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幻想千夜一夜  作者: Ming
14/16

賢者の石 3 【山の小精霊】

 その後も、イグノラはすくすくと育っていった。もちろん、熱を出したり活発に動きまわるようになっり、小さな怪我をすることはあったが、山の薬草に詳しいワイズマンが処置を間違えることはなく、やがて十二年の歳月が流れた。


「ワーズ!見て!四番の罠に掛かってたのよ!」


 そう言って山小屋へ駆け込んできた少女は、狼の毛皮で作られたマタギ装束のようなものを纏ったイグノラだった。その手には自慢げに雪兎が掲げられている。

 ワイズマンは小さくため息を吐くと、大きな身体を屈めイグノラに視線を合わせた。


「イグノラ、約束は三番までの見回りだったはずだ」

「あ!えっと、その……」

「イグノラ」

「……ごめんなさい」

「いいかい、イグノラ。まだこの季節は狼が四番、五番の辺りまで降りてくる。滅多に見ないが魔物もいる。注意してしすぎることはないんだ」

「うん……」


 大きな手をイグノラを頭に載せると優しく言った。


「分かってくれたならいい。じゃぁこの話はここまでだ。雪兎は一人でちゃんと血抜きは出来たか?」


 その言葉にイグノラはぱっと向日葵(ひまわり)のような笑顔を向ける。


「もちろんよ!ちゃんとワーズに教わった通り、血だってちゃんと分けて持ってこれたもの!」

「そうか、じゃぁ今日は前に約束した通り、その血を使ったブラッドソーセージを一緒に作ろう」

「うん!」


 元気に返事をするイグノラは山小屋に戻って暑くなったのか装束を脱ぎ始めた。

 毛皮のフードを取ると、こぼれてきたのはアイスブルーの瞳に良く合う見事な金髪だ。

 山中にある山小屋周辺は日照時間が少ないせいか、それとも生まれ持ったものなのか肌は白魚のように白い。

 イグノラに山中で出会い、人の子と知らなければ雪の精霊の子だと言っても疑う者はいないだろう。

 ただし、それは会話をしなければという限定付きだったが。

 つまるところ、立派に山猿のような子として育っていたのだ。

 ワイズマンの教育方針は割と単純だ。騎士の男が願った通り、”健やかであれ”。

 山で遊び、山に学ぶ、それ以外の文字書き計算や街などでの一般常識は、ワイズマンが寝る前に勉学の時間をとって教えていた。

 物心つく前から、イグノラに聞かせていた薬草のことはもちろん、罠の作り方、獲物の狩り方、狩った動物のさばき方と調理の仕方、ヤギの乳絞りや世話の仕方、畑の耕し方、刃物の研ぎ方、などなど既に一通り覚え、出来るようになっている。


 ワイズマンは、これまで様々なことを教えてきたときと同じようにイグノラの傍らに付き、ソーセージの作り方を実地で教える始めた。

 作業をするのはイグノラだ。ワイズマンは後ろで手順を指示するのみで手は出さない。

 まずは雪兎の解体からだ。イグノラの背丈に合わせて組んだ(やぐら)に兎を吊るすように指示をだす。

 初めに雪兎の腹側を裂き、下に置いた木桶に内臓を落とす。この時に内臓を破いてしまったりすると肉に匂いが付いてしまうので注意が必要だ。

 落とした内臓の内、肝臓(レバー)をナイフで切り取り鉄串に刺し暖炉の火で少し炙ってやる。それをワイズマンとイグノラは解体の手を休めて食べることにした。

 新鮮なうちにしか食べられない贅沢なおやつだ。

 内臓が取れたら次は皮剥ぎだ。ある程度皮に肉が付いた状態で皮を丁寧に剥いでいく。

 剥いだ皮は後でなめすため、水を張った桶に入れて別に避けて置き、肉を解体していく。

 解体した肉を包丁で叩いて挽肉にし、内臓の一部と皮から削げ落とした肉、脂肪などと雪兎の血を混ぜ合わせる、それだけだと水分が多いため、つなぎとして麓の村から供え物として贈られた小麦粉と、臭み消しの香辛料を混ぜ合わせる。

 それをよく洗った腸に詰めていき、最後に低温で茹でれば完成だ。


「どうだ?作り方は覚えたか」

「うーん……うん、大丈夫!」


 少し手順を思い出しながら頷くイグノラに、ワイズマンは「そうか」と短く答えて頭を撫でてやる。


「ねぇ、ワーズ。私の父ちゃんってどんな人だったのかな。北の尾根のお墓の人は違うんだよね?」

「……どうしたんだ?急に」

「ううん、なんでもない。ただ、どんな人だったのかなぁって思っただけ」


 今まで触れてこなかった”親”という話題になぜ今頃という思いと、ついに来たかという思いが重なる。

 しかし、明確な回答が出来ない故に、今まで話題にすることを避けてきたワイズマンにとって、今さら答えらえる問いではなかった。

 結局は再び「そうか」とだけ答えることで、何度目かの先送りをして夕食を作るために席を立った。


 その夜は山菜と雪兎の肉のスープに茹でたブラッドソーセージと豪華な食事となった。スープもイグノラが作ったものだ。

 イグノラはまだまだ戦う術は未熟だが、ある程度の獣なら一人で狩るだけの力量を持っている。麓の村でなら、既に一人でも生活できるだけの知識と技術は身に着けただろう。


(この子との別れは、思ったよりも早くやってくるのかもしれんな)


 今もナイフを使って木を削り、隠すように何かを作っている背中を見つめるワイズマンは、そのことに一安心すると共に、一抹の寂しさも感じるのだった。



 翌日、ワイズマンとイグノラは陽が昇ると同時に別行動で山に分け入った。ワイズマンは五番以降の罠の確認と山の奥地の見回り、イグノラは麓付近の見回りと”精霊の戻り岩”の供え物の回収だ。


 山小屋を出たイグノラは、歩き慣れた獣道を迷いなく進んでいく。しかしその行く先は戻り岩のある方面とは少し違った。

 三時間ほど歩いただろうか。山に生い茂る木々の隙間から一つの集落が見えてきた。最近イグノラはワイズマンには内緒で、よくこの集落近くまで訪れていた。

 そこは猟師村と呼ばれている小さな集落だ。山の麓の村のように農耕は行っておらず、狩猟中心の猟師だけの村だ。

 山で獲れた動植物は隣の山の麓の村で小麦や野菜などに交換をしてお互い助け合いながら慎ましやかな生活を送っている。

 イグノラの目当ては集落の外れにある小さな広場だ。遠くから見つからないようにその広場を見ると、今日も一人の少年が弓を構えて、的に向かって矢を放っていた。

 少年の年の頃はイグノラとそう変わらない。


 イグノラが初めてその少年を見たのは2週間前のことだった。

 やはり、今と同じように広場で弓の練習をしていた。そのときは一人ではなく、父親と思わしき大人と一緒だった。

 身長に合わせて作られた弓を構え、的に向かって矢を放つ。矢が外れる度に父親から叱咤が飛ぶ。

 やがて(えびら)から矢が尽きると、使える矢を回収して練習するように言い置き、少年の頭をひと撫でして父親は去って行った。

 遠目にも指から血が滲んでいるのが分かるほど矢を放ってきたためか、少年は痛みを堪えるような顔をしている。

 しかし、頭を撫でられた少年は、それまでの辛そうにしていた顔を嬉しそうに父親に向けると、その姿を見送った。

 そして的の周りに散った矢を回収すると、元の位置にもどり再び弓を構えては矢を放つを繰り返しはじめた。


 イグノラはその親子を見て、初めて自分の父親のことを知りたくなった。

 ワイズマンのことは大好きだったが、これまで勉強してきたことで、彼が自分の父親でないことは分かっている。


(私はどうしてワーズと暮らすことになったのだろう)


 狩人の父親のように、ワイズマンもよく大きな手でイグノラの頭を撫でてくれる。ごつごつしたワイズマンの手で撫でられると、嬉しくなる。

 もちろん、ワイズマンのことは好きだし、父親だとも思っている。しかし本当の親のことを考えずにはいられないのだ。

 やがて、少年が弓の練習を終えて集落の方へ帰っていくと、イグノラも山小屋へ帰ることにした。戻り岩に立ち寄りお供え物を回収し、適当に夜に食べる分の山菜を積んでから帰路についた。


 それから数日、イグノラは猟師村に通い、少年の様子を遠目に観察することを続けた。そんなある日、少年は父親に何かを言われた後に、弓の練習を始めるのではなく、イグノラがいる山の方へと歩いてきた。

 いつもの軽装ではなく、(えびら)の矢と弓、それにマタギ装束に腰にポーチを付け、背には背嚢が背負われている。

 その姿は猟師村の大人たちが山に入る時の姿そのままだった。


(あの子1人で山に入るんだ……)


 少年のことが気になったイグノラは狼の毛皮で作った外套を頭から被る。更にワイズマンには内緒で作っていた、完成したばかりの木彫りの蜥蜴(トカゲ)面を被ると、気配を消しつつ少年の後を付けることにした。

 少年は獲物の足跡を探っているのか、時折地面の様子を確かめつつ、あたりを見回し移動を繰り返している。

 この近辺の獲物なら雪兎や狐、鹿や猪などを狩ることが出来る。

 狼もいないこともないが、今の季節はこのあたりまで降りてくることはなし、ワイズマンが麓の村や猟師村の近辺に降りてこないようそれとなく間引きしているため、よほど山奥へ分け入らなければ出会うことはない。


 やがて少年は目的の足跡を見つけたらしく、若干の迷いを見せながらも獲物の追跡を始めた。

 風の向きを気にしながらも根気強く足跡を追い、昼を回る頃になって、ようやく追跡を続ける少年の視線の先に鹿の群れが見えた。

 沢のそばで休んでいる鹿の群れの中で、周囲を警戒している立派な枝角(アントラ)を頭に戴いた雄が、群れの主だろう。


 少年の名はコニーと言った。今日、ようやく父親から一人で山に入る許可が降り、早速一人で獲物を狩ろうとやってきたのだった。

 父親からは、「慣れるまでは無理な狩りはしないように、そして慣れてからはより注意して慎重に狩りをするように」と言われていたコニーだったが、立派な牡鹿を目の前につい欲が出てしまった。

 弓を構え矢を(つが)い、狙うは牡鹿だ。

 ヒュッという音と共に放たれた矢は、見事牡鹿の首筋に刺さったかに見えた。しかし、それは牡鹿の深い毛に遮られて深くは刺さらず、致命傷とはならなかった。


「キャァアアアアアア!」


 人の叫び声のように聞こえる雄叫びを牡鹿があげると、周囲にいた鹿たちが一斉に逃げ出す。

 慌てて第二射のため弓を構えるが、襲撃者の姿に気が付いた牡鹿は逃げることをせずにコニーに向かって頭を低く構え突進攻撃(チャージ)を仕掛けてきた。

 慌てたため、ろくに狙いも付けられず放たれた矢は、鹿を大きく外れ地面に突き刺さった。

 突進してくる鹿を必死で避けようとするが、服の一部が枝角に引っ掛けられそのまま跳ね飛ばされてしまった。

 幸運なことに、すぐに枝角から服が外れたため、何度も地面に叩きつけられる羽目にならずに済んだ。しかし、鹿は既に次の突進攻撃(チャージ)に移っていた。

 身体を地面に打ち付けた影響で、まだ起き上がれていないコニーは格好の的と言えた。

 蹄で地を蹴り、枝角を低く構え迫りくる鹿に死を覚悟したコニーの目に入ったものは、どこからか飛んできた大型のナイフが額に刺さりドウッと倒れる鹿の巨体だった。


「その程度の腕で大人の牡鹿を狩ろうとか、あんたバカなんじゃないの?」


 そう言って現れたのは蜥蜴のような面と、頭から狼の毛皮をかぶった一人の少女だった。


「わ!お前だれだ!?」

「命の恩人に対して失礼な人ね。先ずは自分から名乗るのが礼儀じゃないのかしら」

「え?え?」

「まぁいいわ。私はイ……ロゼットよ。あなた名前はなんて言うの?」


 イグノラが鹿に突き刺さったナイフを抜きながら背中越しに聞く。名前をごまかしたのはワーズ以外に、名前を呼ばれるのが何となく嫌だと思ったからだ。


「ロゼッ()?変わった名前だな。あ、お、俺はコニーってんだ。えーっと、助けてくれてありがとう?」

「疑問形なのはなぜかしらね。コニー。それとロゼッタじゃなくてロゼットよ。それで?その程度の腕前で群れの主を狩ろうとか自殺願望でもあるの?」

「いや、狩れると思ったんだけどダメだったみたいだな」


 悪びれずにタハハと笑うコニーに、イグノラは幾分呆れたような表情を見せると小さくため息を吐いた。


「怪我はないの?」

「ん?あぁ、ちょっと擦りむいた程度だし大丈夫だろ」

「怪我してるじゃない……しっかりした手当をしないと擦り傷はあとから腫れたりするのよ」


 そう言って、イグノラはあたりを見回すと、近くに生えていた大蓬(おおよもぎ)の葉を数枚摘み、蜥蜴面の隙間から口に含んで何度か歯で揉み、吐き出した。


「ん、擦りむいたところ見せて」

「いや、大丈夫だから、いいよ」

「見せなさい」

「……」


 幾分、迫力の増した蜥蜴面の少女に、コニーはあきらめて擦りむいた手の平を見せた。この少女の言い方には覚えがある。コニーの母親がこう言い方をしたときにだ。逆らうと大抵ろくなことにならないのだ。

 イグノラは、コニー手の平の擦り傷についた土を腰に下げた水筒で一通り洗い流すと、揉んだ大蓬(おおよもぎ)を付け上から裂いた手ぬぐいで巻いてやった。


「これでいいわ。一応、村に戻ったらちゃんと大人の人に見てもらいなさい」

「……ありがとう」

「さてと鹿を解体しないとね。誰かのせいでこんな大物仕留める羽目になっちゃったし。コニーの責任なんだから、半分はあんたが持って帰ってちょうだいね」

「いや、俺は何もしてないし、いらないよ」

「私一人でこんなの持って帰れないでしょう。いいから半分持って帰りなさい。あ、でも角はこっちでもらうわよ。薬の材料になるし」


 手際よく鹿を解体する準備をしていくイグノラをコニーはぽかんと見つめるだけだ。


「ちょっと、少しは手伝いなさいよ」

「あ、うん、ごめん」


 二人で力を合わせて鹿をロープで括り木の枝に逆さ釣りにして、首の血管を斬り血抜きをしつつ内臓を抜き出していく。既に心臓が止まってしまっているので、綺麗に血が抜けないが、内臓と一緒に大まかな血を抜くだけで満足することにした。

 いくつかの部位を切り分けて持ちきれないものは勿体ないが、穴を掘って内臓と一緒に埋めてしまう。


「次からはちゃんと腕にあった獲物を狩るようにしなさい。雪兎とか狐とか。いつでも助けが入ると思わないほうがいいわよ」

「うん、わかった。気を付ける。えっと、おまえ、もしかして精霊か?」

「……私が精霊かどうかは知らないわ。でも、私は少なくとも精霊って呼ばれている人の娘のつもりよ」

「精霊の娘……本当にいたんだ。精霊って戻り岩の精霊だよな?」

「ワー……お、お父ちゃんはそう呼ばれているわね」

「そうか、分かった!助けてくれてありがとう。今日のお礼は明日までに戻り岩のところに置いておくよ」

「あまり気を使わなくてもいいわ。助けたのはたまたまだし。それよりもいろいろとお話を聞かせてほしいわ」

「話し?」

「うん、コニーの住む村のこととか、家族のこととか」

「そんなのでいいのか?」

「だって、私はずっと山の奥に住んでいて村のこととか知らないし、お、お父ちゃんとしか話したことないから他の人ともお話がしてみたかったのよ」

「ロゼッ()がそれでいいならいいけど、今日はそろそろ村に帰らないと陽も暮れそうだ」

「それもそうね。私もそろそろ戻らないといけないわ。そしたら明日の朝、戻り岩のところで会うのはどうかしら」

「うん、約束だ」

「約束ね。あと、私の名前はロゼッ()よ」


 そうして、翌日に再び会う約束をして、二人はそれぞれの帰路についたのだった。


 コニーの父親は、コニーが生まれて間もない頃に戻り岩の精霊に助けられたことがあった。

 その話はコニーも父親や母親から聞いて知っており、猟師の集落の家族のなかでも特に精霊贔屓の家として知られていた。

 それだけにコニーは、精霊の子に会った話を、早く家に帰って父親と母親にしたかった。 無理をした狩りのことで、父親にはこっぴどく叱られそうだが、土産にもらった鹿肉以上の土産話となるだろう。

 何しろ、いままで精霊の姿を見たことある者は猟師村にも麓の村にもいないのだから。


 逸る気持ちを抑えきれず速足に帰路に就くコニーだったが、その晩、コニーが両親にその話をする機会が訪れることは無かった。

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