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1-1.憧憬との出会い

 目を閉じると、そこに広がるのは『黒色』だ。

 目の見える健常者は、そう俺に説いたっけ。俺の、情景が映らない目には、そのヒトの話す言葉が大層なご高説に映っていた(・・・・・)ことだと思う。


 じゃあ目の見えない俺は、ずっと目を閉じていることになるのだろうか。そして景色が見えてないじゃなく、黒色が見えてるんだろうか、と。そう健常者に聞けば、決まってこんなふうに返すのだ。

 ――いや、お前は馬鹿か? 何も見えていないに決まっているだろう? 『黒色』しか見えない状態のことを、健常者(ふつう)は『何も見えない」と表現するんだよ。――


 そう、こんなふうに。


 生まれてこの方、俺が目にすることができた景色は、この暗闇だけ。

 闇など、怖くもない。だってそれが、俺が目にすることのできる唯一の景色なのだから。

 でも、闇の向こう、黒の先に広がってる、圧倒的無理解を孕んだ『世界』というのは、いつだって俺に恐怖を与えてくるんだ。


 足を踏み出した一寸先、何があるんだろう? 地面か? 崖か?

 ふと耳を打つ音、それは何を意味するんだろう? ヒトの営み? 命の終わり?

 見えないんだから、何が起きたかすら分からない。

 見えてる『黒色』なんて、全く怖くない。でも、見ることのできない『世界』はとても怖い。


 耳が拾ってくる『世界』の情景は、完璧とは程遠くて。

 鼻が伝えてくる香りを添えて、触覚が伝えてくる温度と感触で彩って。

 たまに痛覚が、自分の状態を教えてきてくれる。


 そんな俺が受け取れる『世界』の情報は、健常者と比べてどうしようもなく欠如しているんだ。


 そして他人は、そんな俺を『盲者』と呼んだ。


***


 盲者であるケルン・ツィリンダーが意識の覚醒を感じることができたのは、腹部の鈍痛と周囲の悍ましい環境音からだった。

 目は見えないながらも彼は瞼を開き、健常者ですら見えない音の形を見ようとするかの如く、その白磁の双眸を環境音の発生源へと向けた。


 ギャリギャリと鉄同士がぶつかる剣戟の音に、響き渡る怒声。

 ぽつぽつケルンの耳に届いて来たそれは徐々に大きな音となって、彼が伏している場所へ向けて追いすがってくる。言いようのない不安と恐怖が、ぶるぶるとケルンの手足に震えを生じさせる。


 唐突に、グシャ――っと、水分を含んだ果物を、床に落としたような衝撃音が周囲に轟いた。


「ひっ!?」


 肺から漏れたらしい、顔も知らない"彼"の断末魔が、ケルンの耳から脳内に響く。

 恐怖心を更に煽られ、彼は短い悲鳴を零した。


 一人の生命が終わる音を契機に、剣戟は止み、蹂躙の音へと様変わりする。

 ビュウッという風切り音と共に、幾重にも重なり響く男声の絶叫。五人、十人と、それが続いて。

 シン、と静寂がその場を包み込んだ。


 やがて一時の静寂は破られた。

 コツ……コツと。薄暗い盗賊の根城、その洞窟の中で、ケルンに向かって一つの足音が近づいてくる。


 目の見えないケルンは、震える手で頭を抱えて息を殺した。

 自身の状況を知覚できない彼には、自らの腕で、自らの体をかき抱く程度のことしかできない。それは、護身と呼ぶもおこがましい無意味な行動だ。


 静かに響いた足音が、蹲り、情けなく震えるケルンの前で止まる。

 彼の震えは最高潮に達し、首を狩る無形の死神を暗闇の中で幻視した。

 立ち上がることはおろか、声を発することすらできない。

 只一つケルンが安堵したのは、自身が盲者であることで、死神の実際の姿を視なくてもよかったことだった。


 ケルンの恐怖とは裏腹に、盲者の前に佇むは、彼と同齢程度の少女だった。


 腰のあたりまで真っすぐに流れる、絹の様な金の髪。暗闇の中でさえ、輝きを放つ髪と同色の双眸。まだ未成熟なその体を包むのは、凡そ死地には似つかわしくない貴族のドレス。

 純白の、膝丈まである靴下を煤けさせ、解れさせ。抜き身の剣一振りを携える少女。

 返り血をその身の至る箇所に浴びてなお、気高く金に輝く彼女は、ケルンにその手を差し伸べた。


「――もう大丈夫よ、大変だったわね!」


 金声玉振(きんせいぎょくしん)を思わせる彼女の声音が、凛と響く。

 その声音は、ケルンの耳朶を打ち、恐怖の束縛を打ち消した。


(……なんだろう。この声は、なぜだかとても安心する)


 ケルンは、自身が置かれている状況を一切理解できていなかった。

 だが手足は、その一声で震えを止めてしまう。不思議な力が、その声には乗っていた。先とは異なる理由で、ケルンは声を出すことができない。恐怖でなく、死地と思われるこの場にそぐわない少女の朗声に対する不可思議さが、彼の意識を独占していたのだ。

 呆けていたケルンの手が、少女によって強引に引っ張られる。その手は、ケルンより華奢だった。だが、それでいて恐ろしく硬い、剣士の掌中でもあった。

 彼女の手に更に力が込められ、黴臭い洞窟の隅で蹲っていたケルンを立ち上がらせた。


「……貴方、目が見えないんですってね?」


 盲者のケルンを労わる様に、彼女は彼の手を引いて歩き始める。

 その金眸は、油断なく前方へ向けられている。

 ケルンは記憶を探る様に、彼女へ向けていた視線を地面へと落とした。少女との面識が無かったことを、今しがた聞いた凛とした声音から確かめたケルンは、一つ疑問を発する。


「あの、すみません。あなたは誰ですか?」


 前を歩く少女の足が止まる。ケルンの返答は彼女の問いに答えるものではなかったが、それを気にするでもなく振り返り、彼女はくすっと笑みを零れさせた。


「――リセリルカよ。リセリルカ・ケーニッヒ」


 ――リセリルカ。脳内で彼女の名前を反芻したケルンは、その綺麗な響きを記憶に焼き付ける。

 ふと、自身の名前を先に名乗っていないことにケルンは気づく。

 恐々粛々、彼は慌てて名前を名乗った。


「ケルンです。ケルン・ツィリンダー」


 何が可笑しいのか、彼女はその少女らしい無邪気な笑い声を、響かせた。

 ひとしきり笑い終えた彼女は、ケルンの手を先ほどより少し強く握り、言葉を発する。


「覚えておくわよ、ケルン」


 欠損者、盲者のケルン・ツィリンダーと王の非嫡出子、第五王女のリセリルカ・ケーニッヒ。

 二人のヒト種の出会いが、時代を動かし始める。

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