廃工場の女神
少し自分を重ねて書いてしまいました。小説を書く意味を改めて考えられた気がします。
やばい、やばい。なんで、急に雨なんだよ!
さっきまでカラッと晴れていたと思ったら、あっという間に空が暗くなり大粒の雨が降ってきた。にわか雨だとは思うが、こいつは困った。
ラムネも買った。昨日、おばあちゃんに買ってもらった「星間侵略シリーズ」の最新巻もある。小学校最後の夏休み初日の今日は夕方になるまで僕だけの秘密基地でまったり過ごすんだ。傘を持つことなんて、みじんも思いつかないままに家を出た自分を恨む余裕すらない。襲い掛かる雨粒から逃げるように重い鉄の扉を開ける。
「え・・・」
雨音が廃工場内にこだましていた。天井が高いせいで、音がとても大きく反響している。夏の雨の匂いが工場内の埃の匂いと混ざって、なんとも言えない湿気を感じさせる。最近生い茂ってきた草が室内の朽ちた機械たちにも絡まって、余計に遺跡感が増している。僕のソファは学校の体育館ほどもある廃工場の一番奥にあって、本当だったらこの時期午後2時ちょうどに天窓から差し込む光の真下になるように配置してある特等席だ。いつもはそのソファでお気に入りの本を読みながら夕方まで過ごす。今日もそのはず、だった。
先客がいた。僕のソファに真っ白な何かが横になっている。犬や猫にしては大きすぎるし、それじゃ一体あれは・・・。
恐る恐る近づいていく。胸にじっとりと冷たい汗を書いているのを無視して僕は進む。
そして、ソファの前まできて愕然とした。人だ。しかも、女性だ。
真っ白なワンピースを着て、投げ出された足は裸足で泥だらけ。顔には大きなひまわり色の帽子をかぶせているせいで表情が分からない。覗かせている髪は綺麗な金髪だ。外国人…?
「って、この人、生きてるのかな」
そう口に出して、ぞっとしてしまった。僕しか知らないはずの秘密基地で、女性が倒れていて、しかも第一発見者。もし、万が一、死んでいるとしたら、僕が犯人にされてしまうことだってあり得る。そんなことになったら僕の人生は終わりだ。お母さんは泣くだろうし、お父さんは僕に失望するだろうし、友達もみんないなくなってしまう。ご近所からも犯罪者の家だって言われて、僕の家族は子の街から出ていかなきゃいけなくなって・・・あぁ、どうしよう!
混乱がピークに達した時だった、
「ん、ん、」
女性が動いた。生きていたんだ。と安心もつかの間、僕はどうしたらいいだ。と思うもまもなく起き上がり際に帽子がはらりと落ちる。頭を緩やかに振った時に長くて少しウェーブのかかった金髪が煌めく。それはもうスローモーションみたいに見えた。まだ僕には気が付いていない。
「Oh…..」
(うわ、たぶん、日本語じゃない・・・)
僕は後ずさりもいいところに、その場を離れようとした。そして、お約束通り小さいガラスの破片を踏んだ。
「あ、ご、ごめんなさい。ぼ、ぼく、その・・・・」
逃げるが勝ちとばかりに回れ右をして、駆け出そうとする。
「マ、マッテクダサイ」
「え」
明確な日本語だった。待てと言われてそのまま走り抜けられるような度胸は僕にはなくて、また振り返ることになる。
「えっと・・・ぼく、エイゴ、ハナセマセン」
なんか、僕まで片言の日本語になって断りを入れる。そして、女性の顔をしっかりと見ると、20代ぐらいだろうか、なんて美人さんなのだろうか。緑色の瞳に、すっと高い鼻、おまけに透き通るような白い肌。そして、くすっと笑う。
「だ、大丈夫です。私、日本語話せます」
「え、あ、じゃぁ、その…」
「わたしのこと、助けてお願いします。雨が急に降ってきてしまってWell…その、頭クラクラします」
体調が悪くて横になっていたのか。ようやく合点が言った僕は、無意識に右手に持っていたラムネを差し出す。さっきまでのかんかん照りのせいで熱中症になってしまっているのなら体を冷ますのが一番だ。
「これ、飲んでください」
「これは・・・?」
受け取るもとても不安げな表情を隠せないお姉さん。少しでも安心させようと僕は次の言葉を継ぐ。
「ラムネです。冷たくて、おいしい、飲み物」
「ありがとうです」
僕の言葉に安心したのか、一気にラムネをあおったお姉さんがむせ返るまで一瞬だった。まぁ、炭酸と知らずに炭酸を飲んだ人の反応としては相応だったけど。
ひとしきりむせた後、おいしそうにひと瓶を飲み終えて、お姉さんはいくらか落ち着いたようだった。
「大丈夫ですか・・・?」
恐る恐る尋ねる僕に、お姉さんは笑顔を向けて言う。
「ええ、ありがとう。おいしかったです。落ち着きました」
「よかったです。それじゃあ、僕は―――」
「待って」
またしても呼び止められる。面倒な予感しかしないもののやっぱり、無視できるぼくではなかった。
「ちょっと、こっち、来てください」
警戒のつもりもあって、お姉さんと距離を取っていたが、どうやら少なくとも悪い人ではなさそうだし、僕は言われるがままにお姉さんに近づく。
座ったままのお姉さんが僕の手を取れるくらいまで近づく。ちょっと緊張する。お姉さんの手のひらを水平に下ろして「少ししゃがんで」のジェスチャーに従って膝を折った僕のちょうど正面にお姉さんの顔がくる。すごく緊張する。
その瞬間、お姉さんの右手が僕の左の頬をかすって後頭部に伸びる。そして、僕の髪を掬うようにして顔を自分の顔に寄せる。もう鼻と鼻がくっつきそうで、僕は目を閉じてしまう。お姉さんからはふんわりとした果物の様な花束のような甘い匂いがする。
(いい匂い…)
お姉さんがピタッとおでこを僕のおでこにつける。
「つめたい。きもちがいい」
冷や汗をかくほど緊張していた僕は、真夏にも関わらず冷たいおでこを保持していたようだった。って、、、、おでこ?
「っっっつ!!」
思わずお姉さんの手を無理に解いた。一気に顔が熱くなる。こっちが熱中症になってしまったみたいだった。
「ご、ごめんなさい。わたし、、、、大丈夫ですか」
お姉さんに声をかけられるものの、心臓のドクドクが収まらない。女の人とあんなに近づくなんて、お母さん以外ないし、ましてや知らない外国の綺麗なお姉さんだなんて!落ち着け、落ち着くんだ、僕!
「だ、大丈夫です。僕も、驚いてしまってごめんなさい」
「いいえ、私こそ失礼しました。日本の方にはない習慣でしたね」
ところで―――と話しを変えたお姉さんは、ソファにすっと居住まいを正す。そして、しごく単純な疑問を僕に投げる。
「ここは、あなたの場所ですか」
非常に難しい質問だ。答えとしては、イエスであり、ノーである。
答えあぐねる僕に、お姉さんは続ける。
「私、決めました、しばらくの間、ここ住みます。OK?」
決めたと断言しながら僕に許可を求めるとはもう、小学生の僕には「正しい判断」が何かということを決めるのは無理だった。異邦人を前に異星人を見たような顔をした僕をイルヴァさんは生涯忘れないだろう。
◆
家と小学校のちょうど中間地点に廃工場は、僕が幼稚園生のころまで車の部品を作る小さな会社が使っていたそうだ。「フケイキ」になって会社はつぶれて、コ工場を壊してしまうお金もなくなって、そのまま残ったんだて、お父さんが言っていた。通りに面した鉄製の門は当然、鎖でぐるぐる巻きにされて、おまけに鍵までかかっているから誰も入れないようになっている。そう、表向きは。
見つけたのは、小5の秋口だったと思う。あの日は、担任の深見先生に放課後呼び出されていたから一人で小学校から帰っていた。ちょっといつもと違う道を通って帰ろうって、いつもは曲がらない信号を曲がった。正確に言えば、小学校から3つ目の信号を曲がるところ、その日は2つ目の信号を曲がったんだ。ぐるぐる歩きながらなんとなく家を目指せばたどりつけることは、いつものことで分かっていたし別になんとも思ってなかった。
そして、いつの間にか「あの廃工場」の裏側に来ていた。いつも帰り道に見ている工場の姿を裏側から見るだけで、だいぶ印象が変わったのを覚えてる。左側に見えていたおおきな煙突は当然右側でなんだかそれだけでも特別な何かを感じたような気がした。
そして、見つけてしまったんだ。
塀にぽっかりと空いた子供が一人通り抜けられるかどうかぐらいの穴を。
あの日の僕はどうかしていたのかもしれない。周囲に誰もいないかを入念に確認した後で、背負っているランドセルを割きにその穴に押し込むと、追いかけるように自分もその穴に潜った。
敷地内は想像していた以上に寂しかった。僕の背を越えるくらいの草が生え放題になっていたし、工場自体もいろんなところのガラスが割れてて、それでなにより、君が悪いぐらい静かだった。さっきまでの通りの音やその他の街の音が塀を一つ隔てただけですべて遮られてしまったかのようだった。
ランドセルを背負い直した僕は、工場内をどんどん進んだ。今考えればすごく怖いことをしていたはずなのに、あの日の僕はそれができちゃったんだ。
工場内は埃と土と油となんとも言えない色んな匂いが混ざっていた。事務所に浸かっていたらしい部屋には、まだいろんなものが残っていて、誰かがここで時間を過ごしていたっていう確実な痕跡と空気が感じられた。でも、工場部分に入った瞬間が一番衝撃的だったかしれない。僕の身長よりも明らかに大きい鉄の扉を全体重をかけて開けると、そこは学校の体育館ぐらいの空間が広がっていた。放置された巨大な機会が左右にずらーっと並び、真ん中は一番奥まで続く通路という配置。左右の埃をかぶった機械を眺めながら僕はずんずんを奥へ進む。気分はきっと探検家かスパイにでもなった気分だったんだと思う。
一番奥は少しひらけていた。上を見ると、遥か高い天井に天窓が付いていて、夕焼けの空が見えた。そして、ピンと来たんだ。
「ここを僕だけの秘密基地にしよう」って。
それから、友達にばれないように通っては、工場の事務所にあったソファを移動したり、家から漫画を持ち出したりせっせとリフォームをした。半月が過ぎることには、小学生にとっては豪華すぎるおひとりさま秘密基地が完成したのだった。
◆
つたない日本語を最大限に駆使して、この経緯をお姉さんに説明したうえで、使いたければ使ってもいいということを伝えた。
「ありがとうございます。ところで、名前を教えてください。私は、イルヴァ=ガランドールといいます」
衝撃的な出会いから、僕らはお互いの名前も知らないまま小一時間ここにいたことになる。きっと、いろいろと麻痺していたのだろう。
「ぼくは、森塚若葉、12歳です」
「OK,モリヅカさん。ワカバ、、、どんな意味の言葉ですか?」
「う、うーん、、、葉っぱの子供、若い葉っぱという意味です」
「ということは、グリーンフレッシュということですね」
「う、うん、たぶんそういうことになります。あ、僕のことは若葉って読んでください。えーと、、、コール、ミー、ワ・カ・バ」
(伝わったかな…)
「OK,ワカバ。私のことは、イルヴァと呼んでください」
「わかりました。ちなみに、ここに住むってどういうことですか?そもそも、イルヴァさんはどこから来たんですか?」
落ち着いてきたこともあって、疑問がどんどん湧いてくる。真昼間の廃工場の奥に外国人の女性が一人で寝ているっていう状況は明らかに怪しすぎる。
「well……どこから来たかは言えないです。ごめんなさい。でも、あと一週間もあれば、またいなります。それまで、私がここにいることを秘密にしてほしいです。そして、その時が来たら、若葉にすべて話します。お願いできますか?」
秘密も何も、僕はこの場所を秘密にしているし、ここで起きたことはそもそも誰にも言えない。つまり、お姉さんもこの場所を取り巻く秘密の一部なわけで、自動的に秘密なのだ。
「わかりました、アイ、シー。でも、僕、お姉さんに何もしてあげられませんよ。お金も持ってないし・・・、ここに来ることぐらいしか」
僕の英語が面白かったんだろうか、イルヴァさんがふわっと頬をほころばす。
「Don’t worry. 私は何も必要としていないので大丈夫です。それに、若葉が来てくれるなら、私も退屈せずに過ごせそうです。本当にありがとございます」
それから少しの時間をかけて、幾分落ち着いたお姉さんと秘密基地の模様替えをした。それと、裸足のお姉さんのために百均でサンダルも買ってきた。いつの間にかにわか雨もあがっていた。なけなしのお小遣いが少し減ったものの、いいことをした気分だったのでトントンだ。
事務所跡地から、ソファをもう一つ持ち出して、僕らは向かい合うようにして配置すると、それぞれの時間を過ごした。僕は、お姉さんの様子をちらちら確認しながら本を読んで、お姉さんといえばーーー特に何をすることもなく工場の中を興味深そうにウロウロしたり、射しこむ日の光を気持ちよさそうに浴びたり、なんだか猫みたいな人だなぁと思った。きっと、僕よりうんと年上なんだけど、かわいい人だ。
「若葉、どうかしたの?」
じっと、見つめ過ぎたーーーお姉さんがいぶかしげな表情で僕を見ている。僕は、本で鼻の上まで隠してやっと答える。
「ノーノー、い、いや、何でもないです」
かわいいなと思って見つめ過ぎましたとは、死んでも言えない。そうこうしているうちに、お姉さんが近づいてくる。自分用(今までは僕が使っていた方)のソファにふわっと座ると、僕を見て話しだす。
「若葉のこと、教えてください。私、もっと、若葉のこと知りたいです」
「僕のことですか・・そうだなぁ。えっと、小学校に通っていて、今、六年生です。六年生わかりますか?今年卒業します」
「一番上の学年ですね」
呑み込みが早い。お姉さんはどこまで日本のことを知っているのだろう。
「うん。あとは、好きな食べ物はお肉です。ミート。好きな色は、ブルー。うーん、あとは、、、」
僕がもごもごしていると、お姉さんは僕に質問をする。うまく会話をつないでくれながら僕は自分のことをお姉さんに話していった。
「若葉はどんな大人になりたいですか?」
今までと全く趣向の違った質問に僕は戸惑う。どんな大人か・・・
「子供の夢を応援できる大人になりたいです」
お姉さんはその答えを聞くと、考え込むようにそっと目を閉じて静かになってしまった。意味が分からなかったのだろうか。
「えっと、どんな意味かというと・・・」
「大丈夫。分かっています。いま、若葉がどんな大人になっていくのだろうと想像していたんです。あなたはきっと、夢を叶えます。そう、目指す大人になれる。そんな感じがします。ただ―――」
「ただ・・・?」
「自信が足りないようにも見えます。ビリーブ・ユアセルフ、です」
「ん、どういう意味ですか」
「その時が来たらわかります。だから、忘れないで下さい」
気が付いたら、天窓から差し込んでいた光は、ずっと落ちていて、夕闇が廃工場を包み込もうとしていた。サンダルを買った時に懐中電灯も買ってきていたから、それをお姉さんに渡して家からくすねてきた食料もまとめて渡す。これで少なくとも今晩はしのげるはずだ。夏だから夜もそんなに冷えないし。
「ぼく、今日はもう帰らないと。明日の朝、また来ます」
「ええ、今日は本当にありがとう。若葉は命の恩人です」
ちょっと、と僕を手招きするお姉さん。呼ばれるがままに僕は近づく。
すっと手招きした手が僕の左頬に伸びて、その瞬間右の頬にふわっと温かさが伝わる。
これ、キスだよね。
え、、、、、
キスされ、た。
「さ、さようなら!おやすみなさい!」
今日一番の早口で挨拶すると僕は一目散に廃工場を後にした。顔は真っ赤だったと思うし、お姉さんはまたふふって笑っていた気がする。
ダッシュで家に帰って、どこを食べたんだかわからない夕食を食べて、お風呂の湯船で暫くブクブクして、ほてった体のままベッドに転がり込んだ。
大変な一週間になりそうだ。まどろみはすぐにやってきた。
翌日は天気予報通りの快晴。8時に起きて、一日の天気とニュースをちょこっとネットで確認して家を出る。一日中快晴なのは良かったが、興味を引くニュースも特になかったのが残念だ。
今日はお姉さんと何を話そう。僕のことは昨日話したばっかりだし、今日はお姉さんのことを聞いてみたい。きっと、飛行機とか船で海を越えていくつもの国境を越えて来たんだろう。僕の知らない他の国のこととか知りたいことはいっぱいあるんだ。ただ、それを上手にお姉さんに質問できるかどうかが問題だけど。
昨日は慌てて飛び出してしていったからほとんど気が付かなかったけど、まだ工場に入る穴の周りに生えている草が雨のせいで湿ったままだった。
気持ち悪い湿気を感じながら穴をくぐる。そこからはいるものルートで工場へ入る。
お姉さんが寝ていると悪いから、少し控えめの力でゆっくりと鉄の扉を開ける。
廃工場の一番奥。お姉さんはソファの上に立って天窓を見つめるようにしてそこから落ちる光を全身に浴びていた。真っ白な肌が太陽の光で余計に白く見える
スポットライトに照らされる舞台上の女優さんの様な神聖さ、いや、もう、女神様が天界から降りてきたようだった。僕は、ミケランジェロの作品を見たネロのごとく、見とれてしまった。
物音に気が付いたお姉さんが僕を見つける。
「若葉、Good morning」
「グッドモーニング、イルヴァさん」
このくらいの英語だったら僕だってできる。奥へと歩いていきながら挨拶を返すと、お姉さんはソファからふわっと飛び降りる。バレエを見ているような動きだった。
「そうだ、昨日は急にキスをしてしまってごめんなさい。つい、癖でしてしまいました」
顔が赤くなるのを感じる。もう、ほじくらないで下さい。
「い、いいんです、気にしないでください。僕、大丈夫なんで。ところで、昨日はよく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで。夜に雨がまた降ってきたから、その音がとってもよかったです。“イト・オカシ”ですよね。昔、勉強したことがあります」
「い、と、おか、し?」
雨の音の何が変なんだろう。
「ああ、若葉は知りませんか。昔の日本人が自然の美しさに感動した時に、祖の気持ちを表現するために使っていた言葉です」
おっと、僕は日本のことを外国の人から教えてもらっているのか。恥ずかしい。
「知らなかったです。いと、おかし。ですね。覚えておきます」
「日本語にはきれいな言葉がたくさんあって、私はとても好きです。なんというか、その、細かい、ううん、違いますね…、そのフラジールな…」
「繊細、ですか?」
ナイスフォロー、僕。
「そう、それです。英語やほかの言葉では表せない的確な表現が素晴らしいです」
「お姉さんは日本語で好きな言葉ありますか」
「ううん、、、そうですね。『切ない』ですかね。この言葉は英語で代用しようとしても変わりが見つかりません。心をつかまれるような複雑な気持ちを表現する言葉を作ったというところが、非常に日本人らしいです」
「なるほど・・・お姉さん、イルヴァさんはとても勉強家なんですね」
「いいえ、そんなことないです。私は自分が興味を持ったことしか勉強をしません。日本は私が好きな国です。だから、私は日本のことを学びました」
それでも充分、勉強家じゃないか。
「お姉さんのこと、それと、お姉さんの生まれた国のこと、もっと教えてください」
「私のことですか?」
「はい、僕、すごく日本の外のことが気になります。直接外国の人に話を聞けることなんてめったにないので、教えてほしいです」
お姉さんは少し迷ったような複雑な表情を一瞬した、様な気がした。でもすぐに、
「いいですよ」
といって笑った。
「若葉は何が知りたいですか」
「えっと、じゃあ最初は、外国は時間が違うって学校で勉強したんですけど、それは本当ですか?日本がいま昼の十一時で他の国が夜なのとかあんまり想像ができなくて」
「ええと、それはtime difference、ええと時差ということでいいですか?」
「あ、はい。そうです」
「そうですね。確かに、想像は難しいと思います。実際、私も最初はよくわかりませんでした。時差のことを、ええと、その、難しく説明することもできますが、若葉には難しいかもですので、イメージの話をしましょうか」
僕はうなずくしかない。学校の先生みたいだ。
「例えば、若葉は世界中が同じ時間だったら、その、時差がなかったらどうなると思いますか?」
「ううん、楽になると思います。時間の計算しなくていいから」
「確かに、そうですね。でも、日本が朝の時に裏側のアメリカは夕方です。若葉が仮にアメリカにいるとして、太陽が沈もうとしているところで、『同じ時間だ』と言われても納得がいきませんよね」
「うん、たしかに・・・」
「その昔、時間という概念がなかった頃、人は太陽の昇り沈みで時の管理をしていました。それは地球上どこにいても変わりません。つまり、陽が昇ったら朝、沈んだら夜。これは万能の認識です。なのでアメリカで陽が沈む夜が、日本の朝と同じ時間であっていいとはならないのです。だから、少し面倒でも時差という考え方が定着したんです。少し、細かいことは省いているので親切な説明ではなかったですが、答えになっていますか」
「なんか、納得できた気がします」
お姉さんの話し方には、なぜか納得してしまうような妙な説得力があった。
「よかったです。誰か一人だけが特別だと、他が我慢できなくなってしまうのとおなじですね。国も、人も同じです」
お姉さんがどこまで物知りなのかは、僕には計り知れないところだったから、下手な質問をどんどんしてしまっていたようにも思える。飛行機は怖いか、本当に空が映る湖があるのか、ピラミッドはどのくらい大きいのか、海外は靴を履いたまま家に入るけど寝るときはどうしているのか。お米は食べないのか。くだらない子とまでたくさんだ。
工場のガラスが割れた窓から小鳥が入ってきて、朽ちた機械の上でさえずっていた。射しこむ光は今日もやわらかい。外国人のお姉さんと話しているという事実のふわふわ感が少しずつなくなってきているのを感じていた。
「お姉さんの生まれた国のことを教えてください」
「私の生まれた国・・・国の名前は言えないけどいいですか?」
「大丈夫です」
きっとお姉さんにも事情というものがあるのだろう。
「ありがとう。私の国は、そうですね、とても自然が豊かな国です。私は海の近くで育ちました。季節によって差はありますが、だいたいいつも海の匂いがして、今でもすぐに思いだせるほどです。いつか、若葉にも見せてあげたいいくつもの景色があります」
真っ白い建物ばっかりが並ぶ海岸線の街並みを想像する。潮の香りと、威勢のいい市場。地元の漁師さんや農家の人がワゴンで様々な異国の食材を売っている風景。僕も行ってみたい。
「でも、私の国は今、大きく変わろうとしています。これまでの体制が揺らいで、新しく時代に合わせた国にしていこうとする動きが活発になってきました。そういう意味では日本も同じですね。ただ、私の国とは逆をいこうとしていますが」
「ごめんなさい。ちょっと、難しくてよくわからないです」
するとお姉さんは、ハッと我に返ったように、
「ごめんなさい。つい、固い話をしてしまいました。まだ、若葉には難しかったですね。簡単にいうと、私の国と日本は違う向きの「正しさ」を求めているということです」
お姉さんは申し訳なさそうにほほ笑んだけど、子供扱いされてしまったこと、自分が今の話を理解しきれなかったこと、いろんな気持ちが混ぜこぜになって、僕はちょっとへこんだ。
お昼は、僕が家から持ってきたお弁当を二人で分けて食べた。お姉さんは日本のお弁当箱がとっても珍しいといって食べる前からはしゃいでいて、食べてからも美味しかったと満足そうにしていたから、なんだか僕はまた元気になってしまった。
「午後からは、また若葉のことを聞かせてもらえませんか」
「もちろん。僕も話せる範囲でよければ」
「オーライ。昨日、若葉は『子供の夢を応援できる大人になりたい』と言いましたね」
「あ、はい。言いました」
よく覚えているなぁ。恥ずかしい。
「具体的にしてみたい職業はありますか」
「笑わないでくださいね」
「もちろん」
大真面目にお姉さんがうなずく。
「僕、小説家になりたいんです」
「なぜ、小説家になりたいんですか」
僕は虚を突かれたような顔をしてしまう。なぜと言われると難しい。
「うーん、小説が好きだから」
「好きなだけだったら、読み手でもいいはずですよね。でも、若葉は書き手になりたい。なぜですか」
僕はさらに困ってしまう。
「言葉が好きだから」
僕がひねり出した答えだった。
「世の中にはうまく言葉にできない色んなことがあります。もやもやした気持ちとか、色々。でも、僕はその言葉にできないそれを言葉にして残したいんです。きっと言葉にしにくいことほど、大切なことなんです。僕はそう思っています」
間が空く。お姉さんが目をつむる。やっぱり、伝わらなかっただろうか。
「賛成です」
「え」
意外な反応だった。
「私は若葉の意見に賛成です。世の中は言葉に溢れています。でも、ありふれた言葉にはそこまでの力の価値もなく、それはただの記号です。でも、言葉にでき無い気持ちや物事こそ、世界の本質であり、大切なことであると私も思います。だから、若葉の夢は叶うと思います。若葉は正しい。自信を持ってください」
「ありがとうございます。でも、たぶん、ダメだと思います。小説家になるのは難しいし。それに、お父さんもお母さんも無理だって言ってます」
「いいえ、若葉は夢をかなえます。夢は言葉にしたら必ず叶います。私の国でよく言われていることわざなんです。挑戦する前から諦めてはいけません。それは、過去の挑戦のあとで失敗してしまった人間たちにとても失礼です」
持ち上げてもらったのか、怒られたのか分からず微妙な表情を浮かべた僕にイルヴァさんは続ける。
「ごめんなさい。責めたつもりはなかったの。でも、若葉は夢を諦めてはいけません。それでは、叶うものも叶わなくなってしまいます。私は若葉を応援します」
会ったばかりの人に、こんなにもまっすぐ応援すると言われてどうにもむずむずする不思議な気分だ。でも、悪くない。小説家にだって慣れるような気がしていた。
「ありがとうございます。僕、小説家になったらいつか、イルヴァさんのこと書きます」
「若葉が小説家になるのが楽しみです。私もそれまで、若葉に書いてもらう時に恥ずかしくないように頑張らないといけないですね」
そのあと、イルヴァさんから学校のこと、家族のこと、日本の分化のこと、うまくは答えられなかったけど政治のこと、など大量の質問を受けた。一つひとつをふむふむ、と納得したり、さらに質問を重ねたりしながら聞いていた。さっきは、「興味があることだけ」と入っていたものの、根っからの勉強家であることを感じた。
文化の話になった時、家から持ってきた折り紙を紹介した。僕の得意技だ。ささっと折り鶴を追ってプレゼントしたらすごく喜んでくれた。本当はもっとすごいのも作れるんだけど、死ぬほど時間がかかっちゃうから今日はここまでにした。
あっという間に陽が落ちた。僕とイルヴァさんの不思議な時間が猛スピードで過ぎていくのを感じた。きっとクラスの誰も体験したことないようなすごいことなんだ。となんだか鼻が高い。
陽が落ちて、そろそろ帰らないといけない時間になった。今日も家から持ってきた食材をイルヴァさんに渡して、明日も来ることを伝える。
「若葉、ありがとう。あなたのおかげで、なんとか過ごせてます。何かの形で必ずこの恩は返します」
「いや、いいんです。僕も、お姉さんとお話しができるのすごく楽しいし。お返しなんて、そんな」
うーん、、とイルヴァさんが少し考え込むポーズを取る。
「あ、あとこれ!」
僕は今日朝から考えてきて、リュックに忍ばせていた紙の束を取り出して渡す。
「これは?」
「僕が書いた小説です。夜、暇だと辛いから、その、面白くないと思うけど暇つぶしにはなると思うので」
「本当にありがとう。今晩読ませてもらうわ。とてもうれしい」
持ってきてよかった。自分の書いた小説を誰かに読んでもらうのは気恥ずかしいけど、イルヴァさんからは遠慮のない率直な感想をもらえる気がしらから持って来たというのもあった。外国の人にも受け入れてもらえたら、もしかしたら結構いい線いく作品かもしれないし。
「それじゃ」
手招き、だ。イルヴァさんに慣れたのか、キスに慣れたのかは分からない。はぐまでされて、自分の心臓の音がイルヴァさんに伝わっていると思うと、尾のすごく恥ずかしかったけど、昨日よりもうんと自然に受けられた。
「おやすみなさい」
と耳元でささやかれた声が、ベッドに入って眠りに落ちていくまでずっと離れなかった。ジンジンする耳と胸がなかなか僕を眠らせてはくれなかった。
◆
翌朝、雨音で目を覚ました。絵に描いたようなザーザー降りだ。
秘密基地は、お姉さんは大丈夫だろうか。心配になって準備もほどほどに基地を目指した。
廃工場はいつものように雨音が響くだけであとは静かだっだ。今日も僕は鉄の扉を開く。
ギギーっと金属音と共に扉が開く。通路の奥にソファが二つ。人影は、無し。
あれ、お姉さん、どこ行ったんだろう。雨ということを考えると外に散歩に出たということも考えにくい。
「イルヴァさーん」
名前を呼びながら工場の中を探して回る。メインの工場、事務所、資材置き場、駐車場、捜したけどお姉さんはいなかった。
きっとお昼になったら戻ってくるだろうと、いつも通り自分のソファに座って、途中になっていた「星間侵略シリーズ」を読み始めるも、やっぱり落ち着かない。なんだろう、このモヤモヤ。嫌な予感だ。
でも、お姉さんがこの日、戻ってくることはなかった。一日中雨は降り通りで、なんだか後味の悪い一日だった。昨日渡した小説が詰まらなかったのかなぁとか、余計なことまで考えて暗い気持ちになってしまう。
とはいえ、事件や事故に巻き込まれていなければいいけど、ただただ心配だ。
しかし、あくる日も、そのまた次の日も、僕は秘密基地で一日を過ごしていたが、前日に置いていった夜食に手が付けられた痕跡もなければ、イルヴァさんが秘密基地に戻ってくることもなかった。
イルヴァさんを待ちながら僕はお姉さんの正体について考えていた。どこの国かということに関しては全く教えてくれなかったものの、恐らくヨーロッパの国であることはわかった。日本と反対の考えかたになろうとしている国。全然予想が付かない。
もっと根本的なところで言えば、初日にイルヴァさんはどうして一人でここにいたのだろうか。警察に追われていたとか、公に助けを呼べない理由があったのだろうか。
結局、考えれば考えるだけわからなくなって、そのあとで僕の中に残ったのは、イルヴァさんは僕の夢を始めてまっすぐに応援してくれた物知りの優しいお姉さんであるということだった。
「もう一回、会いたいあぁ」
口に出てしまっていた。工場内では小鳥たちが気持ちよさそうにさえずっていた。今日は晴れだ。忙しい天気の変わりようは実に夏らしい。
工場に持ち込んでたまに聞いていたラジオをつける。お昼のニュースで各地の最高気温を伝えるアナウンサーが熱中症の注意を呼び掛けていた。そう言えば
イルヴァさんも暑さに弱かったんだよね、確か。今となってはそれすらも懐かしい。―――続いてのニュースです。今週、スウェーデンから来日していて、行方不明となっていた女性外交官が無事発見されたと、スウェーデン大使館が発表しました。三十代の女性外交官はやや衰弱しているものの、命に別状はないということで、失踪していた期間については黙秘をしているとのことでした。さて、次のニュースです。
「・・・まさか、ねぇ」
また独り言。イルヴァさんが外交官で失踪中に小学生と共同生活だなんて、ね。
と思いつつ、僕は、イルヴァさんが件の外交官であるような気もしていた。いや、心配のあまりそう思いたいだけだったのかもしれない。そして、お姉さんの唇の感触、温かさがじわっと戻ってきた気がしてちょっぴり寂しくなった。
◆
夏はあっという間に過ぎていった。イルヴァさんが戻らないまま、季節は変わり、校庭には落ち葉が降り積もっていた。
窓際の席から鮮やかな暖色の絨毯を眺めて、僕は次の小説の題材を考えていた。できることならイルヴァさんを登場させたいものだが、へたくそな小説の登場人物にしてしまうのもなんだか申し訳ない。もっと、力をつけてからじゃないとダメな気もする。
「おい、若葉」
その声にハッとする。どうやら、何度も先生に呼ばれていることにも気が付かずにぼーっとしていたようだ。クラスからクスクスという笑い声が聞こえて、僕は顔が真っ赤になる。
あの夏を通じて僕はほとんどなんにも変わらなかった。たぶん。クラスでの立ち位置も、小説の腕も、両親に小説家を反対されていることも。
でも、一つだけ知った事がある。それは、世界が広くてそのどこかには僕、森塚若葉を認めてくれる、期待してくれる人がいるということだ。
たったの二日間。でも、宝物のような二日間だった。
今となっては現実に起こった事なのかすら分からないけど。
その日の帰り道、僕は久しぶりに秘密基地に寄った。理由は特になかったが、最近は行っていなかった。
夏よりも生い茂る秋草を掻き分けて、例の廃工場へ入っていく。
鉄の扉はいつもと同じように開いた。
長く、機械に挟まれた道の先には一人掛けのソファが二つ。これだけが、イルヴァさんがいたという確かな証拠で僕は片づけられずにいたんだ。
ソファ同士の間にあるビールけーるにベニヤ板を置いただけのテーブルに何かが置いてあった。
誰かが勝手には入ったのだろうか。
それは、薄い製本された冊子だった。表紙は高そうな緋色の布で金の縁取りがされていた。一ページ開くとそこには、二つ折りのメモのようなものが挟まっていた。
◆
親愛なる若葉へ
まずは、急に姿を消してしまったこと、あなたに心配をさせてしまったことを謝らせてください。本当に、ごめんなさい。
あなたと過ごした二日間は、私の人生を変えた二日間でした。
初めてあなたとここで会ったあの日、私は自分の人生に生じた疑問を無視しきれなくなって逃げだしてここに辿り着きました。そして、若葉に助けられました。
もし、あなたが私と出会わなかったとしたら、私はこの先、何も成し得ずに一生をこのまま終えていたでしょう。
あなたの言葉には人を変える力があります。どうか、自分を信じて夢を諦めないで下さい。
これは、少しばかりの気持ちです。
あなたの未来が明るいものであることを心の底から祈っています。そして。いつか、また若葉と会えることを願っています。
追伸
小説、とても切ない素敵なお話でした。ただ、ラブシーンがまだまだですね。たくさん経験してください。
愛をこめて
イルヴァ=ガランドール
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整ったきれいな文字。イルヴァさんからだった。
そして、メモの挟まっていた綺麗な装丁を纏わせてもらった冊子はまぎれもなくあの時渡した僕の手書き小説をパソコンで打ち直して製本したものだった。本屋さんで売っているものよりも数段立派な装丁だ。
辺りを見回す。当然、イルヴァさんの影はなかった。入れ違いになってしまったんだろうか。
「なんだよもう、ラブシーンって。知らないんだもん、仕方ないじゃんか」
僕は泣きたいような、笑いたいような初めての気持ちで一杯だった。いつかは、子の気持ちも文字にして伝えられるようにしたい。言葉の力を信じているイルヴァさんに届くぐらいの小説家になりたいって心の底から思った。
そして、その数年後、イルヴァさんがスウェーデンの移民政策の第一人者としてテレビのニュースで紹介されたのを目撃することになるなんで、当時の僕はまだ想像もしていなかった。
「私が外交官を辞めて、政界に飛び込もうと決められたのは、とある国のシャイなフレッシュグリーンのおかげなんです」
そう言って、彼女はあの日と同じ微笑みをテレビカメラに向けた。
そして、僕が期待の新人作家としてふれこまれて、異国の地で活躍する彼女を暗にモデルにした、外交官と少年のほんの数日の邂逅をフィクション小説として発表するのは、このさらに後になる。
どうやら言葉とやらは人生を変える力があるらしい。




