中編
「りざあばあ?」
御稽古場の裏手に呼び出され、審判役の柳生飛騨守から事の成り行きを聞かされた真龍軒は思わず声を上げた。
「そりゃまあ、俺の方は別段構いませんがね」
「相すまぬ」
「しかし、そうなるとご褒美の方はどうなるんで?」
この御前試合、勝った方には特別に金一封があるのだ。
「無論、試合の勝者には上様よりそれぞれ直々に褒美が下される」
「ま、そういうことなら」
真龍軒は己の腕に絶対の自信を持っている。対戦相手が誰になろうと同じことだった。
練り上げられた鎖鎌の技術に勝てる剣士など存在しない。
「迷惑をかける。貴公には大久保彦左衛門殿推薦枠の剣客と試合をして頂く」
「相手は、どこのどいつです?」
「その者の素性は試合の折に明かす」
「やーれやれ、そいつぁもったいぶることで」
真龍軒は鼻を鳴らした。話は終わったとばかりに頭の後ろで両手を組んで、その場をあとにする。
そのまま控え席に戻ろうとしたとき、突然葵御紋の幕の角を曲がってきた一人の武士とぶつかりかけた。危うく腰の刀と鎌が当たりそうになる。
といっても、そこはお互い手練れの武芸者。ひらりとかわす。
「ふん、気をつけい」
「んだとコラ?」
その言葉に思わず喧嘩腰になる。相手の侍はがっしりした体格の偉丈夫である。
壮年の剣士で、太い眉毛にぎょろりとした大きな目、それに四角い顔が特徴的ないかつい男だ。色黒で紫色の羽織を着ている。
「ぶつかっておれば、ただでは済まさんところだ」
「ああぁ~ん!?」
男がこちらをぎろっと睨む。真龍軒も負けじと睨み返した。
「なんだ貴様?」
相手の声がスーッと低くなる。一触即発だ。
「俺の名は山田真龍軒。海内無双の武芸者よ」
「生意気だな」
とたんにその全身から凄まじい剣気がほとばしった。いや、むしろ妖気と形容したほうが近い凶暴なプレッシャーである。
(・・・・・・この圧力。こいつとんでもないぞ。何者だ?)
苛烈な気合を浴びせられた真龍軒が思わず身を固くする。
「おう、又右衛門ではないか」
その時、飛騨守がその男に声をかけた。
「これは飛騨守様」
それに気づいた男からスッと殺気が消えた。もはや真龍軒など眼中にないが如く、飛騨守のもとで立ち話を始めた。田舎の若武者など歯牙にもかけないということか。
(なるほど、奴が伊賀で三十六人斬りをやったという荒木又右衛門か。)
真龍軒は納得した。どうりで只者ではないと思ったわけだ。この御前試合で最強の一角とも噂される剣客荒木又右衛門。いかにも手強そうな輩だ。
(だが、今日の俺の相手は奴じゃない)
柳生宗冬も荒木又右衛門も、一武芸者としていずれ雌雄を決してみたい相手。しかし今は目の前の試合に集中せねばならない。
ドーンドーンドーン!
紅白幕を張った白地の稽古場に太鼓が鳴り響く。試合開始の呼び出しである。
「西方。山田流鎖鎌術、山田真龍軒」
飛騨守が東西双方の武芸者に声をかける。
「おーう」
手に鎖鎌を携えて真龍軒が床几椅子から立ち上がった。幕を出て試合場に出ていく。
「東方。朝鮮流洋剣術、キム・アドリエンヌ」
「ネー」
東の紅白幕から鈴鳴りのような声が響き、金の長髪をなびかせた女剣士が颯爽と現れた。いかにも気の強そうな釣り眼でなかなかの美形である。
見物席の旗本衆や幕裏の武芸者たちから、思わずどよめきが漏れた。
(ほう、女武芸者。しかも南蛮人とはね)
真龍軒もまたニヤリと口角を上げた。
金色の縦巻きロール髪に雪白の肌、女としては上背が高い。二十代前後か。くノ一もどきの短衣から、肉付きのいい太腿を出している。
その手足には鉄製らしい篭手と脛当てを装着していた。腰に南蛮の洋剣レイピアを差して、左手になぜか小さな壷を持っている。
その時真龍軒は、おや、と思った。なにやら饐えたような匂いをかすかに感じとったのだ。妙に酸っぱいような香りだが、なんの匂いかまではわからない。だが、今はそれどころではないだろう。
「まさか、りざあばあが南蛮の剣士とは恐れ入る」
「わたくしはキム・アドリエンヌ。父が朝鮮国の拳法家、母がフランス国の貴族ですの。このワの国には武者修行の一環で参りました」
アドリエンヌと名乗った娘は胸元に手を当てて、優雅に名乗りを上げた。どうやら遠く南蛮と隣国朝鮮の混血娘らしい。
海に面した朝鮮国にはときおり、嵐で難破した南蛮船が流れ着くことがある。おそらくその折にでも、両親のなりそめがあったのであろう。
「ご丁寧にどうも。俺っちの名は山田真龍軒。ヒノモト一の鎖鎌使いだ」
「ボンジュール、アジョシ」
娘が妖しく微笑した。
「おいおい、アジョシだって?、俺はまだ二十とそこそこだぜ」
「オモ! これは失礼」
「あんたはいくつだい? 見たとこ十八、九ってとこか」
「ウフフ、それは秘密イムニダ」
悪戯っ子のような表情で言う。その蒼い瞳がチラと真龍軒の得物を見た。
「あなた、ずいぶんと無骨そうな武器を使いますのね」
「なぁに、こうみえてこいつが刀の何倍も使えるのよ。日本国で一番強い得物だ」
手の中の分銅鎖をジャラリと鳴らした。朝鮮半島出身のアドリエンヌには見たことのない武器なのであろう、物珍しそうに見ている。
「ならばこちらは、世界最強最古の民族の技をお見せいたしましょう」
「へえ、そりゃあ面白い。ぜひとも記念に拝んでみたいね」
真龍軒が歯を見せて笑う。
「それでは、お手柔らかにムシュー」
アドリエンヌは腰のレイピアを抜き放った。柄頭につけた飾りの赤い房が鮮やかに揺れる。
「ほう、そいつは真剣かい?」
「刃引きはしてあります、なにか問題でも? イルボニン」
「いんや、構わないぜ」
お互いに一礼する。
そして真龍軒も鎖鎌を腰から外した。ブーン、ブーンと豪快に回し始める。
アドリエンヌの方は、半身になって右手のレイピアを中段に構えている。
「はじめい!」
飛騨守の試合開始の声とともに、ドン! と太鼓がひときわ大きく打ち鳴らされた。