再会
「花枕庁舎」――それは、この花枕の政治の中枢となる建物にして、世界樹の子樹である「豊蘖」が生えている場所の事だ
世界に根を張っている大樹「世界樹」は、それそのものが世界に巡る気の流れ――「龍脈」だ
その本樹は皇都に在り、世界各地に張り巡らされた根から、新しい世界樹の子樹が顔をのぞかせている
霊力を浄化し、その力を以って守りの結界の要となる世界樹、その蘖である豊蘖がある場所こそが、都市の中枢――「庁舎」なのだ
だが、今ここには誰もいなかった。まさにもぬけの殻と言わんばかりに人の気配はなく、それが逆に不気味さを引き立てている
街の政を司るこの場所に人がいない――その事実がすでに、この場所が悪神の住処であることの証だった
「ここが、庁舎の中心……」
息を呑んだ神無が周囲を見回す傍らで、白い鞘に納められた太刀を手にした静利は、眼前にそびえ立つ巨大な樹を神妙な面差しで見つめる
「これが、花枕の豊蘖……」
庁舎の中心――地面から空まで吹き抜けになったそこには、街の至る所に張り巡らされ、芽を伸ばしている世界樹の子樹とは比べ物にならないほどに大きな樹がそびえ立っていた
髙さは軽く百メートルを越え、太さもまた一周が数十メートルはあろうかというほどに逞しい。
大きく広げられた枝には、眩いほどに鮮やかな新緑の葉と、美しい桃桜色の花が咲き誇っており、力強さと儚げな美しさを備えた荘厳な佇まいで鎮座している
「初めて見た……」
保安上の理由から、限られた人物にしか見ることのできない世界樹の子木の勇壮な姿に、神無は感動にも似た感情を抱きながら見入っていた
「ここまで来てしまったか……」
「!」
その時、静寂に包まれた空気を震わせる皺がられた老人の声が響き、神無はすでに臨戦態勢に入っていた命と静利に倣うように身構える
「残念じゃ」
それに答えるように、天まで吹き抜けになった庁舎の中心にそびえ立つ世界樹の子木の前に、小さな煙と共に一メートルほどの老人の精霊が現れる
「――っ!」
その身に鬼火のような幽かな揺らめきを纏った老人は、歌恋を見送った時はもちろん、これまで霊力の素養のない神無を気にかけ、時折姿を見せてくれていた精霊だった
「なんで、あなたが……」
「分からんか?」
想像だにしていなかった人物が現れ、思わず呻くような声を漏らしてしまった神無に、老人の精霊は感情の抜け落ちた冷ややかな声を返す
その言葉で、神無は確信せざるを得なかった――元々、先程現れた時点で、その予想は十分にできていた。だが、何かの間違いであってほしいという、神無のささやかな願いは、老人精霊自身の言葉で否定されてしまった
――それは即ち、この老人精霊こそが、花枕を外界から隔離して閉じ込めた人物、あるいはそれに限りなく近しい場所にいるものなのだと。
「あなたが主犯かしら?」
「違うぞ、皇都の天伺官。儂はあくまで使いに過ぎん――我が主の、な」
刃のように研ぎ澄まされた静利の鋭い声に冷淡な声で応じた老人精霊の言葉を合図としたかのように、その背後の空間が揺らめき、そこに白い面で顔を隠した黒ローブの人物が姿を見せる
「!」
まるでそこに透明な板でもあるかのように空に立つ白面の人物を前に、静利と命は険しい表情を向ける
「――っ、この強力な瘴気……あなたは――」
「悪神の天巫ですね」
その人物を前にした静利と命は、その身体から漂って来る醜悪なほどに歪んだ霊力――「瘴気」の力を感じ取って各々の霊器を構える
「悪神の天巫――悪神に魅入られ、悪神に仕える身となった者。ということは、やはりこの花枕の街を結界に閉ざしていたのは、十年前に討伐されたと思われていた悪神だったのね」
目の前にいる白面黒ローブの人物が、悪神の天巫であることを見て取った静利は、今までの情報から、不明瞭だった事柄が輪郭を得て確信へと変わるのを感じていた
「天巫」は、神に仕えることでその力の一端を借り受ける者。そして、天巫を選ぶのは神自身だ
そしてここに、悪神に仕える天巫がいるとなれば、花枕の街を結界で包み込み、外界と隔離した犯人は、悪神であることは明白
そして、十年前に起きたという悪神の襲来と合わせれば、その事実にいき着くのはさほど難しいことではなかった
「ええ、そうよ」
静利の言葉を受けた白面黒ローブの天巫は、しばしの沈黙を置いて、観念したように口を開く
顔を完全に隠す白い面を被っていようと、天巫は女性しかなることができないもの。その下から聞こえてくる声が女性のものであるのは、当然ともいえることだった
「ッ!?」
「……神無様?」
だが、悪神の天巫たる女性の声を聴いた瞬間、目を見開いて顔を強張らせる神無の異常な反応を見て取った命は、その柳眉を顰めて訝しげに問いかける
「この声、まさか……」
だが、そんな命の声など耳に入らないと言った様子で、空中に立つ悪神の天巫を見開いた瞳に映す神無は、その声に目の眩むような衝撃と戦慄を覚えていた
「そうよ」
そんな神無が呻くように声を絞り出すのを受けた悪神の天巫は、その疑問に答える形で穏やかな声を返し、そして己の顔を隠している白面を取り去る
その下から零れてきたのは、長い亜麻色の髪。わずかにウェーブした柔らかな明るい茶髪を軽く手で整え、ローブのフードを取り去った下から現れたのは、二十代後半から三十代前半の美女だった
「母、さん……!?」
「!?」
その人物の姿を見る神無の口から零れた言葉に、命と静利が小さく目を瞠る
「確かに、あのお顔は……」
それを見て、改めて悪神の天巫へと視線を向けた命は、その顔が神無の家にあった家族写真に写っていた人物と同じであることを確認する
(ですが、あの写真と全く同じ――?)
そして、それと同時に命はその顔が写真に写っているその人物――神無の実母と全く同じであることを再確認していた
神無の家にあった写真は、十年前のもの。ならば、今目の前にいる神無の母親は、十歳以上歳を経ていなければならない
だというのに、その姿は十年前と全く変わっていない。それはまるで、写真から抜け出てきたかのような――あるいは、時が止まってしまったかのような印象を嫌が応にも感じさせる様子だった
「大きくなったわね。嬉しいわ――もっとも、私はこうして、ずっとあなたを見守っていたのだけれど」
そして、その正体を明かした悪神の天巫――神無の母は、優しく目を細め、白昼夢にでも遭遇したかのような表情を浮かべている神無に微笑みかけると、次いでその視線を命と静利へ向ける
「それに、いつの間にかこんな綺麗な女の子を囲っているなんて、さすがは私達の息子だわ」
「母さん!?」
両手に花の息子に対し、まるで恋人を連れてきたような反応を見せる母に、神無は思わず声を上げてしまう
緊張感やら場の雰囲気やらを一切足蹴にした母の爆弾発言に神無が抗議する傍ら、姿勢を正した命が恭しく一礼する
「お初にお目にかかります。わたくしは、神無様にお仕えする命と申します」
「命!?」
三つ指こそついていないが、まるで嫁入りするような丁寧な挨拶をした命に、神無がさらに反応して声を上げてしまう
「なんで私まで」
一方、自分まで神無と親しい関係だと思われている静利は、心外だと言わんばかりに呟くが、うっすらとその白い頬が朱を帯びているのを隠すことができていなかった
それは、その勘違いもまんざらではないと思っているのか、あるいは恋人扱いされた恥じらいからの初心な反応なのか、真意をつかみあぐねるものだった
「あら、これはご丁寧に。神無の母の『十和』です」
そんな対照的な二人の反応を見比べた神無の母――「榊|十和《とわ》」は、そう言って微笑むと満足気に命と静利に視線を配る
「二人とも、とっても美人さんね。こんなに綺麗な人を連れて来てくれるなんて、お母さんも鼻が高いわ」
わざとなのか天然なのか、命と静利の二人を神無のガールフレンドだと認識している十和は、笑みを浮かべた表情のままゆっくりと目を開く
「――でも、とても残念。まさか、外の天伺官と邪神の天巫だなんて」
そう言って笑みを浮かべたまま命と静利を見る十和だが、その瞳からは感情が抜け落ちており、その微笑も先程までの柔らかなものではなく、背筋が冷たくなるような酷薄なものへと変わっていた
「かあ、さん……?」
殺気にさえ似た冷たい微笑を浮かべる母に、神無が息を呑む傍らで、その視線を注がれていた静利は、小さく息を吐いて言う
「やはり、そういうことなのね」
「?」
その言葉に神無が怪訝な表情を浮かべると、静利は神無の実母――十和へ射抜くような視線を向けて言い放つ
「分からないの? 今、あなたの目の前にいる人が、この花枕の街を結界に閉じ込めた張本人なのよ」
「――ッ!」
静利のその言葉に神無が息を呑むと、それを受けた十和は口端を吊り上げる
「えぇ、そうよ。その人の言う通り」
拍子抜けするほどあっさりと認めた十和は、悍ましい内容を話しているとは思えないほど穏やかに微笑んでいた
「なんで……?」
死んだと思っていたはずの母が生きていただけではなく、その母が悪神の天巫となって、この街を結界に閉ざしていたという現実に動揺する神無が呻くように呟く
「あなたのためよ、神無」
「……え?」
その独白のような声を聞き逃がさず、かすかに記憶に残るそれと全く同じ笑みで答える母に、神無は呆けたように目を瞠る
「覚えているでしょう? 小さい頃、霊力を持たない所為でどんなにつらくて苦しい思いをしてきたか」
そんな神無に慈愛と憐憫の視線を向ける十和は、その顔を苦しそうに歪めて語りかける
「それは……」
十和に訊ねられた神無は、記憶の奥に眠っていた過去を思い返して言葉を詰まらせる
「……」
十和への警戒を怠ることなくその話に耳を傾けていた静利は、虐められていたことを告げられた昨晩の神無との話を思い出して胸を締め付けられるような思いを抱く
誰もが当たり前に使えるはずの霊力を使えない。木火土金水――五行の属性の全てに適性を持たない、そんな人物に人々がどんな感情を抱くのかは、想像に難くない
一つは、何の力も持たない侮蔑と、それに伴う優越感。一つは忌避や嫌悪、そして自分達と違う存在に対する恐怖。
自分達と同じ形をしていながら、自分達と全く異なる存在を前に、他の人に接するようにしろというのも酷な話なのかもしれないが、どこにでもいる平凡で普通の人たちは、そういった異質を恐れるものだ。
子供の純粋であるがゆえに残酷な世界。大人の賢知であるが故の排他的で陰湿な視線。そういったものに晒されたであろう神無の苦悩は、誰にも想像することすらできないだろう
「だから、この街の人たちが神無の事を虐めないようにしたの」」
「っ!」
こともなげに言う十和の話に、神無と命、静利はわずかに目を瞠る
(確かに、いつの間にかそんないじめはなくなってた……人と極力触れ合わないようにしてたから、そんなものだと思ってたけど
そういえば、あれは十年前のあの事件の後くらいからだった……!)
幼い日の辛い思い出を呼び起した神無は、同時に今だからこそ気付くことができる事実にも思い至る
霊力が使えないことによる神無への差別は、いつの間にか表立ったものはなくなっていた。
当時、つらい経験から人とのかかわりを避けていたこともあり、当時の神無は差別がなくなったのは他人との関係が薄くなったからだと思っていた
しかし、指摘されて思い返してみれば、そういった迫害が失われたのは、十年前の悪神の襲来の後あたりから――つまり、この花枕の街が外界と閉ざされてからということになる
「お父さんとお母さんはね。ずっと、あなたに申し訳なく思っていたわ。そして、何とかしてあげたいとずっと思っていたの」
抑揚のない声で紡がれてはいるが、その言葉からは神無への深い愛情と十和の苦悩が感じ取れる
神無が差別を受けて苦しんでいたように、その両親――十和と夫もそれに心を痛めていた
特に母である十和は、「どうしてそんな風に生んでしまったのか」、「普通の子に産んであげられなかったのか」と己を責め苛んでいた
神無に惜しみない愛情を注いでいた十和とその夫は、親としてなんとか愛する息子を救いたいと思っていたが、天伺官であった二人からしても、霊力が全く使えないというのは異質だった
息子を迫害している者達の気持ちが分かるなどというつもりはない。だが、それをどうやってなくすのか、なくせばいいのかは分からなかった
「そんな中起きたのが、あの悪神の襲来事件。多くの天伺官が死力を尽くして戦って、悪神を弱らせることはできたけれど、殺すことはできないと悟ったの」
十年の時を経て、大きく成長した愛する息子との会話を噛みしめる十和は、憂いを帯びた瞳に神無を映して神妙な面持ちで言う
「まさか、あなた方は……!」
その言葉を聞いていた命が息を詰まらせると、十和はそれを聞いて小さな笑みを浮かべる
「さすがは邪神の天巫。気付いた様ね」
命の考えを見透かしているかのように応じた十和は、一旦言葉を止めると、たっぷり一拍以上の間を置いてから口を開く
「――そうよ。お父さんは、自分自身を人柱にしてその悪神を封じ込めたの。そうやって、お父さんは新しい悪神になったのよ」




