13 竹林で修業
あれから1か月ほどが経過して、私は魔境で黒竹の前に立っている。
…………なぜだろう?
本気でわからない。
斧を極めることや食への欲求は現在進行形で強いけど、母であるトルニナを泣かせてでも強行することじゃない。
だから、村長たちの魔境の調査が終了して、子供たちの魔境探索が許されても、しばらく私は自制しようと思っていた。
なのに、魔境探索が解禁された数日後には、私、アプロア、シャード、エピティスの4人は黒竹の竹林にいる。
解禁直後に、魔境に突撃したフォールたちを追うように、アプロアから魔境探索を誘われていたけど断っていた。
焦りや渇望がなかったわけじゃないけど、数か月は斧の修業をガマンできると思っていた。
そしたら、昨日、母から子供が無理するんじゃないと怒られ、ここにいる。
なぜだろう。
母がわからない。
親子関係の再構築を目指して、積極的な会話をこころみているけど、成果はないように思える。
斧の修業をしたら無理をするなと泣かれ、斧の修業をガマンしたら子供が無理するなと怒られるのは理不尽じゃないだろうか?
親子関係の正解は、どこにあるのだろう。
まあ、でも、よく考えれば前世の両親とも私は良好な関係が築けていたとは言い難い。
仲が悪かったわけじゃないけど、なに1つ親の意見に反発することも、ぶつかることもなく、言うことに従うだけの関係。
そんな関係に、信頼や理解が芽生えるわけもない。
私が前世の両親の趣味や嗜好を理解していないように、両親にとっても私は言うことは聞くけどなにを考えているのかよくわからない子供だったことだろう。
親子関係、構築の正解がわからない。
わからないので、一時的に、意識の外に棚上げする。
今は目の前の黒竹に集中するとしよう。
現実逃避の四文字が脳裏に浮かぶけど、気にしない。
目に映るのは、色が黒いだけの竹だ。
魔境に生えている植物だけど、虹色に輝くとか、炎を生み出すとか、叫び声を上げるとかのファンタジックな奇怪さはなく、直径が1メートルを超えるほど太いわけでもない。
標準的な太さの竹。
体を大きくひねり、赤いゴブリン銅製の斧を振りかぶる。
引き絞った弓のように、極限まで体をひねったところで、1度静止。
息を大きく吸って、ゆっくりと吐いて、その間に意識を徐々に斧を振るうことへと、没入させていく。
吐き切ったところで、息を止める。
黒竹の切るべき一点に集中。
この小さい体に蓄積されたエネルギーを開放する。
しかし、一気にすべてを開放するわけじゃない。
順序良く、的確に開放する。
重要なのはタイミング。
重心移動、体のひねり、位置エネルギー、斧の遠心力、それらを完璧に接続する。
ただのエネルギーの伝達じゃなくて、動作を連続で接続することで強化。
それが、理想。
けど、目の前には現実がある。
私の1撃は黒竹の表面を傷つけただけで終わった。
切れなかった黒竹が私を笑うように、左右にしなる。
うっとうしい。
すぐに伐採して黙らせたくなる。
しかし、このしなりは問題だ。
私が斧を振るい続けてきた薪は不動。
この竹のようにしなったりしない。
けど、魔境に生えていようとも、竹は竹だから力が加われば当然のようにしなる。
私の振るった斧が竹に接触した瞬間から、しなって力を逃がして耐えた。
まるでバネのようで、やりにくい。
しかし、一方で、この黒竹を絶対に切れないとは思わなかった。
的確なタイミングと力の伝達で、現状の私でも切れそうではある。
少なくとも、硬すぎて私の体格、レベル、装備だとどうにもならないという感じじゃなかった。
まあ、その的確なタイミングや力の伝達が、恐ろしく高難度ではありそうなんだけど。
次は、成功の感覚をつかむためにも、斧スキル全開でやろうか、それともしばらは黒竹のしなる独特の特徴をつかむためにもスキルなしで挑戦してみるか。
…………どうしたものか?
「なあ、ファイス」
思考を止めて、声をかけてきたアプロアの方を向きながら応じた。
「……はい、どうしました?」
「黒竹も食えるのか?」
「は?」
一瞬、アプロアがなにを言っているのかわからなかった。
黒竹を食べる?
どこからそういう話になったのだろう。
「うん? ファイスは黒竹を食べるために切るんじゃないのか?」
アプロアに冗談じゃなくて、真顔で言われるから困る。
彼女のなかで、私は食いしん坊キャラが定着しているのかもしれない。
なんとか、その認識を覆したいと思うけど、ここ最近の発言や行動を思い返すと難しそうだ。
「……ああ、違います。黒竹を食べるつもりはありません。まあ、切った黒竹には色々と利用方法がありそうですけど」
とはいえ、素材としての黒竹が欲しくて、伐採に挑戦しているわけじゃない。
斧スキルを成長させるのに、手ごろそうだから、黒竹を切ろうとしてみただけだ。
…………なるほど、アプロアたち3人が、タケノコを確保するために鍬を振るっているときに、タケノコに執着していたはずの私が、タケノコじゃなくて黒竹に向かって斧を振るっていたら、奇妙に見えたのかもしれない。
「変な言い方するんだな。黒竹を手に入れるために切ろうとしてるんじゃないのか?」
「えっと、斧スキルを成長させたくて」
「斧スキルの成長?」
アプロアが不思議そうに首を傾げる。
なにが、不思議なのかと思うけど、少し考えて思い出す。
スキルとは、数日や数か月という短い期間で成長するものじゃなくて、年単位で練習や実戦を経験することで成長するものだというのが、この村での常識。
私のように、スキルが短期間で成長するのは例外だと思われている。
アプロアにとっても、スキルは短期間で成長する物じゃないと考えているようだ。
なので、自分なりのスキルを成長させる修行法と理屈を説明してみる。
けど、これは善意の発露というわけじゃない。
どちらかといえば、汚い大人の打算にまみれている。
これで上手く私の理屈に、アプロアたちが納得してくれれば、魔境での黒竹の伐採がはかどるかもしれないからだ。
今回のように、タケノコが目的の3人がタケノコを掘っている間だけ、斧スキルを成長させるために時間にせかされるように黒竹に斧を振るわなくてもよくなるかもしれない。
私の理屈に納得して、同調してくれたら、魔境に行く目的がタケノコ掘りじゃなくて、スキルを成長させるために黒竹を伐採することになる可能性は十分にあるだろう。
けど、私の説明を聞いた3人の表情は、半信半疑と主張している。
それでも、完全に否定しないのは、私の斧スキルが3で、ここにいる4人のなかで一番成長しているからだろう。
なので、目の前で実演して見せる。
「ふぅーーー」
適当な黒竹の前で、大きく息を吐いて意識を斧を振るうことに没入させていく。
視線を黒竹へ斧を振るう一点に集中する。
雑多な思考や、周囲で見ている3人の視線や存在も意識の外に追いやり、斧を振るうことだけに傾注していく。
斧を大きく振りかぶり、体を限界までひねる。
姿勢を維持しながら、斧スキルの求める体の制御に素早く反応するのに備えて、つま先から指先まで緊張を緩めて脱力。
斧スキルを全力で起動。
ゴブリン銅の斧が、空気を切り裂き鋭く鮮やかな赤い軌跡を描く。
そこに私の意志など欠片も反映されていないのに、スキルに従順な人形のごとく、体が遅滞なく動き、力が淀みなく伝わり、一切の無駄をなくした1撃へと昇華し、バネのようなしなりによる抵抗を許すことなく黒竹を切る。
切った黒竹が、静かに地面へと伏せていく。
「……切れた」
言葉にしたのはアプロアだけだけど、3人とも私が魔境の植物である黒竹を1撃で切ったのを驚いているようだ。
けど、これで終わりじゃない。
むしろ、私の練習はここからが重要になる。
軽く息を整えたら、別の黒竹の前に行く。
体をひねり、斧をゆっくりと振りかぶり、静止する。
深呼吸しながら、かすかに心の奥で本当に黒竹を切れるのかという灰色のささやきを無視して、意識を斧を振るうことに没入させていく。
けど、常に脳裏ではさっきのスキル全開でやった1撃の余韻を再生させる。
一度、脱力してから、斧を振るうモーションだけじゃなくて、重心移動から、関節の動きまで、コンマレベルのタイミングと、ミリ以下の精度を追求していく。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、仮想した理想とする動作を脳裏で再生させて、スキルの力がなくても再現できると思い込む。
斧を振るう動作を開始すると、すぐに絶望的な気分になる。
想像通りの軌道をなぞらない斧。
噛み合わない力の接続、発生させた力を無駄にし続けるのを自覚できてしまう。
客観的に見れば、動作を9割以上再現できている。
違いはわずかだ。
でも、結果は、残酷なほど明確だった。
赤いゴブリン銅の斧をめり込ませながらも、ゆれながら自立している黒竹。
忌々しい現実だ。
でも、1回目のスキルなしで振るったときよりも、斧を深く黒竹にめり込ませることに成功している。
魔樫を伐採している父の大変だという愚痴交じりの自慢話を聞いていたけど、それに比べると、この黒竹は、魔境に自生する植物として、そこまで頑丈じゃないようだ。
それでも、スキルに頼らない私の1撃では黒竹の伐採にいたらない。
すぐに、次の1撃を振るいたいけど、3人にスキル修業の説明する必要があるからガマンする。
「……なあ、いいのか?」
アプロアが聞きにくそうに言う。
「なにが、です?」
「この修行法だ」
「これくらいのこと、友達に教えることに問題がありますか?」
確立されたわけでも、明確な理論で証明されたわけでもない、子供の考えた強くなれる修行法。
特に、秘密にする理由がない。
もっというなら、アプロアたちが実践して、スキルが上がれば私の修行法に間違いないと確信できるので、より自信をもって修業ができる。
でも、これで効果がなかったら、どうしよう。
3人から非難されることはないと思うけど、斧の修行法を見直さないといけなくなるから、それがきついかな。
「そうか……なら、いいんだ」
黒竹の前に立ったアプロアが、タケノコ掘り用に持っていた鍬から、片刃の大剣に装備を切り換えて、なぜか難しい顔をしたたま静かに構えた。
前回、魔境にきたときとアプロアの装備はほぼ同じだけど、革製のベストがプラスされている。
4人で狩ったフォレストウルフの皮で作られたベストだ。
実のところ、このフォレストウルフの皮の扱いで、少々もめた。
まあ、もめたというより、アプロアが受け取るのを嫌がっただけなんだけど。
シャード、エピティスとも相談したけど、フォレストウルフの皮は、アプロアが持つべきだと最終的には結論が得られた。
けど、アプロアとしては、一番負傷した私か、4人で均等にわけると言い張ったから、皮はいらないからフォレストウルフの肉の配分を多くしてくれということで、なんとか納得してくれた。
実際、皮よりも食べて美味しい肉のほうが個人的には嬉しい。
このときの肉の配分で食べられる内臓もわけてもらったんだけど、前世で食べたレバーやホルモンほどのクセはないけど他の部位の肉とは違った食感や香りで、実に美味しかった。
まあ、嬉々としてフォレストウルフの内臓を食べる私を両親や友人たちからは、奇異に見られたような気がするけど、うん、気のせいだ。
仮に、私やシャード、エピティスの農奴組の3人がフォレストウルフの皮をもらっても、有効活用できるとは思えない。
確かに、農奴組の3人でも衣服、手袋、靴などに加工して活用できるけど、加工費用がそれなりの負担になる。
それに、せっかく加工しても、1年ぐらいで使えなくなるだろう。
フォレストウルフの皮が脆弱とかじゃなくて、単純に体形が成長途中だから、1年後には必然的にサイズが合わなくなる。
農奴の子供にとっては、費用対効果が悪い。
それなら、特にコストもいらない肉の方が美味しくて嬉しいというのが、農奴組の真実だろう。
それに、農奴の子供が、革製の衣服などを身に着けていたら平民との間で、もめはしなくても妬まれたりと、不必要なヘイトを集めることになるかもしれない。
だから、アプロアがフォレストウルフの皮を受け取ってくれたのはありがたかったりする。
アプロアが黒竹に向かって踏み込むと同時に、赤い一陣の風が舞う。
「切れた」
アプロアの言葉通り、黒竹は伐採されて、地面に倒れる。
「次は、スキルなしでやるんだな」
「ええ、そうです」
「…………なあ」
「なんです」
「スキルって、どうすれば使わないですむんだ?」
困った顔で聞いてきたアプロアの言葉が、すぐには理解できなかった。
「はい?」
自発的にスキルをオフにすることができない。
私の修行法が正しいかどうかよりも、前の段階で問題が発生した。
どうしたものだろう。




