1-27.エイシャをめぐって
リセリルカとエリーは、工房へと続く壊れた木扉からツィリンダー家へと踏み入った。
かすかに残り、漂ってくる血生臭さに、リセリルカは少し顔を顰める。
彼女がその金双眸を動かせば、血痕と木の床の焼け目が、店内で繰り広げられたであろう戦闘を物語ってくる。
それと同時、その視線に三人のヒト種が入ってきた。
先頭の小さな少年の脇を固めるのはそれぞれ、淡い緑髪と輝くような白髪。
父と母、テイン・ツィリンダーとミゥ・ツィリンダーだ。
二人は微かに目を伏せ、握った片手を胸の前に置いている――戦時中でいうところの、武勲を上げた兵を迎え入れる敬礼だ。
そんな中で、ぽへっと呑気に。
リセリルカの前に立つ黒髪の少年だけは、すこしはにかんでいた。
身分相応の扱いをしないケルンに、やはりリセリルカは微笑みを返す。
王女は笑みを深くして、意地が悪そうな声で少年に話しかけた。
「随分待たせてくれるわね、ケルン?」
「ごめんリセ、母さんと話してて忘れてたんだ……」
手を後ろに回し、ばつがわるそうに頭を掻くケルンを見て。
リセリルカは我慢できないとばかりに噴き出した。
「……ふふふっ!! あははっ!! ちょっと、笑わせないで頂戴な!!」
ころころと、心底可笑しそうに笑うリセリルカ。
屈託のない輝くような笑顔に、目の見えないケルンを除いた全員が魅せられていた。
エリーは笑う主を見て目を丸くし、テインも敬礼の体勢を崩して伏せた目を上げていた。
少し遅れて、テインの目線にはっと気づいたミゥがその腕を強く抓り上げる。
彼女はテインにだけ聞こえる小声で「この少女性愛……」と囁く。
断じて違うという意思を込めて、店主は何も言わず静かに目を閉じた。
一方で、呼吸を落ち着けながら、リセリルカは声音を下げ怒った振りをする。
「……はぁ、落ち着いた。生まれてこの方初めてよ、この身分で忘れられたのは」
「ごめん、ホントごめん!!」
顔の前で両手をぱちんと合わせ謝罪をするケルンに、リセリルカはすぐに表情を緩める。
「別にいいわ、むしろ嬉しい位よ。……今度やったら怒るでしょうけど」
軽口の応酬、リセリルカはそのくらいに考えていた。
だが、次にケルンから発されたのは不意打ちにも等しい言葉で。
見えないはずの白磁の双眸が、リセリルカの金眸をしかと捉える。
「もうやらないよ、俺は、リセを絶対忘れないから」
「うっ……あ、ありがとう、ケルン」
真顔で真摯にそんなことを言う少年に、少女はたまらず目線を逸らす。
ほんのり、うっすらと、リセリルカの白肌に朱が落ちて。
適当に彼女が向けた目線のその先には、これ以上ない位の微笑みを浮かべた従者が居た。
「なっ、何ニヤニヤしてるのよエリー!! 言いたいことがあるのなら言いなさいなっ!!」
「いえ、野暮なことは」
主から咎められ、表情を無にしたエリーが淡白に答える。
それが逆に、リセリルカの謎の敵愾心を煽る羽目になった。
「うるっさい!! いいから言いなさいな!!」
「……では。リセリルカ様が命令したのですから、怒らないでくださいね?」
台詞の途中でエリーの表情の仮面がはがれ、口角が上がっていく。
極めつけに、口の回りを手で覆って興奮を隠すように。
エリーは心の内を、ありったけの感情を込めて吐露した。
「――お嬢様すっっっっごく、可愛いですねっ……!!」
「ああああっ!! エリー貴女、許さないからぁ!!」
わざわざ呼称を変えてまでいじりに来るエリーに、リセリルカは真っ赤になって抗議する。
「だから、怒らない下さいと言ったじゃないですか、お嬢様」
「怒らないとは言ってないわ!! 第一可愛いわけがないでしょう、血まみれなのよ、私!?」
「――ねぇねぇケルン? リセリルカ様って、すごく可愛いんだよ?」
興奮気味に言う王女に、ふわりとした声の横やりが入る。
ミゥもリセリルカを見て、顔を綻ばせていた。
王女と従者の会話を踏まえて、わざと全員に聞こえるような声で、息子に話しかける。
「え、やっぱり? 俺が今まで聞いた声の中で一番綺麗だったから、そうじゃないかって思ってた」
「なっ……!! ああもう……ありがとっ!!」
エリーやミゥと違って、ケルンは雑念無しでそう言っていることが伝わってくるからこそ、リセリルカは恥ずかしくって仕方がない。
今まで薄っぺらい王女としての扱いしかされてこなかった彼女にとって、友達の、それも男の子からの誉め言葉はこれ以上ない位刺さっていた。
***
「さて……リセリルカ様。此度の盗賊団殲滅の遂行、お疲れ様でした」
喜劇のようなやりとりを終え、ミゥが真剣な声音でリセリルカを慰労した。
「ええ、協力感謝するわ、ミゥ。それにテイン」
王女に感謝され、大人二人はもう一度敬礼をし直して。
口下手なテインは言葉を発さず、ミゥが代弁するように口を開く。
「首尾は上々のようで、何よりです」
「ありがとう……ところで――」
いったん言葉を区切り、王女は気持ちを切り替える。
「私から一つ疑問と、持ち掛けたい取引があるのだけど、いいかしら」
リセリルカの雰囲気が、がらりと変わる。
金色の瞳が険を帯び、声音に鋭さが乗り。
ピリピリと張り付くような緊張感が、その場に走った。
「――なんでしょうか、リセリルカ様」
敬礼を解き、ミゥは自分より頭何個分も小さいその少女の瞳を正面から見据える。
指先一つでも動かせば、その場で戦闘が始まりかねない雰囲気が店内を飲み込んでゆく。
「先ず疑問から簡潔に言うわね」
「――この家に、盗賊団の生き残りがいるのはどうしてかしら?」
微かに、ミゥの眉が動いた。
王女という身分に臆することなく、白髪の女性は言葉を返す。
「……根拠を」
「声よ。私、ケルンほどじゃないにしても、耳には自信があるの。いくら店内への入り口を白魔法で塞いでも、漏れ聞こえる声までは遮断できないようね。ケルンと貴女の声の他にもう一つ、混ざっていた」
エリーとリセリルカが店先で待っている間、家の敷地内から聞こえていた声。
リセリルカの耳は、聞き逃していなかった。
盗賊団殲滅においての関係者内で聞いたことの無い、少しかすれた女声を。
声を聞いた時は、ミゥかテインの知人という可能性がリセリルカの頭を過っていたが、馬鹿な考えは数秒で投げ捨てた。
盗賊団殲滅の作戦中に、二人が関係のない知人を店付近に近づける様な真似をするはずがない。
故に、この二択だ。
――声の持ち主は、リセリルカの知らない作戦関係者。または、店内に押し入った盗賊団員の生き残り。
仮に前者であれば、十中八九、ミゥが盗賊団に忍ばせた潜伏兵。だがこの仮定が成り立つと、ケルンを囮に『拾音器』で居場所を探る行程は不必要だ。
後者であっても、何故匿うような真似をするのか理由が不明瞭だ。
どう考えても、ツィリンダー魔法具店から知らない声が聞こえる状況が、リセリルカの脳内でミゥの利点に繋がらなかった。
「……なるほど、流石です。聞かれていましたか」
「ええ、楽しげだったわね、私も混ざりたかったわ」
にこり、王女が口角を少しだけ持ち上げる。
次の瞬間、笑みは姿を消した。
「――で? どういうつもりかしら、ミゥ? テイン? ……存分に気を張って答えなさいな」
放たれた質問に、ミゥは数秒口を閉ざす。
リセリルカの傍に控えるエリーも、ミゥの隣に立つテインも、目を閉じて成り行きを二人に任せていた。
「……私が撒いた種子の芽吹きをひとつ、見つけたもので」
意味ありげな返答に、リセリルカは無言で続きを促す。
「白魔法は私が知る限り、私以外のまともな使い手が存在しません。それを憂い、以前一つ魔法書を書きました」
「ふうん……盗賊団に白魔法の、それも若い使い手が居たという訳ね。貴女の弟子にするつもり?」
余計な話の導入部分は飛ばしてしまえとばかりに、王女はミゥの言いたいことを理解して確認を取る。
「ええ、そうです」
「――それは、私の信頼を得ることよりも優先事項だったということで、いいわね? 弁明があるなら、今だけ聞いてあげる」
リセリルカからすれば、盗賊の生き残りを匿うミゥの行いは、裏切りに等しい。
王女の目的は、盗賊団の殲滅――『都市台』というベルグの長の地位を手に入れるには、その行為の結果が不可欠なのだ。
生き残りがいると分かれば、リセリルカの仕事に傷が付く。
その場に居合わせなかった盗賊団員が生き残っているのとはわけが違う。
もしこの場に生き残りが居たのなら、リセリルカは、殺せるはずだった盗賊を一人逃してしまったことになる。
それは、言い訳のできない明らかな過失なのだ。
ゆえに、リセリルカは確認を求めた。
頭の切れるミゥが、本当に白魔法の素質というメリットだけで盗賊を匿っているのか。
ミゥの真意――リセリルカ・ケーニッヒという王族に今回協力した、目的も同時に知るために。
「私の行いは、今のリセリルカ様の信頼を得ることは出来ないでしょう。ですが近い将来、必ずあなたは私の弟子の――エイシャの存在を大きく思うと確信します」
ミゥは、微笑を浮かべてリセリルカに言う。
次に、目線を少し前に立つケルンに動かした。
「子供の成長は、いつだって親が居ない場所で起こるものです。ケルンが――子供が強くなってゆくには、守り守られる存在が絶対に要る。王女のあなたは、いつでもケルンには付いていられないでしょう?」
「私が思っているのはただ一つなのです。ケルンは、私の息子はもっと大きく、高く跳べるってそう思うから。今のうちに、出来ることはしてあげたい」
「たとえそれが、盗賊に攫われるような危険な目に合うことだったとしても」
――リセリルカ・ケーニッヒ、あなたもケルン・ツィリンダーに期待しているのだろう? 私の息子が、これからどうなっていくのかを見てみたいのだろう? ケルンの成長に、盗賊団の生き残りの存在は大きいぞ? ここで、殺してしまってもいいのか?
ミゥは、そんなことを言っていた。
普通なら、リセリルカは一笑に付すだろう。
ただそのケルンという存在は、友達であり、敵を同じくして戦った仲間であった。
ミゥは王女という身分のリセリルカに語り掛けているのではない。ケルン・ツィリンダーを知っている、一人のリセリルカというヒト種に対して訴えかけているのだ。
ミゥの言葉から、暗幕の中だった彼女の考えがやっと見えて来た。
――ミゥは、ケルンの、息子のことしか考えていない親馬鹿なのだ。
リセリルカはほぅと一息つき、少しだけ体の力を抜いた。
「……なるほど。薄々意図は見えていたけど、貴女がケルンを盗賊団を炙り出す囮にしたのも、ケルンを育てるためなのね」
「ええ、でも一番は、あなたにケルンを会わせるためです。その歳で、力も身分も頭脳も横に並ぶものはいないでしょう。そんなあなたに、ケルンを会わせてあげたかった」
弱者であったケルンに、強くなれるんだと発破をかけるため、ミゥはケルンを囮にした。
すべては、息子に成長して欲しいから。
なるほど、と。ケルンを間近で見たヒト種としてのリセリルカは、これ以上ない位納得した。
だが、王女という身分が、話をここで終わらせることを許さない。
「――貴女が私との関係を切るつもりはないことは、理解はできたわ。でも、それとこれとは話が別よ」
「貴女は現に、私を裏切っている。その行為は消えないわ」
「……そうですね、リセリルカ様の立場からして、盗賊を見逃す利点が先ほど私が説明した中で見つけづらい。未来の話は不確定ですから」
頷き、肯定するミゥに王女は目を光らせた。
――長い遠回りをして、ようやくだ、と。
「やっと本題に移れるわ……私がこの話題を出す前に言ったことを覚えていて?」
ミゥも話の落としどころが迫っていることを知り、感嘆の苦笑を浮かべた。
リセリルカは初めから、エイシャを殺すつもりなど無かったのだ。
少し本題から遠回りして、リセリルカに協力したミゥの真意を聞き出したかっただけ。
いわば、ここまでの話はついで。ただの余興なのだ。
王女という身分を十全に利用して、リセリルカはミゥから色々と情報を引き出しただけ。
「一つ疑問と、持ち掛けたい取引、でしたね……本当に、ケルンと同い年とは思えないです――それで、盗賊を見逃してくれるための、取引とはなんでしょう?」
リセリルカはにやりと口角を上げ、雰囲気を和らげる。
腹の探り合いは終わったとばかりに、血糊の付いた髪先をいじりながら、軽い口調で言った。
「聞きたい事があるのよ――ヒトを遠隔から自在に操れる幻魔法について、覚えはないかしら? 有望そうな情報があれば、今回の事は不問とするわ」




