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1-16.ヒトを殺すのならば

 木々が織り成す遮光幕(カーテン)の内側は、正午の日光でさえも僅かにしか届かない。舞台の中心には二人のヒト種、それを囲むように多数の魔物達が宴を開いていた。

 二つの種族の関係性は、狩る側と、狩られる側。

 それは殺し殺される、魔物とヒトとの共演で。だがその脚本はしかし、万人が共感できるありきたりなものではなかった。

 森に迷い込んだ二人の少年と少女が、魔物に襲われて命を散らす――そんな平々凡々な展開など、火にくべて燃やし尽くしてしまえと言わんばかりに圧倒的に。

 眩い程の色彩を放つ、萌え出づる若葉の輝きだ。


 多勢に無勢と思われた、魔物が群れ成す趨勢(すうせい)は、己が魔法で紫に染まり、稲光を上げる少女によって覆されていた。


 ヒュンと軽い音が上がる度、薄緑(うすみどり)色の体表に無数の切創が刻まれ、暗緑色の体液が風に巻き上げられて飛び散る。

 また一匹、『緑犬魔(ドグ・シー)』が地に伏せた。


 体を焼き焦がす熱風が吹き荒れる度、鉱物のような蝿の硬殻がひび割れ、その羽は燻ぶり機能を失う。

 また一匹、『侵食蛆蝿(フライバブル)』が地に落ちた。


 疾駆を続けながら魔法を紡ぐ少女――彼女の背中に乗せられている『目』の役割をする少年は彼女とは違い、その逼迫(ひっぱく)した状況を正しく肌で感じていた。

 異常なのはそう。魔物に囲まれようが、これから盗賊の長を殺そうとしていようが、焦りや不安を一切感じさせない金色の王女の振る舞いだ。

 彼女の声や体温はおろか、手の震えすら感じない。状況に対する恐れを、一切伝えてこない。

 それどころか、――――「はぁ、」と。

 

「――もういっそ、飛んで行ってしまいましょうかね?」


 ケルンを背に乗せ、二人を覆う黒い球状の領域に跳び込んでくる魔物を片手間に排しながら、リセリルカが溜息と共に、気怠さを声に乗せて呟いた。

 魔物は彼女の疾駆を止める障害になるわけでも、傷の一つを負わせるわけでもない。

 ただ花を手折る様に容易く、命を刈り取る作業を、リセリルカは課されていた。飛び込んでくる標的に、魔法を紡ぐだけ。

 文字どうり、迷宮内の魔物とリセリルカでは格が違う。

 故に、彼女は苛立っていた。

 魔物はヒト種とは異なり、高度な知性を持っている個体は少ない――殺しの罪悪感こそ感じないものの、リセリルカは彼らの肉が喰らいたい訳でも、羽や皮などの素材が欲しい訳でもない。

 彼女は、どうしても、今自身がやっている行為に有意義な意味を見出せないでいる。

 都市ベルグ近郊に魔物が集まると言っても、この程度の吹けば飛ぶようなものであるならば、『冒険者組合(シャフト)』で有志を募り、狩られるくらいが関の山だろう。

 少なくとも、自分が率先してやらなければならない仕事ではない。そう考えるリセリルカは、『紫電纏繞(しでんてんじょう)』を維持しながら、風の魔法を紡ぎ始めた。

 

「えっ? 飛ぶ……?」


 半ば決定事項を伝えるようなその呟きに、ケルンは疑問を感じて問い返す。

 歩くことですら、状況がわからない盲者の視界では困難なのに、況してや空を飛ぶなど彼の想像の埒外で。

 物体を手足で感じることしかできないケルンは、触ることのできない空中という未知の場所に不安を感じていた。


「そうね……貴方は空を見たことが無いものね。ええと、上級風魔法に、『飛翔(フライ)』という魔法があって。――そう、足場のない場所を移動できるのよ。基本的に、飛んだ方が走るより早く移動できるわ……空中の方が、襲われる心配もないしね」


 ケルンの疑問に思い至ったリセリルカは、盲者に空を飛ぶことの利点を伝える。

 彼女からの説明を受けたことで、合点がいったとばかりにケルンが(かぶり)を振った。


「ゲリュドに追いつくまでの時間短縮って訳か……あれ、魔物は狩っておかなくていいの? ベルグの周りに集まるのはまずいってリセ言ってたけど」


 新たな疑問が、ケルンの頭の中に浮かぶ。

 先にリセリルカは、魔物が集まりすぎることを、看過できない点として挙げていた。故に今まで『飛翔(フライ)』の魔法を使わず、足を使って移動をしながら魔物を狩っていた訳だが、どうして今になってそれを止めるのか。

 『飛翔(フライ)』を使えるのであれば、地下通路から抜けた直後に使用すれば、すぐにでもゲリュドに追いつけたのではないだろうか。

 不可解がケルンの脳内に浮かんで、不意にピンときた。


 ――もしかしたら、俺のせいなのか?

 今までのリセリルカから受ける印象は、聡明で思慮深い少女といったものだ。

 彼女が、俺の為に動いてくれていると考えたらどうだろうか。リセリルカは戦う時も逐一、状況や敵の特徴を俺に伝えてくれていた。

 特に、魔法を使うときはその効力や属性をきちんと教えてくれて。

 これは、彼女なりの"教育"だったのではないのか。

 だとしたら、俺はそれを一言も聞き漏らさずに、無駄にしない様に――


 今までになく高速に思考を始めるケルンの脳内に、焦りを含んだ、リセリルカにしては珍しい声が響く。


「い、いーのよっ!! この程度の魔物ならたかがしれてるわ。寧ろ駆け出し冒険者の育成に丁度いいんじゃないかしら」


 明らかに痛いところを突かれて言い訳をするような声音に、ケルンは自身が母親にするそれと同じ感じを受け、苦笑した。


「……めんどくさくなっただけじゃないの?」


 本質を突いていたケルンの言に、リセリルカはピクリと眉根を寄せる。

 声調(トーン)を下げ、脅すように背にいる少年に呟いた。


「……(うるさ)いわね、置いてくわよ?」


 同年齢からの友達からの冗談。

 そんなものを言われ慣れていないケルンは、言葉通りに受け取って、焦りを声に滲ませる。

 言い慣れていない小さな王女は、感情のままに体を揺すってケルンを落とそうと躍起になる。無論、彼女が本気でそうしたいのなら容易くできるだろうが。


「ごめんって!! 降ろそうとしないで、置いてかれたら野垂れ死んじゃうからっ!!」


 リセリルカは無言で、上級風魔法の『飛翔(フライ)』を紡ぎ終え、ケルンを乗せたままその体を空中へと運んだ。


***


 日差しが、空中の二人を焼く。

 《森林迷宮》、その天井――青く茂る巨大な木群を突き破って、リセリルカとケルンは足場のない空へと飛び出した。

 目の見えない状況での飛翔は、リセリルカも初めてのことで――自身が一体どの程度の高度にいるのか、向かうべき方向はどこなのか、等々。

 掴みかねていることが多々ある中で、その大部分を背中に乗せた『目』に頼る。

 ケルンから、リセリルカの『紫電波(レーダー)』と同じ要領で発された、黒い微小な電波が地上を走査してゆく。

 無数の集う魔物達、魔物とはまた違う、動物たちの反応。そして一際明瞭に感じる、自分と同じ生体の反応――ゲリュドの姿を、ケルンはしっかりと捉えていた。


「――多分『侵食蛆蝿(フライバブル)』は飛んでこない高度だけれど……探知はそのままよ、欠かさないで」


「了解」


 ケルンから伝わる情報を纏う紫電で受け取ったリセリルカは、先ほどまでの子供じみた雰囲気を一変させ、声音を響かせる。


「ゲリュドは――あれね。この距離なら、一瞬で飛んで行けるわ……その前に、」


「――わかってる」


 ヒトを殺す覚悟を今一度問われると思ったケルンは、リセリルカの言葉を遮った。

 彼にとって『同族殺し』は、正直怖いなんていうものではない。何せ、初めて他人から何かを奪うのだ。

 それも、代わりの利かない、一生で一度のモノを。

 命の重みなど、ケルンは知らない。だがきっと、両親やリセリルカが誰かに殺されてしまったのならば、彼は一生をかけてでもソイツを恨み続けるだろう。

 今自分がやろうとしている行為がそういうもの(・・・・・・)だと、表面でなく、心の深いところで理解している。

 しかし、だからと言って――自分の代わりに、そのとてつもなく怖い行為をリセリルカや他の誰かにやらせるのは、絶対に間違っている。

 ケルンは、そう思うのだ。


「いえ、そうじゃない(・・・・・・)わ。貴方が今更うだうだと言うようなヒトなら、私はきっと覚悟を説いたりしなかった。私は、私と貴方を信頼してるもの」


 同齢の少女から紡がれる言葉は、そうとは思えない程大人びていて。


「そうじゃなくって、殺し方よ――ヒトの殺し方を、私が教えてあげる」


 そうとは思えない程、悲しい程。

 『殺さなければならない状況』を知っていた。


***


 声が、する。

 金声玉振(きんせいぎょくしん)の、響くような声が。

 鳴り響いて、止んでくれない。存在を刻むように、居座り続ける。


『――いい? ケルン、よく聞いて。ヒトを殺す時は、狂って(・・・)いなければならないの。或るヒトは私に言ったことがあるわ、殺す時は無心になれと。暴れ狂う激情に身を任せろと。剣の、魔法のしたい様に力を解き放てと』


 感情の起伏の一切を斬り捨てたような声だ。


『これらは全部合っているけれど、正しくなかったわ。剣を振るおうが、魔法を紡ごうが、それが同族であるヒトに向くとき、正常でいられるはずがないのよ。剣を持つ手は震え、魔法は狙いがぶれる。正常でいればいようとするほど、心と体が乖離してゆく。やがて全身は硬直して、喧しい心音と狙った相手の死に様が頭にへばりつく。何もできなくなって、殺すのをあきらめた瞬間に始めて、心は正常へと回帰する』


 耳のすぐ傍、彼女の息が吹きかかる感触。


『――だから、ヒトを殺す時、ヒトは正常であってはならないの。その瞬間だけは、どうしようもなく狂っていなけらばならないの。けたたましく笑い声を上げて、それでいて馬鹿みたいに冷静で。殺す時そこに居るのは、正常とはかけ離れた異常な自分。どうしようもなく狂ってて、むしろヒトを殺すことを望んでいるような、そんな自分』


 ――ケタケタ、ケタケタ。

 彼女は、まるで別の何かに変わったかのように、笑う。

 狂っている、彼女はどうしようもなく。

 それなのに、その声の旋律は耳を捉えて離さない。耳から脳へ、溶けだして、沈着する。


『狂っている自分を、正常な自分と意識的に()げ替えるの。殺すのは、狂っている私。正常な私は、体の支配権をそいつに奪われたまま、けれど鮮明に。死に様を、自分がどうやって相手を殺したのかを、観測しなければならない。そして、殺したことを、狂った自分のせいにしてはいけない。正常な自分も、狂った自分も等しく私なのだから。その罪は、背負わなければならない――』


『――ヒトを殺す時は、気高く狂いなさい』


 ケタケタ狂っている彼女の声と、理性的なリセリルカの声が混ざる。


『計算高く、狂っている自分に呑まれない様に、狂気を支配しなさい。そうすれば、相手を忘れないまま、同族を殺した罪から逃れようとしないまま。ヒトを、殺すことができるから。多分、殺した後は悩んで、吐いて。こんなヒト殺しの自分なんか、死んでしまえと思って。それでもその後に、心に灯っている覚悟という名の炎が消えずに残っているのなら。もう貴方は、奪われる側ではない。その時初めて、弱者は強者への一歩を踏み出せるのよ』


 彼女は、哄笑(わら)う。リセリルカも微笑(わら)う。

 説かれたそれは、ヒトの殺し方。

 罪を忘れないまま、痛みを風化させないまま。

 正常な心を保つための、ひどく不安定な矛盾を孕む方法論。

 強者たるのに、避けては通れぬ『殺し』への向き合い方。


 ケタケタ笑うその音は、確かにケルンに根を張った。


***


 響く。

 響いて、響いて、響いて、何を言っているのかだんだんわからなくなってきて、音と自我の境界が曖昧になってきて、黒い視界が歪んできて、ぐにゃりぐにゃりと音が脳が体が感覚が分からない分からない分からないわから――――――――


 ――――ギャリィィィィン!!


「ッッ!!」


 鉄同士が上げる悍ましい擦過音に、ケルンの意識は回帰した。

 相変わらず見えない視界、それでも感じる(・・・)

 剣を振り切った体勢で、リセリルカとゲリュドが交錯していた。

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