2-31.ヒトでなし
上空から大地へと着地すると同時。俺は曲げた膝を解放して、動く骸骨へと踏み出した。
着地の衝撃で舞い散る砂塵の向こう側。俺の『視界』には、外套を纏うその威容が白黒ではっきりと捉えられている。
20M程前方には母さん――ミゥ・ツィリンダーの姿もあり。恐らく戦闘中なのだろう、数百はある杭が空中に固定され、母さんに向けられていた。
(――ダメだ。お腹が、減った。あいつを、あんな人骨を口いっぱいに頰張りたいと思ってる……ッ!!)
そんな、強烈な生理的欲求。
だが欲求と思考は乖離していて、視界に映った情報の整理が俺の脳内で行われてゆく。
獲物へと駆けている俺の背後。空間魔法では内側の見えない、魔法陣を伸ばしたような文様が描かれた半球体と、全身鎧を着た屍人を閉じ込めている直方体。
幾度も空間魔法で見慣れたそれは、恐らく母さんの白魔法だろう。
(状況的に……あの骸骨が元凶だッ!! 今朝からの、屍人によるベルグの襲撃。俺とエリーさんは森林迷宮の中域あたりにいると思ってたけど、直接襲撃に来ていたのか!!)
俺の冴え切った頭は、骸骨の正体を探り当てる。
そしてその解答は、俺にとっての甘美な誘惑を肯定するものだった。
「つまり、あれが、魔族――――じゃあ、食べてもいいんだよね?」
自分に言い聞かせるように、一人でに口が動いていた。
――魔族。
ヒト種の敵で、排すべき存在。
ならば、何の問題もないだろう。
涎が一筋、俺の硬い表皮を滴ってゆく。
体は、既に獲物を狩る形へと変貌を遂げていた。
(この鉄剣、邪魔だな……爪が伸びたせいで、握りづらくてしょうがない)
鋭く尖り、伸びた爪。硬く引き締まった体。
溜まった涎の不快感に舌先を動かすと、刃物を舐めているかのような感触が返ってくる。どうやら歯は伸びて、『牙』と呼べるほどになっているようだ。
加えて、胸の奥に何かを感じる。
空気を取り入れる『肺』とは別に、圧迫感と冷たさを訴えてくるものが詰まっているような。
(……?)
――何故だろう。
『視界』に映る自身の身体。それが、もとの自分のそれと比べて変わってしまっているにも関わらず、俺は全くと言っていい程に違和感を感じない。
これが自分の体だと、それが当たり前であると素直に認識できている。
――その、『違和感を感じないということ』に、何か違和感を覚えた。
獲物に噛みつかんとする驀進の最中の、一瞬のことだ。
感じたそれは、すぐに臓腑をひりつかせる食欲に溶けてなくなっていった。
***
ミゥの言葉に呼応するかのように、小さな白い獣が、赤黒い砂ぼこりの中から飛び出した。
あわや倒れんかという程の、前傾姿勢。それは空間魔法を用いた神がかり的な脚運びと、姿を変えたケルンの筋力のなせる技だ。
そこから生まれる爆発的な速度は、獲物との間合いを潰さんとする。
『――どうして私と敵対する!?』
魔族デヴォルはミゥのヒト離れした防御力を、魔法を用いたのではでなく、身体に宿る特性によるものだと断定していた。
それはまるで、触れたものに死を与える、魔族である自分と同じ類のものだ。
精霊等の加護でないとするならば――ミゥの用いた力は。デヴォルの死の力を跳ねのけた抵抗力は、ヒトという種に与えられる身体の限界を超えている。
故に、ミゥはヒト種ではないと考えるのが妥当だった。
『何故、ヒト種に力を貸すのだ!?』
その息子であるというケルンの姿を認めた魔族デヴォルは、骨を震わせ吠えた。
彼の胸中を渦巻くのは、無理解だ。魔族の如き身の上を持ちながら、なぜ彼女らはヒトとともに歩もうとしているのか、理解が出来ない。
――デヴォルの声が響くと同時。
上空に静止していた彼の魔法、『深緋の杭』が作動する。
豪雨の如くケルンとミゥに降り注ぐは。火魔法に死霊術――屍人化の追加効果――を混合した、深緋色の魔力杭。
「――!!」
『視界』に捉えている杭の圧力。脅威と呼べるほど一つ一つに内包された魔力。
『深緋の杭』が迫るのを認識したケルンは、前傾姿勢から急制動をかける。
地面と爬虫類の如き足裏との間で上がる、凄まじい擦過音。
真白の鱗に覆われたその脚は、突貫の勢いを容易に殺しきる。
突進の勢いをねじ伏せ――先駆けて到達した数本の杭を、大きく跳び退って回避した。
『跳んだか、馬鹿め』
標的を失った十数条の魔法は、地面に突き刺さる。
――直後。杭に内包された火魔法が炸裂し、深緋色の爆風を生み出した。
「――っ!?」
飛び退りの最中。
空中という踏ん張りの効かない舞台では、いかに体が強靭であろうが意味がない。
凄まじい風のあおりを受け、ケルンの体勢が崩れる。
足裏から着地するはずであった彼の体は、背中から落ちようとしていた。
続けざまに放たれるデヴォルの魔法に対し、不完全な着地が示唆するのは、次弾の不可避という未来だ。
――曝された隙を逃すまいと。
デヴォルの元から、『深緋の杭』の第二波が放たれる。
『同胞らしき子供を殺すのは惜しいが……っ!?』
デヴォルが、驚愕にくぼんだ眼窩の奥を揺らめかせる。
小さな白い獣は、剣を持っていない左手のみで着地。地面を握り締め、体を固定。
そのまま、膂力に任せて体を回転させ――右手に握った剣を振るった。
ケルンの体に着弾するはずの魔力杭は、凄まじい剣速で振られた刀身にまとめて捉えられる。
瞬間――斬断された魔法に内包された魔力が暴れ狂い、暴発。
着弾するはずだった残りの杭も、まとめて誘爆を引き起こす。
響くのは凄まじい爆発音と、獲物を前に怨嗟の声を上げる目に見えない死霊たちの声だ。
「ぐああぁぁッ……!!!!」
爆風の余波が、ケルンを襲う。
直接とはいかないまでも、至近距離で爆発を受けた彼はデヴォルの魔法に蝕まれた。
高熱に晒された白い肌は焼けただれ、屍人化による赤黒い変色が始まっている。
侵食による痛みに顔を歪ませ、ケルンは呻くようにしてその場に蹲った。
「……あらら。流石にまだ、白鱗も生え変わってないし。強い魔法は弾けないかあ」
『どこを見ている!! 次は貴様だ、ミゥ・ツィリンダー!!』
傍観を決め込む白魔法研究者に向け、デヴォルはケルンにダメージを与えた杭を同じように打ち込まんと手を掲げた。
デヴォルの動きに共鳴して光る緋色の魔法陣。
空中に浮かぶ杭の半数を己に向けられてもなお、ミゥはケルンから目線を外さない。
一切の回避行動を見せず――そのまま深緋色の爆発の中に飲み込まれた。
「いらいらするなあ……あなたほんとにさ、ケルンを舐めすぎだよ? 片手間に相手するのもいいけど――あっ」
煙たそうに深緋色の煙を払いながら、無傷のミゥが溜息を吐く。
彼女の目線の先。
――ゆらりと。ケルンが、苦しそうに胸を押さえて立ち上がる。
彼の口端の隙間からは、白い何かが漏れ出していた。
被害を被った体の一部を赤黒く変色させながら、ケルンはゆっくりとデヴォルの方に顔を向ける。
膨れ上がる魔力に、圧倒的な気配。
『何をする気だッ、この屍人の成りそこないが!!』
半分ヒトの形をした、小さな獣から発されるただならぬ雰囲気に、デヴォルは展開されていたすべての杭を打ち出した。
「う゛ッ、、、、っがあ゛ああああぁぁぁぁッッッッ――――!!!!」
緋色の弾丸が体を打ち抜く寸前、ケルンは吠え猛った。
――猛烈な勢いで口から吐き出されるのは、白銀に輝く吐息。
ケルンの体を守るように、前面に吐き出された細氷は、緋色の光にさらされて怪しく、だがとてつもなく美しく光り輝く。
『馬鹿な……どんな、種族だ……』
吐き出した吐息の後を追うように、デヴォルの魔法も、空気ですら動きを止めた。
吐息の通った道は、等しく凍り付く。
咄嗟に回避行動をとったデヴォルだったが、骨だけの左腕が完全に凍結していた。
「おめでとうケルン、息通だね。それにしてもとっても綺麗な吐息……魔法と物理を包む私の白と、テインの氷属性が混ざったのかな」
息子の成長を目の当たりにしたミゥは、嬉しそうに破顔した。