きらきら光る
苦労しながら3人分の茶を淹れ(さっきよりは上出来なような気がする。……セキトの気のせいの可能性が高いが)、もう一度店舗部分へと戻ると、ちょうどひと段落ついたらしく、顔を上げたリフィーリアとばったり目が合ってしまった。
「おかえりなさい、セキトくん」
「え、と。ただいま戻りました、リフィーリア様」
柔らかく微笑まれて、セキトは咄嗟に赤面した。慣れたつもりでも、真正面から自分に向かって笑みを向けられると、ちょっと動揺してしまう。ぎくしゃくと頭だけ小さく下げて、セキトは持ってきたトレイを、いったん机の端に置いた。礼儀としてはよろしくないのだが、無理に頑張ってカップをひっくり返したり茶を零したりするよりは、まだマシだろうという判断である。
「……お茶、淹れてきましたので、どうぞ。まだ拙いですが」
「ありがとうございます。最初はそんなものですよ、上達を愉しみにしていますね」
「おーい少年、わたしにはー?」
「あ、はい」
催促されて、慌ててセキトはシアンディーの傍らにカップをふたつ、置いた。シアンディーと自分の分である。シアンディーとはテーブルを挟んだもうひとつのソファに座っていいものか、少しためらっていると、紅茶をひとくち飲んだリフィーリアが小さく声を上げた。
「そうだ、セキトくん、後ででいいので、お茶を淹れるときに使う砂時計を持ってきてもらえますか?」
「それじゃ今とってきますよ」
「すみません、お願いしますね」
座る場所に困っていたので、今すぐ動くことに問題はない。失礼にあたらない程度に、少しばかり速足で厨房に戻ったセキトは、はたと考え込んだ。
(いくつ持っていけばいいんだろう?)
それ以前に、何に使うつもりで頼んだのかもわからない。とりあえず5つほど手に取って、セキトはあ、と小さく声を上げた。茶を運ぶのに使ったトレイを、<星彩堂>に置いてきてしまっている。
(……ユリシアさんに見つかりませんように)
見つかったら眉をしかめられそうだ、と肩をすくめながら、セキトは砂時計を持ったまま、来たとき以上の速さで<星彩堂>へと戻った。
幸い、ユリシアに見つかることなく<星彩堂>に戻ったセキトは、意外な光景にぱちりと目を瞬いた。だらだらとソファに寝転んでいたシアンディーが、なぜか立ち上がっている。それも、小さな丸椅子をどこからか持ってきたようだった。リフィーリアの隣にとん、と椅子を置いて、シアンディーはまたのそのそとソファに戻る。
「シアンディーさん……?」
「わたしは相手するの面倒だしさー。リフィのことは任せた」
「は、あ……?」
よくわからないが、とりあえず自分の席として用意されたものらしい。机の端にことことと砂時計を5つ並べて置いてから、セキトはシアンディーが用意してくれた椅子へと腰を下ろすことにした。経緯がわからず首をかしげるセキトに、ふんわりとした声音がかけられる。
「……さて、セキトくん」
わずかに改まった声音に、セキトはぴしりと背筋を伸ばした。緊張に顔が引き締まる。途端に、くすりとリフィーリアが笑みを零す。
「あぁ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。難しい話じゃないですから」
「あ、はい」
とはいえ、そう簡単に肩の力が抜けるものでもない。生真面目な表情で見返すセキトに、リフィーリアは机の上の砂時計をひとつ、つまみあげてみせた。
「セキトくんに、今からひとつ、魔法を見せてあげようかと思いまして」
「魔法……ですか? ……て、リフィーリア様は魔法を使えるんですか!?」
「ええ、そうですよ」
驚きの声を上げたセキトに、リフィーリアが不思議そうに首をかしげた。ややあって、ああ、と小さく声を上げる。
「……セキトくんはこの国の出身じゃなかったんでしたね」
「あ、はい。生まれたのは東の諸島連合のあたりだと聞いてますが……気づいたら、両親と行商に出てた感じでして」
そういえば、ひとところに落ち着いたのは、これが初めてかもしれない。ほんの数か月前までは、大陸公路を荷馬車で移動し、国から国へ渡り歩くのが当たり前だったのに、不思議なものだ。
「そう……。いろんなものを見聞きしてたんですね、少し羨ましいです。わたしは、この国……というよりも、テレストから出たことがほとんどありませんから」
ほんのりとリフィーリアの声音に、寂しさが混じっているような気がした。
「このミザール皇国では、魔法道具を取り扱うには、学院法学部を正式に卒業、あるいは同等の知識と実技能力があることを国に承認されなければいけないんですよ。わたしは法学部工学魔法学科卒業なので、ちゃんと資格もちですよ、安心してください」
「や、別にそこは心配してなかったですが……そっか、資格とかいるんですね」
リフィーリアの説明に、セキトは今更ながらに頷いた。
セキトが世話になっているこの<星彩堂>は、魔法道具を扱う店である。魔法の行使に必要な触媒、あるいは補助する道具などなど……高価なものになると、魔法と同等の現象を引き起こす道具まであると聞いている。
相当に高度で専門的な技術である『魔法』と、同じことができる『道具』。言われてみれば確かに、素人が簡単に扱えるものではない。いや、扱うだけならば誰でもできるだろうが、価値を見極め、商品の状態を保ち、手入れをするとなると、魔法そのものについても詳しくなければ難しいだろう。
セキトは今まで魔法を見たことがない。ぼんやりと、なんかごにょごにょ言うとぱっと光るらしい、ぐらいの適当な概念しかないぐらいだ。初めて目の前で見る『魔法』に、緊張と期待が高まる。
こほん、とリフィーリアが軽く咳ばらいをして、手にした砂時計を目の高さまで持ち上げた。透明の硝子越しに、リフィーリアの深緑の瞳が綺麗に映ってみえる。
「実践の前に、まずは簡単な理論の説明から入りますね。この砂時計というものですが、硝子でできた筒の中に、微細な砂が入っています。この真ん中の部分を狭めることで、砂の落ちる速度を調整し……」
(なるほど)
シアンディーが珍しく能動的に親切にしてくれたと思ったら、こういうことだったのか。
飛びそうな意識をなんとか引き留めて、セキトは内心で小さくため息をついた。リフィーリアが説明を始めてから、すでにかなりの時間が経っている気がする。正確な時間など計りようが無いのでわからないが、少なくとも、シアンディーが椅子を用意してくれていなかったら、ちょっと辛かっただろうな、と確信できる程度には時間が過ぎている。
正直なところ、座りっぱなしの今でさえ、尻が若干痛いぐらいだ。
声を上げれば……あるいはごそごそと動けばきっと、セキトが退屈していることに気づいて、リフィーリアは説明を中断して実演に入ってくれるだろう。
それでも。
(珍しいなぁ……)
無口というわけではないが、セキトにとってリフィーリアは、どちらかというと静かに微笑んでいる印象が強い人だ。賑やかというよりは穏やかなひとで、少なくともセキトが拾われてから、リフィーリアが声を荒げたところなど見たことがない。だから、今のように、目を輝かせて生き生きと説明するリフィーリアの姿は、新鮮だった。
それだけ、リフィーリアにとって魔法や魔法道具というものは、大切で楽しいものなのだろう。僅かに弾むような声の調子が、無邪気な目の輝きが、何よりも雄弁にそれを物語っている。
リフィーリアが楽しそうなのは、それだけで見ていてセキトも楽しくなる。話している内容はさっぱりわからないが。
と。
「……そういうわけでセキトくん、よく見ていてくださいね。あっという間に終わっちゃいますから」
「はい」
ようやく説明を終えたリフィーリアに、セキトは頷いた。いよいよ、魔法を使うらしい。
両手でそっと砂時計を丁寧に持ち直したリフィーリアが、僅かに目を伏せる。何かに集中するような、張り詰めた空気が広がってゆくのを感じて、セキトはきゅ、と唇を引き締めた。
――始まる。
「天に遍く流れる力よ。天の近くを流れる力よ。地の近くに留まる力よ。地に遍く留まる力よ……」
謡うように。あるいは、古の抒情詩を諳んじるように。
高くもなく低くもないリフィーリアの声音が、滔々と室内を満たしてゆく。どのように魔法を行使するかはもう、リフィーリアの中ではっきりと固まっているのだろう、柔らかくも凛とした言葉が、淀みなく紡がれてゆく。
「……!」
リフィーリアの手の中の砂時計が、淡い光を放ち始める。ゆっくりと不安定に明滅していた光は、やがてリフィーリアの詠唱とともに小さな小さな数粒の光となった。
「……これで、おしまいです。どうですか?」
「す……すごいです……!」
集中していたのだろう、白い額にわずかな汗を浮かべたリフィーリアに、セキトは興奮しきった声を上げた。すごい、なんて安直な感想しか出てこない自分が少し悔しいぐらいに、初めて見た魔法は凄かった。
「きらきら光って……小さな星みたいですね」
砂時計の中の、落ちきった砂の上で、小さな青い星がきらめいている。昔もっと幼い頃に両親と見上げた、砂漠の上に降る星空を思い出させる美しさだった。
「気に言ってもらえましたか?」
「もちろんです!」
いくつもある砂時計の中で、これだけははっきりと見分けがつく。そして、使うたびに砂時計の星に見入るのだろう。それを考えると、今からお茶を淹れるのが楽しみになる。
「ありがとうございます、リフィーリア様」
リフィーリアから魔法をかけられた砂時計を受け取り、セキトは精一杯丁寧に頭を下げた。