我がまま無欲なディードリンデ
そろそろ日が暮れるという時刻、王都の外れにある管理する者も、祈る者もいなくなった半分屋根が崩れかけた教会がある。
中の椅子や机の多くは壊れており、もはや廃墟といったほうがいいだろう。そんな教会の隠されていた地下室にディードリンデは訪れていた。
ディードリンデは小さな商会の一人娘だ。歳は20を超えたところだろうか。癖の強い赤毛混じりの金髪に、少し強気に見えるツリ目を本人は気に入っていなかったが、十分に美しいと言える容姿をしている。
誰もいない地下室で教会に落ちていた燭台を拾って、持ってきたロウソクに灯した明かりだけを頼りに所在なさげに誰かを待っている様子だった。
「お嬢さん、私に何かご用ですか?」
つい先ほどまで確かに誰もいなかった地下室の暗闇から突然低い男の声で呼びかけられてディードリンデは危うく飛び出しそうになった悲鳴を何とかこらえた。
「あなたがアルベルトかしら?」
「いかにも、私がアルベルトです」
ロウソクの光のみという薄暗い中でも、男の容姿は輝くような美しさを見せていた。
25歳前後に見える容姿はその落ち着いた仕草のせいだろうか、30歳にも40歳にも見えた。
綺麗に撫でつけらえれた黒髪に碧眼。がっちりとした体格に仕立ての良い服がとてもよく似合っている。
「私の名前はディードリンデよ。突然の呼び出しに応えてくれてありがとう」
「いえ、礼には及びません。これが私の仕事ですから。で、こんな場所に呼び出した要件をお伺いしてもよろしいですか?」
「そうね…私と、結婚してほしいの」
率直に要件を切り出したディードリンデを、少しの驚きと大きな好奇の目で見つめるアルベルトは、にっこりと微笑むと恭しく淑女に対する礼とりつつも、いやにあっさりと返事を返した。
「承知いたしました。それがお嬢様の願いなら。死が2人を分かつまで、あなたの夫となりましょう」
こうして2人は結婚をした。
結婚は順調だった。アルベルト目当ての女性客が増えたことで、商会の売り上げは上がったが、当のアルベルトはそんな女性には目もくれず、手堅い仕事を行い、店じまい時間になれば酒も飲まず寄り道もせずまっすぐに家に帰ってきた。
しかし、アルベルトは商会同士の付き合いなども必要最小限にしか参加しないため、横のつながりも少なく、商会がそれ以上大きくなることはなかった。
そんなある日、ディードリンデがアルベルトに語りかけた。
「ねぇアルベルト、あなたはとても良く仕事してくださっていると思うのだけど、私は父から受け継いだこの商会をもっと大きくしたいわ。お願いだからもっとお仕事をがんばってくださらないかしら」
アルベルトはいつものように穏やかに微笑みながら答える。
「わかったよ。それが君の願いなら。もう少しがんばって見るとしよう」
それからのアルベルトは人が変わったように働き、10年後には王都有数の大商会にまで登りつめた。
それから更に、10年の歳月が経った。
ディードリンデの美しさは陰りが見えるようになってきたが、アルベルトは出会ったころと同じ美しい容姿を保ち続けていた。
その頃には商会は王都随一と呼ばれるような規模になり、自慢の夫と大商会夫人となっていたディードリンデは幸せの絶頂にいた。
それから更に10年、ついに幸せは陰りを見せた。ディードリンデは病に侵されてしまったのだ。
何人もの医者が匙を投げ、治療の見込みもなく、徐々にやつれていくディードリンデにかつての美しさはすでになく、死の影すら見えるようになっていた。
一方でアルベルトは、出会った頃と変わらぬ美しさを保ち、完璧な仕事しつつも、病んで伏せる妻を気遣う様子は理想的な夫と言えただろう。
死を間近に感じながら枕元に立つアルベルトに向かってディードリンデはぽつりと漏らした。
「ねぇ、アルベルト。私は死んでもあなたのそばにいたいわ……」
「あぁ、わかった。それが君の願いなら、そうしよう」
いつものように穏やかに微笑むアルベルトの返事を聞くと、安心したようにディードリンデは息を引き取った。
アルベルトはディードリンデの死を見届けると、1つため息をついてつぶやいた。
「やれやれ、ようやく3つ目の願いが決まったか。よくわからん女だったな」
そう言うと、一緒にいたいという元妻との約束通りディードリンデの魂を掴むと、その姿は煙のように消えてしまった。