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後編

 「それじゃ、いかせてもらうぜえ!」


 真龍軒の分銅鎖が唸りを上げた。相手の額めがけ放物線を描いて飛んでいく。

 それに対し、フワリと身を躍らせるアドリエンヌ。素早いステップで分銅をかわしておいて、一気に踏み込んだ。


「チョソン・フォーント!」


 連続で洋剣を突く。レイピアの先端には小さな覆いが付いているので、当たっても死ぬことはない。真龍軒は背後に退いて間合いを広げる。


(あの細っこい剣、意外と厄介だぞ)


 最初見た時は、片手持ちだけに小太刀と似たようなものかと思ったが、半身で突きかかった時の間合いは日本刀のそれよりも長い。接近戦になれば短い鎌では不利だ。

 だが、鎖鎌の本領はここからである。左手の分銅と右手の鎌、それらを使い分けて左右から交互に投げつける。息もつかせぬ連続投擲である。

 左右からの飛び道具攻撃に女剣士も防戦一方となった。


「いつまでもそうかわせるもんじゃないぜ!」

「チィ!?」


 真龍軒の言葉通り、次第に逃げ場を失ったアドリエンヌは防御方法を切り替えた。レイピアの拳を覆う大きな鍔で分銅を逆に弾き飛ばしたのだ。


「おっと!?」


 真龍軒は自分の方に打ち返された分銅を慌ててよける。その隙に間合いを詰めた女剣士が、小手打ちからのフェイントで足首を狙う。

 跳躍して回避した真龍軒。大きく鎌を薙いで相手を後退させる。再び距離が広がった。



 次の瞬間、前方から顔面めがけて何か赤いものが飛んできた。慌てて体をひねる。


ぺちゃっ!


 真龍軒の足元に落ちたそれは、白い野菜片に赤い液体が付着しているように見える。野菜は白菜のようだ。

 同時に足元から強烈な刺激臭が鼻をつく。これは先ほど感じた匂いだろうか?


「なんだい、こりゃあ」


 思わず眉根を寄せる。アドリエンヌの方を見ると、彼女が左手に所持していた壷の口がいつのまにか開いていた。そしてレイピアの先端がその小壷の中に入っている。

 どうやら洋剣で器用に壺の中身をすくい上げ、真龍軒に対して投擲したものらしい。


「ペチュキムチアタックですわ」


 そう、アドリエンヌが言った。



「爺よ、今あの娘が投げつけたアレは何じゃ?」


 試合場の前に設けられた桟敷席で家光が尋ねる。


「は、あれは半島の漬物で朝鮮漬けというものでござる」

「朝鮮漬け、確か唐辛子を使ったものじゃな。あちらではキムチと呼ぶとか」

「さよう、それゆえ戦場にても飛び道具として使用できまする」

「いかさま。唐辛子が仕込んであるとなれば、あれの汁が目にでも入れば・・・・・・」

「即座に視力を奪われまする」


 彦左衛門が深く頷いた。



ぴゅっぴゅっぴゅっ!


 次から次へとキムチ片が飛来する。手裏剣と同等の速度で飛来するそれを必死にかわす。だが、相手はレイピアでキムチをひっかけてどんどん飛ばしてくる。


「ホホホホホッ! いつまでさけられまして?」

「いい加減しつっこいぜ!」


 反撃の分銅鎖を投げた。だが狙いはアドリエンヌ本人ではなく、手元のキムチ壷だ。敵の意表を突き、見事に命中する。


カンッ!


 しかし、分銅は金属音と共に大きく弾かれた。壷は頑丈な鉄でできていたらしい。


「おあいにくさま、この壷はいざとなれば盾としても使うのです」


 そう言って、女剣士がキムチ壷をかざす。取っ手を握れば即座に小型の盾になるようだ。


「ウラッチャ!」


 アドリエンヌは半島流のかけ声を上げ、キムチを連続して放ってくる。


「まだまだぁ!」


 真龍軒が鎖分銅を大きく回転させた。ギュンギュンギュンと高速回転するそれは鎖の盾となって飛来するキムチと赤い汁を防ぐ。

 襲ってきたキムチ片おおよそ三十数発。そのことごとくを防ぎ切る。


「・・・・・・ノン!?」


 その時、女剣士が左手の壷を見やって小さな舌打ちをした。どうやら弾丸切れらしい。


「いただき!」


 すかさず真龍軒が分銅を投げる。レイピアにぐるぐると鎖が絡まった。


「その剣、封じたぜ金髪ちゃん」

「チョソン・フレッシュ!」


 その刹那、アドリエンヌの方から猛ダッシュを仕掛けてきた。レイピアを投げる。それをかわして、真龍軒が鎌で肩口に斬りつける。

 アドリエンヌはその一撃を軽快なバックステップでかわし、脛当てを着けた白い脚が回し蹴りを放ってくる。


(この女、拳法使いか!?)


 高速の蹴りをとっさに鎖を張って受ける。敵はそのままフラミンゴのような片足立ちになって、ピョンピョン移動した。側面から二連撃の蹴りが来る。脇腹に一発入った。


「ヨンソクヨプチャギですわ!」

「糞が!」


 怒号して鎌を振り回す。冷静に見切ったアドリエンヌの旋風脚が真龍軒の顔面を捉える。

 たまらずよろめいた。女剣士が地に落ちたレイピアを取り返す。


「ウラッチャチャチャ!」


 目にも止まらぬレイピアの連続突きが襲いかかった。慌てて退きながら鎌で払う。分銅鎖で反撃するも、相手も洋剣の鍔や鉄の壷で受ける。

 両者汗まみれになって斬り結んでいる。一進一退だ。お互いの流した大量の汗が地面にボタボタと落ちていく。



「おらあああああ!」


 真龍軒が相手の剣を鎌で受けて、分銅を薙ぐ。アドリエンヌは大きく後方に飛んだ。

 さらに真龍軒は踏み込もうとして異変に気づいた。辺りに赤い霧のようなものがぼんやりと立ち込めている。


「こいつは?・・・・・・ウグッ、ゲホゲホッ!」


 急に咳き込んだ。それと同時に目から涙が止まらなくなった。視界が閉ざされる。


「ホーッホッホ! かかりましたわねイルボニン!」


 口元に手を当てた金髪剣士の高笑いが響いた。



「爺、あれは一体なんとしたことじゃ?」


 試合を観覧する家光が疑問を口にする。試合場に突如として赤いもや状のものが広がったかと思うと、いきなり真龍軒が苦しみもがき始めたのだ。それだけでなく、行事役の飛騨守や近くにいた武芸者達までもゲホゲホとやっている。


「あれこそキム・アドリエンヌが秘奥義でござる」

「ほう」

「先程申しましたキムチ、普通のものならばせいぜいが目くらましに使える程度。しかし中には漢方の秘伝で特別に調合された代物がござる。古来より鬼鞭キムチと恐れられるそれは、人を死に至らしめるほどの劇薬でありまする」

「鬼鞭とな」

「は、使いようによって猛毒にも強心、鎮痛、精力増強ともなる秘薬。あの娘はそれを己が身に取り込んでおります」

「そういえば、それがし聞いたことがある」


 それまで家光の傍らで黙っていた老将、小野次郎右衛門がつぶやいた。柳生と並ぶ剣術指南役の彼もまた、今回の御前試合審判役の一人である。


「大陸には幼少の頃より、人間の命を奪うほどの劇薬を少しずつ体内に取り込み、やがて成長とともに己自身が毒そのものとなる秘技があると」

「ほお、さすがは小野殿。博識であるな」


彦左衛門が感心するように言った。


「いかにもさよう。アドリエンヌめは、幼き頃より鬼鞭の大壷の中に己自身を漬け続け、今ではその体液の一滴までも、もはや鬼鞭そのものでござる。ゆえに試合の場にて多量の汗を流さば、その液がやがて赤き霧となりて沸きまする」

「人間キムチか」


 家光が目を剥く。


「汗となりてだいぶん薄まりしといえど、かぷさいしんと呼ばれる薬効は十分にて、真龍軒はもはや目と鼻が効きませぬ」

「ぬう、げにおそろしや・・・・・・」



「ゴホッ・・・・・・ゲホッゲバッ!」


 家光たちの会話をよそに、真龍軒は止まらない涙と咳に悩まされていた。これでは敵がどこにいるのかわからない。


「チョソン・トゥシュ!」


 黄色い声が叫んだ。殺気にとっさに身をひねる。風を切って強烈な突きが肩口をかすめた。


「っしゃおらああああああ!」


 分銅をメチャクチャに振り回す。だが当たらない。


「ホホ、無駄でしてよ。キブンチョア~!」


 余裕綽々のアドリエンヌの冷笑が聞こえた。鎖をふるう間隙を狙って突きが来る。気配だけでなんとかかわし続けるが、もはやそれも限界だ。


「そろそろ終わらせますわよ、オールヴォワール。 ウラッチャ!」


 電光石火の突きが来る。今度はかわせる気がしなかった。



(こうなりゃ一か八かだ)


 真龍軒はとっさに鎖鎌を鎌と分銅鎖の二つに分離させた。急接近してくる相手に対して鎖の方を投げつける。敵が動きを止めてかわしたのが気配でわかった。

 同時に残った鎌の方の柄を回す。外れてもう一本中から短い鎖が出てきた。内部に仕込み鎖があったのだ。

 真龍軒が動きを止めた相手に向かって猛突進する。レイピアを正面から突いてきた。だが仕込み鎖に動揺したのか、突き方が実に荒っぽい。

 その単純な突きを短い鎖を投げて絡め取る。そのまま強引に間合いに引き込んだ。一気に身を寄せる。


「せいやっ!」


 鎖鎌の柄ごと女の顔面に投げつけた。相手がレイピアをふるう。鎌を弾いた刹那、アドリエンヌの細腰を真龍軒の両腕ががっちりと捉えていた。


「!?」


 武器を囮にした捨て身の格闘術に女剣士が目を剥いた。とても視力を奪われた人間の動作ではなかったのだ。


「アイゴー、どうしてわたくしの位置が!・・・・・・まさか、もう目が見えますの!?」

「うんにゃ、まだまともに見えてねえよ」


 真龍軒が唇を歪める。


「チョンマル? ならば何故!?」

「音だよ」

「音?」

「その漬物の入った鉄の壷、さっきからピチャピチャと中で汁がはねっ返る音がしやがる」

「なっ、こんな小さな音を聞きつけたというんですの?」

「なめんじゃねえ。こちとら肥後の山ん中で、獣を狩りながら耳はさんざん鍛えてんだ。それに比べりゃわかりやすいもんだぜ」

「まさに怪物・・・・・・グエムルですわね」

「ま、あとはお前さんの背丈自体を覚えてるから、四肢や剣がどこかも大体わかる」


 そう言って二本の犬歯が牙を剥いた。凶暴な笑みだった。


「ええい、離せ、離しなさいっ・・・・・・クッ! こうなればぁっ」


 アドリエンヌが長い両腕を交差させる。


「鬼鞭全方位一斉発射!!」


 凛々しい声で叫んだ。全身の毛穴から一度に大量の汗を放出する。

 白いうなじから、二の腕から、大腿から赤い飛沫が放物線を描く。真龍軒は降りかかってきたそれらをまともに浴びてしまった。


「ゲホゴホッ!?」


 次の瞬間、真龍軒の体の皮膚が急激に赤くなる。ボッといきなり炎を吹き上げた。人体発火現象だ。

 おそらく女剣士は、体内の鬼鞭成分を最大に濃縮させて一度に噴射したのだろう。アドリエンヌ自身は、人体から発するこの熱反応に対して耐性を持っているが、常人ならばひとたまりもない。

 東西南北全ての敵を一度に攻撃することが出来る、キム・アドリエンヌ最大の隠し技である。


「半島奥義・焼肉プルコギ

「ガアアアアア!」


 真龍軒が野獣のように絶叫した。周囲で立ち会いを眺めていた武芸者たちも慌てている。何人かが赤い汁の流れ弾に当たってしまったらしい。脱いだ着物を叩きつけて消火している。


「すぺえす・らんなうぇいっ!」


 驚異の技を目にした家光が、桟敷席から絶叫する。


「あちぃっ、あっちいいぃぃぃぃぃっ!」

「さあ、焼き殺されたくなければどくのよっ、ピョンテ男!」

「ぬぐおおおおおおおっ・・・・・・こんの漬物女がァァァァ!!」


 だが真龍軒は体を猛火で焼かれながらも、決して離れようとはしなかった。灼熱の責め苦に鬼の形相で耐える。


「きえええええッ!」


 無我夢中で反撃に出た。アドリエンヌの丸みを帯びた腰を抱え上げる。そのまま勢いよく跳躍した。


「山田流、神威落としッ!!」


 体を捻り、豪快に投げ技を放つ。忍術仕込みの裏投げだ。混血娘を大地に凄まじい勢いで叩きつけた。


ゴキャメキッ!


 試合場に鈍い音が響く。縦巻きロール髪が固い白地に強く打ち付けられる。


「あべしっ!?」


 女剣士の肢体が激しく反り返った。全身がビクビクと痙攣する。頭部をもろにぶつけたようだ。

 そのまま動かなくなる。アヘ顔だった。舌を出して失神してしまっている。


「それまでィ!」


 その瞬間、行事の飛騨守が勝負ありの声を上げる。ドドン! と太鼓が打ち鳴らされた。



「おお、やったか!?」


 桟敷席の家光が思わず身を乗り出した。彦左衛門や次郎右衛門も同様だ。

 飛騨守が倒れている両者にゆっくりと近づく。ツンツンする。


「・・・・・・ブクブク」


 アドリエンヌは口から泡を吹いていた。さすがにダブルピースはしてないが。


「カ、カハッ・・・・・・」


 だが真龍軒の方もまた、真っ黒に焼け焦げて呻いていた。髪が煙をくすぶらせて盛大にアフロ状態だ。

 ちゃんと生きてはいる。しかしながら、こちらも完全に戦闘不能である。


「両者相打ちにござる」


 飛騨守が裁定を下す。見物席の旗本達がわっと大きくどよめいた。



 こうして、寛永御前番外試合・鎖鎌使い山田真龍軒と金髪の朝鮮剣士キム・アドリエンヌの勝負は引き分けに終わった。

 だがこの後も御前試合には、柳生飛騨守や荒木又右衛門はじめ尋常ならざる剣客同士の対決が控えている。さらに大久保彦左衛門の恐るべきリザーバーはまだ六人も残っているのだ。



 その時、将軍の桟敷席に旗本の一人が駆け込んできた。


「上様に申し上げます!」

「なんじゃ、一体どうした?」


 家光が急な報告に怪訝な顔をする。


「荒木又右衛門殿、只今裏方にて毛利玄達殿と揉め事を起こされ、毛利殿をふるぼっこの養生所送りにしてしまわれました!」

「ええい荒木め、またやったか!」


 それを聞いた小野治郎右衛門が唸った。


「あやつ、本日は羅刹の荒木にて。やたらに気が短すぎて困る」

「赤ではなく、紫の羽織の方の又右衛門か?」

「いかにも。赤い服の時とは比べ物にならないほど凶暴な性格にござる。人呼んで、羅刹荒木と申します」

「成る程さようか。にぴい仕様であるな。しかしそれでは、次戦の吉岡流の相手がおらぬぞ」


 家光も困り顔で眉根を寄せる。


「上様、これはまたしても、りざあばあの出番ですな。さあクジをお引きくだされ!」


 大久保彦左衛門がはしゃぎながら、紙片を握る手を差し出した。


「よかろう、ならば次はこれじゃ」

「ふむ、五番!」

「して爺、次はいかなる者ものか?」

「ははっ。時を渡りて現れし未来の武芸者、陸上自衛隊銃剣術、馬場三尉でませい!」

「了解しましたぁ!」


 張り上げた声とともに頭巾と外套が放り投げられ、中から迷彩服姿の坊主頭が登場する。家光に向かってビシッと敬礼を決めた。その手には強化ゴム製の銃剣を取り付けた64式小銃がある。

 彼こそ次なるリザーバー、タイムスリップ自衛官こと馬場隊員であった。大久保彦左衛門秘蔵の銃剣士である。


 日本史上に残る寛永御前試合はまだまだ終わらない。


(完)













































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