前編
時は寛永、三代将軍家光の治世である。晴れ晴れとした真夏の快晴。
その日、江戸城内に設けられたお稽古場にて、歴史に残る大武術大会が開かれていた。将軍自らご照覧のそれは、俗に言う寛永御前試合である。
稀代の剣術好きたる将軍家光の命により、日本中から集められた選りすぐりの武芸者数十名。
柳生新陰流の荒木又右衛門、新免二刀流の宮本六三四(二代目)をはじめ、そうそうたる剣客の顔ぶれが集い、おのおの覇を競おうとしていた。
その中に、まだ二十代とみえる精悍な若者が一人。こんがりと黒く日焼けした青年で、黒髪を短く刈り上げている。
その口元にはいかにも獰猛そうな犬歯が二本覗いていた。まるで野生の狼をそのまま人化したような男であった。
鉢巻を巻いて、着物にたすき掛けをしているのは他の武芸者と同様。だが、その手には木剣ではなく特異な武器が握られていた。
実戦でなく、試合であるため木製の鎌に長い鎖でつながった分銅。(分銅自体は綿と革で覆っている。)つまり得物は鎖鎌である。
この男の名は山田真龍軒、齢若くして山田流鎖鎌を創始した人物である。十代の頃から日本諸国を放浪し、各地の武芸者と幾多の真剣勝負をして打ち勝ってきた男だ。
このたび幕府にその武勇を買われ、大会参加を命じられて故郷の肥後から江戸くんだりまでやってきたのである。
肥後の鎖鎌使い、山田真龍軒といえば、すでに九州において敵無しと謳われるほど高名であった。彼自身も、肥後の道場には天下無双の看板を掲げている。
「さぁて、俺の出番はまだかねえ」
真龍軒は右手に絡めた鎖をジャラジャラいわせながら言った。
東西に紅白幕を張った裏側にある参加者控え席。待ちくたびれて、思わず大きなあくびをしてしまう。
まわりにはいかにも屈強そうな武芸者たちが共に控えていた。一同ジロリと真龍軒の方を睨んだが、この 若者には一向気にする様子はない。
事前の話では、真龍軒の本日の対戦相手は柳生新陰流の強者、井伊直人なる剣客であった。伊達政宗公に仕える人物でなんと仙台藩剣術指南を請け負っている。
山田真龍軒にしてみても決して油断のできる相手ではない。
(へっ、どうせなら柳生飛騨守殿とやらせてもらいてえもんだ。そんでもって、俺の山田流鎖鎌こそが天下一の武術であることを世に知らしめてやるぜ)
真龍軒にしてみればわざわざ江戸まで来たからには、同じ柳生新陰流なら将軍家指南役柳生宗冬と勝負がしてみたい。そして鎖鎌が刀を超える最強の武器であることを証明する。
この時代、日本最強の剣客といえば柳生一族であるというのが日本人の常識であった。
その宗冬はこの御前試合の行事の一人に任命されている。話によれば最後の試合で由比正雪なる若手剣術家と直々に対決するという。
(それにしてもおせえな、なにやってんだ?)
いらいらしながら、眉根を寄せる。
先ほどから試合の場に呼ばれるのを待っている真龍軒であるが、一向に声がかからない。前の試合である渋川伴五郎と竹内加賀之助による柔術勝負からだいぶ時が過ぎていた。
その頃、徳川家光の座る桟敷席付近ではちょっとした騒ぎが起きていた。家光の周囲に数人の重臣が集っている。家光、このときまだ二十代の若武者。
「上様、大変申し訳ござりませぬ」
審判役を務める柳生飛騨守が地面に手をついた。こちらも劣らずまだ若い。
「一体どうしたのじゃ、飛騨」
「次の試合、柳生新陰流の井伊直人でありまするが、危急の知らせによれば先刻流行りの熱中症で倒れたよしにございます」
「なんじゃと、噂のあの病か!」
家光が目を剥いた。
「はっ、話によればこの井伊直人なる男、日頃から虎の面をかぶりて正体を隠し、賭け試合を行っていたそうでござる。その賞金にて市中の親なし子共の世話をしておったそうで」
「なに、それは感心なことじゃ」
「ところが折からのこの暑気、虎の面が災い致しました」
「というと?」
「本日、江戸城御前試合への途上で、あまりの暑さにあえなく意識を失ったとのこと」
「まさか、水分不足か!」
「いかにも左様」
「しかし、それでは井伊直人の正体が童子どもにばれてしもうたのか?」
「いえ、意識を失う寸前、お堀の中に虎の面を放り投げ、かろうじて露見は免れたと」
「うむ、それならば安心いたした」
家光は天晴、流石であると扇子で手を叩く。もっとも、井伊直人はとても戦える状況にはないという。
「しかし、それでは次の試合はどうするのか?」
「こうなっては致し方ありますまい、一試合とばして次の吉岡又三郎兼房と毛利玄達の試合と致しましょう」
「ぬう、それではつまらぬ」
家光がたちまち渋面になった。
「次はせっかくの鎖鎌使い山田某ではないか。」
「しかし上様。仙台藩指南役、井伊直人の代わりとなるほどの剣客、すぐには用意できませぬ」
「それはそうであろうが・・・・・・」
その時、がっはっはと桟敷席に笑い声が響き渡った。見ると、御前試合の相談役を務める大久保彦左衛門である。天下の御意見番と呼ばれる大旗本の老人だ。
「上様、何も困ることはありませぬぞ」
「爺、何やら考えがありそうじゃな」
「いかにも。この彦左、こんなとこもあろうかとこの御前試合のために、りざあばあの用意がしてござる」
「りざあばあじゃと!?」
家光の問いに彦左衛門が深く頷く。
「左様、知っての通りこの彦左も上様に負けず劣らずの剣術狂い。手前の屋敷には諸国より数多の武芸者を食客として囲ってござる。その中より選りすぐりの剣客七名、別室にて待機させておりまする」
「ほう。爺の推薦とは面白い」
家光は興味をそそられたようだ。
「ふすまを開けい」
彦左衛門が一声命じると、奥の一間に通じるふすまがスッと引かれる。するとそこには外套で全身を覆った七人の姿があった。
なにやら趣向があるのか、みんな外套と頭巾で素顔を隠して膝をついている。
「人呼んで、番外試合りざあばあ七人衆でござる」
「なるほど、それぞれになかなかの剣気を放っておる」
柳生飛騨守が目を細める。彼ほどになれば、目の前の相手が強いか弱いかぐらいはひと目でわかる。
「だが忍びでもあるまいに、なぜに顔を隠す?」
家光が困惑して尋ねた。
「ご無礼のほどなにとぞ容赦くだされ。それこそは試合をするまでのお楽しみという、彦左めの余興でござる」
「なるほど」
「それでは上様、このくじをお引きあれ」
彦左衛門が懐から細い紙片を出した。端に番号が赤く記してある。一から七まであった。
「そのくじの番号と合う者が、りざあばあとして試合まする」
言われてみると、七人衆の頭巾にはそれぞれ数が描いてあるようだ。
「よかろう、面白い趣向じゃ。えいや!」
家光が喜色満面でくじを引く。ニ番のくじを引いた。
「ほう、これは面白い相手を引き当てましたな」
彦左衛門がにやついた。
「よし、それでは二番の者は頭巾を取るのじゃ」
「アルゲッスムニダ」
答えたのはニ番の剣士。外套を払い、頭巾を取った。ぱっとあたりに黄金の輝きが舞う。
「おお」
それを見た家光と飛騨守、思わず目を剥いた。
現れたのは金髪碧眼の眉目秀麗な女剣士。広げた外套の下、右手に南蛮渡来のレイピアを持ち、左手にはなにやら小さな壷を抱えている。小壷に書いてあるのは朝鮮国のハングル文字である。
「りざあばあが一人、朝鮮流洋剣術、キム・アドリエンヌでござる」
彦左衛門が鼻高々に言った。