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幻想千夜一夜  作者: Ming
12/16

賢者の石 1 【怪物と呼ばれたもの】

 怪物の定義とはなんであろうか。人非(ひとあら)ざる容姿だろうか。それならば”それ”はまさしく怪物と言えよう。

 2mほどの大きな体躯は全身が野生を思わせる筋肉で覆われると同時にトカゲのような硬い鱗と尻尾が生えている。

足は短く、腕は長い。顔に当たる部分は平たく、目は爬虫類のように細く縦に割れ、有隣独特の特徴を持っている。そして頭には2本の角。

 口からチラリと見える牙は鋭く、それはまさしく肉食動物にみられるソレであった。


 怪物の定義が人語を理解せず、人に害を成すモノであったなら、それならば”彼”は怪物ではありえない。

 例え見た目が人そのものであろうと人語を理解しようと、怪物と呼ばれるモノもいる。

 だが、少なくとも”彼”は人ではないが、怪物でもない存在といえるだろう。

 なぜなら、幸か不幸か”彼”は「理性」と「知識」と「知恵」を持っていたからだ。故に、その条件では怪物に当てはまらない。


 ーー怪物からも人からも外れた存在ーー


 生れ落ちてから、既に325年。自分と同じ容姿の生き物出会ったことはない。

 卵から顔を出した時には親の姿は無く、どのような存在が自分を産み出したのかも分からない。

 自分と同じ種族がいるのか、それとも異端な存在なのか、その答えは未だに出ていないが、おそらくは後者のほうなのであろうことは予想が付いている。

 もともとは大陸の南にある温暖な地域に住んでいた彼だが、その容姿のせいで追われ、狩り立てられ、捕まり奴隷として鎖につながれたまま戦争にも参加した。一時は旅の見世物小屋(サーカス)へ売られたこともある。そこから逃げ出し、人の住む領域から外れ北の辺境へと流れてきたのが98年前だ。

 北の山奥に小さな小屋を建て、猫の額ほどの畑を耕し山羊を飼い、野生の動物や木の実、草木を食料とし、ただ1人で生きてきた。

 約100年、同じ場所に住み続けているが、最近は人の領域が山の麓まで来たらしく、山中て狩人の姿を見かけることも増えてきた。

 何度か姿を見られたこともあり、逃げ出した狩人達が落として行った道具は有りがたく使わせてもらっている。

 しかし、あまり目立ちすぎると昔のように、住処を追われてしまうかもしれないため注意が必要だ。

 山で事故に会い、気を失っている狩人の怪我を手当し、麓の大岩まで運んだこともある。

 その折には怪我人が人に発見されるまで影から見守ることもしていた。”彼”は迫害を受けようとも人を嫌いになることが出来なかったのだ。


 そんな事をしばらく続けるうちに毎回怪我人を運ぶ目印にしている麓の大岩は”精霊の戻り岩”と呼ばれるようになり、1日に1度、麓の村人が”戻り人”がいないか確認をすると同時に、供え物を持ってくるようになった。


 そのため、人里では”北の山には恐ろしい魔物が棲みついている”とも、”北の山には優しい精霊が住み着いている”とも言われている。


 そんな”彼”の生活に転機が訪れたのは雪が降る季節の、もう間もなく日も暮れようかというある日ことだった。

 日課とする山の見回り中に革鎧にマントを羽織った体格の良い男が大木を背に座り込んでしまっているの見つけたのだ。

 男は傷だらけで矢傷まで負っていたが、もとはかなり身なりの良い恰好であるのが伺えた。

 矢傷があるということは獣との争いではなく人との争いがあったということだ。

 しかし、このあたりでは”彼”がいることで山賊の類いは住み着いていないし、近年戦争の気配もなかった。

 男が身につけている革鎧の様式はこの国のものではない。もしかすると、ここから更に山を越えた先にあるという北の帝国から流れてきたのかもしれない。

 男は満身創痍の身体でもまだ息はあるようだった。何かの気配を感じたのか、男は”彼”に語りかけた。


「もし、済まぬが誰かおるのではないか。済まぬがもはや手足も利かず眼も見えぬ、間もなく我が命も尽きよう。不躾であるのは重々承知であるが、こんな山奥で会ったもの何かの縁、1つ願いを聞いてはもらえぬだろうか」


 ”彼”は返事をしようかしばし迷った末に、目が見えぬのなら自分の姿に怯えることもないだろうと返事を返すことにした。


「……確かに、御身は間もなく命が尽きるようだ。俺の出来ることであるのなら、黄泉への餞別として願いの1つくらいは聞くのも(やぶさか)かではない」

「おお!貴殿と貴殿に巡り会わせてくれた神に感謝を!我が名はワイズマン。ここより遥か北の帝国より逃れてきた騎士だ。我が願いはただ1つ、我が主をどうか!どうか預かってほしい!」


 そう言うと男は力を振り絞りマントの下で大事に抱えていた血まみれのお(くる)みを見せた。そこには赤子が1人すやすやと眠っていた。


「この方は私以外にどこにも頼る者のない身、名も含め敢えて素性は詳しくは語らぬ。この子の親と私の願いはこの子がただ健やかに育つことのみ。どうか、どうか、頼めはしませぬか!」

「俺は山奥で一人で暮らす隠者のような生活をしている。里の者に預けるにも人前に顔を出せるような身の上でもない。それでも良いか」

「構わぬ、人の目に触れぬ隠者というなのなら、この方にとって却って都合が良い」

「そうか、ならばその子は俺が預かろう。しかしただと言う訳にもいかん、貴殿より1つ貰い受けたいものがある」

「死に逝く者に何が必要であろうか。なんなりと持っていくがいい」

「俺には名がない。だから貴殿の名前を貰い受けようと思う」

「おお!そうしてくれ。私がここで死のうとも、我が名だけでも主に寄り添えるのなら、それは我が喜びだ!」

「分かった、確かに貴殿の願い(たまわ)った」


 そして大きな爪と鱗の生えた手で”ワイズマン”となった彼は赤子をそっと抱き上げた。

 それはなんと小さな生き物であろうか!自分の片手ですっぽりと収まる小さな身体、脆弱すぎる命にワイズマンは慄いた。

 人に剣で切り付けられたことはある。弓で射掛けられたこともある。怪我をした狩人の手当てをしたこともある。

 幾度(いくたび)か人と交わり触れることはあったが、人の子の温かさと弱さを直に感じたのは初めてのことだった。

 そして、少し落ち着いてからワイズマンが騎士の男に目をむけると、男は既に命が尽きていた。

 だがその顔に無念の色はなく、ただ穏やかであった。

 祈る神を持たないワイズマンであったが、子供を脇に置くと騎士の男を丁寧に埋葬をし、冥福を祈った。



 赤子を連れ山小屋に戻ったワイズマンが最初に行ったことは湯を沸かすことだった。

 幸い赤子はぐずりもせずにすやすやと眠っているが温い湯で身体を拭いてやりたかった。

 小屋の自分のベッドに赤子を寝かせ、湯が沸くまでの間に山羊の乳を搾りに既に陽の沈んだ外に出る。

 山羊の乳はどうやって赤子に飲ませたものか。

 乳搾りをしながら考えていたワイズマンだが、やがて小屋の脇に洗濯して干しっぱなしの布に気をとめると、あれに乳を含ませえて吸わせれば良いだろうと考えた。


 旅の見世物小屋(サーカス)につかまっていた頃に、一人だけワイズマンのことを気にかけ親切にしてくれた女がいた。

 その頃に文字の読み書きを覚え(もっとも、それも”芸”の一環だったが)その女が子供の世話をするのを見ていたおかげで、何となく赤子の世話の仕方はわかっていた。

 そう考えると、1日中狭い檻の中で過ごした日々も無駄ではなかったのだなと思えてくるから世の中何が幸いするかわかったものではない。

 ちなみに、その女は旅の見世物小屋(サーカス)の移動中に盗賊に襲われて、その時に死んだ。

 もう少しだけ早く檻の鍵を開けて貰えたなら、女を含めた見世物小屋(サーカス)一座の多くは死なないで済んだのかもしれない。

 女が死に見世物小屋(サーカス)に残る理由もなくったワイズマンは、北へ逃げた。

 それが約100年前の話だ。


 十分な山羊の乳を搾り小屋へ戻ると、相変わらず赤子はすやすやと眠っている。

 湯が沸くのはもうすぐだろうか。小さ目の鍋に乳を移し火にかける。

 薪が火に爆ぜる音を聞きながら赤子のことを考える。

 汚れてはいるものの、お包みは上等な布が使われている。死んだ男が身に着けていたものも上等なものだった。それなりの身分の者だったのだろう。

 男は北の帝国から逃げてきたというが、何か政変があったのだろうか。おそらく赤子は高貴なき血筋なのだろう。

 もっとも、いつまでかはわからないが、人と会わないこの山奥でワイズマンと2人で生活をしていくのだ。生まれも血筋も無いだろう。

 それでも、いつかは人の世に戻してやりたいとは思う。そのためには、読み書きをはじめとした教育もしなくてはいけないだろう。

 幸いにしてワイズマンには読み書き計算程度ならできたし、長い山で暮らしで得た動植物や山全般の知識も有していた。それだけ教え込めば、このあたりで生きていくことは十分に可能だろう。

 

 充分に温まった乳を火から外し冷ます。

 沸いた湯を桶に移し水で埋めて適温に変えて布を浸し絞る。

その時、山小屋の戸を激しく叩く音がした。陽が暮れていくばくか経ったという時刻だ。


「おい!開けろ!誰ぞおるのだろう!」


 のっけからかなり大上段な物言いに、既に面倒事の予感しかしない。

 麓の村の者たちはワイズマンを恐れ敬い、こんな山奥にまで入ってくることはないことから、このあたりの者ではないのだろう。もしかすると例の騎士の男と赤子を追ってきた者かもしれない。

 さて、切り抜け方はいくらでも思いつくがどうしたものか。出来れば穏便に済ませたいが、素直に帰ってくれるだろうか。

 一先ずは話をきいてからだなと思い、扉越しに相手をすることにした。


「こんな夜更けに誰だ」

「この付近に赤子を連れた男が来たはずだ!知っているのなら大人しく話した方が身のためだぞ!」

「革鎧を着た男のことなら、ここから北の尾根近くの大木の近くで死んでおったぞ、不憫であったから俺が赤子と一緒に埋葬した」

「ふん、なるほど、ワイズマンめ、ようやくくたばったか。おい!そいつを埋めた場所まで案内しろ!」

「こんな夜更けにか?それにその物言いは人にものを頼む態度ではないな。気に入らん、帰ってくれ」

「なんだと!無礼な!おい、こんな小屋の扉など簡単に壊せるのだぞ!」

「やれるものならやってみろ」

「後悔するなよ!おい!お前たち、この扉を壊してしまえ!」


 どうやら招かれざる客は1人ではなかったらしい。扉を何かで叩きつけるような音が聞こえてきたが、分厚く丈夫な樫の木で出来た扉を破るのは中々に骨だろう。

 あきらめる様子を見せない外の男達にどうしたものかと思案していると、外の騒ぎが気に入らなかったのだろうか、ずっと寝ていた赤子がいつの間にか目を覚まし泣き始めてしまった。


「おい!赤子の泣き声が聞こえるぞ!まさか匿っているのではないだろうな!」

「これだけ騒がしければ寝ている赤子だって起きるだろう、いい加減あきらめて帰ってくれ」

「泣いている赤子を確認させろ!探している子供でなければ大人しく帰ってやろうではないか。確認させないというならこのボロ小屋に火を放ってやるぞ!」


 男の物言いに尊大で嫌らしさが滲み出ていた。おそらくワイズマンが騎士の男と赤子を匿っていると確信しているのだろう。


 ここへ来てワイズマンは覚悟を決めた(・・・・・・)


「仕方ない、今扉を開けるから少し待て」


 そう言って、暖炉の脇に置いてあった薪を1本、握り込むと扉の閂を外し扉を開ける。

 外にいた3人の男達は、扉が開くのを剣を抜いて待ち構えていた。

 恐らくは開くと同時に斬りかかり無理やり押し込むつもりだったのだろう。

 しかし、山小屋から出てきたモノは男達の予想の範疇(はんちゅう)を超えていた。


ーーそれはまさしく怪物


 男達がそれをどのように理解したのか。今まで自分たちが話していた相手が、まさかこのような怪物であったなどとは夢にも思っていたなかったのだろう。呆気にとられ押し込んでくる気配はない。

 ワイズマンにしてみれば、殺気を隠す気もない相手がいるのを承知で扉を開けた。そしたら相手は惚けつつ、剣を向けられている状況だ。


 覚悟はした。手加減はしない。そして棍棒替わりの薪を一振り。


 先ずは目の前にいた軽装の山岳猟兵(レンジャー)と思わしき男を吹き飛ばす。

 地面を転がりながら10mは飛んだ男はピクリとも動かない。

 次いでその隣にいた革鎧に木盾を構えた片手剣の男を、盾ごとまとめて同じように吹き飛ばす。

 その段になって、ようやく最後の1人がワイズマンに斬りかかってきた。


「くっ!化物め!」


 それなりに手練れの片手剣による斬撃は、充分に鋭い一撃だった。しかしワイズマンはそれを(かわ)すそぶりも見せない。


 ギィィン!


 斬りつけられたワイズマンの肩口からした音は、まるで岩を剣で叩いたような音だった。

 剣を鱗であっさりと弾かれてしまった男は手が痺れ剣を取り落してしまっている。

 ワイズマンは無言で男を見つめると、腕を振り上げ無慈悲の一撃を振り降ろした。


 「ま、待っ……!」


 真上から振り下ろされた薪は、男に最後まで物を言わせなかった。

 ワイズマンは山小屋の玄関前でシミとなった男と、殴り飛ばした2人男の荷物を剥ぐと死体を引きずり裏手にある林の奥へ投げ捨てた。

 ああしておけば山の動物達か後片付けをしてくれるだろう。


 山小屋に戻り、泣いている赤子を抱き上げる。どうせ起きたのならと、ちょうどいい塩梅に冷めた乳を布に含ませ、口元へ持っていってやる。

 はじめは嫌がっていたそぶりを見せていた赤子は、乳の匂いに気付いたのか大人しく乳を吸い始めた。

 何度か繰り返し乳を飲まなくなった時点で手の平に赤子をうつ伏せにし、背中を恐る恐るぽんぽんと叩いてやる。

 無事に赤子がゲップをしたことに安堵しながら、身体を拭いてやるために、騎士だった男の血で汚れたお包みの脱がしてやることにした。



 赤子は、女の子だった。

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