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幻想千夜一夜  作者: Ming
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ベールケ教授と精霊

「教授、そろそろお休みになられた方が……」


 そう声をかけたのは、濃い金髪をきっちりとまとめ、メガネを掛けた女性だった。名前はグレイスという。一方教授と呼ばれ声を掛けられたのは、もう夜も深いというのに、つややかな黒髪はあちこち寝癖がぴんぴんと立っている、いまいち冴えない顔をしている男性だ。


「うん……もうちょっと」


 と返事はしたものの、目の前にある分厚い古書を読むことに集中しており、とても聞いているように見えない。

 この男の名前はベールケという。王都にある王立総合学術府、通称”学府”付きの学者で35歳の若さで精霊学研究の第一人者と言われている人物だ。

 学府は王国の学術的、魔術的、芸術的学問の全てが集まる研究調査機関だ。もとは小さな私塾が始まりとされており、そこから徐々に大きくなっていき今では王国中から学徒が集まる知識の泉となり、細分化され続けた学問は優に1000を超えると言われている。

 その学府の中で、ペールケは性格はともかく、学者として()非常に優秀な男として知られている。

 そのベールケ教授の机の上を見ると、とうに古書と書類が占拠しており更に進出した紙の大群は部屋中を蹂躙し、机と出口を繋ぐ細い道が唯一床が見える箇所というありさまだ。

 いくつかある棚にはガラクタにも見えるような試料が乱雑に積まれており、机のサイドテーブルには可愛らしい空の小瓶と今日の昼食にと、グレイスが用意したサンドウィッチが干からびてカピカピな状態で手つかずで乗っている。と、言うことは夕食もまだなのだろう。


 グレイスは、小さくため息を吐くと2段階ほど声を大きくしもう一度口を開いた。


「教授、ベールケ教授、今日はもうお休みになられてください」

「ん?あぁグレイス君か。うーんもうちょっとこれを読み込みたかったんだけど……あれ?ロッコ君はもう帰った?」

「3時間も前に帰られましたよ」

「え、もうそんな時間?」

「彼は学生ですよ。仕事も持っているんですからあまり便利に使い過ぎないでください」

「うーん、それは悪いことをしたなぁ」


 頭をかきながら答えるベールケにあまり反省の色は見えない。


「……論文のほうは進んでいるのですか?」

「それがねぇ、僕の中の理論では人と霊と精霊と神の境はほとんどないことを確信しているんだ。ただ立証だけができないんだよ。神か悪魔か、せめて精霊からお話でも聞ければ色々な問題が解消すると思うんだけどなぁ。そもそもだ、ゴーストやポルタ―ガイストをはじめとした人霊も、ジルフやウンディーネ、サラマンデル、ノームを代表とする精霊も、太陽の神や大地の女神をはじめとした大神や八百万の神々にしても、彼らが使う術はどれも同じ仕組みのはずなんだ!自身もしくは周囲から魔素を集めて術を成す。多くの文献でも彼らの奇跡の御業の後には大規模な魔素不足と思われる記述がみられる!この1点を以てして、それがたとえ悪霊であろうと大神であろうと同じ仕組みで”術”を行使している可能性が大きい!つまり!それは神の業ではなく!悪霊の祟りでもなく!ただ人間が使う”魔術”となんら変わらないってことになるはずなんだ!……はず、なんだ……けど、こんなのどうやって立証したらいいんだだろうね……」


 そういってベールケは頭を抱えてしまった。グレイスは自分で話を振ったにも関わらず、勝手にヒートアップして勝手に落ち込むベールケに面倒くさそうな顔を隠そうともしない。


「それはそうと教授」

「それはそうと、なの!?結構真面目に悩んでいるんだけど!?」

「先日お伝えした教授会からベールケ教授宛ての召集状の件です。”病気”か”呪い”と思われると症状について、意見がほしいと」

「あっさり流された!」

「最近、若い女性を中心に”摂食障害”と言われる症状が増えているという話です。医学部や魔術部がいろいろ調査をしていますが、原因が分からないとか」

「はぁ、うん、大丈夫。その件に関してはもう報告書はできているから心配はないよ。ロゼッタ学府帳の顔をつぶすわけにもいかないしね。あぁ、そうだね。今日はもう帰って寝ることにするよ」

「そうなのですか。では、私も失礼させていただきますね。食事はちゃんととってくださいね。では、おやすみなさいませ」

「あぁ、おやすみ。グレイス君」


 ベールケは、微妙に噛み合わない会話をグレイスとすると、手早く帰宅の準備をし学府を出ることにした。



 --後日--


 残念教授、精霊バカ、これじゃない感満載の天才、結婚したら苦労しそうな人ナンバーワンなどはベールケ教授が周囲から受けている評価だ。

 様々な不名誉な呼び名を持つこの男は、そんなことはどこ吹く風で聞き流しており、精霊のことを考えていれば終始ご機嫌という人間だ。

 夜の街で謎の発光体が現れれば「精霊の仕業」、アパートに親子の幽霊が出たと言えば「精霊の仕業」、知らない間に物が移動したり、無くなれば「精霊の仕業」、猫が何もない空間を目で追えば「精霊の仕業」、赤ん坊が泣き始めても「精霊の仕業」と、なんでも精霊に結び付けたがる。

 さて、こんなベールケが教授会にて意見を聞かれれば、言うことは1つだ。


「これは精霊の仕業ですね!」


 教授会の面々の多くは「こいつを呼んだのは誰だ」という顔をしている。


「では、ベールケ教授は何をもって摂食障害が精霊の仕業だとお思いになるのか説明してもらってもよろしいですか?」


 そうベールケに質問を投げたのは召集状を出した学府長のミセス・ロゼッタだ。彼女は学府長になって既に10年が経つが、60歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)としており、教授や学生たちの受けも良い。

 学府に措いては公正明大な人物として知られ、一見どんな珍妙な意見・見解でもまずは話を聞くところから始める人物だ。

 ベールケのような社会不適合者が教授になることが出来たのもミセス・ロゼッタの力添えがあってのものだった。


「もちろんです、ロゼッタ学府長。まず今回の症例ですが、僕が調べたところによると患者にいくつかの共通項が見られることが分かりました。1つめは若い女性であること。これは10代後半から20代前半の女性が患者であると報告書にありましたね。次はこれらの女性の多くは”割とふくよかな女性”であったこと。まぁ平たく言えば太っていた。ということですね。今は食事がのどを通らずにずいぶんと痩せ細ったようですが。ここまでは、他の方々もわかっていることではないですか?」


 そこでベールケは一息つき、周りを見渡す。ここまでは特におかしなことを言っていない。ロゼッタ学府長がうなずいて続きを促す。


「患者たちの症状としては、食事がのどを通らず、食べられても少量のみ、結果痩せ衰え意識不明なものも数名いる。そして彼女たちの共通点ですが……判明している患者の全てが現在婚約中であり、近々結婚を控えた人物であること」

「精霊と婚約中で何が関係するんだ!」

「いい加減なことを言うな!」


 すぐに非難の声が各所から上がるが、ベールケはそれらをまぁまぁと手で制すると続きを話す。


「彼女たちは結婚を控え、全員がダイエット中だった。これまでも行き過ぎた食事制限から摂食障害になった女性は報告されていましたよね。どうですか医学部長」


 話しを振られた医学部長が、そんなものはとっくに調べてあると言わんばかりに答える。


「その通りだ。だが今回の症状はあまりに短期間に集中しすぎている。症状は同じだが、1週間に15人もの摂食障害者が出るなど普通なら考えられない。ゆえに呪術的なものや、未知の病気に由来するものである可能性を考えているのだ」

「なるほど、なるほど。そのご心配もごもっともです。これは僕の見解ですが、人が体調を崩す要因の1つに、体内に宿る精霊のバランスが崩れるというものがあります。わかりやすい例で例えると風邪をひいたときに発熱する症状がこれにあたります。あれは身体を悪精から守るために体内の火精が必要以上に働いているのが原因だと私は考えています。これに対抗するために冷たいタオルを額に乗せたり水分を摂取して火精の対となる水精を強めたりするわけです」


 何人かの教授が「また精霊バカの精霊話が始まったぞ」とうんざりした顔をする。


「ところで、これは先日、僕の助手のグレイス君が持っていたものです。個人的にはこの広告は彼女に必要ないものだと思っているのですが……」


 グレイス本人がいたら、顔を真っ赤にして怒り出しそうなことを言ってベールケが取り出したのは一枚の広告だった。


「これは王都新聞にあった折り込み広告です」


 そこにはこう書かれていた。


『今話題のダイエットポーション!1週間で3キロ痩せることを保証!今ならキャンペーン割引中! 販売:ディードリンデ商会』


「で、これが現物のポーションです」


 そういって可愛らしい小瓶に赤い透明な液体が入ったものを取り出した。


「少し調べたのですが、これすごいですよ。作った人は天才かもしれない。いや、もしかしたら悪魔かな。でも、これ人にも精霊にも(・・・・・・・)あまりオススメできるポーションではないです」

「それが今回の原因だと?飲めば痩せるのですか?」


 ロゼッタ学府長の質問にベールケが答える。


「えぇ。結果的には痩せるでしょうね。ただ、このポーション自体に身体を痩せさせる効果はありません。調べたのですがどうやら体内に宿る食欲に関連する精霊の働きを制限をする効果があるようです」

「危険なものではないのですか?」

「用量用法を守れば体調を崩すことはあってもそれほど危険はないでしょう。実は僕自身がこれを用量ぎりぎりで数日試してみましたからね、効果のほどは保証しますよ。いやー驚きです。全く食欲がわかないのですよ。そう、もう一つの患者たちの共通項はこのポーションを使用していたことです」


 ベールケが”精霊の仕業”と言った意味を悟ると同時に、自分自身を人体実験紛いに使ったというその言葉に教授会の面々がぎょっとする。


「ところでロゼッタ学府長、今回の教授会に限り、外部から臨時で雇った人を助手として連れて来ているのですが、この場に呼んでも構いませんか?」

「え、えぇ、あなたがその方の身分を保証するというのなら構いませんよ」

「ありがとうございます。ロジャー君!入ってきてくれ!」


 言われて部屋に入ってきたのは若い男だった。清潔な身なりをしており、ブラウンの髪と目、背はそれほど高くはない。ごく平凡な顔立ちの男に見える。


「紹介します。臨時で助手に雇ったロジャー君です」

「初めまして、ご紹介に与りましたロジャーです。数日前からベールケさんに雇われている便利屋です」

「ではロジャー君、打ち合わせの通りに頼む」

「了解だ、教授。いつでもいいぞ」


 そう言うとロジャーはどこからか、大きな鳥籠のようなものを持ち出した。細く加工されたバンブー材で編みこまれて作られており、魔法陣が書かれた紙が四方に張り付けられている。


「さて、教授会の皆様、僕はまだ(・・)用量を超えてポーションを使用した場合どうなるかを、試していません。そこでこれから”摂食障害”の再現実験を行いたいと思います」


 次の瞬間、ベールケは周りが止める間もなく、手に持っていたポーションを一気に(あお)って見せた。


 空になった小瓶を片手に、ベールケが平然と立っていたのはほんの数秒のことだった。顔中に脂汗を流し始めたと思うと急に苦しみだした。


「こ……これは、なかなかキツイですね。ロジャー君、逃がさないでくださいね」


 ついには立っていることもできず、膝をつくベールケの背中をロジャーが見つめている。そして”それ”は現れた。


 最初にベールケの背中から現れたのは、まっすぐでしなりるのある細い2本の柳の枝のようなものだった。が、その次に出てきたものに、教授会の面々が悲鳴を上げることとなる。


 それは体躯だけで10cmはあろうかという蟲だった。柳の枝と思われた2本は蟲の触覚で体長と合わせれば30cmほどにもなる大きさだ。色はぬめっとしたクリーム色に黒い斑点模様があり、『グゥッグゥ』と不快な声で鳴いている。

 虫嫌いでなくとも触ることを嫌がるだろう。そんなものが長い6本の脚でベールケの背中に張り付いている。


 そんな蟲をロジャーは何でもないように、素手でつまむとさっさと籠の中に放り込んでしまった。


「僕の考えですが、これは食欲を司る精霊だと思います。摂食障害に……なった女性達は用量以上のポーションを飲んで……今見て頂いたように食欲の精霊を追い出してしまったのでしょう。おそらくですが、彼女たちの……近しい人の中に今、”過食症”になっている人がいるはずです。その人たちから精霊……たちを元の宿主に返せば、症状は治るはずです……その手筈はロジャー君にすでに頼んであります」


 息も絶え絶えに伝えるとベールケはその場に崩れ落ちてしまった。



 その後の学府の動きは早かった。それぞれ患者女性の周辺で過食症と思われる人間を調査・治療を施し、ポーションの販売元のディードリンデ商会には販売の中止求めた。

 摂食障害に陥っていた女性達も便利屋の手で適切に精霊を戻され、無事元の生活へと戻っていった。


 そして教授会から4日後、最後の患者で、自ら摂食障害となったベールケの治療がされようとしている。治療といっても難しいことはない。ダイエットポーションの効果が切れたタイミングで精霊を元に戻すだけだ。


「ベールケ教授、教授はもしかしなくてもバカなのですか?」


 ベッドの上でグッタリとしているベールケに辛辣な言葉を投げかけているのは助手のグレイスだ。


「グレイス君。仮にも学府の頭脳ともいえる教授に対してバカとは、相変わらず辛辣だね。それに事件解決の立役者かつ、病人にはもう少し優しくしてくれても良いのじゃないかい?これは言わば名誉の負傷だと思うのだけど」

「教授、それは”寝ているドラゴンの口に手を突っ込む”と言うのです。好奇心と愚かさが招いた結果です。そもそも教授、どうなるか分かったうえで薬を飲みましたよね?バカなんですか?バカですよね?バカですと言ってください」

「まぁまぁ、2人とも。その辺で。そろそろ教授の精霊を元に戻そうかと思うのだけどいいかな」


 そう2人をなだめたのは便利屋のロジャーだ。手には精霊入りの蟲籠を持っている。


「もう、戻してしまうのかい?僕としてはもう少し精霊の観察をしたかったのだけどね」

「はは、だめだよ教授。もう、4日も何も口にしていないんだ。身体にも悪いし、後ろでグレイス女史が恐い顔をしているからね」

「うん、それもそうか。……精霊(キミ)は見た目は悪いけど、居なければいないで何か物足りない気がするしね。まるでグレイス君のお小言のようだよ……いいよ。ロジャー始めてくれ」

「ちょっ!恐い顔ってなんですか!お小言ってなんですか!」


 ロジャーは顔を真っ赤にして騒ぐグレイスをさらっと無視して、寝ているベールケ教授のお腹の上に蟲籠を乗せた。


『さぁさぁ、食欲の精霊よ、そろそろ宿主の元へお還り。ちゃんと時間通りに食事を採らない教授は、キミにとってはよい宿主ではないのかもしれないね。でも、その辺は僕とグレイス女史からきつく言い聞かせるから、今回は戻ってくれないかい』


 そう言って、ロジャーが籠のお札を剥がすと、幾分不満そうに『グゥッグゥ』と鳴きながらベールケのお腹の中に沈んでいった。


「さて、依頼された仕事はこれで終了だ。私はこれで帰るとするよ。グレイス女史、ベールケ教授の世話はお願いして大丈夫だよね」

「えぇ、ロジャーさん。ありがとうございました。教授の見張り……おほんっ、お世話は教授会からも言われていますから大丈夫です」

「では、私はこれで、またのご利用を待っているよ」


 ロジャーが出て行くと、グレイスはカートに乗せてあった麦粥を皿に移しベールケの元へと持ってきた。


「さぁ、さすがにお腹も減ったでしょう。重たいものは身体にも悪いのでまずは麦粥からです。めしあがって下さい」

「うわー、僕それ苦手なんだよね。スープじゃだめなのかなぁ」

「だめです。食べてください」


 グレイスがそう言うと、”いいから早く食え”と抗議するように、ベールケ教授のお腹の蟲が(・・・・・)”グゥーッ”と鳴いた(・・・・・・・・・・)

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