マグダと猫達のロンド 2
マグダが猫妖精を見てから1週間が経った。
その夜も自分の部屋の窓から遠見筒でウラと猫妖精探していたマグダは、遠見筒で覗いていた景色が急に真っ暗になり何も見えなくなったことに驚いた。
ぱっと遠見筒から目を離したが、自分の目が悪くなった訳ではないらしい。依然、そこには夜の街並みが広がっていた。
首をかしげつつもう一度、マグダが遠見筒を覗くと今度はちゃんと景色が見えた。
「おかしいわねー」
「おかしいことなんてないわよ」
自分の独り言にまさか返事があるとは思わず、驚いたマグダは危うく大切な遠見筒を窓から落としそうになった。
声がした方を向くとそこにはベッドの枕元に座っているクマのヨルクがいるだけだった。
「だれかいるの?」
「いるよ」
また返事があった。ヨルクの置いてある方向から声が聞こえてくるのは間違いなさそうだ。
不思議なネコちゃんの次は、しゃべるクマのぬいぐるみなのかしら。でも、ヨルクは男の子なのに声は女の人の声よね。と思いながらと興味津々でヨルクを見つめていると、月明かりに照らされて出来ていたヨルクの影が、もぞっと動いたような気がした。
少し不安になってもう一度、ヨルクに向かって声をかける。
「誰なの?」
「私はクロネよ」
3度目の返事を受けて猫妖精のときと同じに、どうやら夢でも気のせいでもなさそうと結論した。
次の瞬間、ヨルクの背後から影がのそりと起き上がった。いや、よく見れば影だと思っていたのは黒々とした綺麗な毛並みだった。
それは不思議な光景だった。どうやって体を隠していたのか、ヨルクの背後からその大きさの倍はあろうかという大きさのネコが立ち上がったのだ。
その大きさは身長が100cmのマグダよりも頭1つ分よりも少し小さいくらいだろうか。
黒い毛並はつやつやと輝き、その瞳はトパーズ色、長い尻尾が機嫌がよさそうにゆらゆら揺れている。
それは確かにあの晩にマグダが見た不思議な黒ネコだった。
「変なネコちゃん!」
「変じゃないわ。クロネよ」
「クロネコちゃん?」
「違うわ、ク・ロ・ネ」
「ふーん、クロネちゃんは私に会いに来てくれたの?」
目をキラキラと輝かせて問いかけるマグダにクロネは小さくため息を吐いた。
「まあいいわ。そうよ。私はあなたに会いにきたのよ。初めまして、ではないわね。少し前に会ったものね。そういえば、まだあなたのお名前を聞いていないわ」
「あ!私はマグダよ。よろしくね」
名乗ってなかったのに気が付き慌てて名乗ると同時に、慣れない仕草でちょこんと淑女の礼を披露する。
クロネは意外なものを見たような表情をすると髭の生えている口元をほころばせた。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます、お嬢様。改めて自己紹介をさせて頂きます。私は猫妖精のクロネと申します。以後お見知りおきを」
そう言うと、クロネは被っていた帽子を取り、見事な紳士の礼を返した。
その姿は、実に様になっていて中々に見ものだった。何しろクロネの恰好は普通のネコではあり得ない。
羽飾りのついたチロリアンハットに赤と黒の糸で刺繍された前面黒、背面紫のベストを着込み、胸のポケットからは赤いハンカチーフが覗いている。
手には柔らかそうな黒皮でできた手袋、足元は赤いリボンのついた編み上げのショートブーツで、腰には細剣が下げらえている。
そんなクロネに淑女扱いされてマグダはくすぐったそうに身体をもじもじさせながらも要件を切り出した。
「クロネちゃんに会えて嬉しいわ。だって聞きたいことがあったのだもの」
「あら、そうなの?じゃぁ私の用事は後でいいわ。あなたの聞きたいことからお話してちょうだい」
そう言うと、クロネはふわりと窓枠へ腰をかけると話を聞く姿勢を見せた。
そしてマグダは拙いながらも事情を話した。
ウラの様子がおかしかったところから喧嘩をしてしまったこと、それ以来ウラが帰ってきていないこと、探すために遠見筒を毎日覗き込んでいること。
それらを話終わるころには夜も更け月も正中に差し掛かろうかという時刻になっていた。
幼い子供特有の、まとまりが無くあちこちに飛ぶ話を、クロネは促し内容を補完しながら、いかにも幼い子供の相手に慣れた様子で上手に聞き役をこなした。
「なるほどね。つまりマグダは私にウラのいる場所を教えてほしいってことなのね」
「そうなの。ウラにちゃんとごめんなさいしたいの。クロネちゃんはウラのいるところ知らない?」
「残念ながら知らないわ……あぁ、そんな泣きそうな顔をしないで話は最後まで聞いてちょうだい」
クロネは座っていた窓枠からひょいと降りるとマグダの前まで来て手を差し出した。
「いるところは知らないけど、一緒に探すのを手伝ってあげることはできるわ。黒い靴下をはいた白いネコよね。これから私は探しに出るけどあなたも来る?」
マグダは差し出された手を全く迷わずに取った。
「ウラは私の大切な家族なの」
その返事にクロネは小さく、しかしとても満足そうに頷いた。
「そうね、家族は大切よね。じゃ、行きましょうか。あ、でもその前にそのままだと困るわね」
クロネはマグダと向かい合わせで両手を取ると、その目をじっと見つめた。
「私の目を見ててちょうだい。ネコの目と脚をあなたにあげる」
そう言われてマグダは自分の両手をクロネに預けつつ、真剣な眼差しでクロネの目を見つめた。
クロネは唄うように、呪文を唱え始める。
『昼の三宝、夜の三宝、月は太陽、星は雲、闇は風、夜の帳は我が夜明け、開け"猫の目"』
そうクロネが唱え上げるとマグダの眼は周りが明るくなった訳ではないが、夜の闇を見通せるようになり、暗闇を親身に感じるようになった。
マグダは夜の闇がこんなにも清々しく優しいものだと初めて知った。
クロネの魔法は続く。
『狭き隙間に猫の道、塀の上の目抜き通り、屋根の上の舞踏場、そびえる壁を越えるその脚は"猫足"』
「さぁ、これでいいわ。行くわよ」
そう言うと、クロネはマグダの手を取ったまま窓から夜の王都に飛び出した。
脚が地についていないふわりとした感覚と顔に当たる風の感覚にマグダは危うく悲鳴をあげるところだったが、気が付いたら向かいの家の屋根の上に音もなく立っていた。
隣では得意顔でクロネがマグダを見ている。
マグダは悲鳴を上げ損なったまま、口を空きっぱなしで固まっている。
クロネを見るマグダの顔は驚いた状態から徐々に変化して、ついには胸の前でブンブンと腕を振りながら捲し立て始めた。
「すごい!クロネちゃんすごい!ふわっとなったらぶわ!ってなっていつの間にか屋根に来ちゃった!」
「ふふ、マグダ、静かにしないと街の人達に気付かれてしまうわよ。それと私は手を引いていただけ。屋根に飛び移ったのはマグダが自分でした事なのよ」
そう言われて慌てて両手で口を閉じるマグダは、それでももごもごと言い募った。
「でも、クロネちゃんの魔法なんでしょ。やっぱりクロネちゃんはすごいわ」
「褒めてくれてありがとう、マグダ。次は手を引かないから自分で跳んでごらんなさいね」
そう言ってクロネはマグダを誘うように隣の家の屋根にふわりと飛び移った。
それを見たマグダに既に迷いはない。屋根の上を勢いよく走るとクロネの待つ隣の屋根へ飛び移った。
「あら、マグダ。上手に出来たじゃない。その様子なら心配なさそうね。ちゃんと私に付いてきてね」
マグダを待たずにクロネは次々と屋根を越えて移動していく。マグダも負けずに後を追いかけるとすぐにクロネに追いついた。
空には美しい顔を見せている月と、ピカピカと光る星々が地上を見守っている。風は闇を纏いつつも屋根を行く2人を優しく撫でて通り過ぎて行った。
「ねぇ、クロネちゃん。どこに行くの?」
「ウラを知っていそうな人に話を聞きに行くのよ」
やがて、2人は家からそう離れていない場所にある空き地を眼下に確認すると、屋根から地上に降り立った。
そこはそう大きな空き地ではなかったが、ざっと見ただけでも10匹以上のネコ達が集まっていた。
突然、空から降りてきた2人に当初ネコ達は警戒の目を向けたが、その相手がクロネだとわかると再び興味なさげにくつろぎ始めた。
クロネはネコ達と”にゃぁにゃぁ”と話し始めたが、マグダは何を言っているのかさっぱり理解が出来ない。
話が途切れるのを待って、ちょいちょいとクロネの肩を叩くと、所在なさげに問いかけた。
「クロネちゃん、ウラのいる所わかりそう?」
「あ、ごめんごめん。マグダは何を言っているのかわからないものね」
そして、クロネは三つ目の魔法を唱え始める。
『刻は丑三、集う猫は三々五々、喧々諤々大いに語り議論しよう。"猫はかく語りき"』
「さぁ、これであなたは猫の耳と喉を手に入れたわ」
そう言われ、マグダが改めてネコ達に意識を向けると驚いたことに”にゃぁにゃぁ語”が理解できるようになっていた。
「ふーん、後ろ足だけ黒い白猫か。俺はみたことないな。お前は知っているか?」
「いや、この辺では聞いたことないな。なぁ、クロネ、その子って可愛い?」
「さぁ、どうかしら。私は会ったことないもの。ウラを探しているのはこの子なのよ」
クロネの後ろに控えていたマグダは、促されてネコ達の集会に加わることにした。
「はじめまして、私はマグダです。家族のウラがいなくなっちゃったのでクロネちゃんにお願いして探しにきました。誰かウラを見た人はいませんか」
「あら、なかなか礼儀正しい子じゃない。ウラねぇ。残念だけどあたしも知らないねぇ」
「俺も知らないなぁ。この辺の区画にはいないのじゃないか?」
「その可能性が高いな。今日の集会は区画の主だったものは全員来ているし、そのウラって子がこの辺にいたら誰かしらは知っているはずだぞ」
「そう、楽しんでいるところ邪魔したわね。これはお話を聞かせてもらったお礼よ」
そう言ってクロネはどこから出したのか、枝に数枚の葉が付いたものを、ぽいっと放った。
「お、この匂い、マタタビか。これはいい!」
我先と争うようにマタタビに群がるネコ達を尻目にクロネは塀を蹴って屋根へと登ると、早くもネコ団子と化したネコ達を呆気にとられて見ているマグダに声をかける。
「マグダ、次に行くわよ!」
そうして2人は次々とネコ達の集会所を周ってみたものの、まもなく夜半になろう頃になってもウラの手がかりは見つからなかった。
この頃になると、マグダも疲れて頭がぐらぐらと揺れてはじめている。クロネはこれ以上聞き込みは無理と判断すると、マグダを家まで送ることにした。
「マグダ、今日のところはここまでにしましょう。また明日、探すのを手伝ってあげるわ」
「うん、ありがとう……」
クロネは、目をコシコシと擦るマグダの手を引きながら家まで送り届けると、そっとベッドへ寝かしつけた。
クロネは独り言ちる。
(うーん、猫達の縄張りが概ね200m、今日周った集会所が5カ所。マグダの家から近い順に集会所を周ってウラは見つからなかった)
(もし200m以上離れていたりすると自力で帰れなくなっている可能性が大きいなぁ)
(考えたくはないけど、馬車に撥ねられて・・・すでに・・・いや、それはそれで目撃しているネコがいてもおかしくはないわよね)
(普段から割と外を歩きまわっていたことを考えると、付き合いのあるネコの一人や二人いそうだし、もう少し探して見るかな)
(どうせ、夜は特別やることもないし、よし、そうしよう)
そこまで考えをまとめると再び夜の王都の住人達を訪ね歩くことにした。そして、気が付いた。
(あ、私の要件を伝えるの忘れてた……まぁ、今度でいっか)
ある意味ネコらしく、深くは考えていない。そうして夜は更けていく。
一方、ベッドに収まったマグダは、少し奇妙な夢を見ていた。
幼子の声が母親を呼び、おなかが空いたと騒いでいる夢だ。子供の姿は見えないが、子供の声は1人や2人ではない。もっと多い人数の声が聞こえてくる。
やがて子供らの母親らしき声が聞こえてきた。母親は子供たちへ乳を与えているようだった。騒がしかった子供の声が大人しくなった。
マグダにとって全く聞き覚えのないはずの母親の声が、なぜかとても身近に感じる。
そんな、良くわからない不思議な夢だった。