21 新たな取引先
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ありがとうございます。
「こんにちは、レディ。ちょっと今日は真面目な話をしてみてもいいかな?」
「こんにちはカルムさん。真面目な話ってなにかしら?」
青々とした木々が、眩しさを増す太陽の光を遮ってくれる中庭にて。
興味のある授業は全て受講、それいがいの修了していそうな授業は全て週末に試験をお願いして回る予定を立てて数週間。季節はすっかり初夏になっていた。
(初夏にこんな風に声かけられるイベントあった?
蘭は領地経営についての座学中だからテレパシーもつかえないしー!)
ほとんどの授業を週末の試験でクリアすることを選んだ杏は空き時間が多い。週末に受ける試験の最後の追い込みを中庭でしていたところだ。ちなみに科目はこの国の歴史と地理に関して。冒険者も兼業しているお陰で足を伸ばせる範囲には結構詳しい自負がある。そのため、今は歴史書を読み込んでいたのだが、突然のユーゴ・カルムの襲来に内心かなり動揺していた。
「ふふ、ユーゴでいいといつもお願いしているのにねぇ。
アルフォンスくんまで名前で呼んでいるのに」
「それはそうなんですけど…。王子様って結局卒業したらもう会うことはないでしょう?
でもカルムさんは将来的に取引があるかもしれないじゃないですか。公的な場でうっかりしないとも限らないので」
「僕は大歓迎なんだけどな。
でも、将来的に取引があるかも、と考えていてくれたとは嬉しいね」
会話をしながらごく自然にユーゴは隣に腰かけてきた。
中庭の木陰の狭いベンチに逃げ場はない。せめて距離をおこうと、ベンチの中央から端に避ける。ともすれば、お話OKととられるが不自然に逃げるよりはまだいいだろう。学園の中なのだから、誰が見ているとも限らない。
平民出身で、王子や公爵令嬢と仲が良く、成績も優良で次々に単位を取得している才女。これが学園内の今の杏の評価だ。いつやっかみからいじめに発展するかもわからない。いじめ自体は気分は悪くなるものの、別にどうだっていい。ただ、そのいじめが巡り巡って蘭の陰謀だなんて言われたら困るのだ。それは蘭ことゲーム内の悪役令嬢ラナの死亡フラグに直結する。
なので、出来るだけ敵を作らないのが大切なのだ。
本当なら死亡フラグの権化である攻略対象に近づきたくなどないが、無下にあしらうのもよろしくないと学んだ。
なにせ、先日エルンストに失礼なことを言った件で既に女子からは嫌われ始めているのだから。
「これでも一応商売人の端くれでもありますからね」
つまみ細工に関する商売は既に杏の手から離れ、公爵家のものになっていると言っていい。慈善事業として技術を教え、上流階級に納品するという循環が出来上がっている。杏は名ばかりのオーナーという体裁だ。
「端くれだなんてとんでもない。いつも流行の最先端に合わせた素晴らしいアクセサリーを提案しているじゃないか。
今でもキンストン公爵家の身に付けるアクセサリーは君の手によるものだと聞いているよ」
「そこは商売人より、職人って感じかしら?」
「そう言われればそうだね。
で、そこで提案なのだけれど…職人として、この布をどう見るかな?
忌憚のない意見を聞かせてほしい」
そう言ってユーゴが差し出してきたのは特に特徴のない薄緑色の布だ。ただ、それに触れたとき杏は心底驚いてしまった。手触りが布というよりも、久しく触っていない化学繊維に近いものに感じられたからだ。
「これ…は。もしかして、水を弾くのでしょうか?」
「流石!
触っただけでもうタネがわかってしまうなんて素晴らしいよ。
これは防水布と言って水や汚れを弾く布なんだ。加工方法は企業秘密で教えられないんだけれど…」
「そこは商売ですから仕方がありませんね。でも、これは本当に素晴らしいものですよ。
馬車の幌に使えばかなり軽量化できますし、野営も楽になります。水の持ち運びももしかしたら便利になるかも…」
実は杏は一度実家であるそよ風亭でオープンテラスを提案したことがある。
あまりにも繁盛して客を収容できなかったのだ。野外にも座席があれば少しは緩和されるのではないか、と思っての提案だったのだがボツになった。原因は雨。この国は、日本で言うところの狐の嫁入りが割りと頻繁に起こる。そのため、運が悪ければ食事が台無しになってしまうのだ。その時に現代の傘があれば…と何度も思ったものである。
だが、この布があれば軽量の雨具がいくつでも作れるではないか。
「なるほど…新たなつまみ細工の素材に…と思ったんだけど、そうきたか。
実はこれはさる貴族の方からのたっての願いでね。
貴族社会はそれなりに怖いところだろう? ドレスを汚される、なんていうこともまぁ…それなりにあってね。その対策として開発されたものなんだ」
「なるほど…。
でも、失礼ですが、この布でドレスを作るのはちょっと難しいのでは?」
一般的な布よりもそれなりにゴワつきがあり、独特の光沢もある。光沢だけならばうまく利用できないこともないが、着心地はあまりよくなりそうにない。
「その通り。それで却下されてしまったんだ。
でも、開発費用もそれなりにかかったし、せめて費用分の回収でもできないかと思って相談してみたんだ」
「つまみ細工の材料に、ですか?
うーん…光沢を利用して面白いものを作れないこともないですが、費用回収でしたら他のことの方がいいような気がしますね。
それこそ幌や雨具にすればかなり売れるのでは?
…ただ、それなりに安価でないと庶民にまで普及しづらいのは確かですね」
濡れない、汚れないという素材は魅力的だがなんにせよ原価がネックになる。つまみ細工であれば貴族に高値で売れないこともないが、そもそもつまみ細工は端切れサイズで十分なのだ。
「これは内緒だけど、そこまで加工にお金がかかるわけではないんだ。手間はかかるけどね。
ふむ、幌か。高級布を使わず安価な布を加工した方がさらに安く上がるか」
「なるほど。既存の布を加工して作っているのですね、これは。
であれば色々と使い道があるのではありませんか」
全く水漏れがなく、汚れも弾くのであれば色々と使い道はある。
パッと考え付くだけでも、先程あげた馬車の幌や野営のテント。レインコートに傘。それから、そよ風亭のテラス席増築だってできそうだ。汚れないのであれば軽食を包むのにも使えるかもしれない。この国ではあまりお弁当文化はないのだが、そよ風亭のご飯を家でも食べたいという人はそれなりにいる。テイクアウト文化ができてもいいかもしれない。
「何やら色々案がありそうだね?」
「そりゃあ…そのような面白い素材を見せられたら考え付くものはありますよね」
「ふふ、僕にはその発想力というものはないんだよ。
そこで提案なのだけれど…この布を使ってちょっと事業をやってみないかい?」
「へ?」
思わぬ方向に話が進んで思わず間抜け面を晒してしまう。
「難しいことじゃないよ。
僕の手元にあるこの布を、君のアイディアと僕の販路でうまく世の中に活用してもらおうというだけだ」
「アイディアって…別に今あなたに喋ったこと、そのまま利用していいのよ?」
「それじゃあフェアじゃない。僕はそんなこと思い付きもしなかったんだから。
それにね、僕はできることなら末長く君の知恵を借りたいと思っているんだ。
あんな端切れから素晴らしいアクセサリーを思い付く君ならと思ったんだけど…どうやら僕の勘は外れていなかった」
つまみ細工はたまたま前世作っていただけだし、今回のことも前世の知識あってこそだ。
正直ズルをしてこんな好評価を得ているだけなのだが。
「買いかぶりすぎですよ。アイディアっていつか枯渇しちゃうものですし」
「だとしても、今君が考えていることは間違いなく商売のタネになる。
君からアイディアを授かり、僕が形にする共同事業…とても面白いと思うのだけど」
「学業に支障がでるのでは?」
「正直に言えば僕の学園での役目は販路拡大だからね。
そして今新しい商売のチャンスがぶら下がっている。ここで逃したら商人の名折れだと思うのだけれど…。
ねぇ、出来るだけ君に負担がいかないようにするから、うなずいてはくれないかい?」
正直に言えば、杏にとってもこれは美味しい話だ。
できることがあるとは思えないが、それでもこの防水布の活用方法についてはそれなりに考えが浮かんでいる。そのアイディアを提供するだけでいいというのだから。
「なんというか、私にとって美味しい話すぎていいのかな? って思っちゃうのだけど」
「細かな取り決めは法にのっとってするから美味しすぎるって話でもないと思うよ。
失敗したときのリスクも一緒に負ってもらうしね。ただ、君も僕もこの程度のリスクで倒れる財力ではないだろう?
その上さっき聞いた部分だけでも、この事業が大失敗するとは思えない」
「なるほどねぇ」
金銭的リスクはある程度飲み込めるだけのお金は作った。なので、そのあたりのリスクはほぼ影響なしと見ていいだろう。
心配なのは死亡フラグの方だ。蘭の死亡率が上がるような軽率な行動はとってはいけない。
ただ、この口ぶりからしてユーゴは本当に商才だけを見ているようだ。現にこの話が始まってから一度も口説くような素振りを見せていない。
彼は既に学園内でタラシの名をほしいままにしている。女性と話していれば二言目には口説く輩として有名だ。その彼が全くそんな素振りを見せないのだから、きっとここにいる彼は商人としてのユーゴなのだろう。
「うーん、わかったわ。
ただ、金銭はほんとお気持ち程度でいいから。あ、なんならその布ちょっと分けてくれるだけでもいいし」
「それはだめだよ。後々禍根を残したら大変だろう?
そのあたりのことはきっちり人を入れて話そうか。さしあたって、アンナ嬢の予定を聞きたいのだけれど」
あれよあれよという間に話が進んでいく。
女性に関してだけではなく、商売に関してもかなりマメな男らしい。一応杏自身がオーナーになるにあたってこの世界の法律や経済も学んだし、手酷く騙されるということはないだろうと思う。最悪ラナに相談してそういった事情に詳しい人を紹介してもらえばいいし。
少なくともゲームルートに一緒に商人になるようなエンディングも用意されていない。
「それじゃあお手数だけど金曜の放課後時間をもらうね」
「わかったわ」
「っと、大分話し込んでしまったね。僕は次授業があるから」
「私もよ。それじゃあまた金曜に」
そう言ってお互い別の講義室へと歩き出す。
「…正攻法で近づいたら君は即座に逃げるタイプのようだからね。まずは君の視界に入るって課題はクリアかな?
でも、思ったより商売の方も面白くなりそうだ。これから末長くよろしくね、アンナ嬢」
ユーゴが楽しそうにそう呟いたことを杏は知らない。
フラグが折れていないどころか、予想外のところに立ってしまったという事実もまた、まったくわかっていなかった。
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