0 転生者はスキルを得て、前世を思い出す
『斧スキルを習得しました。斧スキルが1になりました』
男性とも女性とも判別できない無機質で無感情な声が、頭のなかで響く。
その音が耳から聞こえてきたわけじゃないことは、なぜだか確信できる。
「スキル……まるで、げーむみたい…………ゲーム?」
口から出た未知の単語に違和感を覚えると同時に、幼い少年のような口調にも違和感を感じてしまう。
……でも、わたしは8歳だから、この口調でも変じゃない気もする。
……8歳?
変だ……私は地元で公務員として…………公務員?
私の当たり前とわたしの当たり前が、ドロドロに溶けてグチャグチャに混ざっていく。
情報と記憶のフラッシュバック。
学校、家族、友達、ゲーム、マンガ、アニメ、高校受験、大学受験、就職、ああ、それから……それから。
わたしの知らない、私の記憶。
明滅する意識と情景。
あるいは交錯してあふれる記憶の奔流。
辺境の村で農奴の両親から生まれて、育った8年間。
ここじゃない日本という場所で過ごしてきた30年間。
意識がグルグルと回転して安定しない。
飲みすぎた次の日の強めの二日酔いみたいだ。
わけもわからず汗が吹き出し、心臓が不安定にバクバクする。
ダメだ。
意識を維持できない。
…………ああ、薄れゆく意識のなかで、ぼんやりと父に頼まれた薪割りを終わらせられないなと思い浮かぶ。
親の敷いたレールを歩み続ける人生だった。
親の言う通りに勉強をして、親の言う通りに受験して、親の言う通りに就職した。
輝くような明日への希望も、胸を張って誇れるような過去も、楽しくて充実した現在すらない。
仕事、人間関係、どれも大きなトラブルもなく、過不足のない日常を繰り返しで、あまりにも刺激と変化のない毎日。
昨日、今日、明日とで、違いを探す方が難しい。
1日をダビングして、リピート再生しているようなもの。
繰り返される日常で、消化試合のように日々を消費するだけの人生。
絶望するような苦痛や苦悩で黒く染まるように、さいなまれるようなこともないけど、諦観と停滞に満ちた蛇足と惰性のような灰色の生があるだけだった。
厳しい親のせいだった、なんて言葉は間違っても口にできない。
選んだのも、決断したのも、自分だ。
その選択を親に強制されたわけじゃない。
冒険することを恐れて、失敗することを恐れて、人生に妥協しただけ。
ただ、心引かれるなにかがあっても、その未知で不確定的なものに挑戦する度胸、勇気、勢い、それらが自分のなかには欠如していた。
結果として、そこに衣食が満ち足りているだけで、どこまでも充足のない空虚な人生の完成だ。
退屈で、つまらない30年。
これなら短くて儚い蝉の一生のほうが、よほど劇的だろう。
それが前世の日本で過ごした私だ。
思い出したくもない灰色の記憶。
けど、それでも思い出して良かった。
前世を教訓に今回の人生では、興味を持ったことを恐れないで、全力で挑んでみよう。
ぼんやりとしたまどろみのなかで、そんなことを考えていると覚醒をうながす声が聞こえてきた。
「…………」
日本語じゃないのに、それは違和感のない聞き慣れたもの。
「ファイス、あんた大丈夫かい?」
前世の物とは比べ物にならないほど硬く粗末な作りのベッドから身を起して、すぐそばにいる見慣れた金髪で青色の目をした20代の女性に顔を向ける。
母のトルニナだ。
なかなかの美人で、小さいことは気にしない快活な性格をして、その場を明るく照らすような笑顔をよく浮かべている。
けど、いまは笑顔じゃなくて、子供を心配する母親の表情をしている。
当然か。
突然、薪割りをしていた自分の息子が倒れたら、普通の親は心配する。
しかし、前世の記憶を思い出して母を観察すると、とても残念な気持ちになってしまう。
「なんだい人の顔をじっと見て」
母の金髪が、この年齢にしてはボサボサで、わらのようだからだ。
容姿が整っているだけに、もったいない。
まあ、長年、髪の毛の手入れをしていなければこうなるか。
多くても週1回の水浴び、それ以外は髪も体も濡らした布で拭くだけ。
お風呂にゆっくりと入るなんて習慣がない。
というか、お風呂という文化が、村どころかこの国にあるのかすら不明。
……そう、ここは日本のある世界じゃない、異世界だ。
なにしろ、リザルピオン帝国なんて国の名前を、前の人生で聞いたことがない。
それに、この世界にはゲームのようなレベル、スキル、ジョブ、魔法が存在している。
これらがなければ、地球のマイナーな国、あるいはマイナーな時代への逆行転生の可能性を疑ったかもしれない。
しかし、どうなんだろう。
現在の私の身分は農奴。
父、母ともに農奴で、生粋の農奴だ。
嬉しくもない。
神や女神に出会った記憶もないけど、農奴への転生はハードじゃないかな?
やった記憶はないけど、前世の大罪のペナルティか、なにかなのか?
そもそも、私の死因はなんだ?
過労死するほどのブラック企業につとめてはいないし、誰かを助けるためにトラックの前に飛び出した記憶もない。
あるいは、記憶がないだけで、そういう悲惨な事故の事実があったのか?
どうにもそこらへんの死ぬ前後の記憶が欠落している。
前世での死に方が酷過ぎて、魂のレベルで記憶を封印でもしているのかもしれない。
「あんた、本当に大丈夫なのかい?」
「大丈夫です、問題ありません」
問題はない。
ただ、憂鬱な前世とハードそうな現状を自覚しただけだから。
……農奴か。
でも、大丈夫。
前世の農奴という言葉からイメージするほど、この村での農奴の待遇は悪くない。
明らかに農奴っぽい硬くてゴワつく色の地味な服を着ているけど、それは農奴だけじゃなくて周囲の村人も一緒だ。
だから、将来に明るい展望が抱けないほど、絶望的な立場でもない。
相手は農奴に限られるけど婚姻の自由はあるし、資産を持つことも慣例的に認めれらている。
もっとも、農奴の主人によっては慣例など知ったことかと、農奴が資産を持つことを許さない場合も十分にある。
仕事以外の旅、買い物、引っ越すために、村から移動することは認められていないけど、国への納税の義務がないのだ。
これはお得だろう。
まあ、確かに農奴自身には納税の義務はないけど、農奴の所有者には成人の農奴1人ごとに税金を納める義務があるから、農奴の所有者は利益を出すために、農奴に税金以上の労働を求める。
それでも、平民の税より少し安いので、同じ労働をさせるなら農奴の方がお得だ。
ただ、農奴は身分的に家畜に近い主人の資産扱いなので、天候、災害、戦争などで、どんなに不作になっても、減税や補償とかの公的な救済の対象にならない。
だから、平時なら税的にお得だけど、なにかあったときにリスクがある。
農奴の生活と待遇は主人によって、かなり変わってくると思う。
運がいいことに私たち家族の主人でもある、この村の村長は農奴が資産を持つことを認めてくれていて、農業以外の過剰な労働も課さない良識のある農奴の主人としては当たりだ。
それに、農奴が平民になる方法もある。
簡単じゃないけど、挑戦する前から諦めるほど困難でもない。
「なんか変だよ。あんた、疲れてるんだよ、今日は休んでな」
「いえ、大丈夫です」
前世を思い出して気絶してから1日も経過している。
まだ、午前中で記憶を思い出した以上、子供のように無邪気に休んで時間を浪費するのはもったいない。