思い出と閃きと
<星彩堂>の中は、基本的に仄明るい光で満たされている。もとが貴族の屋敷だけあってか、硝子をふんだんに使用した窓から柔らかい光が差し込むようになっているのだ。店舗部分はとくに元々応接間だったという話で、屋敷の中でも庭が一望できて過ごしやすい部屋らしい。もっとも、今は一面雪に覆われて、ただ白い景色しか見えないのだけれども。
「……と、まぁ。そんなことがありまして」
「ふふ、慣れないと慌ててしまうことは、よくありますよね」
セキトの言葉に、リフィーリアが穏やかな笑みで応じる。
店舗部分に居るのは、今は三人だけだ。ユリシアは買い物に出かけているらしい。
来客用の広々としたソファには、シアンディーがだらしなく寝転んで何かの本を読んでいた。リフィーリアとセキトは引き続き、棚卸作業中である。棚卸作業といっても、実際に商品のあれこれを確認するのはセキトだけで、リフィーリアは専門書を読みながら、セキトの問いに答えるだけという状態だ。見た目だけでは何がなにやらわからない代物が多く、品名と用途を確認しながらちまちまとセキトはメモを取っていた。
ちなみにリフィーリアが読んでいるのは、最近発行された『工学魔法の基礎知識と応用~100の豆知識~』という本らしい。がっしりとした革で装丁されたその本は、敷居の低そうな題名に反して、人を殴ったら簡単に骨まで折れてしまいそうな分厚さがある。
「ユリシアさんがぱぱっとやってたんで、簡単かなとか思ってたんですけど。なんていうか、結構、いろいろ細かく難しいんだなぁって」
「そうですね、こだわりだすと特に……。ユリシアはそのあたり、きちんとやりたい性格ですから」
苦笑するリフィーリアに、なるほど、とセキトは頷いた。おそらく、ユリシアの淹れ方は、正確で厳密な手順なのだろう。
今までお茶を淹れたこと自体なら、何度もある。父の隊商についていたとき、茶を淹れるのはいつも自分の仕事だった。
とはいえ、ユリシアがやってみせたように、ポットで一人分ずつ淹れるなど上品なことはしない。火にかけた薬缶に茶葉を一掴み投げ入れ、煮出す――それだけだ。生水を飲まないようにするためと、夜の寒さで体が冷えないようにするためだったが、薬効のせいか安い茶葉のせいか、苦い・渋い・えぐいの三拍子そろった品物だった。
その時は、そんなものと思っていたが……ユリシアから教わったようにやれば、もう少し飲みやすいものになっていたのだろうか。ふとそんなことを思う。
「……セキトさん?」
「あ、すみません」
ぼんやりと立ち尽くしたセキトに、リフィーリアが声をかけた。心配する響きの声音に、セキトは小さくかぶりを振る。わずかに首をかしげてセキトの様子を見守っていたリフィーリアだったが、本当に大丈夫なことがわかったのか、そういえば、と言葉をつないだ。
「わたしも時々、自分でお茶を淹れますが……さすがに、ユリシアに比べると手抜きしてますよ」
「自分で、ですか。……ちょっと意外ですね」
リフィーリアの言葉に、セキトは素直に驚きの声を上げた。メイドさんがいる上流階級の人はみな、自分で茶など淹れないと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「自分でやるより、ユリシアに淹れてもらうほうが美味しいんですけど、わざわざお願いするのも面倒なときもありますし……。シアンなんかは、自分で淹れるほうが面倒くさいとか言い出しちゃうんでけどね」
「そりゃそうだよー。自分でまずいの淹れるぐらいなら、我慢するよわたしは」
「……シアンディーさんらしいですね」
まったく会話に参加していなかったため、聞いていなかったのかと思いきや、一応話は聞いていたらしい。相変わらずの、ソファに寝転んだ姿勢のままで緩く声を上げたシアンディーに、セキトは苦笑した。
「だってさー、なんでわざわざ手間かけて、まずいの飲まなきゃいけないのよ」
「そんなこと言って。シアンは、その気になればユリシアよりもおいしいお茶を淹れられるのに、滅多にその気にならないんですよ」
「だって、面倒くさいことはやりたくないしねー」
「……まぁ、こんな感じで、なかなかその気になってくれないんですよね」
柔らかい笑みを浮かべて、リフィーリアがセキトに肩をすくめてみせた。ものぐさな人なのだろうとは思っていたが、セキトの予想を遥かに超えて、リフィーリアは面倒くさがりらしい。
セキトにとって、シアンディーは謎の人物である。なにをするでもなく、だらだらと日がな一日、リフィーリアにくっついているだけだ。ユリシアのように家事をするわけでも、リフィーリアのように店の経営をしているわけでもない。あるいは、来店者がなさすぎてリフィーリアが無職に見えるように、シアンディーも何か『仕事』があるのだろうか。
「……あぁ、話が逸れてしまいましたけど。ユリシアほどではなくても、セキトくんもきちんと基本的な手順を憶えておくといいですよ。基礎があれば、どこを手抜きしてよいかもわかるようになりますから」
「はい、リフィーリア様」
「とはいえ……うちは置いてるお茶の種類も多いですしね。砂時計の見分けは、確かにちょっと難しいですよね……」
ふむ、と頷いて、リフィーリアは手にしていた本を閉じた。机の引き出しから帳面を取り出し、ペンとインク壺を手元に引き寄せる。
「基本、密封してあるので……火の精霊を基礎にするのは危険ですね。熱で硝子がゆがむ可能性も考慮しなければ。とすると……」
「えと、リフィーリア様?」
セキトにはよくわからない事を呟きながら、リフィーリアがさらさらとペンを滑らせる。真っ白な帳面に、得体のしれない数字と文字列とを書き込んでゆくリフィーリアの様子に、セキトは狼狽した声を上げた。
「シアンディーさん、これは……」
「いーからいーから」
救けを求めるようにシアンディーを見やるが、返ってきたのは緊張感のかけらもない、のほほんとした声だった。面倒くさそうに視線を雑誌に落としたまま、シアンディーがひらひらと手を振る。
「どーせ、なんか思いついただけだから、放っておけばいいのよー。あ、そうだ少年、どうせリフィは使い物にならないから、今のうちにお茶淹れてよー。わたしとリフィと君の3人分ね。練習だと思って気楽にやりなよ」
「……はい」
なんだかなぁ、とは思うものの、確かにシアンディーの言う通り、何か考えに没頭している様子のリフィーリアには話しかけにくい。しぶしぶ頷いたセキトは今日の作業は諦め、いったん台所へ行くことにした。