義賊クロネの事情 3
クラーラと、ロジィネが一つとなって1ヶ月が経った。
その日も、クロネは孤児院の屋根で一人王都の夜を過ごしていた。空にはあのときと同じ顔をした月が浮かんでいる。
それと、もう一つあの夜に見た顔がクロネの眼下に現れていた。ひょろりとした長身の影のような男。フードをかぶっているが、間違いようがない。クラーラは影の顔を見ていないが、ロジィネは夜の闇を見通す目で顔を見ていたし、その匂いも覚えていた。
男は周囲を警戒するように見回し、人がいないのを確認すると教会の敷地に足を踏み入れた。
その男はペッツという名だった。
(どうしてこんなことになったのだろう)
ペッツは1ヶ月前に、目の前の教会で殺してしまった少女のことを考えていた。何を間違えてしまったのか、どこで間違えてしまったのか。引き返すことはできなかったのか。
ペッツは孤児として教会で14年間育てられた。14歳からは王都の港の荷揚げ人足として一生懸命働いてきた。
賃金は決して高くなかったが、1人でなんとか食べていくことは出来ていたし、ほんの少しではあるが、自分が育った教会に寄付を送ることも出来ていた。
あまり頭のよくなかったペッツは朝起きて、人足として働き、食事をして寝るというだけの生活に疑問も不満を持っていなかった。
そうして数年間を過ごしたある夜、ペッツはいつものように仕事を終えて、酒癖の悪い仕事仲間の酒を断り人足の寮に帰る途中だった。
もうすぐ寮に着くというところで、酔っ払いに絡まれて喧嘩となった。
相手が港の荷揚を管理する役人の1人だと気が付いたのは、殴り倒して顔を確認した後だった。しかも相手は倒れた際に打ち所が悪かったのか、ぴくりとも動かない。怖くなったペッツはすぐにその場から逃げ出した。
それから2週間ほどはいつ護民兵が自分を捕らえに現れるかと、ビクビクしながら過ごしたが、港で役人が1人行方不明だという噂は聞いても、死体が見つかったという話は聞かなかった。
喧嘩をした場所は裏通りとは言え、1ヶ月も人通りがないわけがない。あの役人は死んでいなかったのだろうか。
1ヶ月が過ぎる頃にはあの夜のことはすっかり悪い夢だったと思うようになっていた。
しかし、ペッツの前に現れたのはよりたちの悪い悪夢だった。
その日、仕事が終わったペッツの肩を叩いたのはスラムや港の荒くれ者をまとめる組織の人間だった。
役人の死体は組織の人間が片付けていたらしい。「黙っていてやるから仕事を手伝え」そう言われて気の弱いペッツに断ることなどできなかった。
始めはよくわからない荷物運び。次に盗みの際の見張り役だった。見た目はひょろりとしているが、人足で鍛えた体は力が強く、用心棒代わりをすることもあった。その頃には港での仕事は辞めていた。
いつの間にか喧嘩で人を殺すことも当たり前になっていた。ここ1年は酒の金欲しさに人を襲うようにもなり、組織の人間もペッツの事を恐れるようになった。
初めて人を殺めて以来、15年が経った今も、ペッツの悪夢はまだ続いている。
その日は、組織に指示された人物を殺した後、護民兵に現場を見つかり逃げた。逃げた先にあったのは、かつて育った教会だった。あの頃のままの教会を見てつい、その扉を開けてしまった。夜も遅い時間のため、当然灯りは点いていない。
「神官さま?」
少女の声が聞こえた時、唐突に人を初めて殺した夜の恐怖がペッツの心に蘇った。恐怖を感じたのは鈍化していた心が悪夢に気付いたからか、懐かしい教会を見て昔の自分を思い出していたからなのかはわからない。とにかく少女に”見られた”ことにペッツは恐怖を感じた。
気が付けば同じ教会で育ったであろう少女を殺してしまっていた。
どのようにして、ねぐらに帰ったのか覚えていない。帰り際に護民兵に見つからなかったのは幸運だったのだろうか。もし見つかっていれば、そこでペッツの悪夢ともいえる生活が終わっていたのかもしれないことを考えると不幸であったのかもしれない。
ペッツは1ヶ月ほど悶々とした後にもう一度教会を訪れることにした。気持ちは宙ぶらりんのまま何も決まっていない。神官様にすべてを話し贖罪をするか、今まで通りの生活を続けるか、それ以外の道がなにかあるのかもわからない。思考放棄したといってもいい。それでも、ここに来れば何かが変わるような気がした。
周囲を確認し、教会の敷地に一歩足を踏み入れる。
月明かりに照らされて小さな女物のショートブーツが1足、ペッツの行く手を阻むように置いてあることに気が付いた。そして唐突にブーツのあたりから女の声がした。
「今、神官様はお休みになれられています。あいにくここには私しかいません。神官様に御用の方でしたら、また明日お越しください」
ペッツの胸がどきりっと跳ねる。あの夜に聞いた少女の声が耳元で蘇った。いや、そんなはずはない。あの少女は確かに死んだはずだ。それとも--
「化けて出たか」
そう声に出すと、腰に差してあった刃物を抜き構える。と、同時に目の前の誰も履いていないブーツが1歩前に踏み出した。
「そうかもしれませんね。猫は七代祟るといいますよ」
その言葉に自分から仕掛けようとしていたペッツは思いとどまる。まさか返事をするとは思わなかった。それに少女を殺した時に猫がいたことを思い出したからだ。
もっともブーツだけでその姿は見えないため相手が猫かどうかは確認しようがない。
見えないだけでブーツの上に実体があるのか、ブーツ自体が本体なのか、それともブーツも声もまやかしで本体が別にあるのか。少なくとも会話は成り立つなら生者を恨む亡霊のたぐいよりも魔術の可能性の方が高い気がした。
いつの間に現れたのか、そこに人がいると仮定するのならば、あって当然の位置に、ブーツのサイズに見合った小さな細剣が浮かびあがっていた。細剣はまるで機嫌のよい猫の尻尾のようにゆらゆらと揺れている。
いい加減にじれて、仕掛けようとペッツが一歩足を踏み出したと同時に、細剣の向こう側でトパーズ色に光る猫の目と、己の目が合った。
「神官さま?」
暗闇の中で控えめに声を掛けられたペッツは、いつの間にか生まれ育った教会に入りこんでいることに気が付いた。
「い、今、神官様はお出かけになれられています。あいにくここには私しかいません。神官様に御用の方でしたら、また明日お越しください」
少女の声に怯えを感じる。こんな遅くに暗闇で見知らぬ男が入り込んでいたらそれも当然だろう。
「俺はここの出身でね……神官様に犯した罪を聞いてほしかったんだ。明日また来ることにするよ。脅かして悪かったな」
そう言うと、ペッツは少女を後に教会を出ることにした。なんでもっと早くこうしなかったのかと後悔の念だけが募る--
いつの間にか、ペッツは自分の手に小さな荷物を持っていることに気が付いた。組織の人間には絶対に中身は見ずに指定のところに届けろと言われていたが、好奇心に負けて包を開けてしまった。中身は最近、港で違法輸入指定されている植物の種だった。荷揚げの仕事をしていると、上司から違法の品物についての注意事項を伝達されることがあり、自然とこの手の品物には詳しくなる。
散々迷い、やはり言われた通り、指定の場所に届けようと思ったその時、ペッツの目に港を見回る護民兵の姿が見えた。護民兵と目があったような気がして、ペッツは急に怖くなった。震える足で護民兵に声をかけると、預かった荷物を渡し、洗いざらい話してしまった--
次の瞬間、ペッツは肩を叩かれて振り向いた。そこには人足の仕事仲間達がいた。仕事が終わり一緒に酒でもどうかと言われ、少しだけならと誘いに乗ることにした。
少しと言ったものの酒癖の悪い仕事仲間と飲めば少しで済むわけがないのはわかっていた。それでも、仕事の愚痴を言い合い、楽しい酒を飲み、バカ騒ぎをし、一緒に人足の寮への帰路に就いた。
途中、酔っ払った港の荷揚げを管理している役人に絡まれたがこっちも酔っ払いだ。仲間の一人が酔っ払いを殴り倒してしまい、役人は動かなくなってしまった。
慌てて近くの町医者を呼び診てもらったところ、幸いにして命に係ることはなかった。その後は役人ともめるかとも思ったが、お互い酔った上での喧嘩ということで港ではよくあることと大事にならずに済んだ--
「どう?何度でも引き返す機会はあったはずなのよ。あなたがどんな夢を見たかは知らないけど、このまま進むか、償うかあなた自身が決めればいいわ」
ペッツが声を掛けられてハッとすれば、いつの間にか夜の教会の敷地で膝をついて涙を流していた。
先ほどまであったブーツも細剣も既に目の前には無い。かけられた声すら幻であったかのようにその気配を消していた。しかし今体験したことは、夢であったはずはないし、これは夢で終わらせてはいけないとペッツは思った。
次の日の王都新聞は、世間を騒がせた連続殺人犯のペッツが捕まったと報じた。
「ふむ、自分を殺した相手にしてはずいぶん甘い対応ではなかったのかな」
そうクロネに語りかけたのは王都新聞を読んでいたアルベルトだ。
「私はアルベルトさんとは違って”悪魔”ではありませんからね。人間のことはそう嫌いな訳ではありませんし。それに、自首したとはいえ、縛り首は免れないでしょう」
「なるほど、まぁ君自身の仇だ。七代祟るもその魂を救うも君の好きにしたらいい」
「もしかしてやり取りを聞いていたのですか?プライベートの覗き見なんて趣味が悪くないですか?まぁ、七代祟るにしたって彼は独身で子は居ないようですし。大体、七代も祟るなんて気の長い話は面倒ですよ」
「趣味が悪いとは心外な。可愛い後輩を心配して様子を見ていただけだというのにね」
何が嬉しいのか嬉々として語るアルベルトにクロネは1つため息をついた。
「出来ればその嬉しそうなお顔は奥様に向けてあげてください。最近、私を見る奥様の目が怖いのであまり奥様のいる前で私の話題ではしゃがないでくださいませんか」
「ふむ、そうかね?しかし君も大分はしゃいでいるようではないか」
そういって見せた新聞の三面記事の小さな見出しにはこう書かれていた。
”怪異!夜の王都でスキップしながら徘徊するブーツお化け現る!”
「そら、もう一つあるぞ」
”懸賞金のかかっていた迷子猫見つかる。届けた主は「クロネ」とだけ名乗り懸賞金受け取らず”
アルベルトは頭を抱えるクロネを楽しそうに見つめながら机の中からカードケースを取り出し追い打ちをかける。
「小さな記事とはいえ、世間に知れたついでだ。こんなものを作ってみたから”夜の仕事”の際に使いたまえ」
クロネが恐る恐るカードケースを開けるとそこには黒猫の絵と”クロネ”と書かれたカードが納められていた。
この日を境に王都で話題を独占することになる”義賊クロネ”が嫌々ながらも本格的に活動を開始することになる。
しかし、その標的の多くは”ディードリンデ商会”に都合が悪い商売相手や貴族であることに気が付くものはいなかった。