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2-2.カラフル・モノクローム

 淡い橙色の照明の光が、優しく室内を照らしている。

 椅子に座る女性のふわふわとした白髪が、照明を反射して白い霞みを纏う。

 ちょこん、とその膝の上に座るのは、黒髪の少年。 


「――ねぇ母さん、色ってなに?」


 真っ黒な髪を傾けて、少年が母親に問いかける。

 光を映さないその白磁の双眸は、どこを見るでもない。


「うーん……何かに光が当たると見えるもの、かな」


「そっか……じゃあ俺は光が見えないんだ。やっぱり、何色も見えないんだ」


 少年が、沈んだような声を出す。

 しかし母親は、優しくそれを否定した。


「ううん。ケルンは、一色だけ見えてるよ。光があったら、ちゃんと見えない色」


 何も見えない、と健常者なら表現するだろうその色は、確かに盲目の少年の眼前に広がっていた。


「……黒色? 俺、あんまり好きじゃない。前母さんとケンカして外に出たときさ、馬鹿にされたんだ。お前は黒色を見てるんじゃなくて、何も見えてないだけなんだーって」


「誰、教えて? 母さん怒った、その子の親のところに殴り込みに行くからっ」


 笑顔を崩さぬまま、母親が怒りを露わにする。

 徐々に激しく揺れる声調に、少年は慌ててなだめにかかった。


「うわ、落ち着いて!! だから言わなかったんだよ!!」


「……ケルン。馬鹿なのは、その馬鹿にした方の子だよ?」


 ほぅ、と母親はため息をひとつ吐き出して、愛しい息子に諭す。


「だって、完全な黒色を見れるのは、光が見えないヒトだけのはずだから。私は、目を閉じててもうっすら他の色が見えちゃう」


「間違いないよ。ケルンは、純粋な黒色を見てる」


「――それに。いつか色が見える様になったら、ケルンは世界で一番感動できるんだよ。それってきっと、とっても素敵」


 まだそれは、少年が1つの色しか知らなかった時の話。

 努力せず、弱いままで。

 でも、色を視たいという、小さな憧れを抱いた瞬間だった。


「母さんって、何色?」


「うーん……私は、白かな」


 母親は、息子の真っ黒な髪を撫でながら言う。


「黒には、白がよく映えるの。あなたの母親として、私は白色がいいな」


***


 小さな黒色の少年の輪郭を、白い靄のような魔力が覆ってゆく。

 見開いた白磁の双眸には、幾何文様が幾重にもなった複雑な魔法陣が、薄く、薄く描かれている。

 初級空間魔法、『視界(モノクローム)』。

 真っ黒いキャンバスに、白い輝線が描き出すのは、見えるはずのなかった世界の輪郭だ。

 少年が最初に見たのは、両の手の平の間に置かれた砂時計。


 ケルンは既に、変換した魔力の制御を意識していなかった。

 一度視界が開ければ、徐々に色んなものが映っていくのは当たり前だ。

 健常者がそうなのだから、盲者がそうでない理由は存在しない。

 モノを見るのに、目を用いるか、魔力を用いるかの違いでしかないのだから。


 ゆっくり、ケルンの視界は広がってゆく。

 遅筆の描き手が、迷いながらもキャンバスに絵を描いてゆくように。

 健常者が、初めてモノを見るときと同じように。

 ゆっくりと、でも確かに、世界は広がってゆく。


 ――砂時計の次は、手の輪郭。

 ケルンが指を微かに動かすと、それに合わせて白い輪郭もピクリと動いた。


 ――腕、肩。

 何となくで想像していた、自分の形。

 鮮明に、鮮烈に。黒い視界に、消えない粒子となって焼き付いてゆく。


 ――顔、足、全身まで。

 不思議な感覚が、ケルンの脳内を駆け巡っていた。

 今まで自分や他人を構成していたのは、声だったり、匂いだったり、音だったり。

 そこにもう一つ、新しい『形』という要素が加わったのだ。


 自分が自分である、確たる証拠。

 他人が他人である、確たる証拠。

 形という新しい証拠を得ることは、これが唯一無二の自分であるのだという、アイデンティティをケルンに齎した。


「……そっか、これが、()か」


 只呆然と、ケルンは自分(・・)を見つめる。

 ――初めて鏡を見るヒトは、きっと今の俺みたいな気持ちになるのかな。

 ふとそんなことを考えては、眼前の世界にまた心を奪われて。


「あれ、俺、泣いてる……? 顔っ、ぐしゃって、してるッ……」


 ――新しく見えた色が、あんまりにも綺麗すぎて。

 始めて見えた自分が、何とも形容しがたくて。

 嬉しいのか、悲しいのかすら、分からなかったから。


 ケルンは静かに、ぽろりぽろりと大粒の涙をこぼす。

 頬を伝う涙の感触で初めて、自分が泣いていると気づけたのだ。

 表情と行動の、辻褄が合ったのだ。


 ――ああ、これが、泣き顔なんだと。


「……ケルン、おめでとう」


 ミゥは、微笑みながらぎゅっとケルンを抱きしめた。


 ――自分の次は、他人の形。

 白の輝線が、ゆっくりとそのヒトを描き出す。

 包み込むような、たおやかな線。ふわふわと揺蕩うような、カールした髪。

 長い睫毛、通った鼻梁に、整えられた眉。

 何よりも、優しく上がった口角が、ケルンは好きだと思った。


 ――ああ、母さん、綺麗だなぁ。

 あたたかくて、安心できる胸の中でケルンは初めて、母親の形を見た。


「これが、母さん……」


「うん、初めましてだね。ケルンから私がどう見えてるのか、分からないけれど」


 一層強く、ミゥがケルンを愛おし気に抱きしめる。

 その間も、世界は広がり続けた。


 ――机、床、家具。

 ――家全体、庭、素振りをする父さんと義姉さん、通りを行く人々。


 どれ一つとっても、どうしようもなく鮮やかで。

 知らない形が、ケルンの頭に次々と飛び込んでくる。


「っ……ダメだ、涙が止まらない。なんで世界は、こんなにも綺麗なの?」


 ケルンの流す涙で、ミゥの服が濡れてゆく。

 それを気にするでもなく、母親は子供の頭を優しく撫でた。


「ふふっ、ケルンが世界を語るのは、まだまだ早いかな。綺麗だと思うなら、その理由をこれから自分の足で見つけていこう?」


「自分の、足で」


 姿が見えようが見えまいが、いつもと変わらない、優しい声音で母はケルンに言う。


「もうケルンは、世界が見えるでしょ? 立ち止まってる理由は、もうないよね」


 ――もう目が見えないという言い訳は、使えない。

 目指したい憧憬があって、視界という、これ以上ない贈り物をもらって。

 こんな、恵まれすぎていると、ケルンは思う。


「ケルン。世界はと~っても、広いから」


「いろんなものを見て、聞いて、学んで、感じて――幸せに、なってほしいな」


「だからこれからは、ケルンの思うまま、生きていけばいいよ」


 それはきっと、ミゥの――親が子供に願う、一番あたりまえのこと。

 母親はケルンの体を離し、軽く肩を叩く。


 ケルンの頬を流れる涙は止まっていなかったけれど、きちんとミゥの言葉は響いていた。


 ――胸に灯った、憧憬という小さな種火に、望みという名の火口をくべる。

 いろんな願いや思いが折り重なって、ようやく。

 種火を、自身を導く大火へと変えることができるのだ。


 ケルンは、今一度『視界』を見渡す。

 ――白黒(モノクロ)に広がった世界は、やっぱり眩しい位にカラフルだったから。

 ケルンはいとおし気に目を細め、不器用に笑った。

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