悪神
「かしこまりました、お義母様」
「私は違うからね」
十和の言葉に命が深々と一礼し、恭しい声音で答えるのを聞きながら、静利は白鞘から太刀を引き抜いて言う
「『金』!」
「任せろ」
開戦の合図とばかりに十和が声を発すると、その声にこたえてこれまで諦観していた老人の姿をした精霊が姿を現し、瞬く間にその姿を変容させる
瞬間、一メートルほどの小柄な身体から、どす黒いほどに歪められた霊力――「瘴気」が解放され、その体躯が一気にその数倍にまで膨れ上がる
「金」と呼ばれたその名にふさわしく、全身を覆うのは輝くような金色の体毛。そして、四つの足に、切れ長の鋭い目と、九本の尾。――一瞬にして変化したその姿は、九本の尾を持つ狐そのものだった
「金!?」
「ほう。覚えておったか、神無」
変容した自身の姿を見て神無が声を発すると、老人の姿から形を変えた狐の精霊――金がその口端を吊り上げて不敵に笑う
「その狐……確か写真に――」
その姿を見た静利は、神無の家にあった家族写真にその姿が映っていたことを思い出して呟く
「儂ほどの精霊になれば、多少姿を変える程度のこと造作もないわ」
神や精霊の中には、いくつもの姿を持っているものや、自在にその姿形を変化させられるものがいる
十和が従える精霊――金もまた、そんな精霊の一柱だった
「悪いが、主の命令だ。お前達を排除させてもらうぞ」
得意気にそう述べた金は、次の瞬間その名と同じ輝くような金色の狐毛に覆われた身体からその霊力を吹き上げる
金の身体から放たれた金色の霊力は、空中で形を成して剣の刃のような形状を取ったかと思うと、そのまま静利へ向けて射放たれる
「金属性の霊力!」
金の霊力によって形作られた金刃が放たれるのを見た静利は、それが金の属性によるものであることを看破して真紅の炎で迎撃する
「ほう」
真紅の炎が自身の金剣の雨を相殺し、拮抗しているのを見て金はその狐目を細めて愉快そうに口端を吊り上げる
「く……ッ」
しかし、炎の力で剣雨を防ぐ静利の表情には一片の余裕も浮かんでいない
霊力が発現する威力は、そこに込められた力の大きさに比例する。金が放った剣は、静利の炎を以ってしても、容易に防ぐことができない濃密で強大な霊力が込められたものだった
「中々やるのぉ。――では、もう少しばかり力を上げるぞ」
「っ」
まるで静利をあしらうように言った金は、人と精霊との存在の格を知らしめるかのように、自身の尾を巨大な金剣へと変化させる
「人間が精霊とどれだけ渡り合えるかの?」
人間よりもはるかに世界の力――陰陽五行属性に特化している精霊の霊力の純度は人間の比ではない
自身の身体から武器そのものへと変化させた金の姿と、そこから伝わってくる霊力の圧に、静利は手にする太刀の柄を握る手に力を込める
(……っ、契約した精霊は主の影響を受ける。おそらくは彼も、もうすでに邪神の――)
自身の身体の何倍も巨大な剣へと自身の尾を変化させてみせた金の力に目を瞠る静利は、その強大な霊力を前にして、唇を引き結ぶ
式となった精霊は、その力を貸す代わりに主から霊力を受けてその存在を維持している。
十和と契約している金は、主を介して瘴気――そして、悪神の力の影響を受けたことにより、その本来の力を凶大なものへと変容させてしまっていた
精霊は人間よりも神に近い存在。故に、悪神の影響を人間よりも強く受けることになってしまい、その強大な力と引き換えに本来の理性が異常をきたしてしまっているのは明白だった
「悪いけれど、加減はできないわよ」
そして、悪神に侵食された精霊を救う術は存在しない。それを知っている静利は、その麗貌を歪めると、金の尾剣の斬撃を回避してその力を昇華させる
「現神顕臨! 〝緋鶴姫〟!」
高められた霊力が魂までをも神の領域へと昇華させ、その存在を半神と呼ぶべきものへと変化させる
紅の翼を持つ姿となった静利は、自身の魂が具現化した太刀に鮮やかな緋色の炎を纏わせ、金色の尾剣を振るう金とその刃をぶつけ合い、霊力と瘴気の火花を散らす
「こちらも行きますよ」
自身の式神である金と、半神となった静利が生み出す火と金の力の奔流を視界の端で捉えながら柔和な笑みを浮かべた十和は、自身の息子である神無と命に抑制された声音で語りかける
「霊器解放・綴雪羅!」
神妙な響きを持つ厳かな声音が紡がれると同時に、十和の両手に二刀一対の剣が具現化する
刀身に穴の開いた金色の柄の双剣を手にした十和は、それにつられるように手にした杖を構える命を見据えて目を細める
「さぁ、いきますよ」
その言葉と共に、刀身に纏う水属性の五行の力を帯びた刃に、更に悍ましい黒闇の力が絡みついていく
「あれは瘴気……!?」
「――悪神の力です」
刀身に絡みつく禍々しい力を見て息を呑んだ神無に、その魂から生まれた杖を構えた命が神妙な表情で応じる
悪神の天巫となったことで、その力を借り受けて行使することができるようになっている十和は、自身本来の力にそれを重ねて戦闘態勢を取る
そして、その力を自身の武器である二本の剣へと注ぎ込んだ十和は、その足で地を蹴り命へ向かっていく
「神無様!」
放たれた矢のように空を奔り、風さえも追い越す速度で向かってきた十和に弾かれたように反応した命は、その力を織り成して守護の障壁を構築する
命が守護障壁を展開したとほぼ同時、その間合いにまで肉薄していた十和の双剣が振るわれた双閃が接触して火花を散らす
「っ!」
硬質な音と共に、悪神の加護を受けた二つの斬撃と命の障壁が相殺され、共に違う形で同じ男を愛する女性が距離を取る
「やるわね」
命の障壁に刃を阻まれた衝撃にかすかな手の震えを覚える十和は、それを展開した黒髪の大和撫子へ不敵な笑みを向け、収束した霊力を渦のようにして放つ
しかし、十和から解き放たれた霊力の渦も、再度発生した命の障壁によって打ち消され、無力な力の欠片となって宙に舞う
「けれど、ままならないものね――私達が何よりも守りたかった息子が、よりにもよって邪神だったなんて」
互いの霊器をせめぎ合わせ、力の火花を散らしながら命を見据える十和は、物憂げな笑みを浮かべて自嘲めいた笑みを浮かべる
それを受けた命は、背後にいる神無へと意識を傾け、その絶世の美貌に寂寥感を宿して応じる
「それは、神無様も――わたくし達も同じです」
十和と悪神が、息子である神無が邪神であったことを悲しむように、神無もまた、両親が悪神とその天巫となっていることを悲しんでいることを命は知っていた
そして、これから自分が告げようとしている言葉が、神無にとってどれほど酷なものであるのかを知った上で、命は義母たる十和を阻みながら淑やかに声を張り上げる
「神無様、ここはわたくしに任せて、世界樹に寄生した悪神を滅ぼしてください」
「っ、分かった」
命の言葉に自分がするべきことを示された神無は、自身の霊器たる矛を握る手に力を籠めて、その身を翻す
そこに見えるのは、本来皇都にある世界樹と通じているはずの神木。世界樹から生え、花枕を守る大樹
それは今、悪神の依り代であり、この街を丸ごと支配するための力を伝播する媒介となってしまっているものだった
(――父さん……っ)
本来街を守るものである樹に宿った悪神。――それが、かつて自分の父であったものだと知ってしまった神無は、それを滅ぼさねばならないことに心を痛め、それでもその力を解放する
「う、オオオオオッ!」
悪神と瘴気の呪縛から両親を解放するべく、神無は渾身の霊力を注ぎ込んだ矛を投擲して天を衝くかの如くそびえ立つ大樹に打ち込む
神を殺す神の力が込められた一撃が世界樹の子樹へと吸い込まれた次の瞬間、瘴気に染まった樹が蠢き、地響きのような音が響く
「っ、一撃じゃ無理か……」
苦悶の声に聞こえる音を聞きながら、大樹を睨み付ける神無は、自分の力を以ってしても、一撃では殺しきれなかったことに歯噛みする
霊器は神無の魂から生み出される武器。故に、神無が一度念じれば、手を離れたその武器を再び呼び戻すことなど造作もないことだ
「次こそ……!」
悪神となった父を殺し、瘴気から解放するため、本心を押し殺して大樹に相対する神無は、渾身の霊力を注ぎ込んで、その刃を巨大化させる
神を殺す力によって構築された身の丈に倍して余りある刀身の長さを持つ矛を握り締めた神無は、それを袈裟懸けに振り下ろして大樹に叩きつける
「本当に悲しいわ」
神無が振るった刃が大樹を斬りつけ、再び地底から響くうめき声を思わせる声を上げさせるのを聞いて、十和は微笑を浮かべたまま言の葉を紡ぐ
「私達の息子が、よりにもよって全ての神の天敵である邪神だったなんて。――でも、お父さんを殺させるなんてできない」
「っ」
十和の口から紡がれるとの同時、その思惑を見抜いた命が反撃に転じようとするのを、地面から生じた瘴気の渦が阻む
「――っ、これは……」
(悪神が寄生した樹の根を介して、力の一端を呼び出したのですね……!)
その力を着物の袖で遮った命は、自身を退けた力の正体を見抜いて、柳眉を顰める
この街を守る御神木に近い位置ほど、守りの力が強くなる。つまり、悪神が宿った御神木を前にしたこの空間は、その力を恩恵として受ける十和にとって十二分に力を発揮できる領域
地下に張り巡らされた世界樹の子の根に満たされたこの空間は、十和にとって無限に力の供給を受けられる場所なのだ
そして、その力によって命を一旦退けた十和は、凛とした姿勢で佇むと、命を見据えて口を開く
「神無は私の大切な息子。けれど、あの人は私にとって何よりも大切な愛しい夫。――そのどちらかしか守れないとしたら、あなたはどうするのかしら?」
姿勢を正し、美しいまでの動きで打ち鳴らされた柏手の音が響いた瞬間、命は花顔を強張らせる
「天神地祇の在らせられます高き原――」
「あれは、命と同じ……」
母の口から奏上される祝詞の真言を聞いた神無は、それが先程の土地神との戦いで命が唱えたものと全く同じものであるのを耳で理解する
それは、天巫が自らの霊力を糧に、仕える神をこの世界に顕現させる力。神世に在る存在を、現世に天降させる儀式だった
「させません」
それを阻もうとする命が霊力を放出して攻撃を仕掛けるが、周囲に張り巡らされた結界がそれを阻む
「っ」
それに花貌を歪める命の視線の先で、結界に守られた十和が召神の祝詞を完成させる
「慈喰!」
そして呼び上げられた神の名と共に、十和が仕える悪神がこの世界に降臨する
世界樹の子樹から吹き上がった瘴気が形を作り、実像を結んで巨大なその姿をこの世界に顕現させる
長い首に、巨大な角を持つ頭部。大きく裂けた口には刃のような牙が並び、その吐息は毒性を帯びた瘴気そのもの
全長十メートルはあろうかという規格外の巨躯の背には蝙蝠のような翼が生え、全身を鎧のような漆黒の鱗で覆われたその姿は、まさに「竜」と呼称するべきものだった
存在するだけで瘴気によって命あるもの、命のないものを蝕み、世界を汚す悪神たる竜は、天を衝くような咆哮を上げる
絶望と狂気を振りまく悪神「慈喰」は、爛々と光るその双眸で自らの息子である神無を睨み付け、その存在を殺す殺意と呪詛が込められた視線を注ぐのだった




