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契りの時




 目を見開いた神無(かみな)の視界に映ったのは、花枕の街の一角から天を衝いて噴き上がる穢れた霊力――「瘴気」の渦

 まるで火山の噴火のように天を穿ち、先程まで晴れていた花枕の街を暗い雲で覆っていく瘴気の密度と規模は、間違っても人が生活している圏内で生じていいものではなかった


「この瘴気は危険だわ。こんなものに晒されたら、この街がどうなってしまうか分からない」

「!」

 まるで物理的な力を以っているかのような瘴気に戦慄く身体を抑えつけた静利は、見ているだけで呑み込まれてしまいそうになるその力を睨み付けながら言う

 本来なら、即座に避難(みこと)令が発せられなければならない瘴気の力だが、街にそういったものが発せられる気配は一向に無かった

「あの場所には何があるの?」

「あそこは、多分庁舎です」

 瘴気が吹き上がった場所を指さし、訊ねてきた静利の問いかけに神無(かみな)は目を細めてそこを凝視しながら答える


 庁舎とは、その街の政治、霊脈の中心となり、全ての都市機能を司る執政機関が本拠地を置く場所

 都市のそれはもちろん、国の機関、そして街に暮らす人々の情報全てが集積されている場所といえる


「やはり、そこになるのね」


 神無(かみな)からその場所を聞いた静利は、この事態を見越していたかのような言葉と共に、瘴気を吹き上げる花枕庁舎を見据える

 その険を帯びた視線に怪訝な表情を浮かべた神無(かみな)の疑問に答えるように、さりげなくその傍らに寄り添った(みこと)が淑やかな声で言葉を紡ぐ

「庁舎には世界樹の力を伝える世界樹の別樹――〝ひこばえ〟があります。

 街中に霊力を張り巡らせるその力を逆に利用すれば、この街を覆う結界を作ることも可能になります

 この街が外界から閉ざされていると分かった時点で、あの場所はその中枢として考えられる最有力の場所でした」


 世界樹とは、街の至る所に映えている樹。桃桜色の花を咲かせるそれは、世界中で繋がり、妖魔や悪神から都市を守る結界を展開する役割を担っている

 各都市には、皇都にある世界樹の本樹の子樹にあたる「蘖」が生えており、それが都市を守る世界樹として機能している

 逆に言えば、世界樹の根はその都市全て繋がっており、それを介することで、街中をその力に影響階に置くこともできるのだ


「おそらく、あそこに悪神がいます」

「!」

 そして、締めくくるように告げられた(みこと)の言葉に、神無(かみな)は瞠目して息を呑む


 蘖が理論上都市全てに干渉できるとはいえ、それを実際に行うことは困難を極め、実現は限りなく不可能に近い

 それができるとすれば、よほどの力を持った神か悪神――あふれ出すこの禍々しい瘴気からそこに悪神がいることは確実だった


「土地神を悪神へ堕としたのは、間違いなくそいつね」

「はい。しかもこの力、土地神様よりもはるかに強力です」

 本来土地神を堕とすのは容易なことではない。だが、街中――引いては、世界中に張り巡らされている世界樹の根を介して干渉されれば、さすがの土地神の悪神へと堕ちてしまうだろう

「どうするの?」

 庁舎から天を衝いて噴き上がる瘴気を見ながら意見をすり合わせる(みこと)と静利の話を聞いていた神無(かみな)は、二人にこれからの行動を訊ねる

 今、花枕の街は神無(かみな)にでも分かるほど、禍々しい瘴気に覆われている。このままでは、土地や空気が瘴気に侵食されて生(みこと)が存在できない場所になってしまうだろう

「こうなったら行くしかないわ。あんな瘴気を一晩も放置したら、この街は死に絶えてしまう――この街にいる人々も、一人残らず妖魔になるか死んでしまうでしょうね」

「おそらく、あちらはわたくし達に気付いています。土地神様を滅ぼしたのと同時にその存在を表したのがその証拠です

 おそらく、あそこにいる悪神は神無(かみな)様を、自分の領域を脅かす危険な存在として認識したのです」

 庁舎から噴出し続ける瘴気を見据えながら言う静利の言葉に淑然とした口調で応じた(みこと)はその視線を神無(かみな)へと向ける

「ええ。彼が邪神だとすれば、悪神にとっても忌むべき存在。早々に滅ぼしてしまおうと考えるでしょうね」

 神を滅ぼす神である邪神は、悪神にとっても天敵であり、最も警戒するべき存在。そんなものが自分の支配地に現れれば、排除しようと考えるのは当然の事だろう

「それでも、行くしかないでしょう。このままでは街が瘴気に沈んでしまうわ」

 悪神が振りまく瘴気は、もはやこの地の存続に関わるほどの規模。たとえ罠だと分かっていても、応援が得られなくとも、向かわねばならない

 天伺官としての矜持を掲げながらも、価値の目の見えない戦いを前に理性と本能が逃走を選択しようとするのを静利はそれ以上の意志の力で抑え込む

「…………」

 毅然とした態度を見せながらも、その指先がかすかに震えるのを見た神無(かみな)は、かけるべき言葉を見つけられずに表情を曇らせる


 この地にいる悪神の力は先程の宿儺曼荼羅を越えている。本来なら、何十人何百人という規模で隊を組んで戦うべき相手だ

 それに邪神とその天巫(あめなぎ)がいるとはいえ、たった三人。勝機は限りなく皆無に近く、戦いを避けてもこの花枕の街からは出られない――つまり、生きて帰るには悪神を倒す以外に方法はない


「でしたら、少々お時間を頂けませんか?」

 その時、その様子を見ていた(みこと)が淑やかな声で語りかける

「あなたも、先の戦いの消耗を回復する時間が必要でしょう?」

「……何をするつもり?」

 それを受けて視線を向けてきた静利に、(みこと)は普段と変わらない楚々とした様子で応じる


 霊力は魂から湧き上がる力だが、無限でも無尽蔵でもない。しかし、最大量から消耗された分の霊力は、生きて健常な状態を保っていれば、再び回復させることができる

 現神顕臨は強力だが、その分霊力の消耗と負荷が大きい。それを回復させるための時間が必要なのは間違いないが、そんなことをしている余裕があるのかとも考える静利は、(みこと)にその意図を問う


神無(かみな)様」

 だが、静利のそんな凛とした視線を受けた(みこと)は、それに答えることはせずにその視線を神無(かみな)へと向ける

「え? な、なに?」

神無(かみな)様は、この街を救いたいですか?」

 突然話を振られたことにたじろいだ神無(かみな)だったが、(みこと)はそれに構うことなく柔らかな声音でその意思を窺う

 突然話の矛先を変えた(みこと)をいぶかしみながらも、静利はその穏やかな声音に秘められた真剣な意志を感じ取って、そのやり取りを見守る

「もちろんだよ」

 なぜそのようなことを聞かれるのかは分からないが、花枕の街は神無(かみな)の故郷。それが瘴気によって滅ぶのを見過ごすことはできない


「では、わたくしと契りを交わしてください」


「!?」

 その言葉を受けて、淑やかなに微笑んだ(みこと)の言葉に、神無(かみな)と静利は目を見開く

「契り……つまり、神と人たる天巫(あめなぎ)の正式な契約ということね。けれど、彼とあなたはすでに神と天巫(あめなぎ)としての契約を結んでいるのではないの? 神臨の祝詞で彼の力を高められたのは、そういうことでしょう?」

「仰る通りです。ですが、それは通常の神と天巫(あめなぎ)の場合の話です。今の神無(かみな)様は人と神が歪に混じり合い、同時に存在している状態です

 先程の神臨の祝詞も、天巫(あめなぎ)としてのわたくしの力で、ほんの少しだけ力を呼び出したに過ぎません」

 思案気な表情を浮かべた静利の疑問に対し、(みこと)は淑々とした態度で受け止めて答える

「しかし、それでは人としての神無(かみな)様が、神としての神無(かみな)様の力を阻み、神としての神無(かみな)様が、神としての神無(かみな)様の枷となってしまい、本来の力を発揮できません」

「つまり、契りによって神格的に彼を転生させて、神と人の器を作り出すということね」

「ご明察です」

 説明を途中で遮って要点だけの理解を訊ねた静利の言に、(みこと)は簡潔に賞賛の言葉を送る

(契りはいわば結婚。〝男と女〟〝陰と陽〟〝人と神〟――相反するものを結び付け、世界の境界を越えて人の領域に神を招き降ろすための儀式にして、新たなる創造の礎となる神事

 普通の神と天巫(あめなぎ)の場合、それは儀式的な意味合いしかないものだけれど、彼の場合は人と混じって等しくいるために、天巫(あめなぎ)と直接的な契りが必要になるということね――それが邪神だからなのかは分からないけれど)

「つまり、それは邪神を完全に復活させるということよね」

 (みこと)神無(かみな)が契ることで何が起きるのかを正しく見通した静利は、その一言を邪神の天巫(あめなぎ)たる黒髪の大和撫子に向ける

「はい。悪神を倒すためには神無(かみな)様の真のお力が必要です」

 その問いかけに対し、(みこと)は淑厳とした面持ちと声音で応じる

「――……」

(確かに、神を殺す邪神なら、この街を支配する悪神とも渡り合えるかもしれない。――けれど、それはもしかしたら悪神以上の危険を呼び覚ますことになってしまうかもしれない)

 (みこと)のその言葉に、静利は逡巡して唇を引き結ぶ

「あなたが拒むと仰るのでしたら、わたくしは神無(かみな)様を引き止めて同道することを遠慮させていただきます。勝算のない相手になんの対抗手段もなく戦いを挑むなど、ただ無為に命を散らせにいくようなものですから」

「あなたはそうでも、彼がそうではなかったら?」

「あなたを先に行かせ、神無(かみな)様に覚醒していただきます。わたくし達は、すでに昨夜その合意に至っておりますので」

 このやり取りが神無(かみな)に聞かせるためのものであることは明白

 静利は、邪神の天巫(あめなぎ)との対話に慎重に答えなければならないことを感じて、その一挙手一投足に意識を配る

「彼が邪神になることを拒んだら?」

「わたくしの全てを賭して、神無(かみな)様を阻みます。わたくしにとって一番大切なものは、この街でも、世界でもなく、神無(かみな)様なのですから」

 (みこと)の言葉は淑やかで静かな響きで紡がれているが、そこには決して譲ることのない決意と覚悟が感じられた

「私は天伺官よ。この国――ひいては、世界を守るためなら、花枕の街一つを犠牲にする選択も下さなければならないわ」

「あなたがわたくし達を阻むのであれば、その選択もやむを得ないでしょうね」


 この街の情報は外界に漏れない。応援がくることはなく、ここで討ち果たされてしまえば再びこの花枕の街は誰にも知られずに終わってしまうどころか、最悪の場合、悪神が暴れ出すかもしれない

 だが悪神一柱がもたらす危険と、全ての神々の敵ともいえる邪神の危険性を天秤にかけた時、どちらがより大きな被害をもたらすかは想像もつかない

 邪神の復活と、この街に住む人々、引いてはその後に生じる世界の損害を天秤にかけて思案した静利は、苦渋の決断を下すしかなかった


「静利さん。(みこと)は信じられると思います」

 天伺官として、何より人として邪神と悪神を天秤にかける答えのない二択に苦悶していた静利に、神無(かみな)が真摯な視線で語りかける

神無(かみな)君」

神無(かみな)様」

 これまで沈黙を守っていた神無(かみな)の言葉に、静利と(みこと)が視線を向ける

「実際、これまで(みこと)は僕のことを守ってくれました。これ以上、(みこと)を信じないことは僕にはできません」

 神無(かみな)からの信頼を寄せられた(みこと)は、その言葉にほんのりと頬を赤らめて幸せそうに微笑んでいる

 実際、これまでの(みこと)神無(かみな)を助け、その力を引き出すのを静利も見ている。反論がないわけではないが、それは所詮堂々巡りにしかならず、神無(かみな)の言葉を否定することはできない

「それに、静利さんは、本当は花枕の街を見捨てたくはないんですよね?」

「そうね。私は天伺官だもの。できればそうしたいと思っているわ」

 優しい声で訊ねてくる神無(かみな)に、静利は神妙な面持ちで応じる


 最悪花枕の街と人を犠牲にする覚悟を示したとはいえ、それが静利の本心ではないのは明白

 あくまで現在の危険と将来の危険を天秤にかけ、どちらが多くのものを失わないかという望まぬ選択の結果に過ぎない


「なら、僕達を信じてください。邪神とかそういうものじゃなく、僕と(みこと)を信じて欲しいんです」

 それを聞いた神無(かみな)の力強い言葉に、静利は神無(かみな)(みこと)をその澄んだ瞳に映す

 これまで見てきたもの。神無(かみな)(みこと)、二人の想いと為人を思い返した静利は、どこか諦めたような、吹っ切れた晴れやかさを感じさせる表情で言う

「今は状況が状況だから、時間はかけてあげられないわよ」

「構いません」

 明言こそしていないものの、実質了承に等しい言葉を発した静利に、(みこと)はたおやかに応じる

「神殿は? 天巫(あめなぎ)が神と契約するためには相応の儀式が必要なのでしょう?」

「必要ありません。わたくしは、天巫(あめなぎ)であると同時に精霊でもありますから、わたくしそのものが、神殿となります」

 静利の最後の質問に答えた(みこと)は、その艶やかな射干玉の髪を翻すと、神無(かみな)に向かい合ってたおやかに微笑む

「そう。なら私は身体を休めて霊力を回復しているから、さっさと契約してきてくれる?」

「ありがとうございます」

 土地神との戦いで消耗した霊力と体力の回復を図る時間を理由に、契約を容認してくれた静利に、神無(かみな)は感謝の言葉を述べる

「邪神や悪神を疑うのが間違っているとは思わないけれど、頑なに疑ってばかりでもないと思っただけ。――もし、あなた達が敵になったとしたら、私の人を見る目が未熟だったというだけのことよ」

 天伺官として、悪神や邪神の取引に疑いを持つことは重要だ。だが、それと同じだけ人を信じることも大切なことだと、静利は素っ気ない態度で神無(かみな)(みこと)に応じる

 その所作や言葉遣いからは、心優しい静利の本質が感じられ、神無(かみな)(みこと)は顔を見合わせて微笑む

「早くしなさい」

 神無(かみな)(みこと)のそんな反応を背中で感じたのか、静利が急かすように言う

「そういうことですので、その……」

(みこと)

 改めて身体を向かい合わせ、契約の神事に臨む(みこと)の恥じらい混じりの声が言葉を紡ぎ終える前に、神無(かみな)が真剣な声で呼びかける

「頼りないところもあるだろうし、迷惑もたくさんかけると思うけど、これから、よろしくお願いします」

 もはや多くを語ることはなく、人としてそして神としての自分を受け入れた神無(かみな)は、この時ばかりはと、男らしく自分の口から、自分の言葉で縁を求める

 神無(かみな)からの言葉に目元を綻ばせた(みこと)は、慎ましやかに一礼し、淑やかな振る舞いで一礼する

「こちらこそ。至らぬところばかりではございますが、末永くよろしくお願いいたします」

 三つ指をつくように恭しく答えた(みこと)は、顔を上げて神無(かみな)と微笑みを交わす

「参りましょう神無(かみな)様」

 その言葉と共に、二人を霊力が包み込み、神殿と呼ぶに足る呪術世界を構築する




《参りましょう。結一神様》




 それは、神無(かみな)がいつも見ていた夢の光景。

 果てしなく広がる大地と、闇に覆い尽くされたかのような漆黒の空に、まるで血に染まったかのような雲の群れ

 それを見ていた視線を、花のような柔らかな声につられて向けると、そこには漆黒の髪をなびかせた着物姿の女性――〝(みこと)〟が佇んでいた

《わたくしは、永久にあなたと共に在ります》

 これまで不明瞭だった夢が鮮やかに色を帯び、神無(かみな)の意識からその記憶を呼び覚ます


 そしてこの日、この時、この瞬間、神無(かみな)は邪神にして結一神と呼ばれる神として、真に目覚めの時を迎えた



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