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幻想千夜一夜  作者: Ming
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義賊クロネの事情 1

 今、王都の酒場で定番となっている話題が2つある。

1つは、赤いリボンが付いた小さな編み上げのショートブーツだけが深夜の王都をスキップしているというものだ。

 中には、少女の笑い声を聞いたという者もいるという。

 酔っ払いの見間違い、と一言で片づけるにはあまりにも目撃証言が多い。酒場に勤めるおしゃべり好きな女中は、昔殺人鬼に両足を斬られ殺された少女の霊だという。また、ある商会を引退した老人は悪戯妖精(パック)の悪戯だろうという。

 しかしその正体は誰も知らない。


 もう一つ、王都を賑わしている話題がある。噂の元が深夜の王都、正体は不明という点で共通している話だがこちらは実害が出ている。いや、実害と言っていいものか、被害を受けているのはいわゆる”悪い人”だったのだ。


 ”義賊クロネ”


 その姿を見たものはいないにも関わらず、名前だけは王都で知らぬものがいない存在だ。

 クロネの活動は全て深夜に行われている。義賊クロネは王都に蔓延る様々な悪事をその身ひとつで断罪、解決している義賊だ。

 スラムで恐れられていた荒くれ者の集団を壊滅したかと思えば、良い噂を聞かない商会の税金逃れや禁制品売買の証拠を白昼の元に晒したり、横暴な貴族を攫い下着姿1枚のまま簀巻きにして大通り広場に吊るし上げたこともある。かと思えば、迷子になった猫を飼い主に届けてくれたと証言をする老婦人もいる。

 義賊クロネは自分のした仕事の後には必ず1枚のカードを残していた。そこには”クロネ”の文字と、黒猫の絵が描かれているのだ。


 スキップする赤いリボンのついた編み上げのショートブーツと、義賊クロネ。この2つの話は、時を3ヶ月ほど巻き戻した王都の下町で起こった、そう珍しくもないある不幸な出来事が発端だった。

 今は、その出来事の当事者たる1人の少女と1匹の黒猫に話の焦点を当てようと思う。



-王都の下町、3ヶ月前-


 今年13歳になるクラーラには親がいなかった。

 赤子の頃に下町の孤児院に捨てられ、そのまま孤児院の子として育てられた。

 孤児院は貧しくはあったが、厳格な父代わりの神官と優しい母代りのシスターに恵まれ、いつしか孤児院最年長となったクラーラは他の年少の孤児たちの賢く優しい姉となっていた。


 クラーラは1匹の黒猫を飼っていた。小さい頃に拾ってきて、神官とシスターに無理を言って自分の食べ物を分けながら育ててきた猫だ。

 名前をロジィネという。クラーラとロジィネは良く似た容姿をしていた。黒髪と黒い毛並、どちらもトパーズ色の瞳。それだけでも似た印象を持つ者は多かったが、ロジィネは賢く、小さい子のお守りまでしてのけた。

 クラーラの買い物について歩き、寝食を共にし、時には年少の子を慰めるロジィネは、クラーラとまるで姉妹のようだった。


 やがて、クラーラが13歳の拾われた日(たんじょうび)を迎えると、孤児院を出て働くことになった。

 もともと日雇いで働いていた商会での仕事ぶりが認められて、住み込みの仕事をもらえることになったのだ。これまで多くの兄や姉が仕事を見つけ巣立っていったが、クラーラにもその順番が訪れたわけだ。


 孤児院を出るクラーラに神官とシスターは1足の靴を贈った。赤いリボンが付いた編み上げのショートブーツだ。毎回、孤児院を出る子供たちに何かを贈ることはこの孤児院の伝統だ。

 貧しい中でも、神官とシスターは少しでも巣立つ子供たちが頑張れるようにと、無理しながら用意してくれていることをクラーラは知っていた。


 ブーツを受け取り夕食を済ませ、商会の寮への引越を翌日に控え、孤児院で過ごす最後の夜、妹弟達とカーテンで仕切られた年長組部屋の自分のベッドに腰かけてクラーラは膝に乗せたロジィネに話しかけていた。


「ねぇロジィ。商会の旦那様や、奥様がネコ好きでよかったわね。あなたと一緒で良いって言ってくださったし、あなたと一緒なら神官様やシスター、妹弟たちと別れてもそれほど寂しくないもの。それにこの素敵なブーツ!私一生の宝物にするわ!」


 ロジィネはあまり興味なさそうに尻尾をゆらりと揺らし「にゃ」と短く鳴くのみだ。

その時、部屋を控えめにノックする音が聞こえた。ロジィネを膝から降ろし、扉を開けるとそこには困り顔のシスターがいた。


「あぁ、クラーラ、休んでいるところごめんなさい。ハイノが外に出てしまったようなの。神官様と年長の男の子達が探しに出ているのだけどもこれから私も探しに出るわ。戻ってくるまで年少の子たちを見ていてくれないかしら」

「まぁ、ハイノが?」


 ハイノはつい最近、親を亡くして孤児院に来たばかりの身寄りのない男の子だ。

 孤児院に来たばかりの子にはよくあることだが、自分が住んでいた家に帰りたがる。そして孤児院を抜け出しては連れ戻されることを繰り返すのだ。

 いずれは慣れるものだが、ハイノは5歳でまだまだ親が恋しい歳で両親の死を受け入れるだけの分別もないのだろう。


「小さい子たちはもう大部屋で眠っているから、困ることは無いと思うけど放って探しに出ることもできないわ。クラーラお願いできないかしら」

「ええ、わかったわ」


 そう言うとクラーラはショールだけを手に取り、シスターと部屋を出た。礼拝堂でシスターは「ではクラーラ、よろしくお願いしますね」と言い、孤児院から出て行った。

 年少の子たちの部屋は礼拝堂に隣接した大部屋が充てられている。礼拝堂から短い廊下を通り、子供部屋となっている大部屋へ入るとそこには10歳未満の妹弟たちが静かな寝息をたてて寝ていた。

 クラーラは妹弟たちを一通り見回り、寝相の悪い子の毛布をかけなおしてあげると、近くにあった椅子を引き寄せそこに座り膝にロジィネを乗せて神官たちの帰りを待つことにした。


 妹弟たちの寝息や寝言を聞きながら思うことは、家出をしたハイノのことではなく、明日からの新生活のことだった。もちろん、ハイノのことも心配はしていたが、物心つく前から孤児院で生活してきたクラーラにとって、新しい子が孤児院を抜け出すことは割とよくあることだったからだ。

 クラーラが勤めることになるディードリンデ商会は王都でも力のある大きな商会だ。これまでクラーラはそこの支店で簡単な書類整理や雑務を日雇いでこなしていた。あるとき、書類整理の際に計算の間違いをみつけ、報告をしたところ支店長に気に入られ住み込みの従業員として雇ってもらえることになったのだ。

 住み込みとなれば、覚える仕事は増え忙しくなるだろうが、寝る場所と食事の心配はない。同じ王都内だ、休みの日には孤児院へ顔を出すこともできるだろう。だが、クラーラを何よりも喜ばせたのは、決して多くはないがちゃんと給金が貰えることだ。今までも日雇いで貰っていたが、比較するまでもなくこれまで以上の給金を約束してもらっている。


(ようやく神官様たちに恩返しができるわ・・・)


 かつて孤児院を巣立っていった兄姉の多くがそうしてきたように、クラーラもまた、孤児院へ少ない給金から仕送りを行うつもりでいた。

 そしてそれが、クラーラが貰った赤いリボンが付いたブーツにあたる何かとなり、妹弟の巣立つ際の励みになってほしいと考えていた。


 勤めることになるディードリンデ商会はその商会名が示す通り、会長は女性でまだ若いと聞く。クラーラの頑張り次第ではゆくゆくは暖簾分けをしてもらえるかもしれない。そうすれば、後進の子たちを自分で雇うこともできるようになる。世間知らずな大きすぎる望みかもしれないが、本気だった。


 クラーラは自分の境遇を悲観したり、恨んだりすることは無かったが、納得したこともなかった。いつか自分の境遇を変えたいと思って文字や計算の勉強にも励んできた。今回のことはクラーラの大きな目標の第一歩だと言えた。


 そんなクラーラの思考はロジィネが膝を降りたことで途切れた。ロジィネは扉の前でじっと座り込むと、開けてくれと言わんばかりにクラーラの顔を見つめている。


「ロジィ、神官様たちが帰ってきたの?」


 子供たちを起こさないように、そっと扉を開け、廊下に出ると、ロジィネの後に続くように礼拝堂へ向かう。


 廊下をはじめ、孤児院内の灯りは全て落としてある。暗闇の中、窓から入る月明かりだけを頼りに、ぼんやりと見える黒いロジィネの後に続く。


 ロジィネに続いて礼拝堂に入ると、外へと続く扉が開いていることに気が付いた。


「神官さま?」


 と、暗闇に声をかけてからクラーラはハッとした。神官様よりも背が高く、ひょろりとした人影が見えたからだ。そしてそれが明らかに孤児院に所属する人間ではないことに気が付き、声を出してしまったことを後悔する。


 ゆらり、と影がこちらを向いたのが分かった。月明かりに照らされた手には刃物が握られていることに気が付き、血の気が一気に下がる。助けを呼ぼうとして、神官様もシスターもここにはいないことを思い出す。


(今ここで騒いだら、寝ている子達が起きて、危険な目にあうかもしれないわ!)


 自分の心音で子供たちが起きてしまうのではないかと思うほど、跳ねている心臓の前で両手をギュッと合わせ、勇気を振り絞って影に問いかける。


「い、今、神官様はお出かけになれられています。あいにくここには私しかいません。神官様に御用の方でしたら、また明日お越しください」


 あえて刃物には気づかない振りをして、このまま出て行ってくれないかと願いながら発した声は、自分の声とは思えないほど掠れ震えていた。


 そんなクラーラの願いはかなわず、影は出口とは反対に、クラーラにふらりふらりと近づいてくる。

 近くに鍵がかかる部屋はない。子供部屋の古い扉はすぐに破られてしまいそうだし妹弟たちを巻き込みたくない。狭い礼拝堂で影を挟んだ向こう側の出口から逃げ出すことはできるだろうか。


 思考だけが空回りし足が(すく)む中、影は一歩、また一歩とクラーラに近づいてくる。

 もう後、5歩もないほどにクラーラに近づいたそのとき、物陰から黒い塊が影に勢いよく飛び掛かった。


「ロジィ!」


 ロジィネに飛びかかられて、一瞬怯んだ影の脇をクラーラは駆け抜けた。ロジィネのことは気になるが、振り返ることはせずに、とにかく外に逃げ出すことを優先した。

 狭いはずの礼拝堂が今日に限ってとてつもなく広く感じる。足がもつれ、まるで水の中を走るように前に進まない。

 

 出口まであと10歩くらいだろうか。


時間が経つのが妙に長く感じる。大した距離を走っていないはずなのに息が苦しい。


 あと5歩。


 ここから逃げ出せればきっと妹弟達は助かる。さっき私は「私かしいない」と言った。影がその言葉を真に受けてくれればいいと思う。


 あと一歩。


 教会から離れ、影から逃げ延びれば、明日から商会での新しい生活が始まる。1週間も経てば「あの時は本当に怖い思いをしたわ」と笑っている自分がいるはずだ。



クラーラの美しい黒髪が影の長い手に掴まれた。


細い背中に突き立てられる刃物。

床に叩きつけられぐったりしているロジィネ。



クラーラの願いは、かなわなかった。




 神官がハイノを連れて帰った時には”影”の姿はなく、教会の入り口で小さなクラーラは亡骸となっており、傍ではロジィネが力尽きたように息絶えていた。

 大部屋の子供たちや、他の子どもたちは何も気付かなかったという。


 犯人は不明だったが、クラーラが殺害されたその日、近くで別の殺人事件があった。その犯人は、近くを警邏(けいら)中の護民兵に見つかり逃走したという。もしかしたら、あの夜、護民兵に追われた犯人が教会に逃げ込んだのかもしれない。


 葬儀にはクラーラが働く予定だった商会の支店長も訪れた。クラーラの聡明さに小さくない期待をしていた支店長は涙を流して悲しんだ。孤児院の誰もがクラーラの死を悼んだ。

 姉妹のように育ったロジィネの亡骸と、赤いリボンのついた編み上げブーツはクラーラと同じ棺に納められた。



 後日、墓地に納めるために担がれた棺が、猫と編み上げブーツの分だけ軽くなっていることに気が付いた者はいなかった。

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