11 妥協案
「……悪かった」
突然、村への帰途で、アプロアに謝られた。
「えっと……」
上手な対応ができない。
どう考えても、私にはアプロアから謝罪される理由がないからだ。
現在進行形で、味覚と嗅覚が薬草のマズさの後遺症で、十全に機能していないけど、そのことでアプロアを責めるつもりはない。
なにしろ、薬草は死ぬほどマズかったけど、食べて数分でフォレストウルフに噛まれた左腕の傷の痛みが、歩いた時の衝撃が伝わってもガマンできるレベルまでになっている。
それなのに、マズイ薬草を食わせやがってとアプロアを責めるほど、傲慢でも恩知らずでもない。
むしろ、フォレストウルフと再び遭遇するかもしれない魔境で、薬草を採取してきてくれたことには感謝している。
実際、薬草を食べ終えたときに、感謝の言葉を言っている。
……精神が摩耗しきった状態での言葉だったから、薬草を私に食べさせたことにアプロアが責任を感じてしまったのだろうか?
「アプロアはどうして謝っているの?」
考えてもわからないから、素直に聞いてみた。
「オレ……レベルアップしたんだ」
アプロアが物凄い悲壮な表情をしていたから、どんなことを言われるかと身構えていただけに、少し拍子抜けだ。
「おめでとう」
言いながらも、首をかしげる。
さっきまで噛まれた左腕が痛くて思いいたらなかったけど、アプロアがフォレストウルフに止めを刺したから、彼女のレベルが上がったというのは当然のことだ。
そう、魔物を倒してレベルが上がるのは、この世界では当然のことで悪いことじゃない。
少なくとも、アプロアが私に謝る理由になるとは思えない。
「「おめでとう」」
私に続いて、拾った長くて頑丈な木の棒に血抜きして足を縛ったフォレストウルフを担ぐ、シャードとエピティスの2人もアプロアへ讃辞を送る。
「違う! 良くない」
アプロアは首を振り全身で讃辞を拒絶する。
アプロアの態度に戸惑いながらも、落ち着くのを待ってから話を聞いてみると、フォレストウルフの前足を切り飛ばして負傷しながらも動きを拘束したのは私だから、私がフォレストウルフの経験値を取得するべきだったと、アプロアは思っているようだ。
この世界では、前世と違ってレベルというシステムがあり、一定以上の強さを持つ生き物を殺すと経験値のようなものを取得して、必要な分だけ経験値が加算されるとレベルが1つ上がる。
もっとも、それなりに狩りの経験があるシャードでも、狩っている対象が魔境以外の森に生息するウサギとかの小動物だと、取得できる経験値が少ないようで、レベル1のままだったりする。
なので、殺せば経験値が加算されるからと、弱い小動物や虫を虐殺しても、簡単にレベルアップしたりはしない。
とはいえ、レベルアップすると身体能力が上昇して、体も頑丈になり、病気とかにもなりにくくなるし、それにトレーニングなどで成長できる能力の上限も上昇する。
恩恵の多いレベルアップだけど、生涯レベル1という人は多い。
というか、大半の人間が生涯レベル1桁だ。
確かに、レベルアップの恩恵は魅力的で大きいけど、リスクも大きい。
この世界のレベルアップは前世のゲームほど優しくなくて、レベルを1から2に上げるのはゴブリン1体倒せば十分だけど、5に上げるためには100近いゴブリンを倒す必要がある。
当然、ゴブリンとの戦いでミスれば死ぬこともあるし、四肢を失うような重傷を負うケースも珍しくない。
魔法のあるファンタジーな世界だから、四肢の欠損などを回復する手段はあるけど、誰かに回復してもらうなら高額の資金や伝手、自力で回復するなら一流と呼べるような魔法などの実力が必要となる。
ゴブリンを相手にして、重傷を負ってしまうような初心者だと、どちらにしろ回復は絶望的だ。
前世よりも人権の観念が希薄で、社会的なセーフティネットが脆弱なこの世界だと、そんな重傷を負ってしまうと、大げさや冗談でもなく人生が本当につむ。
そして、レベルアップで能力などが上昇する恩恵があるといったけど、1や2とかのレベルアップだと増加量は微々たるものでしかない。
それぐらいの上昇幅なら、わざわざ死ぬリスクを背負わないで、筋トレとかして補ったほうがローリスクでいいと考える人々が大半だったりする。
だから、この世界でレベルアップはいいことだけど、戦闘や戦争を生業にしている者でもなければ死に物狂いで求めるものじゃない。
なので、私はアプロアがレベルアップをしても、おめでとうと思っても、うらやましいと思う理由が見当たらない。
むしろ、個人的な動機で魔境に誘って、そのことを隠しているのに、アプロアが罪悪感にさいなまれていると、逆に心苦しくなる。
それに、この世界のレベルアップのシステムが、止めを刺した1人に経験値が行くようになっているから、複数人で戦闘に参加しても1人しかレベルアップしないのは仕方がない。
まあ、前に傭兵の経験がある村長が話してくれたけど、傭兵や冒険者だと経験値の多そうな大物を倒すときに、誰が止めを刺すかでモメて殺し合いに発展してしまうこともあるそうだ。
…………村長の娘であるアプロアは、村長からそういう話を私たちよりも聞かされていたから、経験値の取得に対してナーバスになっているのかもしれない。
将来的には私もレベルを上げたいとは思うけど、すぐに上げたいわけじゃないから、フォレストウルフの経験値については、特に欲しいとは思わない。
それに、私、シャード、エピティスの3人は農奴だ。
一緒に戦闘した農奴が、村長の娘を差し置いてレベルアップしたら、それはそれで問題になる。
もちろん、アプロアは私たちにとって大切な友人で、村長もそんなことを気にするような器の小さい人物じゃない。
けど、そういうこととは関係なく、村には農奴は平民の下という不文律というか、暗黙の了解がある。
そんな村で、子供の農奴が村長の娘であるアプロアと一緒に戦闘をして、アプロアを差し置いてレベルアップしたと知られたら、平民から良くて白い目を向けられて、最悪の場合は他の農奴も巻き込んで村八分にされてしまう。
他の農奴が平民に同調しなかったとしても、平民と農奴の間に現状よりも明確な不和が発生してしまうかもしれない。
そうならないためにも、偶然だけどフォレストウルフを倒してレベルアップしたのがアプロアなのは運が良かった。
とはいえ、そういう説明をアプロアにするわけにはいかない。
なにしろ、この4人のなかでアプロアが身分を1番気にしている。
平民や農奴という生まれで、人を差別するのはよくない、というアプロアの心根は美徳だ。
農奴である私、シャード、エピティスも、アプロアに理不尽にイジメてくる平民の子供たちから守ってもらったことがあって、間違いなくアプロアには感謝している。
けど、そんなアプロアだからこそ、村長の娘であるあなたがレベルアップしたから、住民から村八分にならないですみました、なんて説明はできない。
そんな現実的な説明したら、アプロアは泣いてしまう恐れがある。
一生もののトラウマかもしれない。
自分の心情と現実のズレの大きさを知って、グレてしまうかもしれない。
なので、悲壮な表情を浮かべているアプロアに、現実的な説明で納得してもらうというプランは破棄する。
しかし、だ。
そうなると、実現性の高い妥協案が必要になる。
とはいえ、8歳で、身分による差別を嫌い、リーダーとしての責任感があるアプロア。
尊敬できる友人だけど、レベルアップの罪悪感から解放するのは難しいかな?
どうしたものか。
罪悪感で表情を曇らせるアプロアと、そんな友人の心を軽くできない自分から、意識をそらすように、視線を上に向けてみた。
…………黒玉だ。
視線の先には、枝になるいくつもの黒玉。
アプロアに黒玉を持ち帰りたいから、協力してくれと言えば、レベルアップの対価として彼女は納得してくれるだろうか。
……それだけだとレベルアップの対価としては、少し弱いかな。
黒玉から油を搾りだして、料理に使うまで協力してもらったほうが、アプロアの罪悪感が減るかもしれない。
というのも、アプロアの母親であるクトーラさんは、料理に関するスキル持っているらしいので、初めて見る食材でも、毒があるかどうか、どのように調理すればいいのかが、なんとなくわかるらしいのだ。
だから、アプロアの口添えで、黒玉から油が搾れるかとか、あるいは私の手のなかにある黒竹のタケノコを食べれるかどうか、クトーラさんに見てもらえると大変ありがたい。
実は負担になるから、今回は置いていった方がいいとアプロアに諭されたけど、私の鋼の意志で掘り出した黒竹のタケノコを持ち帰っている。
負傷しているのに、どうしてそこまでこだわるのかと、3人から不思議そうな……あるいは残念な者を見るような視線を向けられたような気がするけど、気にしないし、気にしていられない。
なにしろ、このタケノコを持ち帰らなければ、食べられると証明することすらできなくなるかもしれないからだ。
フォレストウルフが魔境の浅い領域に出現したことで、戦闘スキル持ちでも子供だけで魔境に行くことを、安全のために禁止されるかもしれない。
まだ、確定しているわけじゃないけど、今後は子供が魔境に行くことを禁止される可能性は十分にある。
村の常識で考えれば、フォレストウルフの出現する領域に、戦闘スキルがあるとはいえ子供だけで行かせないようにするのはしょうがない。
多分だけど、フォレストウルフが魔境の浅い領域に出現したことについて、村長を中心とした村の戦闘力トップのメンバーが調査して、今回のフォレストウルフとのエンカウントが例外的なできごとで、頻発するものじゃないとわかれば、子供だけで魔境の浅い領域を探索することを再び許されるだろう。
けど、そうならない可能性もなくない。
そうなったら、私には大人になるまで、魔境に足を踏み入れることができなくなる。
それは、ここでタケノコを捨てたら、何年間はタケノコと再会できないということだ。
けれども、このままタケノコを村まで持ち帰って、食べられると証明して美味しいとわかれば、私が魔境に行くことを禁止されても、我が家の食卓にタケノコが並ぶ可能性の芽を残せる。
そのためにも、このタケノコを村に持ち帰って、クトーラさんに食べれると見極めてもらう必要がある。
けど、相手は村長の妻でもあるので、農奴の子供が軽々しく食材を調理してくれと頼むわけにもいかない。
相手が不快に思うというよりは、農奴が村の最高権力者の妻にお願いするのを、平民たちが不快に思うかもしれないということだ。
面倒なことだけど、農奴である私の希望でタケノコをクトーラさんに見てもらうんじゃなくて、村長の娘でもあるアプロアが自分の母親にお願いする形の方が、後々に問題になりにくい。
ということで、うつむくアプロアにお願いする。
今後の食生活改善のために。




