第7話
「それよりも…殿下。モネ様はあちらの避難所におりますわ」
「そうだね。護衛も支援も付けたから問題ないよ」
想像と違う返答に、さらにメリッサは首を傾げた。
モネ様よりも自分への咎めが優先されているのだろうか。自分一人では城に戻れないと心配されているのだろうか。また逃げ出すと疑われているのだろうか。
(いずれにせよ、モネ様には一人で任せても安心だという信頼関係があるのね)
それに比べて、自分は常に殿下自ら護衛に付いていた。よほど頼りなかったのだ、とシュンと肩を落とす。
新しい聖女。
メリッサは寂しい反面、期待と安堵があった。今日実際に会って、その想いはより強くなった。彼女には確かに自分には無かった、聖女の素質があったから。
「モネ様にお会いしましたわ。可愛いらしくて一生懸命で素敵な方でした。今日、初めて聖女の力を使ったのに、すぐに体得されて素晴らしかったわ。こんな震災が起こるとは思わなかったけれども、モネ様ならきっと民の希望になります」
嘘偽りなく目を輝かせてほほ笑むメリッサにジェイド殿下は目を見開き唇を噛んだ。
「君はまるで、他人事のように言うんだね。彼女に全てを託したとでも言うのかい?」
「え…?」
苦虫を噛み潰したような顔で問う。メリッサには質問の意図が分からなかった。
殿下は何を言っているのだろう。自分の口から伝えないといけないのだろうか。報告義務だと理解しても、分かりきった事を殿下に伝えるのは辛い。
だって、改めて言う必要はないほど理由は明確だ。
「私はもう聖女ではありません。私の役目は終わりましたから」
ぎゅっと、胸が締め付けられてメリッサは下を向いた。語尾になるほど蚊の鳴くような声になり、蹄の音に掻き消された。
居た堪れなくなって、メリッサは今すぐ馬から降りて逃げ出したかった。
すると、手綱を握る殿下の手がメリッサの手の上に重なった。
胸が今度は別の意味で鼓動を速めた。それだけでもカチカチに固まるほどの緊張なのに、耳元で殿下の声がする。
「ごめんね、メリッサ。君がそんな風に考えるとは思わなかったんだ」
懺悔のような言葉に、メリッサは再び首を傾げたが、それよりも密着した殿下との距離に心臓の音を落ち着けるのが大変で、それ以上深く考えるのを諦めた。
◇
城に着くと、大勢の執事やメイドが立ち並びメリッサを迎え入れた。
誰一人、変わらない顔ぶれに、メリッサは目を瞬かせる。
専属の侍女だったマリアはメリッサの側に駆け寄り部屋まで案内する。後ろ姿から涙をすする声がするのは気のせいではない。
部屋の中も、何も変わらなかった。
メリッサが出て行った時間など無いように、物の位置も変わらず、塵一つ無い綺麗な部屋だった。
「マリア、あまり泣かないで。私まで悲しくなってしまうわ」
グスンと鼻を啜り、マリアは涙を拭った。
「メリッサ様がご無事で良かったです。まずは、入浴の準備が整っておりますので、身体を温めて下さい」
「…ありがとう」
待遇の変わらないメイド達に疑問は尽きないが、久しぶりのお風呂の誘惑には勝てなかった。村にいた時は川辺で身を清める程度だったから、温かい湯船は久しぶりだった。
メイド達と浴室へ向かい、身体の隅々まで磨かれた。普段お目にかかれない高級な香油まで使われて、汗と埃だらけだった身体はピカピカになった。
(こんなに綺麗にしたのは久しぶりだわ。殿下の御前に立つには、これくらいしなければ失礼なのね)
新しいドレスも用意されて、すっかり見違えたメリッサは、執事に導かれるまま居室に入った。
足を踏み入れた先に、ジェイド殿下の他に、国王と王妃の姿があって、メリッサは驚き困惑した。いきなり国の最高権力者を前にするとは、来て早々にハードルが高い。
メリッサは慌てて首を垂れる。
「国王陛下、王妃陛下、王太子殿下にご挨拶申し上げます」
今は平民である自分が、簡単に面会できる相手では無い。地面に顔が付く程に平伏すと、その姿に王妃は嘆いた。
「メリッサ。そんなに他人行儀な態度をしないでちょうだい」
「お前がきちんと話さないからだぞ、ジェイド」
頭上で繰り広げられる会話は予想と違って、メリッサは首を垂れたまま戸惑いを隠せない。
「顔を上げてくれ。今回の事はうちの愚息が失礼した」
国王から謝られるなど想定していなくて、メリッサは恐る恐る顔を上げた。目が合った国王と王妃は変わらない慈愛の微笑みでメリッサを迎えてくれる。
まだメリッサが婚約者であると勘違いしそうなくらい、それは愛情に満ちていた。
「やっぱり、メリッサは何も分かってないようよ」
「ジェイドは何をしているんだ」
「…う…申し訳ありません」
ジェイド殿下は両親の問答を前にして、青菜に塩をかけたように悄気り口籠った。
目で困惑を伝えると、ジェイド殿下は眉をハの字にして苦笑する。そして、メリッサに向かって謝罪の言葉を言った。
「私がメリッサに相談もせずに決めたせいで、メリッサに誤解をさせてしまった。説明する前に、メリッサの姿が消えた時は、本当に後悔した。あれほどまでに焦って取り乱したのは初めてだ」
そして、もう一度『ごめん』と謝ると、殿下は言った。
「女神様に頼んでメリッサの聖女の任を解いたのは、この私なんだ」