ヒロイン(本名)は次回作に期待したい〜伝説のクソゲーで発狂チキンレース〜
この世界が伝説のクソゲー『聖なる乙女の激モテmagic!』の中だと気付いたのは十二歳の時だった。
『聖モテ』はタイトルから既にクソゲーのフレグランスが漂っていると一部の界隈でリリース前から評判だったゲームである。お金で揉めて本来のシナリオライターが逃亡し、社内にいた元文芸部が三日で書き上げたシナリオを元に作成されたという噂があるくらいにはクソゲーだ。
そして今日はシナリオライターの語彙力が死んでいてただの誕生日の回想シーンなのに『呪われた十二歳イベント』とファンの間で呼ばれているものだった。
「お前も今日で十二歳か」
「十二歳だ」
「十二歳だね姉さん」
「お嬢様ももう十二歳なんですね」
「十二歳ですか」
「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」
想像してみてほしい。今まで普通に接していた家族や使用人たちが突然「十二歳」しか喋らなくなる恐怖を。しかも誰一人それがおかしいことと思わず、笑顔でひたすら『十二歳』と唱えるのだ。
泣いた。怖すぎて泣いた。誕生日の主役でありながら恐怖に声もなく涙を流すわたしを囲み心配そうに皆が十二歳コールをする様は正しく地獄絵図だった。こうして呪いの儀式と化してしまった誕生日の最中、わたしはこの世界が前世で見たクソゲーの中だと悟ったのである。
正直なところゲームの世界でよかったと思う。明確な理由があったことでわたしはあの呪いの十二歳をぎりぎり発狂することなく終えることができた。かなり長いこと寝込んだけど。
前世の自分が何をしていてどうしてこんな恐ろしい世界に放り込まれたのか、死んだのか生きているのか何もわからない。来世だとしたらクソすぎるので夢オチであってほしいどうか早く醒めてくれと祈りながら、十二歳の時は一体なんだったのかと疑うレベルのごく普通の誕生日を四回経験し、間に十五歳の回想シーンを挟んでやはりゲームの世界であることに絶望し、そうしてついに乙女ゲームの舞台である聖ウィンナーフルト学園に入学する日がやってきた。学園の名前がやたら美味しそうだが近隣の交流のある学校名はヤクニクジュワア校とかカキゴオリキーン学院とかなのでたぶんこのゲーム作った人はみんな頭がおかしいか腹ペコなのだろう。従業員の給料支払遅延があったらしいので本当に腹ペコの可能性はある。
「わあ、素敵な学校。ここで今日から新しい生活が始まるのね」
これはヒロインが冒頭で学園の門を背に口にするセリフだ。ちゃんと覚えていてわたし偉い。でも突然半笑いで大きな一人言を棒読みする令嬢に周りはドン引きだ。そこはゲーム補正でスルーしろよなんなんだよ匙加減がわかんねえ。
とりあえず義理は果たした。呪われた十二歳を経験した悲劇のヒロインとしてあとは望むエンディングへひた走るだけだ。
わたしが目指すエンディングはただ一つ、『全ルート攻略失敗エンド』である。これは全攻略キャラの好感度が一定以下でフラグも全く立っていない状況でのみ見られるレアエンドだ。乙女ゲームのプレイヤーは何かしら恋愛を望んでいるはずなので、基本的には目当ての攻略キャラを落とせなくても第二第三第四第五希望あたりのエンディングに落ち着くように設定されている。だからこのエンディングに辿り着けるのは乙女ゲーム音痴と人の心のわからないサイコパスととにかく全ルートを経験したいやり込みタイプのマニアだけだ。かくいうわたしはこのエンディングは通ったことがないのだが、幸運にもコミュ障サイコパスな妹がいたため隣で見ていたことはある。見事に全てのフラグをへし折る様は痛快で、乙女ゲームではなく攻略キャラの心をへし折る何か別のゲームと化していたことはうっすら覚えている。
さあ、いざゆかん全ルート攻略失敗エンドへ。わたしはまず記憶にある最初の関門である校門から校舎への道を粛々と歩き始めた。校舎に入ろうとした生徒に攻略キャラがぶつかり「ごっめーん」「まあイケメン!」となる最初のクソイベントだ。しかしここには選択肢が存在し、「立ち止まる」を選択すると暴走特急野郎との衝突を回避できる。彼とのルートはこの衝突イベントさえ回避すれば以降のフラグは一つとして立つことはない。人を跳ねるところから始まる恋とか物理的に危ないからやめろゲームで推奨するな。
とはいえここはあえて『進む』を選択すると以前から決めている。なぜならここで衝突しておかないとヒロインがこの場所を通る度に毎回暴走特急野郎が飛び出してくることになるからである。ゲームとしてフラグ回収を逃さないための配慮だと思うがこの世界でも適用されないとも限らない。むしろ適用されると思う。呪われた十二歳イベントの日だけ周りの人間が全員狂ってしまったことからほぼ間違いないだろう。
つまり暴走特急野郎はわたしがここでぶつかってやらない限り、わたしの登下校その他でここを通る度にぶつかりに来なくてはならなくなる。つまり最悪の場合ゲームが終わるまで一年もの間、彼はヒロインにぶつかるために暴走するだけの哀れなモンスターと成り果てるのだ。ゲームの世界とはいえ人生に一度しかない青春の時をヒロインにぶつかることだけに費やすのはあまりにも不憫と言わざるを得ない。わたしにも人の心はあるのだ。あと毎回飛び出されるの邪魔すぎる。だからここは、あえてぶつかる!
「うお、危ねぇ!」
「きゃー」
シナリオ通りの棒読み悲鳴と共に地面に派手に転がったわたしを見て暴走特急野郎は足を止めた。今更だがこいつの名前が思い出せない。ネットでも暴走特急野郎って呼ばれていたからな。
「すまない。急いでいたんだ。怪我はないか?」
「はい、ないです」
たとえ足を複雑骨折していたとしてもそう言うと決めていた。実際尻が痛いがそんなことをこいつに教えてやるつもりはない。会話選択肢として元から存在しないが、万が一にも間のイベントすっ飛ばして保健室イベントなんかに持ち込まれては困る。
「そうか悪ぃな!」
軽薄に片手をすちゃっと挙げて大して悪びれることもなく暴走特急野郎は走り去って行った。貴様は礼儀作法をどこへ置いてきた。
とはいえこれで彼は校舎前を暴走し続ける呪いから解き放たれたことだろう。この次は校舎内のとある階段の踊り場でまた衝突する予定なのだが、そちらは迂回可能なことは調査済みなので近寄らないつもりだ。もしかしたら永遠に階段の踊り場で待機する呪いを新たに発症するかもしれないがそこまでは責任持てない。わたしがゲームクリアして真に解放される時まで大人しく待っていろ。
「全くなんだったのかしら」
よし、イベント終了。例によって棒読みでセリフをクリアし、入学式会場である講堂へ向かうことにする。途中で何かチラチラこちらを見ている眼鏡の教師がいたが「道に迷ったのかい」などと話しかけられる前に足早にほぼ全力疾走で通り過ぎ、入学式のスピーチの練習をする生徒会長を見えないふりして走り過ぎ、唯一転んで泣いているモブ女子生徒を助けるイベント(アイテムがもらえる)だけ回収して入学式を迎えた。それにしても誰一人名前思い出せないな。たぶん前世のわたしはこのゲームやり込んだけど特別好きではなかったんだろうな。前世のわたし、クソゲーオタクかデバッガーあたりだろうか。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」
「きゃー生徒会長よー素敵ー」
「新入生代表挨拶、アールグレイ・ニクウドン君お願いします」
「きゃー王子殿下素敵ー」
攻略キャラが何かする度にどこからともなくモブの黄色い声が上がる。暇だったので声の出所を確認してみたら全て同じ女生徒達が担当しているようで、その眼は正しく全てに恋した呪われた瞳だった。可哀想に、わたしには彼女たちを解放する術はない。それはそれとして紅茶に肉うどんはないだろ。乙女ゲームとしてこのネーミングセンスはまずい。
今日のイベントは入学式だけだ。実際には入学式後に校内を散策しあちこちで攻略キャラと出会いイベントフラグを立てることができるのだが興味がないのでまっすぐに速やかに帰宅する。校舎前で暴走野郎がもう飛び出してこないことを確認し、待たせていた馬車に乗り込みようやく大きく息を吐いた。
「お疲れ様ですお嬢様」
出迎えてくれたのは侍女のソフィアだ。彼女は幼い頃からわたしの身の回りの世話をしてくれている。十二歳の日はやはり狂ったがそれ以外でイベントに絡むことがないため安心できる安らぎの存在だ。
「学園はいかがでしたか」
「今日のところは予定通りに全て運んだわ」
「それはよかったです。あ、暴走野郎様はどんな方でした?」
「顔はもう忘れたけど、校舎前の呪いからは解放できたわ」
「まあそれはおめでとうございます」
実はソフィアにだけは全ての事情を話してある。というのも呪われた十二歳イベント以来、わたしが人間不信に陥って精神崩壊しかけたからだ。誕生日の翌日から何事もなかったように振る舞う周りの人間が心底恐ろしくて布団の中から出られなくなってしまったわたしに付き添ってくれていたのがソフィアだ。彼女は怯えるわたしから根気よく事情を聞き出し、あまつさえ信じてくれたのだ。乙女ゲームの世界というのは正直まだピンときていないようだが、わたしがこの先起こることを知っているということは信じてくれている。それと、十二歳イベントの日のことは「いつも通りみんなで楽しくお祝いしておりましたよ?」と記憶が改竄されていた。
「今日はどこかへ寄り道して行かれますか?」
「行かない」
ここで『行く』を選択すると街を散策してイベントを発生させることができる。これから一年間、毎日彼女は自分の意志とは無関係にこの問いをかけ続けることになる。彼女の呪いも早く解いてあげたいが、それにはやはりゲームをクリアする以外ないのである。
こうして幕を開けた呪われた学園ライフ。いよいよ今日は授業初日だ。
「何か知りたいことはある?なんでもわたしに聞いてね!」
教室の隣の席にいるのはモブ・チュートリアル嬢。その名の通りチュートリアルのモブである。序盤に必要な知識を授けてくれるありがたい存在だ。
「明日の天気は晴れかしら」
「王太子殿下にはもうお会いになった?素敵な方よね。憧れちゃうわ」
そしてこの通り、会話選択肢にない質問をするとこっちの話をガン無視して一方的なお気持ちを表明してくる。ゲームの会話選択肢で「特にない」を選んだ時と同じ反応だ。
「あなたの人に言えない性癖を教えて」
「王太子殿下にはもうお会いになった?素敵な方よね。憧れちゃうわ」
「あなたの人に言える範囲の性癖を教えて」
「王太子殿下にはもうお会いになった?素敵な方よね。憧れちゃうわ」
「検索。お前を消す方法」
「王太子殿下にはもうお会いになった?素敵な方よね。憧れちゃうわ」
授業が始まるまではまだ時間があるので早速できた友人と楽しい会話に興じていると不意に教室内の空気が変わった。モブ・チュートリアル嬢の会話も中途半端なところで途切れ、すんっと動かなくなる。イベントが始まったのだ。
「やあ、君がヒロイン嬢かな」
わたしの席の前に立ち微笑んでいるのは昨日壇上でスピーチをしていたアールグレイ殿下だ。爽やかな微笑みは大変にイケメンなのだろうと思うがこいつも呪われている。昨日わたしが何一つイベントを起こさずに帰宅したため強制的な出会いイベントが発生したのだ。それはそれとしてわたしの本名を呼ぶんじゃない。恥ずかしいからやめろ。
「ええと、あなたは」
こちらも棒読みで好感度が下がる方の会話選択肢を口にするときらきら微笑みながら自己紹介を始めた。口上が長いのでスキップボタンを連打したいが見つからない。ゲームを忠実に再現するならイベントスキップ機能もつけてほしいものだ。
「聞いたよ、聖属性の魔法を使えるんだって?よければ今日一緒にランチでもどうかな」
数分にわたる輝かしい自己紹介が終わるとようやく会話選択のある質問が飛んできた。そう、わたしは大変珍しい聖属性の魔法が使えるのである。だから男爵令嬢であるヒロイン(本名)ごときに王子殿下がクソ長い出会いイベントを起こしにきたのである。しかしこの聖魔法、ゲーム内で全く活かしきれておらず救急箱があれば足りる程度の回復魔法しか使っていない。闇やら魔やらを退けるなどもちろん論外。擦りむいた膝を消毒液と絆創膏を使わず治療しただけで聖女と呼ばれ、国をあげて大騒ぎされる未来が待っている。ゲームタイトル、『聖なる乙女の激モテmagic!』なのに、このダサいタイトルは伏線でもなんでもなくただダサいだけなのだ。
「わたしなんてそんな、光魔法が使えるだけで大したことないです」
本当に大したことじゃない。絆創膏と消毒液を持ち歩く方がよっぽど評価されるべきだ。そしてこの救急セットを持ち歩いている女子力天井令嬢こそが、王子殿下の婚約者にして悪役令嬢ポジションのマリアンヌ嬢である。
「あなた、男爵令嬢でありながら殿下に馴れ馴れしいんじゃなくて?」
王子殿下とのイベントを雑にこなしているとついにマリアンヌ嬢が現れた。彼女とも昨日遭遇イベントをすっ飛ばしているのでこれが初対面だ。クリーム色の縦ロールはボリューミーでわさわさと揺れている。ゲームでも基本は一枚絵だけなのにマリアンヌの縦ロールたけわさわさ揺れる。たぶんスタッフの頭がおかしいのだ。特にゲーム終盤、この縦ロールの中からナイフや毒薬が出てきた時には驚いたものである。縦ロールはアイテムボックスになれるのだ。すごい。狂ってる。
「やあマリアンヌ。何か用かい」
「殿下も婚約者でもない女性をランチに誘うのはおよしなさいませ」
「そんなの僕の勝手だろう」
いや勝手じゃないわ。婚約者いるのにナンパしてんじゃねえよ。屑では?
これからわたしは酷い嫌がらせを受けることになる。それというのもこの屑が婚約者持ちという立場も弁えずナンパしてきたせいで、完全にとばっちりだ。マリアンヌ嬢の言い分が全面的に正しい。
そして終盤の断罪イベントではマリアンヌが嫌がらせの主犯として裁かれるわけだが、彼女が直接手を下す描写はヒロインが殿下を寝取った現場に遭遇し闇堕ちした時だけだ。ファンの間でもそれまでの些細な嫌がらせは彼女の取り巻きが自主的にやっていた説が濃厚である。つまり彼女は婚約者を寝取られて激昂した結果裁かれることになる被害者なのだ。しかも怪我は殿下が円柱型のティッシュケース(使用済)に滑って転んで膝を擦りむいただけ。そしてこれが唯一の光魔法活躍シーンだ。こんなところでしか発揮できないならこの世界に魔法なんてなくていい。屑と魔法がなくなればきっと世界は平和になる。屑と浮気された上に裁かれるマリアンヌ可哀想すぎるだろ。
「マリアンヌ様、絶対この屑殿下と別れた方がいいですよ。こいつ女の太腿にしか興味ないです」
思わず口にしてしまった瞬間、世界が音を失った。常にどこからともなく流れていたゲームのBGMが停止したのだ。それと同時に周りのモブも王子殿下もマリアンヌも動きを止めた。元より立っているだけだったがそうではなく瞳から光は失われ縦ロールは垂れ下がり、呼吸の気配すらもない。
ああ、世界が死んでしまった。さながらゲームのポーズ画面のごとく完全停止してしまった灰色の空間に小さな溜息が響き渡る。
このゲームに批判的でありながらわたしがゲーム通りの会話しか選択しない理由、それがこれだ。ゲームから外れた言動をすると世界が死ぬ。色も音も温度もなくした世界に一人取り残されてしまうのだ。
回想シーンの一つに光魔法に目覚めた十五歳の思い出があるのだが、その時にもわたしは一度世界を死なせた。十二歳の時にはただただ怯えるだけだったので今度こそ検証しようと思い立ち、わたしの魔法属性を鑑定しようとしていた司祭に飛び蹴りをかましたのだ。
司祭は吹っ飛ぶことなくオブジェクトとして静止して、側にいた両親も侍女も目から光が失われ動かなくなった。世界が死んだ。はっきり言ってめちゃくちゃ怖かった。元から気味の悪い世界だったが更に上があるなんて思ってもいなかったし、このまま一人で取り残されたら間違いなく狂う自信があった。だからわたしはこのゲームを一番無難な全ルート攻略失敗エンドで切り抜けようと決意したのだ。こんな狂った世界で恋愛なんて考えられない。そもそも決められたことしか話せない相手と恋に落ちるなんて無理がありすぎるのだ。
「悪かった。今のはわたしが悪かったから、ロードして。ゲーム再開。次はちゃんとやるから!」
死に絶えた世界で虚空に向けて叫ぶ。意味があるのかわからないがそれしかできることはない。たとえこんな世界でもわたしは死ぬのが恐ろしいから、ゲームのストーリーに沿って生き続けるしかないのだ。クリアしたら今度こそまともな世界に転生できるかもしれないという一縷の希望に縋って。
「とにかく、学園といえど節度はお守りくださいませ。殿下の優しさに甘えすぎないように」
不意にマリアンヌの声がした。BGMが、教室のざわめきが返ってくる。揺れる縦ロール。キラキラと微笑む屑殿下。よかった、ゲームは無事に再開したらしい。
マリアンヌと屑殿下が消え、束の間の平和が戻ってくる。なんだったんだろうと棒読みで呟き溜息ひとつ。よし、クリア。本当ならいい加減授業が始まっていいはずなのだが昨日イベントを無視し続けたおかげでもう一つ強制イベントが残っている。
「ふ、見てたぜ。災難だったなあんた」
後ろの席にさっきまでいなかった褐色肌のイケメンが頬杖をついて微笑んでいる。たしか名前はキーマ・カレー。カレー帝国からの留学生だ。こいつ自身に愛着はないがキーマカレーが好きなので覚えていた。カレー食べたい。この世界に呪いはあってもスパイスはない。
「誰よあなた」
「ふ、俺のことを知らない?おもしれー女だな。俺様はあのカレー帝国の次期国王になる男だぜ?」
「あっそう」
「ふ、興味ないふりしちゃって」
カレー野郎。別名ふっの人。話す前にふってしないといけないルールがあるらしく常にふうふいしている。カレー冷ましてんのかという秀逸なツッコミレビューを前世で見た気がする。
こいつはあの屑殿下と同じメイン攻略キャラだ。カレールートを選ぶと学園を中退してカレーの国に嫁ぐことになる。屑殿下よりは人格が若干まともだが、常にカレーを冷ましているのが微妙なところだ。
「ふ、どうせ今の短い時間でもう俺様に惚れたんだろ。愛人にしてやってもいいぜ」
よし、そのセリフを待っていた。わたしは無言で立ち上がり、拳をぎゅっと握り締めた。唸れ、我が右手よ!
「うおぉりゃぁぁぁぁぁ!」
選択肢、殴るを選択。カレーの顎に渾身のアッパーカットが炸裂しカレーは天井高く弧を描いて舞い上がった。ちなみにこれはスチル画像だ。
「ふ、ふ……おもしれー女……」
そう遺言を残しカレーは息絶えた。ストーリー上はまだ生きているがゲーム的には実質これで殺害完了だ。おもしれー女と言いながらも彼は意外とまともな感性の持ち主なので本心では突然殴りかかってくるヤバい女にドン引きだ。おもしれー女発言はただの痩せ我慢で実際の好感度は大幅マイナスになり、以後ヒロインの方から何か接触しない限り絡んでくることはない。こいつのフラグはこれで殺したも同然だ。
「よし」
「王太子殿下にはもうお会いになった?素敵な方よね。憧れちゃうわ」
一仕事終えて満足したわたしの隣でモブ・チュートリアル嬢も元気に活動を始めた。彼女はわたしが何を言っても「その他の質問」に分類してくれるのでどんな話も聞いてくれる良い子だ。
メイン攻略キャラのうち一人は潰したので、残るはあの屑殿下をあしらいつつ他の誰ともフラグを立てずに日数を消化すればゲームクリアだ。誰とも結ばれることなくエンディングに辿り着いてわたし自身を呪いから解放させてみせる。ゲームが絡まなければある程度普通の世界に戻るはずだから、恋愛はその後でいい。頼むから追加シナリオとか続編は来ないでくれ。生前の記憶では相次ぐクソゲーの爆誕により倒産しかけていたはずだが持ち直していたら泣く。頼むから潰れていてくれクソゲー製造機。
こうしてわたしの努力の果てについに一年が経過した。ゲームのエンディングである。
「一年間楽しかったなあ。二年生もがんばろー!」
横並びでどこかへ去っていく攻略キャラの背中を遠くに眺めながら誰とも結ばれなかったヒロインの締めのセリフを口にする。これでようやく終了だ。ゲームシナリオの呪いから解放され、いよいよわたしの本当の人生が始まる。
とりあえず退学しようか。自分の領地に引っ込んで慎ましやかに暮らしたい。ゲームのマップ外の世界って存在しているのだろうか。なかったら家出して庶民として生きていこう。
そんなことを思っていると急に世界が真っ暗になった。
攻略キャラも学園も何もない暗闇だ。地面すらない場所にわたしは立っている。いや、立っていないかもしれない。見下ろそうとしても視点は一箇所から動かせないし、顔を触ろうとしても手が動かない。そもそも手がどこにあるのか、全身の感覚が失われている。声を出そうとしても出ない。たとえば夢の中のような奇妙な感覚だ。闇の一点を見ることを強制されている。
『ゲームクリアおめでとう!』
黒で塗り潰された場所に白いゴシック体で文字が浮かび上がる。ああ、これわかった。クリア画面だ。そういうのあるのかここ。ゲームの再現度高いな。いるかこの演出。
『シナリオ回収率2%』
『スチル回収率0.3%』
うわあ回収率低すぎて笑う。そりゃそうか。あらゆるイベントを意図的に放棄してきたもんな。スチルはたぶんカレーアッパー事件だけだろ。とりあえず早く終われ。
『惜しい!次はもっとがんばろう!』
いや、そういうのいいから。むしろわたしがんばったよ。めちゃくちゃがんばりましたよ。
『ヒント、積極的に話しかけてみよう!』
ああ、そういえば終わると未回収イベントを通過するためのアドバイスくれるんだっけ。あんまり役に立たないやつだったけど。話しかけたくないから話しかけなかったんだよ。
『全シナリオを回収すると、いいことがあるかも!?』
はいはい無理無理。シナリオ全回収には全エンディング通らないといけないのでリプレイ必須でーす。無理でーす。人生は一度きりでーす。
……え、無理だよね。無理だよね?まさかそんなことないよね?
今、物凄く恐ろしいことを思い出してしまった。このゲーム、一度クリアするとヒロインのステータスを持ち越して強くてニューゲームできるのだ。シナリオを全て回収すると真のエンディングが見られるとか。
「い、嫌だ。嘘だよね。これはほら、現実みたいなもんじゃん。ゲームじゃないんだからニューゲームなんてそんな」
いつの間にか声が出た。もう目の前にあの暗闇は存在しない。かわりに見慣れた部屋の景色が広がっていて、隣には記憶より若いソフィアが佇んでいた。
「おはようございますお嬢様。十二歳ですね!」
じゅうにさい。呪いの始まりの単語が聞こえた気がする。いやまさかそんなはずない。だってわたしはゲームをクリアした。もう呪いから解き放たれたはずなんだ。
「お前も今日で十二歳か」
「十二歳だ」
「十二歳だね姉さん」
「お嬢様ももう十二歳なんですね」
「十二歳ですか」
「十二歳なんですね」
「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」「十二歳」
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
寝室に屋敷中の人間が押し寄せて十二歳コールをする。紛れもない、呪われた十二歳の誕生日。ゲームはまた始まってしまったのだ。
わたしが狂うのが先か、ゲームをクリアするのが先か。早くももうめげそうだ。ここで終わりでいいじゃないか。ヒロインの戦いはまだまだこれからだ。ヒロインの次回作にご期待ください。
『聖なる乙女の激モテmagic!』
タイトル名発表当時から「どことなく昭和の香り」「タイトルだけでクソゲーの予感」と一部のクソゲーマニアから高い評価を得ていた乙女ゲーム。
立て続けに生み出されたクソゲーにより会社の経営状況が著しく悪化した関係で予算が激減し、企画当初はフルボイスの予定だったが文字だけになった。更にシナリオライターへの執筆料の値下げを打診した結果シナリオライターが辞退。その後新しいライターが雇えず中学時代文芸部だったという事務の社員が三日で書き上げたシナリオで制作が進行することになった。
その頃には既に会社の経営は破産寸前でついに従業員の給料未払いも発生しており、開発チームのモチベーションは著しく低下していた。それでもなんとなく惰性で制作は進行し、なんとなく完成した。
尚、現在は既に制作会社は存在しない。社長が夜逃げしたともコンクリートと結婚したとも言われているが真偽不明である。