偽りの街
「ここは、偽物の街よ」
「!」
自身の記憶と経験に基づく神無の言葉に、静利は残酷なほど冷たく響く言葉を以って応じる
それを聞いた神無は、それが意味するところを理解していながら、どこか現実味のない感覚として捉えていた
「にせ、もの……?」
「いえ、偽物というのは語弊があるわね。なんらかの力――まあ、悪神なり、妖魔なりだけれど、その力で隔離され、隠されていたというのが正しいのだと思うわ」
そう言うなり、霊力をその細い人差し指の先端に灯し、空に軽く一線を引くと、その正面に半透明の術板が出現する
「これを知ってる?」
自身の眼前に生み出した半透明の板を見せて訊ねてくる静利に、神無はさすがに不満気な表情を浮かべて言う
「『通神器』でしょ? 遠くの人と話したり、映像を送ったりできる術だよね?」
「通神器」は、この世界に暮らすほとんどの人間が使うことのできる初歩の術で、他者の霊力と共振し、音声や映像を送ることができる術だ
ある程度の年齢になれば、五行のどの属性でも使うことができる初歩の術の一つでもある――もっとも、その初歩の術さえ、霊力に適性のない神無には一切使うことができないものだが。
「えぇ、そうよ。見て」
そんな神無の心中の不満など興味がないと言わんばかりに告げた静利は、自身が発動した通神器の術の画面を見せつけるようにする
本来ならそこには、通信相手の顔や文字なども映し出すことができるのだが、静利が発動した術には、まるで砂嵐のような現象が発生していた
「この街に入ってから、通神器が使えなくなっているわ。――つまり、この街は外界と隔離されているのよ」
淡々とした口調で告げた静利に視線を向けられた命は、それに答えるように同様の術を発動する
「ただ、相手がこの街の中にいれば問題なく通信ができるみたいね」
「確かにこれなら、街の外に花枕の人が出ない限り、外界と連絡が取れなくなっていることに気付けませんね」
互いの顔が映し出されている通神器の術を前にした静利と命は、その事実を確認し合って言う
「つまり、この結界を作り出している誰かさんは、この中にいる人間を外に出す気がないということよ」
そして、外界との連絡が阻まれているということは、静利が皇都に報告をすることもできないということ。――つまり、閉じ込められたと状態にある証でもあった
「……!」
その事実を見せつけられ、困惑を極める神無に視線を向けた静利は、花枕の街が外界と隔離された状態にあるという現実の下に改めて話を始める
「十年前の戦いでも、この街そのものが戦場になったのではなく、この街の外で悪神と戦ったというのが正確なはずだから――それは、記憶にない?」
花枕の街は、十年外界から接触ができない状態にあった。だが、それは必ずしも滅びたと同義ではない
厳密にいえば、十年前の戦いも悪神の進路上に花枕の街があり、それを守るために戦ったというのが正確なところ。ただ、その際に生じた神の瘴気に街が呑み込まれてしまっていたために、その内側の状況を知りえなかったのだ
それらの情報を踏まえて先の言葉を修正し、訂正した静利に視線を向けられた神無は、唇を引き結んで顔を伏せる
この街が滅びているなどという事実は受け入れられないが、そう訊ねられれば、神無には思い当たる節はあった
「……うっすらとだけど、あるよ。だって、その戦いで父さんと母さんは死んだんだから」
視線を伏せ、軽く拳を握りしめて言う神無に、静利は「そう」とだけ答えて話を終える
十年前、確かに花枕の近くに悪神が出現した。その進路上にこの街があったことから、花枕の天伺官をはじめ、皇都をはじめとする都市から集められた天伺官がその侵攻を阻み、人々と街を守るために戦ったのは、うっすらとだが記憶にある
まだ十歳になるかならないかといったところだった神無の記憶は、結局街に到達し、猛威を見せつけることのなかった悪神よりも、両親を失った絶望に塗り潰されていた
今でこそ、割り切って受け入れられるようになったが、当時の神無は霊力を使えないことで周囲に馴染めなかった
白い目で見られ、からかわれ、両親が天伺官だったことや、妹の歌恋が天才的な才能を持っていたことも手伝って、決して明るく過ごせる環境でなかった
そんな中、唯一自分の味方をしてくれる両親を失った神無は、何よりもその絶望を伴う喪失を強く記憶していた
「神無様……」
自分が信じていた――否、疑ってさえいなかった日常が揺らぎ、動揺する神無を案じて、命が優しく声をかける
「問題は、どの程度この結界の影響が街に及んでいるか、ね――正直、この街の天伺官は信用できないわ」
「どういう、意味?」
その声音を崩さず、怜悧な瞳で街の外を見るように室内の窓を見た静利の言葉に、神無は声を震わせながら訊ねる
自分が信じていたものがまやかしだった――虚構の現実を見せつけられ、混乱する神無の意を汲むように、静利は淡泊な声で応じる
「十年も街の住人に不審がられずに隔離するなんて不可能でしょう? 政治に関わる人や天伺官なら、連絡を取ろうとするはずだもの」
「確かに……」
静利の口から告げられる説明を聞く神無に反論の余地はなく、ただただ納得するしかなかった
「つまり、この街の中枢――少なくとも、街の外と縁がある様な所は掌握されてしまっているということよ。それが、洗脳なのか、別の手段なのかは分からないけれど」
「思えば、先程妖魔に襲われたのは、外から来たあなたを排除するためだったのかもしれませんね」
街に住んでいる人間が、この十年間何も疑問に思わずに過ごせていたのなら、それが何者かの手によって操られているはずだという静利の言葉に、これまで黙って耳を傾けていた命が口を開く
「そういうことでしょうね。これまで、あんな強力な妖魔が街に出たことはなかったのでしょう?」
先程街で襲ってきた骸骨妖魔の事を思い出す静利に、確認の意味で訊ねられた神無は、小さく頷く
「あ、はい。僕が知る限りは」
「あんなのが出てきてたら、街の天伺官も気付いていてもいいはず。でも結局最後まであなた以外が現れなかったのも腑に落ちないわ」
神無の言葉に頷いた静利は、一見何の変哲もない風景が広がっている街へと視線を向けて言う
通常、天伺官は街の安寧と安定を図るために、人の生活区の中に妖魔を感知する結界を展開している
あれほどに強大な妖魔が出現すれば、何か特別な事情がない限り街の天伺官が気付いていてもおかしくない。だが、結局命以外が駆けつけてくることはなかったことも、これまでの静利の推論を後押ししている
「――天伺官……そうだ。でも、ならおかしい!」
「?」
その時、ふと神無の口から零れた一言に、静利と命が視線を向ける
「でも、歌恋は!?」
その視線に答えるように顔を上げた神無の蒼白な表情に、命と静利は顔を見合わせて怪訝な表情を浮かべる
「歌恋?」
「僕の妹です。皇都から、天伺官にって誘われて、都に向かったんですよ!?」
声を揃えた命と静利に訊ねられた神無は、声を張り上げるようにして言う
今まで信じてきた日常が虚構だったという、あまりに予想だにしない事実を告げられて思わず失念してしまっていたが、神無には先日皇都へ送り出した実の妹「歌恋」がいる
もし、ここまでの命と静利の意見が正しいのであれば、街の外へ出ていった歌恋のことを説明できないはずだ
「――たしかにそれはそうね。どう思う?」
この花枕の街が外界から隔離されているという自分達の意見を否定する問題を前にした静利は、顎に手を当てて思案の様子を見せると、意見を求めるように命に視線を向ける
その目には、純粋な疑問ではなく、神の敵である邪神の天巫を見極めようとする天伺官としての意志がわずかに顔をのぞかせていた
「そうですね。正直現状では分かりかねますが、そこに何らかの糸口――この花枕を閉じ込めている者の思惑があるのかもしれません」
そんな試すような静利の視線に気づいている命は、しかしそれとは別に純粋に自らの意見を述べる
静利はまだ完全に信じていないようだが、命にとって、この街を閉ざしている者に肩入れする理由などない。
むしろ、その存在が自身の信仰する神である神無に害をもたらすのならば、それは命の敵であるということでもあるのだ
「そうね。私も同じ意見よ」
そんな命の思惑をどう感じ取ったのか、静利は抑制のきいた声音で同意を示してみせる
「けれど、こうなると、ことは厄介ね」
この街の現状に対する意見を翻すことなく、意見を一致させた命と静利は、神無から提供された新しい情報を踏まえて思考を巡らせる
「この結界を作っている誰かは、この街を隔離している事実を知られたくないはず――そんな奴らが、なぜこの妹さんを外へ出したのか……いえ、出さなければならなかったのか」
現状、最も説明のつかない違和感は、神無の妹の歌恋の存在にある。外界と隔離し、結界の中に閉ざしたこの街から、街の住人を出す理由に思考を巡らせた静利は、やがておもむろに口を開く
「情報が必要ね」
そう言い切った静利は、その視線を神無へと向けて言葉を続ける
「この街の中では、皇都との連絡も取れないわ。――ということは、あなたの妹さんが、本当に皇都からの要請で街を出たのか、確認も取れないということよ」
「そんな……!」
静利の口から淡々とした声音で告げられる言葉に、神無は思わず息を呑む
外界との連絡が封じられた現状では、本当に皇都から歌恋を天伺官として招いたのか確認を取ることもできない
だが、それを確認しようにも、先程言ったように、この街の政治的中枢はすでに支配されている可能性が高いため、正確な情報を得ることはできないだろう
「ところで、話していてふと思ったのだけれど、〝土地神〟はどうなっているのかしら?」
「……確かに」
その時、ふと脳裏をよぎったことを口にした静利に、命も同意を示す
「花枕の都市と土地を守る神が、この事態の中傍観しているとは思えないのだけれど、どうしているのかしら?」
土地神とは、その名の通りその土地――あるいは、都市を守護する守り神のこと。
妖魔から街と土地を守り、人々の暮らしと営みを守る神は当然この花枕にも存在しているはず。だというのに、何の行動も起こしていないのは疑問だった
「確か花枕の土地神は『宿儺曼荼羅』という多面多腕の神だったわね」
「あ、はい」
確認の意味を込めて、この街を守護する土地神の名を告げた静利の問いかけに、神無はおずおずと頷く
自身が住んでいる街の土地神と人は無関係ではありえない。その神の性質などにもよるが、年に一回から複数回神に感謝を捧げる祭りなどが行われ、学童は学校行事として必ず土地神を祀る社殿へ一度は参詣に赴くのがこの世界の常識
そしてそれは、霊力を持たない神無であろうとその例外ではないのだ
「とりあえず明日にでも社殿へ向かってみる必要がありそうね――榊君」
「あ、はい!」
自分の中で今後の行動方針を立てた静利に呼びかけられ、神無は反射的に姿勢を正して答えてしまう
そんな神無の反応など気にも留めず、凛とした瞳にその姿を映しながら、静利は自身の要件を告げる
「悪いけれど、私もここに泊めてもらっていいかしら」
「え?」
静利の口から発せられた思わぬ言葉に、神無は目を丸くする
(泊る!? 家に!? そ、それって色々とまずいんじゃ……あ、でもそうなると僕と命だけになるわけで、そっちの方が問題のような気も……)
この家に滞在する意思を表され、静利と一つ屋根の下で暮らすことを考えた神無は、自身の道徳と健全な青少年としての想像を照らし合わせながら混乱する思考を纏めていく
一般的な道徳観として、付き合ってもいない男女が一つ屋根の下で暮らすというのは少々問題があると言わざるを得ない
しかも静利は、絶世の美女である命と比べても見劣りしない美人。そんな女性と暮らせるなど夢のようなことだ
いい意味でも悪い意味でも誠実で正直な神無の理性と本能がせめぎ合う中、そんな葛藤を冷ややかに見据える静利は、澄んだ声で話を続ける
「この街そのものがどうにも信用できないし、彼女を見張る意味でも行動を共にした方がいいと思うの。
本当は今すぐにでも土地神のところへ向かうべきなのかもしれないけれど、夜は妖魔の時間でもあるし、今の戦力で強行突破するのは危険だわ。もっとも、そこの邪神の天巫が私と一緒に別の場所に移るなら話は別だけれど――」
「お断りいたします」
視線を向けた命が即断即決で自身の提案を拒否すると、予想通りの結果に静利は肩を竦める
「という訳よ」
悪神の影響を受け、通常ならば街中に出る様なものではない高位の妖魔が跋扈する今の花枕の機能など信用できない
この国と世界を守る天伺官として、邪神の天巫の命から目を離すわけにはいかない以上、その選択が最善だった
「もちろん、滞在費や生活費として少しは出させてもらうつもりだから心配しないで。――経費で落とすけれど」
さすがに一般人の家に無料で泊めてもらうのも気が引けるため、多少のお礼を兼ねた金銭を提示した静利は、姿勢を正すと改めてその瞳で神無を見つめる
「いいかしら?」
「えっと……はい」
この街の現状と真実を知ってしまった今、もはやそれは他人ごとではない。それを解決しようとしてくれる静利を拒絶するのは憚れた神無は、その提案を受け入れることを決める
(そうだ。この人達の近くにいれば、全部確かめられる。この街がどうなっていたのか、どうなるのか――それに、歌恋のことも)
もちろんそれは、そういった市民の義務からだけではなく、ここに静利がいれば事態の信仰を間近で見ることができる
二人が告げた花枕の真実を確かめ、知るためにも、それが最善だと判断したからだった
先日送り出した妹の顔を思い浮かべ、決意を新たにする神無の様子に、命と静利は各々が思惑ありげな光を宿した視線を向ける
「よろしく、榊君」
「神無でいいですよ」
一瞬だけその瞳の中に浮かべた剣呑な光を瞬き一つで隠した静利は、家主に感謝の言葉を述べる
「そう? では神無君と呼ばせてもらうわ。私のことも、静利と気軽に呼んでちょうだい」
「分かりました。静利さん」
礼儀は大切だが、あまりかしこまられるのも好まない静利が友好的な関係を求めると、神無は少し照れた様子を見せながらもそれを受け入れる
会っても間もない女性と親しくするのは苦手だが、そのやり取りを命と散々交わしていたこともあって、静利の提案を素直に受け入れるのだった