Le Dernier Cadeau-3
小さなスーツケースだったので、機内に持ち込むことができた。
空港に着くと一目散で、JRの駅へ向かった。
成田から東京までは成田エクスプレスに乗り、そこから新大阪までは新幹線に乗った。
新大阪から在来線に揺られること数時間、実家に帰りついた頃には、もう日が変わっていた。
父の看病を続けている母と一ヵ月ぶりの再会を素直に喜んだ。母は思ったより元気そうだった。気丈な母は、父のためにも看病疲れとか、そういう雰囲気を一切感じさせないように努めているのだった。
母に昨日買ったバゲットを手渡す。
よく税関で没収されなかったわね、と母に苦笑いされながら、私はうなづく。きっと父に届けたいという私の想いがここまで持ってこさせたのだと思う。
時間にすると焼きあがってからすでに一日近くたっているが、少し霧吹きをしてからトーストすればまだおいしく食べることができる。
子どもの頃、母は朝ごはんに手作りのパンを用意してくれていた。
バターロールのようなパンもあれば、食パンの日もあった。バゲットやクロワッサンの日もあった。焼きたてのパンにジャムやバターをつけて食べるのが本当に楽しみだった。
翌朝、母がテーブルに私の買ってきたバゲットと、バターやジャムを並べた。
ヨーグルトやサラダも並んでいた。私がパリで食べている朝ごはんそっくりだった。
「私、やっぱりお母さんの娘だと痛感したわぁ」
思わず、母にそう言うと、何をいまさら言ってるの、と母は満面の笑顔で返答した。
ジャムは母の手作りで、イチゴの酸味がまだ残る程度の甘さになっている。
薄く切ったバゲットにイチゴジャムをのせながら、私の目がふと、テーブルの片隅で止まった。
「わ。かわいい」
テーブルの片隅に、バラの形に折られた茶色い折り紙を見つけたのだ。
白い一輪挿しにささっているバラの花。
丁寧に茶色いバラの花には、茎と葉までついている。
「かわいいでしょ?」
母は自慢げにそれを手にとって見せた。
「あれ?この紙」
それは折り紙ではなくて、私が昨日買ってきたバゲットの包み紙でできたバラの花だった。母が今朝折ったのだ。
「いい香りがするでしょ?パンの花よ、パンの花」
折り紙でできたバラをとって、鼻に近づけると、確かに、パンの香りがした。
パリで私がいつも味わっている、焼きたてパンの優しい香りだ。
「お父さんに持っていってあげようって思ってね。香里が持って帰ってきたパンもサンドイッチにしたのよ。今日のランチにしようと思って」
母はバゲットでハムとチーズと野菜をはさんだサンドイッチを作っていた。オイルサーディンの入ったサンドイッチも一緒にお弁当箱に詰めていた。
父がすでに固形のこうした食事を食べられる状況でないことは、私もすでに知っていた。それでも母は、私の心と母の気持ちを重ねるように、サンドイッチを作ったのだ。
母のそんな姿を眺めながら、ふと私は幼い日、家族でピクニックにでかけた日のことを思い出していた。
家族でよく公園でお弁当を食べた。母が作るおにぎりやサンドイッチを持って、近くの公園に出かけるのだ。ワインが好きな父のため、母はチーズやクラッカーなども用意していて、公園の芝生にレジャーシートをひき、そこで家族そろっての昼食を楽しむのだ。
「今日はお父さんのところへピクニックに行くみたいだね」
私がそう言うと母は嬉しそうに笑ってお弁当箱を大きな風呂敷で包んだ。
朝ごはんのあと、母と二人で父に会いに病院へ出かけた。
父は病室でたくさんの機械に囲まれていた。
母の話によると、月曜日は意識もほとんどなくて、人工呼吸器をつけていたそうだ。まさに“生かされている”状態に近かったと言う。
火曜になって、姉の家族が父に会いに来たそうだ。姉にはもうすぐ五歳になる女の子がいる。私から見れば姪っ子だが、父から見ると孫になる。
孫にあたる愛ちゃんが、幼稚園で習ってきた歌を父に歌ったところ、ふいに父が目を覚ましたのだと言う。父はもうろうとする意識の中で、うっすらと目をあけたのだそうだ。そんな父に、母も“香里がもうすぐ帰ってくるからね”と声をずっとかけていたそうだ。愛ちゃんの歌に父が目を覚まそうとしたことをみた姉が、火曜の夜は病室に泊まっていったそうだ。姉の家族はその日、父のそばで歌を歌ったり、思い出話をしながら、父の意識が少しずつ現実に戻るように働きかけていたのだそうだ。
そんな母や姉の家族の頑張りもあって、水曜日の午前中には、自分の力で呼吸ができるようになり、人工呼吸器がはずしても大丈夫な程になっていたそうだ。
父は家族の励ましのおかげで、奇跡的に意識を取り戻したのだ。
そして私は今、そんな父と対面しているのだった。
父の瞳はきらきらとしていて、まだまだ生きる力に満ち溢れていた。
正直、つい数日前まで意識がなかった人だと信じることができないほどだった。
確かに、ベッドの上に寝かされているのだが、父の瞳は、普通に働いていたころの父と同じように輝いていた。
「ただいま」
私がそう言うと、父はお、か、え、り、とゆっくりと唇を動かして、私に答えた。
さっき、病室を訪ねる前に、主治医の先生と看護スタッフの人たちに挨拶をかねて、父の病状を聞いたところだ。
先生によると、父がこうして意識を取り戻して会話ができていることは、正直医学的には説明できないのだと言っていた。
あまり簡単に使う言葉ではないですが、奇跡に近いですよ、とも言っていた。父の生きたいという想いが、確実に、父を生かしているのだった。
そんな父の姿を見ながら、私は改めて、父の横に座る。
そして、とりあえずこの一ヵ月あった出来事を父に順番に話しはじめた。
パリにもやっと春がきたこと。春になったらイースターがやってきて、人々が春の訪れを喜ぶこと。イースター休暇は、いわば日本のゴールデンウィークのようなもので、ちょっとした連休になるので、みんながいっせいに旅行に出かけること。
写真もたくさんプリントアウトをして持ってきた。
何気ないパリの街角の風景ばかりだ。
毎日眺めているセーヌ川。あまりきれいな川じゃないけれど、観光客でいっぱいの船の様子。それから骨董市場の様子。川沿いに広がる市場の風景。
私が普段囲まれて生活しているものたちの話や、パリでできた友人の話。
話をしている間、父はじっと私の目や顔を見つめながら、時折うっすらと笑って、相槌をうつのだった。
私は父におみやげがあるの、と言って、かばんから持って帰ってきた瓶を取り出した。
そして、父に見せながら、その瓶のふたを開けた。
「お父さん、パリの香り」
私はそっと父の顔に、瓶を近づける。
父はしずかにその瓶の香りをかいで、静かにまぶたを閉じた。
瓶の香りをかいでみると、ちょっとひやっとした空気が鼻を通り過ぎるのがわかった。そして冷たい感触のあと、少しだけ甘い香りが鼻に残った。
この瓶にはもともと、山盛りのイチゴで作ったイチゴジャムが入っていたので、その香りが残っていたのだろう。
父はしばらくすると、ゆっくりと目をあけて、満面の笑みを見せた。
「なんか、ジャムの香りも残っていたみたい」
言い訳をするようにそう言ってから、瓶に入っていたジャムのイチゴが、1kgで300円もしなかったことを話し始めた。
ジャムの香りで母が持ってきたパンのバラの花を思い出した。
ベッドサイドには母が持ってきた一輪挿しに、茶色いバラの花が咲いていた。
私はそれをとって父に手渡した。
「このバラの花。焼きたてのパンの香りがするでしょ?お母さんが折ってくれたの」
父はその花の香りをかぎながら、おだやかに目を細めた。
パンの香りは父に何かを思い出させているようだった。それはもしかするとパリのパンの香りではなくて、母が焼いていたパンの香りだったのかもしれない。
父は幸せそうに、ありがとうとゆっくり言ってから、ベッドにその身を預けた。
私が久しぶりに父と再会したその日は、パンの香りのするバラとイチゴジャムの瓶に囲まれて、父は眠りについた。
意識が戻ったからと言って、父は日中ずっと起きていられるほどの体力があるわけではないようだった。
母と私は病院の中庭で遅めの昼食を取ることにした。昼食には、母が作ってくれたサンドイッチを食べた。食べながら、ここ数週間の出来事を母から聞いた。順調に回復していたことを心から喜んでいた母にとって、父が急に体調を悪くしたことは本当に想像を超える衝撃と悲しみだったに違いなかった。
父は見舞いに来る親戚や知人、会社の同僚に対して私のことを自慢していたそうだ。
はじめて聞いた話だった。
親戚とは言え、父が病床にいるというのに、そばにいてあげられないことを、親不孝だと言う人もいたと思う。でも、そんなことを言った人は一人もいなかったよ、と母が話してくれた。
パリに行くことに反対するのではなく、応援するから頑張れと見守ってくれた父の姿を、ふと思い出すと、自然に目頭が熱くなってくるのが分かった。
母は、私のそんな気持ちを察するかのように、私をぎゅっと抱きしめた。
「よく帰ってきてくれたね。ありがとう」
母の優しい言葉が、私の心と体に染み渡るのを感じながら、今にもこぼれおちそうな涙を止めるのが精一杯だった。
<続>