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神の巫女



「――……」

 霊力を回復させるための深い瞑想に没入し、閉じていた瞼を開いた静利は、もたれかかっていた木から身体を起こす

 その視線の先にあるのは、術によって作られた円蓋の空間。外から中を窺うことが出来ない神殿が光と共にほどけ、そこから二つの影が現れる


「間に合ったようね」

 神無(かみな)(みこと)がその中から現れたのを見た静利は、ゆっくりと腰を上げる

「はい」

 楚々とした花のように淑やかに傍らに控える(みこと)を一瞥した神無(かみな)は、晴れやかな表情で答える

「あまり変わっているようには見えないわね。なんというか、もう少し見た目が変わるものだと思っていたわ」

神無(かみな)様は神無(かみな)様ですから」

 率直な感想を述べる静利に対し、(みこと)が淑やかな声で応じる

「彼は邪神になったのよね?」

「はい」

「なら、行きましょうか。頼りにしているわよ」

 (みこと)に確認を取った静利は、それ以上何も言うことなく、花枕の庁舎から天を衝いて伸びる瘴気の柱へ視線を向ける

 今自分が成すべきことだけをやり遂げるべく、充実した霊力と気力を漲らせる静利の言葉に共感するように、神無(かみな)も頷く

(この街を悪神から解放するんだ)

 悪神によって支配されていることを知った神無(かみな)は、自身の故郷を守るために戦う決意を確かにすると、(みこと)、静利と共に花枕の街へ向かって駆け出すのだった



※※※



 天を衝く瘴気が吹き荒れていても、街の様子はいつもと変わらなかった

 人々が街を行き交い、車が道路を往来する。当たり前のように行われているその日常が、この街の異常の証そのものだった

「止まってください」

 そんな街中を、瘴気が噴出している庁舎へ向けて走っていた神無(かみな)達を、緊張感を帯びた(みこと)の声が引き止める

 (みこと)の霊的知覚能力はこの三人の中で最大。周囲に展開した術によってレーダーのように状況を把握していた

「あれは……」

 そして、そんな(みこと)に遅れること半瞬、神無(かみな)と静利の前に、建物の影やまっすぐ整備された道の向こうから続々と人影が現れる

 それは明らかに神無(かみな)達の進路をふさぐ目的を持った者達。年齢は二十代ほどの若者から老年までと幅広く、男も女も関係なく入り混じっている


 だが、その中で全員に共通している点が一つだけあった。それは、その身を包む衣装

 男性用、女性用の違いこそあれど、共通のデザインの下に作られていることが一目で分かるそれは、この全員が同じ組織に属していることを証明するものだった


「この街の天伺官達でしょうね」

 それを見た静利は、即座にその正体を看破して表情を険しいものへと変える

 彼らは本来、この花枕の街を守る役目を帯びた天伺官達。しかし、今の彼らは、悪神によって操られ、その意思を叶えるための私兵とされてしまっていた

「この街に害をなす者は排除する」

 操られているというよりは、その意識を改変されている天伺官達は、しっかりとした眼差しで神無(かみな)達を敵として認識し、街と民を守るために鍛え上げたその力を解き放つ

 霊力の昂ぶりと共にその手には、各々の霊器が顕現し、ある者は「式」と呼ばれる精霊を召喚して従えていた

「っ」

 それを見て歯噛みする静利の前で空間が歪み、そこから奔出した瘴気が実体を以って異形の怪物として顕現する

「それに妖魔まで……」

 天伺官と、本来人に害をなす瘴気の化身たる妖魔――本来敵対関係にあるはずの者達が共同戦線を築き立ちはだかっている様子は、まさに異質だった

 誰一人、妖魔一人、その異常さに気付かずに共に戦場に立っているその姿に、静利はこの先にいる悪神の力を予測しつつ、視線を険しくする

「凄い数ね。時間もないというのに」

 天を衝く瘴気の柱がこの街にどのような被害をもたらすか想像もできない以上、一刻も早く事態を収拾する必要がある

 可能な限り消耗を抑えたいというのが本音だったが、力を温存して間に合わなくなってしまっては本末転倒。――顕現させた太刀の柄に手をかけ、力を解放しようとした静利の前に、流れるような所作で艶やかな黒が翻る

「あなたは、わたくし達の後からついて来てください。このようなところで折角回復した霊力を消耗していただいては困りますので」

 静利の前に移動してその戦闘行動を止めた(みこと)は、首だけを動かして柔らかな微笑を向ける

 それに続くように、その霊である矛を手に歩み出てきた神無(かみな)が、(みこと)と肩を並べる位置に立つ

「大丈夫なの? この数はさすがに多すぎると思うけれど――」

 自分に背を向けたまま語りかけてくる(みこと)の声に、太刀の柄にかけていた手の力を抜いた静利は、 天伺官と妖魔の軍勢を見て訊ねる

 ここにいる数は一見して百は下らない。この数をたった二人で相手にするのは無謀としか思えなかった

「まさか、ここで彼を神として解放するつもりなの?」

 その時、不意に脳裏によぎった手段に、静利が困惑した声で訊ねる

 契りを交わし、邪神として完全な覚醒をした神無(かみな)ならば、その力を解き放てば、ここにいる者達を一掃することも難しくはないだろう。だが、それを行うのだとすれば、静利には一つ懸念があった

天巫(あめなぎ)の召神は私達の現神顕臨と同じ。いえ、神という強大な存在を呼び出す分、霊力の消耗も激しい。

 いくらあなたでも、そう何度も長期的に行えるものではないと思うのだけれど?」


 神として覚醒したからといって、神無(かみな)が常時その力を使えるわけではない。神無(かみな)が神としての力を完全に使うためには、神を降臨させる天巫(あめなぎ)の力が必要だ

 だが、その力は消耗が激しいのが常。精霊である(みこと)は人間の天巫(あめなぎ)に比べれば、霊力の総量が多いのは間違いないが、だからといって悉く神を滅ぼすという邪神を召喚し続けられるほどとは思えなかった


「そうですね。あなたの仰る通りです――ですから、今回は別の方法を取ろうと思います」

 そしてそんな静利の考えを肯定した(みこと)は、しかしなんらその淑やかな微笑を崩すことなく答える

神無(かみな)様、申し訳ありませんが、少々時間を稼いでいただけますでしょうか?」

「任せて」

 天巫(あめなぎ)として神に願う恐れ多さと、女として殿方に願う恐縮から来る声音で言う(みこと)に、神無(かみな)は快く応じる

 そしてその表情を引き締めた神無(かみな)は、黒刃白柄の矛を強く握りしめると、地を蹴って駆け出す

「オオオオッ!」

 まるでそれを待っていたかのように動き出した天伺官と妖魔達に向かっていく神無(かみな)は、矛に注いだ霊力を解放する

 斬撃と共に放たれた霊力は衝撃波となって直撃し、炸裂した力によって天伺官と妖魔達を吹き飛ばす

「……っ!」

(さっきまでとは比べ物にならないほど力が強くなっている――これも、契りを交わした結果なのね)

 その力の迸りを感じた静利は、矛を振るった神無(かみな)の後ろ姿を見て、内心で独白する


 (みこと)と契りを交わした神無(かみな)は、今まで一つに混在していた神と人の両面を正しく共存させ、分離することに成功している

 その結果、神という存在によって阻まれていた神無(かみな)の人間としての力が正しく機能するようになり、十全の力を振るうことができるようになったのだ


(それでも、不利は否めない。現神顕臨を使えるような実力者は混じっていないようだけれど、それでも歴戦の天伺官と、この強大な妖魔達を抑えるには――)

 だが、それでも静利は冷静に戦況を分析して、神無(かみな)(みこと)の不利を結論付ける

 数はもちろんのこと、悪神の力に支配された妖魔達は強大なものばかりの上、半神になれなくとも天伺官達は侮れるものではない


 冷静に分析する静利の視線の先で、瘴気によってこの世の理を外れた身体と力に任せて襲い掛かってくる妖魔達を神無(かみな)が放った漆黒の炎が呑み込む

 それは、霊力で生み出された炎。しかも神を殺す邪神の力を持った黒い炎は、妖魔達の存在を構築する瘴気を滅ぼし、跡形も残さずに滅ぼす


「はあっ!」

 炎の力によって妖魔達の波状攻撃を凌いだ神無(かみな)は、間髪入れずに自身の霊力を込めた矛を地面に突き立てる

 するとその力が大地に浸透し、次の瞬間大地が盛り上がり、土が壁となって天蓋を形成して(みこと)と静利を包み込む

(さっきは火、今度は土――まさか、五行属性の全てを使えるというの?)

 神無(かみな)の力によって制御された土壁が生み出す影が落ちるのを見据えながら、静利はその瞳に驚愕の色を浮かべる

(これも、邪神の力というわけね)

 「木」、「火」、「土」、「金」、「水」の五行属性は一人に一つと決まっている。それを複数同時に持つなど、まさに規格外と言わざるを得なかった

「!」

(空気が清浄さを高めている? これは――)

 そんな神無(かみな)の力に目を奪われていた静利だったが、周囲を取り巻く空気が変わっているのを感じ取って視線を向ける

 その視線の先にいるのは、楚々とした居住まいで淑やかに佇む黒髪の巫女――「(みこと)」。呼吸を整える邪神の巫女を中心に、その周囲の空気が神聖なものへと塗り替えられていた

天巫(あめなぎ)が神に奉じる際に展開する神域ね)

 自らが仕える神の力を使う際に天巫(あめなぎ)が作り出す自らの霊力で清められた空間

 神域を展開し、厳かに佇む(みこと)は、自分に目を向ける静利など気にも留めず、集中して霊力を織り成していく


 その手に霊器を携えた(みこと)が、天巫(あめなぎ)としてその力を使わんとしていることを一目の下に察した静利は、声をかけずにその様子を見守る

 自らの呼吸と霊力によって〝場〟を整え、準備を終えた(みこと)が軽く手首を翻すと、その手に何も持っていないにも関わらず、まるで鈴の音のような澄んだ音色が響き、空に波紋を生み出す


「これは〝神楽舞〟」

天巫(あめなぎ)は様々な方法で神と通じる。神を召喚する際の〝祝詞〟が代表的だけれど、こういう神楽舞もその一つ

 〝神威拝借〟――神そのものを呼び出すのではなく、その一端を借り受ける天巫(あめなぎ)の御業ね。――なるほど、これなら霊力の消耗を最小限に抑えることができる)

 霊力を奏で、自らを器とすることで神の力の一端を下ろす天巫(あめなぎ)の舞に、静利は目を奪われていた


 清められた空間でゆっくりと舞う(みこと)は、その絶世の美貌も相まって、息をするのも忘れるほどの神秘を生み出している

 霊力がその身体の動きに合わせて波紋のように波打ち、心を清めるような澄んだ音を奏で、採物の役目を果たす霊器杖をそれに合わせてしなやかに振るう

 神の力を借り受ける対価にして儀式たる舞を奉納し、それによって生じる様々な霊力の波紋が霊器へと収束すると、その先端に力が灯る


「神懸」

 それを感じ取った(みこと)が厳かに言の葉を紡いだ瞬間、霊器に収束した霊力は神の力となって解放され、球状に広がっていく

 まるで夜空を思わせる銀白光を内包した闇色の球蓋は一気にその規模を広げ、周囲一帯を呑み込む


 その瞬間、天伺官、妖魔を問わず、その身体からなにかが立ち昇り、天高く掲げられた(みこと)の杖の先端へと吸い込まれていく

 それに合わせて天伺官達が持つ霊器が形を失い、妖魔達の身体が崩れてそこへと取り込まれていく


 それに伴い、神無(かみな)の力がさらに高まりを見せ、霊器と力を失っていく妖魔達を圧倒しはじめる

「これは……まさか霊力を吸い取って、彼に還元しているの!?」

 (みこと)の神懸の力によって作り出されたその光景見た静利は、初めて見る邪神の力の一端に息を呑む

(まるで五行相生! 邪神はこんなこともできるというの!?)

 それはまるで、(みこと)あるものが死に、土に還って新たな(みこと)を育む糧となるように、雨がやがて雲になるように、世界を成り立たせる循環の理を思わせる力

 他者の霊力を奪い、更に自分の力へと還元して見せる邪神の力に、静利は自分の身体が戦慄くのを感じていた

「うおおおっ!」

 その霊力を受け取った神無(かみな)が矛から放った霊力が波濤となって天伺官と妖魔達を押しながし、さらにそれを氷結させて氷の中へと閉じこめる

「これが邪神とその天巫(あめなぎ)の力……」

 取り込んだものの霊力と身体を凍てつかせ、封じ込めた氷の檻を見て、静利の口から白い息と共に感嘆と畏怖の入り混じった声が零れる

「ありがとね、(みこと)。疲れてない?」

「お心遣いありがとうございます。多少は消耗しましたが、これなら許容の範囲です。

 神無(かみな)様もお見事でした。この氷の封印はいずれ溶けるでしょうし、これで中の方々が(みこと)を落とすようなこともないでしょう」

 あれほどいた天伺官と妖魔達がこれほどの短時間で制圧された事実を前に立ち尽くす静利を横目に、神無(かみな)(みこと)は気の抜けた様な会話をしていた

「初めてだったけど、上手くいってよかったよ」

「霊力は自分の魂そのものです。無理に制御しようとせず、息をするように自然に使えば、おおよその制御はできるものですよ」

 その会話を何気なく聞いていた静利の脳裏に、不意に電流が奔る

(――待って。

 彼女は、彼を神として顕現させておく霊力の消耗を懸念して神楽舞を使った――けれど、もし彼らやこの街の人を顧みずに悪神を倒そうとしていたなら……)

 一度思い至ってしまえば、その懸念は現実味を帯び、静利の瞳に戦慄の感情となって現れる


 そう。静利はこの時気づき、そしておそらくそれは間違っていないと確信していた


 神無(かみな)が神としての力を使えば、今この瞬間にこの街をまるごと消し去ってしまうことができるという事実に


「さあ、参りましょう」

「――えぇ」

 こともなげに語りかけてくる(みこと)の問いかけに努めて平静を装いながら応じた静利は、先を行く二人の後ろ姿を見ながら震える拳を握り締めるのだった



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