての井戸に、竹炭が入れられるようになった。
なにしろ、この村の水は、なぜか汚い。
どれくらい汚いかというと、水を飲んだ前後に薬草を摂取しないと、確実に腹を下すレベルだ。
ときどき来る行商人も、水だけは、ここで補給しないで、わざわざ自前で持ってきている。
つまり、薬草が簡単に手に入らなければ、煮沸しても飲むのに適しているとはいえない。
そんな、この村の汚い水が、井戸に竹炭を入れておくだけで、綺麗で安全な水になるから、日々の料理や、笹茶の味も1段上がった気がする。
この功績で、村長から私と炭焼きをしてくれた農奴の人への褒美として、フォレストウルフの肉と塩が送られた。
これだけでもなかなかインパクトのあるできごとだけど、これは村で炭焼きができる者にとっては仕事が増えるけど、私が作業で拘束されることはない。
そう、問題はここからだ。
竹炭となった黒竹なんだけど、見た目は炭っぽくなくて、初めから黒かったけど、より深い黒で綺麗だったから、加工してみようと思ってしまった。
これがいけない。
竹炭の加工はかなり難しかった。
それでも、素の状態に比べれば少し力を加えただけで、割れることもないからましと言えるかもしれない。
まあ、割れないだけで、素の状態よりもかなり頑丈だから、試作品として作り始めた黒竹の竹炭製のクシが完成するのに、1週間くらいかかってしまった。
完成したクシは、素人が作ったにしてはいい出来だと自負している。
だから、もっとよくしようと、完成したクシに、色を塗ることにした。
塗料に使ったのは、4人で初めて魔境に挑戦したときに見つけた、漆のような樹液をベースにしたものだ。
調薬関係のスキルを持つ農奴にお願いして、漆モドキに薬草やゴブリンの骨、竹炭の粉末を混ぜて取り合えず1色だけ完成させた。
できた色は灰色っぽい白で、竹炭のクシに、塗ると不思議なことに白磁のような白になる。
このクシを母のトルニナにプレゼントしたんだけど、母はこれをどう使うものかわからないようで、言葉で説明してもなかなか理解してくれない。
そもそも、この辺境の村で、髪をとかすという習慣が、一般的じゃないから、なぜ髪をとかす必要があるのか説明することが必要だった。
それでも、言葉をつくしてクシの用途を母に理解してもらえたと思ったら、別の問題にぶつかることになる。
母の髪がボサボサすぎて、クシに絡まってしまい容易にとかせないのだ。
だから、シャンプーのようなものを作ることにした。
といっても、私はシャンプーどころか、石鹸の正確な作り方も知らないので、調薬スキルを持っている人に協力してもらうことになる。
黒玉から搾った油をベースに、薬草や竹炭など加えて、試行錯誤をすること数日、灰色のドロっとしたシャンプーが完成したので、すぐに使ってもらってみた。
その時、灰色のドロドロとしたシャンプーを気味悪がっていた母が、少しだけ涙目になっていた気がするけど、気にしない。
別に、意地悪をするわけじゃないから。
一応、安全性確認のために、シャンプーのパッチテストは自分の肌と髪ですませているから、母の肌や髪が酷いことにはならないはずだ。
あくまでも、心配をかけた母への善意のお返し。
洗髪を終えた母にクシを渡すも、髪のとかしかたがぎこちないので、私がやることにした。
洗髪しても、まだボサボサな母の髪を毛先から、白い手づくりのクシで力任せにしたりせず、ゆっくりと丁寧に、丁寧に、丁寧にとかしていく。
不思議な感覚だ。
髪にクシを入れるごとに、ゴワゴワしていたところが、ツルツルで艶々になってく。
それはまるで、くたびれたわらが、金色の絹糸になるかのようだった。
見違える、その言葉がふさわしい。
「……美しい」
様子を見に来て、母に見蕩れる父のスクースのつぶやきが聞こえる。
「な、なに、言ってるんだい」
父の言葉に、戸惑いながら顔を真っ赤にして照れる母という珍しいものが見れた。
まあ、鏡がないから、自分の姿を確認できない母が、父の言葉に戸惑うのも仕方がない。
ここまでは、問題なかった。
クシができて、母が綺麗になって、夫婦の仲がより良くなって、いいことしかない。
けど、私の考えが浅かった。
視野が狭かったともいえる。
のんきに妹か弟ができるかもしれないと考えていたのだから。
村で1人の女性がいきなり綺麗になった。
これが周囲に、どれほど衝撃を与えるのか理解していない。
生まれつきの美醜の差ならささいな劣等感を抱いても、諦められる。
けど、化粧のように後天的に綺麗になれるとしたら?
初めは、家の近くに住む農奴の住人にお願いされて、それからあっという間に、平民からも依頼されるようになってしまった。
でも、修業の時間が減ってしまうのが嫌だったので、村長にシャンプーやクシの作り方と使い方を説明して、村人の木工スキルを所持している誰かに仕事として割り振ってもらったけど、数日すると村長に丸投げしたはずの仕事が私のもとに回帰してきた…………なぜだろう。
熱狂的にクシを求める村の女性たちを見て、商品としての価値を見出したのか、村長は迅速に木工スキルを持つ者たちを集めて、シャンプー及びクシの量産を試みたらしい。
シャンプーは特に問題もなく、作れるようになったらしいけど、クシができなかったようだ。
木工スキルとしては私よりも上の者が作ったクシを見せて、もらったけどどこがダメなのかわらない。
なので、実際に使ってみたら、すぐにわかった。
他の村人が作ったクシは、クシの形状をしたなにかでしかない。
クシとして使えないこともないけど、使いやすくないし、なによりこのクシで髪をとかしてもツヤツヤにならない。
漠然とだけど、他の村人たちが失敗した理由が分かった気がする。
この世界にはクシがすでに存在するのかもしれないけど、少なくともこの村には村長の家にすらなかった。
そんな村で育った人間に、どれだけ木工スキルがあっても、クシを作るのは難しいのだろう。
木工スキル持ちの村人なら、竹炭を私よりも速くクシっぽい形に加工できるけど、クシへの理解が低いと品質は低くなる。
例えば、スキルに差のある2人が、同じレシピで料理をしたとして、高スキルの方は手早く見栄えも完璧でもレシピの料理を知らなければ味で、レシピの料理を知る低スキルの方に負けるだろう。
漠然と、スキルがあれば、それに関することはなんでもできると思っていたけど、それとは別に知識や理解も重要なようだ。
だから、村中の女性に嘆願された村長にお願いされた私は、ひたすらクシを作り続けている。
時々スキルを切れば、木工スキルを成長させることができそうだけど、短期的にクシの生産速度が落ちてしまうので見送る。
まあ、木工スキルに関しては、斧スキルと違って完全にヒマつぶしで得たスキルだから、そこまでスキルの成長に執着はない。
クシに関しては、大半の工程を私よりも高い木工スキル所持者に任せて、私が仕上げを担当することで、品質を落とすことなく、生産効率を上げられたから、終わりが見えてきている。
それでも、魔境への誘いを断るたびに、アプロアの機嫌が悪くなっているから、全力で作ったクシを贈ったら許してくれるだろうか?




