神無の道
「――!」
「神無の父が悪神となった」――十和の口から紡がれたその事実に、神無はもちろん、命も静利も息を呑む
「人柱ね」
「そうよ」
「人柱」とは、その名の通り人間の身体に、神や精霊を封じ込める術法。だがそれは、神や精霊を取り込んで力を使うことができるということではない
人の手に負えない人知を超えた力を持つ存在を人という枷で縛りつけ、半永久的に封じ込める封印の術なのだ
そして十年前に現れた悪神は神無の父――十和の夫へと封じられ、深い眠りについた。
人柱によって封じられているからこそ、花枕の街は瘴気の結界によって外界と隔離されたのだ
「そして、私達はこの花枕を結界で取り込み、街にいる人々を操って来た。愛するあなたが幸せに暮らすための箱庭としてね」
まるで何かを抱きしめようとしているかのように手を広げて言う十和の声音は、誇らしげにその事実を語り、神無への愛情を謳っていた
「……それで、夫となった悪神にそそのかされ、その天巫へと堕とされてしまったのですね」
「夫と共に生きるのは妻の務めでしょう」
そんな十和の言葉に、命は小さく頭を振って、憐れみの表情を浮かべる
人の身で神を封じ込めるなど土台無理なこと。人柱となった以上、神無の父はもはや悪神にその心身を取り込まれ、消滅してしまっているだろう
だが、悪神はあらゆる災禍をもたらし、人を狂わせる魔性の神でもある。封じられながらも、息子を思って心を痛める十和の心へ囁きかけ、自らの天巫としてしまったのだろう
「それで彼のために――いえ、彼のためだけに、街の人たちを瘴気に感染させたのね」
子を思う母の想いに付け込まれ、悪神に魅入られた十和へ憐れみの言葉を向ける命に続き、静利が淡泊な声で言う
「えぇ、そうよ。……だって、あの人たちは、神無をいじめるもの」
ほぼ断定に近しい確信をもっていう静利の言葉に、十和は先程までの柔和な声音が嘘のような底冷えのする冷たい声で言う
「いえ、いじめなんていう生易しいものではないわ。もっと、汚らわしい、忌まわしいものをみるような目で、私達の神無を蔑み、迫害するのよ? そんなこと許せるわけがないでしょう?」
その吐き捨てるような声には、幼い神無を虐げた人々への軽蔑と憎悪が込められていた
悪神に天巫へ変えられた十和は、街の人間に瘴気を感染させ、霊力を持たない神無への迫害やいじめを止めさせた
具体的には、その思考や認識を操り、神無を受け入れるようにしたのだ。その洗脳の力によって、花枕に神無の居場所を作ったのだ
「じゃ、じゃあ歌恋は?」
この世界が自分のために作られたものだと知った神無は、つい先日この街を旅立っていった妹のことを訊ねる
今の花枕の街は、悪神とその天巫である十和が支配している。外からの情報を遮断し、こちらからの情報が漏れないように操作している
ならば、歌恋を皇都へ送り出したのも、その意思ということになる。だが、みすみす歌恋を外へと出てしまうのはおかしい。
そんなことをすれば、最悪この街の異変を歌恋に知られてしまうかもしれないばかりか、この花枕の秘密を暴かれてしまうかもしれないのだ
「もちろん私達が手を回して、外の世界――皇都へ迎えられるようにしたのよ
さすがに、外の世界の人間を操ることはできなかったから、発信元を偽装してあの子の能力データを送ったの。何より、不正をしても、あの子にとっていいことはないでしょうから
だから、皇都であの子の力がどう評価されるのか、審査を通ることができるのかだけが心配だったけれど、歌恋はちゃんとその才能を認められたのよ」
神無の疑問を晴らすように、十和は穏やかな声で答えると、その手を胸に当てて誇らしげに言葉を続ける
「嬉しかったわ。大切な娘を外に出すのは寂しかったけれど、私は母親だもの。娘の才能と力が活かせる場へ送り出すのは当然のことだわ」
すでに外の世界へと送り出した愛娘――歌恋へと思いを馳せる十和の微笑は、心から歌恋の幸せを望む母親のものだった
「なるほど。だから、そんな歪な状態になったのね」
「悪神の影響を強く受けた者特有の精神状態ですね」
整合性に欠けていた歌恋に関する事実を知った静利が納得して言うと、命がそれに続いて言葉を紡ぐ
「悪神はこの世の災いそのもの。旱魃や飢饉といった天災から、人の狂気までを司っている。その力の影響を受ける天巫が、正常な人間の思考を保っているなんて、到底無理な事よね――悪神の所為で心が歪んでしまうのか、心が歪んでしまったから悪神に魅入られたのかは分からないけれど」
そう言って憂いを帯びた視線を十和へと向ける静利の眼差しには、天伺官としての厳しさと同時に、一抹の同情と憐れみが宿っていた
悪神はこの世界を汚染し、破壊する神々。その力は世界の常理を害し、この世界の理を司る陰と陽の神々の敵でもある
十和がそんな悪神に魅入られ、天巫へと堕とされてしまったのは、悪神を封じ込めた夫の影響以上に、子を想う母の心が原因だったのだろう
霊力を持たず、迫害を受けていた愛する息子。その現実に苦しむ息子をなんとかして救いたいと願い、そしてそんな風に生んでしまった母としての罪悪感。――そんな十和の心と共鳴した悪神の力が、その存在を天巫へと変えてしまったのだ
「なら、彼女をそのくびきから解放するのが私の仕事よ」
そう言ってその腰に佩かれた白い鞘の太刀に手をかけた静利の覇気を感じ取って、神無は神妙な面持ちで訊ねる
「なんとかできないの?」
それが「何とかして母を悪神の天巫から解放できないのか」という意味であることを正しく理解している静利は、一瞬沈痛な表情を浮かべて口を開く
「残念だけれど、それは無理よ。悪神の影響で歪められてしまったとはいえ――いえ、歪められてしまったからこそ、今の彼女はその心に狂おしいほどに忠実なの」
悪神の所為で歪められてしまってはいるが、今の十和の行動原理はその心が望んでいるもの
それは、神無と歌恋、愛する子供たちの平穏と幸せ。花枕を閉ざすこの箱庭の結界世界こそがその表れといえるだろう
「神無」
「!」
だがその時、静利が放つ殺気の混じった霊力を前にしながらも、十和は一切意に介さず愛しい息子の名を呼ぶ
「今まで、声をかけてあげられなくてごめんなさい。でも、お母さんはあなたに――あなた達に私の事を知られたくなかったの
でも、こうなってしまったら仕方がないわ。お母さんと二人で、この街で幸せに暮らしましょう」
「……!」
優しく微笑みかけ、その手を差し伸べてきた十和に神無は思わず息を詰まらせる
悪神の天巫となったその身では、遠くから見守ることしかできなかった痛みを思い返すように、十和は片手で自身の胸の中心を握りしめ、求めるように反対の腕を差し伸べる
「神無。この世界にいれば、あなたは誰にも傷つけられない。迫害も受けずに幸せでいられるの。――だから、お母さんと一緒に暮らしましょう」
これまでは、世界の真実を隠すために神無との接触を避けてきた。だが、それを知られてしまった今、もはや隠しておくことはできない
あの十年前の日以来、焦がれてやまなかった息子との時間を思い描いて、慈愛にも似たん母性を宿す瞳で、十和は神無に微笑みかける
「そんな言葉に耳を貸しては駄目よ」
「神無様!」
静利と命がそれに答えることを拒むように鋭い声を発するが、今の神無の瞳には十和の姿しか映っていなかった
幼い頃、霊力が使えない事で、生きていることが苦痛に思えるほどの毎日を送っていた。記憶の奥底に封じ込めてはいたが、自分を見る人々の嫌悪と忌避の眼差しを思い返すと、今でも身体が震えてくるようだ
その上、自分は「邪神」だとも宣言されている。そんな存在であると知られれば、またどんな目で見られるか、どんな風に思われてしまうのか分からない
「……分かった」
幼かった頃の迫害と、それが失われたこれまでの生活、そして自分の目で見てきたものと、十和の言葉の全てを思案した神無は、その口から絞り出すようにして言葉を発する
「…………」
「なっ……!? あなた、何を言って――」
その言葉に命が淑やかな面差しを崩さないまま視線を送り、静利がその凛とした表情に動揺とも焦燥とも取れない表情で声を発する
「母さんのしてきたことや、気持ちは分かった。でも、母さんのお願いは聞けない」
「!」
無意識の内に鋭くなってしまっていた自分の言葉を遮るように、十和へ向けて真っ直ぐに言い放つ神無に、静利は思わず声を詰まらせる
その視線の先では、例え歪められていても純粋な息子への想いに突き動かされる母の誘いを断った神無が十和と向かい合う姿があった
「なぜ?」
「母さんの気持ちは嬉しいよ。きっと、母さんがこんな風に世界を閉ざしてくれていなかったら、僕はどうなってたかわからない。
今の僕があるのは母さんのお陰だと思う。でも、それでも花枕の街を、今のままにしておくことはできないよ」
咎めているわけでも、悲壮感を覚えているわけでもない。ただ、その本心を訊ねてくる母の言葉に、神無は服ごと自分の胸を握りしめて答える
十和が悪神の力を以って、花枕の街を閉ざしていてくれなければ、今の自分はなかったと神無は考える
人としての道を踏み外していたかもしれないし、多くの人を呪っていたかもしれない。それどころか、今日まで生きて来れなかったかもしれない。――自分が、そんなにも強い人間でないことを、神無は誰よりも知っていた
「あなたを虐げてきたこの街の人間に生かす意味があるの? もし花枕の外へ出ても、人間達はあなたを邪神だと敵視するのよ?」
不安に顔を曇らせ、心配した様子で言う十和の声が神無の心に刺さる
「そうかもしれない。確かに母さんの言う通り、僕には花枕をどうしても守りたい理由なんてない」
十和の言葉はもっともだ。この街には大切な思い出はあっても、思い入れはなく、正直に言って花枕を守りたいとは思えない
「――でも、天伺官なら。僕が憧れた父さんと母さんなら、きっとそうすると思うから!」
「……!」
その言葉に、十和は小さく目を見開く
神無には花枕を守る理由はない。だがそんな理由がなくとも人々を守るのが天伺官であり、神無が憧れた両親の仕事だ
そして何より、この街は両親が命をかけて守ったものでもある。それを無にすることはできない
「だから! その気持ちを仇で返すみたいになっちゃうのかもしれないけど、母さんが守ってくれた僕の気持ちは、これ以上花枕の人を操ってまで、今までと変わらない日々を過ごすのはできないって言ってる」
自分を想って母がしてくれたことのために、この街に住んでいる多くの人が瘴気によって操られていることを知った神無は、それを止めてほしいと願っていた
迫害され、好意的な視線など向けられたことのない街の人々に思い入れなどは無いかもしれない。だが、自分のために母がこれ以上人を傷つけることは嫌だった
「僕は、これ以上僕のために、母さんにこんなことをさせたくない!」
「神無……」
かつて、その幼い記憶の中にある優しい母の面差しを思い返しながら、神無は握りしめた拳に込める力を一層強くして言う
十和がこんなことをしたのは、それだけ十和が母としての愛情と優しさに満ちていたからなのだと神無は確信している
霊力を持たない異端児として生まれた自分に対し、十和は惜しみない愛情を注いでくれた。普通ならば、そんな子供を忌避したり、遠ざけたりするだろう
だが、十和はそれをしなかった。それがどれほど神無を救っていたかしれない。しかし、それでも十和のしていることは、法と道徳に照らして正しいとは言えない。――だからこそ、愛ゆえに犯した母の過ちを、神無は息子として、親の間違いを正さねばならないと考えていた
「見て。僕はもう一人じゃない。僕のことを支えてくれる人がいる。だから――」
手を広げ、自身の両側に佇む命と静利を示して見せた神無は、十和の瞳をまっすぐに見つめ、訴えかけるようにして言う
「もう大丈夫だから」
命と静利に視線を配り、自身の胸に手を当てて告げた神無は、これまでの母の想いに報いるべく、己の思いを言葉に変える
「――もう、守ってくれなくてもいいんだ。いつまでも母さんに守られてばかりはいられない」
自分はもう守られるばかりの子供ではない。自分の目で見て、自分の頭で考えて、責任を伴う行動を以って生きる〝一人の人間として〟生きていけると、神無は強く訴えかける
そんな神無のまっすぐな視線を受けた十和は、寂しげな苦笑と共に肩を竦めると、温かな眼差しを向ける
「……やっぱり、神無も男の子ね。私の手の届かないところに自分から飛び出して行ってしまうんだもの」
そう言って神無を見つめる十和の声はどこまでも柔らかく、母としての愛情と、自分の許を巣立っていく子供の成長を寂しく思う複雑な親心を表していた
「ありがとう。母さん……今日まで守ってくれて」
「ごめんなさいね。神無……あなたを守ってあげられなくて」
神無から十和へ、そして母から子へ。互いに感謝と謝罪の言葉を述べた二人は、それぞれへの思いを胸にして訴えかける
「だから、もう花枕の街を悪神の結界から解放してあげて」
自分のために悪神の天巫となった母に胸を締め付けられるような思いに苛まれながら声を張り上げた神無に、十和は優しく微笑みかける
「気に病まなくていいのよ、神無。子供が一人立ちするのが嬉しくない親なんていないわ。少し寂しいけれど、子供はいつか親の手元から巣立っていくものだから」
愛する息子が自分の手の中から巣立ち、一人の人間として自分の人生を歩みだそうとしているのを微笑ましく見つめながら、十和は瞬き一つでその表情を刃のように研ぎ澄ませる
「でも、そのお願いは聞けないわ」
神無の願いを分かっていながら、それを否定する言を述べた十和は、それに表情を曇らせた息子を見て自嘲めいた笑みを浮かべる
「私、子離れできない親だから――我儘だと分かっているけれど、あなたを手放したくないの」
肩を竦めるようにして神無に答えた十和は、次いでそれぞれの霊器を構えている息子の同伴者である二人の美女――「命」と「静利」へ向ける
「あなた達はどうなのかしら? この世界で神無とずっと一緒に安全に暮らすつもりはない?」
先程神無に拒絶された言葉を改めて問いかける十和に、真っ先に命が口を開く
「無論、決まっております――わたくしの心は、神無様と共に」
錫杖の形をした霊器「玉盃」を構えた命が恭しく答えると、白い鞘に納められた太刀の霊器「鴇茜」を構えた静利がそれに続く
「私は天伺官よ。なら、悪神の天巫となったあなたに従うことはできないわ」
それぞれがそれぞれの在り方で自分と敵対する意思を示したことを理解した十和は、満足しているとも、物悲しく思っているとも取れる笑みを浮かべる
「私から、その子を連れて行きたければ、私を倒していきなさい」




