地味眼鏡のモテ子ちゃん
はじめましての方ははじめまして、お久しぶりですの方はお久しぶりです。
短編を久々に書きました。
普段は毛色が違うものを書いていますが、文学女と野球男という作品や短編に似た系統の作品がしばしばあります。
「学校祭の準備のお手伝いですか」
「そう、文科系部のお約束なんだよね」
「ほー」
放課後の図書室で、頼子は部長の隆夫と話していた。
頼子はまだ一年生なので、学校祭の決まりには疎い。
しかし、その決まりからすると、文芸部の頼子も参加せずにはいられないだろう。
「うちは対外的な店とかは運動部がやるから、文科系部は雑務に使われるんだよ。吹奏楽部は別だけどね」
そう言って穏やかに微笑む隆夫は、なんとも優男然としている。身長も百七十に届かず、細身で色白の肌をした彼は、中性的な魅力がある。
化粧をしてウィッグでも乗せたら、その筋の店で働けるのではないかともっぱらの噂だ。
その酷い評を流しているのはうちの部の上級生のお姉さま方なわけだが。
「つまる所、次の土曜日は潰されるってわけですね?」
「そう言うことになるねえ」
「学校祭なんて興味ないのになあ」
頼子は読んでいた本を閉じて、日光を反射しているテーブルに突っ伏した。肩まである髪の穂先が、重力に引かれてテーブルの表面に散らばる。重い眼鏡が、鼻からずり落ちた。
「そう言わないで。学校に貢献するボランティアと思って前向きに頑張ろうよ」
「隆夫先輩のその性格、良いっすね」
「そうかい?」
「いつも前向きって言うか、素直って言うか。癒されます」
「そう言われると、なんか照れるな」
彼は可愛らしく微笑んでいるのだろう。
顔立ちが整っているとは得だな、と頼子は思う。
特に、彼のように誰からも憎まれない人間ならば。
「学校祭、本当に興味ないの?」
何故か、念を押すように隆夫は言った。
「最近テレビでやってる異物混入事件ぐらい興味ないです。私、あれ系食べたことないんで」
「話題に出すってことは印象に残ってるってことだよね。印象に残ってるってことは、潜在的な打撃は大きいんじゃないかな」
隆夫は可愛い顔で、時々鋭いことを言う。
顔を上げ、眼鏡の位置を直して隆夫の顔を見ると、日差しを受けて輝いているように見えた。
こんな時に、隆夫はこう言われるのだ。
「先輩はもっと可愛らしいことを言っていれば良いんです」
「うん、先輩の尊厳ないよね僕。女子部員のおもちゃじゃないんだけどな」
困ったように隆夫は言った。
「今度の土曜の学校祭の準備、気をつけろよ」
帰り道、突然そんなことを言われて、頼子は戸惑った。
相手は幼馴染の浩次だ。サッカー部に所属しており、背は頼子よりも二十センチは高い。
「気をつけろって?」
「奴が来る」
深刻な表情で浩次は言う。
「奴?」
「そうだよ、池田の奴が来るんだ」
「……誰?」
「知らないのかよ。一年で一番のイケメンで、キャーキャー言われてるあの池田を」
「あの池田って言われてもなあ」
知らないものは知らないのだから仕方がないと頼子は思う。
「部活中でもうるっせえ取り巻きがキャーキャーキャーキャーよお……」
恨みがましい口調で浩次は言う。
「よっぽど気に入らないんだね」
実物を知らないので、頼子は苦笑するしかない。
「しかし、これが良い男なんだ。一緒にフレームに入ったら、どんな女でもバックに花を背負ってるように見えるって話だ」
「その池田くんがどうしたの?」
「部活内で喧嘩沙汰を起こしてな。相手が先輩だったもんで、文科系部と一緒に準備するようになった」
「そんなキラキラしい人が来るんだね……」
「舞台衣装着た小林幸子並にキラキラしいぞ」
「それはちょっと見てみたいけど」
「良いか。お前は池田からは離れてろ。平和に生きろ」
まるで戦地に行かないようにと釘を刺す観光アドバイザーだ。
「うん、平和に生きてるけど。なんか大げさじゃないかなあ」
「大げさなもんか。池田と関わるってのはその取り巻きとも関わるってことだぞ。結婚したら小姑が三十人ぐらいついて来るぐらいの話だぞ」
「その池田くんとは結婚しないから大丈夫だよ」
頼子は、苦笑するしかない。
しかし、浩次は大げさに身振り手振りで池田の凄さについて語るのだった。
そうなると、逆に興味が沸いて来るのが頼子だった。
そうなるな、なるなと否定的な考えでいたら、まさにその通りのことが起きることがある。
今回も浩次にとってはそんな例に当たるのだろう。
「じゃあ、日下頼子さんと池田孝一くんは花壇の雑草むしりお願いね」
一年の一クラスを貸しきったミーティングで、教師はそう発表した。
「せんせー。花壇の草むしりなんて園芸委員の役割じゃないんですか」
「うちの学校に園芸委員なんていたか? いなかったろ?」
「……いないんでしたっけ」
「お前、委員会決めの時、どうせ自分はやらないからって聞いてなかったろ。天罰だ、天罰」
そう言って、教師は悪戯っぽく笑う。
いい加減極まりない態度なのに教師にまで好かれてしまう。
『池田』の恐ろしさを思い知った頼子だった。
「日下ー、悪いが池田の面倒見てやってくれ」
教師は、そう言って微笑んだ。
面倒事を押し付けられた、という実感があった。
昔からそうなのだ。問題を起こさなそうという理由で、教師は面倒事をこっちに投げてくる。
池田のほうに視線を向けると、にこやかに微笑んで手を振っていた。
顔の彫りは深く、体は細身で、くっきりとした二重の瞼をしていた。
細い肩のラインなど女性のようだ。
(なんか学校にジャニーズジュニアがいる……)
そんなことを思ってしまった頼子だった。
それは、浩次も大騒ぎするわけだ。
頼子はぎこちなく笑みを返した。
「駄目、それ雑草じゃない!」
頼子が叫ぶが時既に遅く、池田は花の茎を地面から掘り起こしてしまっていた。
「あー……」
「あー……」
二人は異口同音に呟く。
次の言葉が出てこない。
「ま、埋めときゃ大丈夫だろ」
そう言って、池田は笑顔で自分の掘り出したものを埋め始めた。
心なしか、深くまで埋めて掘り起こした痕跡を隠そうとしているようにも見える。
「注意しなきゃ駄目だよ、池田くん。花壇から花がなくなっちゃうよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ。次はしっかりやるから」
最初からしっかりやってほしいものだ、と頼子は思う。
「池田くーん」
背後から声がした。
頼子が視線を向けると、吹奏楽部の女子が窓から手を振っている。
池田は微笑んで手を振り替えしていた。
こんなことには慣れっこと言いたげだ。
その姿に、頼子はいっそ呆れてしまった。
「モテ慣れてるんだねえ」
「別にモテてるわけじゃねえぞ」
二人は一つの花壇の雑草を抜き終え、次の花壇に移動する。
「じゃあさっきのあれはなあに? 部活中もきゃーきゃー言われてるそうじゃない」
「外見が良ければなんでも好意的に見てもらえる。楽なもんだよな」
どこか自嘲するような響きだった。
「俺の外見と他所行き顔。それだけで持ち上げられるのも複雑なもんだぜ。さっきの奴だって、話したこともない奴だし」
「身嗜みと他所行き顔を作るのも手間がかかるでしょう。手間かけてる分モテてると思ってれば良いんじゃない?」
どうでも良かったので、頼子は適当なことを言った。
整髪剤で整った髪と制服の着こなしだけでも、彼が外見に気を使っていることは良くわかった。
「そう言うあんたは地味だな。眼鏡でっかいし」
池田の言葉が、頼子の胸に突き刺さる。
「さっきの教師とのやり取り聞いてても、テンプレートな優等生って感じ。地味子だな。ザ・地味子だ」
揶揄するように池田は言う。
「あんたね……」
思わず頼子は呆れてしまう。
この池田という人物が、自分と同じ国の生まれということを少し疑ってしまう頼子だった。
「あんたは外見磨くのに手間かけないの?」
「私は地味ーに生きたいからねえ」
雑草を処理しながら頼子は言う。
池田が見物に回っていてまったく仕事をしていないのがやや腹が立った。
「へー」
「ちょっと一緒に写メ撮ってみよっか」
「ん? なんで?」
「あんたと一緒に写ったら、誰でもバックに花が浮かんでるように見えるんでしょ。私はそうならないって自信がある」
「バックに花?」
池田が、滑稽そうな表情になる。
「まあ、どんな女の子とでも絵になるってことよ」
「へえ、面白いじゃん。撮ってみようか」
二人で並んで立ち、池田がいそいそとスマートフォンを取り出す。それを構えて、撮影ボタンを押した。
輝いているように見える美少年と、大きな丸い眼鏡をかけた地味な女子のツーショットの写真が出来上がった。
「あっはっはっはっは。確かにバックに花って感じじゃねーわな」
「でしょ。地味さには自信があるのよ」
「眼鏡が悪いんじゃね? あんた、顔立ち悪く無さそうだよな。その80年代臭のする眼鏡取ってみろよ」
池田はそう言って、笑いながらひょいと人の眼鏡を取り上げた。
突然の行為に、頼子はパニックに陥る。
「ちょっと。私眼鏡ないと何も見えないんだからね」
何もかもがぼやけた視界の中で、なんとか池田から眼鏡を取り返そうとする。
池田はどうしてか、唖然とした表情で人の顔を観察しているようだった。
「あんた、なんで眼鏡してるの? そんなベンゾウさんみたいな眼鏡」
池田が、呆れたように言う。
頼子は、なんとか眼鏡の端を指に引っ掛けて、池田から眼鏡を取り返した。それを顔に装着することで、視界がクリアになる。
「目が悪いから」
「コンタクトにすれば?」
「やあよ。面倒だもの。ほら、次の花壇行くわよー。サボらないように」
「はい」
池田は、やけに素直に返事をした。
さっきまでの態度が嘘のようだった。
文芸部の部室である図書室で昼食を取る時間となった。
頼子は友人の恵子と早苗と共に、弁当箱を開く。
早苗は、話し相手を見つけて時間を潰したくて文芸部に入ったという変り種だ。
それも、多人数でつるむのが苦手なので少人数の文芸部が丁度良いのだという。
制服のボタンを二つ目まで外し、スカートは丈を短くしている。髪の毛は長く内巻きだ。
「頼子羨ましい。イケメンくんと一緒だったもんね」
早苗がにやけた表情でいう。
どうも、からかわれているらしい。
「良いことなんてなかったわよ。あいつ、花壇の花までむしったんだから。後から叱られたらと思うと気が気じゃないわ」
「あー、わかる。あいつ雑そーだものね。顔が良い人って要領も良いもんだけど」
その印象論に、頼子は胸が小さく痛むのを感じた。
顔が良いからと言って、人格まで決められるのは、おかしいと頼子は思う。
しかし、そんなことを言って早苗を責めても得なことは一つもない。結局、池田のことを責めることにした。
「そもそも上級生と喧嘩してこっちに回されたって話しだし。雑なのよ、雑」
「その雑な彼が部屋の扉開けてこっちを眺めてるけど……」
恵子が、困ったような表情で言う。
恵子は漫画に出てきそうな文芸少女と言った感じの外見だ。小柄で眼鏡をかけて、髪の毛を三つ編みにしている。どこか小動物的な印象がある。
「げっ」
頼子は思わず汚い言葉を口にしていた。
池田はその頼子の顔を見つけると、手を上げて近付いてきた。
「よー、俺も混ぜてよ」
「丁度あんたの話をしてたとこだわ」
早苗が愉快げに笑って言う。
「なんてー?」
「あんたが花壇の花を台無しにしたって」
「ひっでー。日下、そう言う話は黙っててくれよなー」
池田は上機嫌にそう言って、早苗の隣に座る。
恵子の肩が硬直したのが頼子の視界の端に見えた。
「黙ってる義理もないって言うか、あんたと一緒に食べる義理もないわよね」
何自然に混ざってきてるんだこの男。そんなことを思いながら頼子は言う。
図書館の入り口では、数人の女子が戸惑うように池田に視線を向けていた。
一緒に混ざるかどうかを悩んでいるらしい。
「池田って顔だけ見たら万能そうだけど、結構雑だよなー」
早苗がからかうように言う。
早苗は池田の受け入れに躊躇いがないようだ。
恵子と頼子が困っているのは気にならないらしい。
「顔とスポーツが優秀な分なんでも好意的に見てもらえるけどな。俺だって普通の男子高校生なんだよ。なー、そこの眼鏡の彼女もそう思うよな」
恵子のことを言っているらしい。
「はい、その、顔で贔屓するのは良くないと思います」
「けど、人間は顔で人を差別する生き物だわ。良い顔に生まれたならメリットを活かして楽しめば良いじゃない。言われなくても、あんたはそうしてるみたいだけど」
頼子は弁当箱を開いて、ご飯をつつき始める。
池田の存在を極力気にしないことにしたのだ。
「じゃあ、あんたはなんでそんな地味眼鏡してんの?」
池田が興味深げに聞く。
「目が悪いから」
「もっとお洒落な眼鏡とかあるだろ。つーかその眼鏡どこで探したの? オーダーメイド?」
「あー、それは私も気になってた」
早苗も話に乗ってくる。
「頼子って磨けば光るタイプなのに、なんでか逆方向に突っ走ってるよね。なんで?」
「趣味の違いです。良いじゃない。早苗はお洒落楽しんでるんだから」
「私だってたまには友達とお洒落な店とか行きたいもんよ?」
「早苗、私達以外に友達いないの……?」
「だって、私捻くれてるもん。上手くやれないんだよ」
そう言って早苗は何が楽しいのか笑っている。
「距離感っつーのかな? 私には難しいんだよね」
「女って距離感とか気にしすぎだと思うけどな。男は楽だぜ」
「それはあんたが気にしなさ過ぎるだけだっつの。男子同士だって距離感は大切だろー」
早苗はそこまで言って、苦い顔になる。
「まあ、こうずけずけ言う性格が良くないわけだ」
「良いじゃん。男としては、正直者のが付き合いやすい」
「お前は距離感なさすぎるんだよ。なにしれっと女子の食事に混ざってるんだよ」
早苗と池田は意気投合したようで二人で笑い合う。
何が楽しいのかわからず、頼子と恵子は困惑するしかない。
池田の視線が、ふと頼子の弁当に向けられた。
「なー日下。日下って弁当自分で作ったの? 母親作?」
「……自作」
キャベツの千切りを食べながら、頼子は淡々と答える。
「マジで。おかず交換しよーぜ」
「なんでそうなる」
「日下の手作り料理の味を見てみたいから」
「あー、私も見てみたいな。そのアスパラガスのベーコン巻き美味しそうだと思ってたんだ」
早苗もどういうわけか乗っかってくる。
「僕も興味あるな」
いつの間にか隆夫が、池田の背後まで回ってきていた。
「……別に良いですよ。食べたきゃ食べれば」
「ありがとさん」
「ごちになります」
「ありがとうね、日下さん」
そう言って、三人はアスパラガスのベーコン巻きを取っていった。
代わりに、それぞれ小さなカツとウィンナーと卵焼きを弁当箱に置いていく。
朝から楽しみにしていたアスパラガスのベーコン巻きは一瞬でなくなってしまった。
頼子は少しだけ悲しくなった。
「ん、美味い。良い嫁さんになるなー、あんた」
早苗が悪戯っぽく笑って言う。
「こんなん自分で作れるの?」
池田が感心したように言う。
「美味しいよ、日下さん。料理上手なんだね」
隆夫は優しく微笑んで言う。
「外見は凝ってるけど、シンプルな料理だぞー、これ」
褒められて、頼子は照れ臭くなってしまった。
「いやいや、調味料の加減も丁度良い。よほど慣れてると見た」
隆夫は逃げるのを許してくれない。
「なんで弁当自作してんの?」
池田が興味深げに言う。
一瞬、沈黙が場を支配した。
「あー、こいつ母親いないんだよ」
返事に詰まった頼子の代弁を早苗がする。
頼子も、慌てて言葉を捜した。
「まあ、そういう身としては憧れるわけですよ。結婚して子供なんか連れて、弁当作ってハイキングとかねー」
「結婚願望あるならそのだっさい眼鏡はどうにかしないとな」
早苗がからかうように言う。
「良いんだよ。外見で選ぶ人なんてこっちからお断りなんだから」
頼子は、苦い顔で言い返した。
「思うに、外見で選ばれるって言うのがタプーなんだろうね」
人のいなくなった図書室で、隆夫が早苗と話している。
「そーなんでしょうねえ」
早苗はどうでも良さげに言う。
「あの眼鏡で相手のその気を萎えさせてるつもりなんでしょうね」
隆夫も外見で面白がられているので、その気持ちに同意できる面はある。
「隠しきれてないよね」
「隠しきれてませんね。しかも家庭的アピールなんかも無意識にやっちゃってるから、ちょっと天然のケもあるのかな、と」
早苗は相変わらず口が悪いな、と隆夫は苦笑する。
「池田くんは日下さんのことを気に入ると思うかな?」
「気になります?」
早苗は悪戯っぽく笑う。
隆夫は、少し言葉に詰まったが、開き直ることにした。
「そりゃ、僕だって一応男性だからね」
「おやおや、部長さんも一応女性が好きなんだ」
「君のそういうずけずけと物を言うところ、好きだけどたまに嫌いになる」
隆夫は苦笑交じりに言う。
「だから友達が出来ないんですよねー」
早苗は捻くれ者な自分を面白がっているようだ。
それが、不可思議な生き方に隆夫の目には映る。
「けど頼子は、嫌な時でもその場限りの話にしてくれるから、付き合ってて楽なんですよね。それであっちは友達がいるんだから、こっちの要領が悪いんだろうな」
早苗は淡々と分析する。
単純に、頼子より早苗の口が悪いだけのような気がした隆夫だった。
「で、良いんですか?」
早苗が面白がるように言う。
「なにがだい」
ろくなことは言われないんだろうな。そんな予感を覚えて、隆夫は苦笑する。
「ニューフェイスにお姫様をかっさらわれちゃっても」
「あの二人はそういう感じにはならないでしょ。趣味が違いすぎる」
「あの子、ああ見えて世話焼きだから、ああいう手のかかる子を気に入るんじゃないかなあ」
隆夫は黙り込む。
そして、意を決して口を開いた。
「僕にもチャンスってあると思うかな?」
早苗は唇の両端を持ち上げて、酷く愉快げに笑った。
隆夫は苦笑する。
悪魔めいた微笑だと思ってしまったのだ。
「それは、あの子次第だから、私にはなんとも言えませんねえ」
「やっぱり君は人が悪いよ。こういう時はお世辞を言ってでもノせるもんだ」
「部長も結構無茶を言いますね。私にお世辞を期待するのが間違いです」
草むしりが終わると、時刻は三時を過ぎていた。
頼子と池田は、昇降口手前の階段の段差に座って休憩をとっている。
さっさとこの美形の男と距離をとりたいな、と思う頼子だった。
こんな所を他の女子に見られたら、目も当てられない。
「ねえ、池田くんが女の子と二人でいるよ。何話してるんだろう」
「大丈夫だよー。あんな地味眼鏡、池田くん相手にしないよ」
話が駄々漏れだぞ吹奏楽部。いや、むしろわざと聞かせているな吹奏楽部。そんなことを思いながらも、頼子は池田に話しかけた。
「ご苦労様」
「まあほとんどそっちに頼ったようなもんだったけどな。教師も人を良く見て割り振ってるよ」
「サッカー部じゃ戦力なんでしょ? 良いじゃない。適所があって」
「今度見に来ないか? サッカーやってる俺ってカッコいいらしいぞ」
「遠慮しとく。この眼鏡できゃーきゃー言ってる子らに混ざる自信ないわ」
「……コンタクトにすれば良いのに」
「あんたはハーレムでも作りたいのかな」
「やだよ、面倒臭い。正直良く知らない奴にまで話しかけられるのは飽き飽きしてる。しかも、相手は勝手に期待に満ちた目をしてるんだよなー」
「皆、恋愛したい年頃だからねえ。恋に恋するって言葉があるじゃない。勝手に相手に理想を当てはめちゃったりもするんじゃないかな」
「だから俺、あんたみたいにしょーもねー雑な男だなって正体看破して一歩引いててくれるような相手のが付き合ってて気楽なんだわ」
「あんたに喜ばれても嬉しくないなあ。あんたのハーレムの女の子達に睨まれそう」
「そういうのが嫌で眼鏡してんの?」
意外と鋭いところを突く男だ。頼子は黙り込んだ。
「なあ、一緒に学校祭まわんね?」
突然の誘いに、頼子は頭が真っ白になった。
「は?」
「いや、は? って。楽しく遊ぼうってお誘いですが」
「やだよ。あんたの取り巻きに睨まれるからメリットがない」
「じゃあゲーセンとかいかね? 俺クレーンゲーム得意だぞ」
「きゃー可愛い人形とってくれるんだ、大事にするね! ってタイプに見えるかね」
「じゃあどこなら付き合ってくれる?」
一緒にどこか行くことは決定稿になっているようだ。
頼子は戸惑ってしまった。
そこに、いつの間にか混ざっている男が一人いた。
「駄目だよ、日下さんは僕と学校祭回るよね?」
隆夫だ。
中性的な天使の微笑を顔に浮かべている。
突然の誘いに、頼子はやはり同じ言葉を口にするのだった。
「は?」
「僕だったら取り巻きに睨まれることもないよ。だって僕、皆に愛でられてるからね」
おもちゃにされている、とは言わない隆夫だった。
「先輩は可愛いこと言ってれば良いんですよ」
頼子は、戸惑いながらもそう答える。
「いや、俺と回る」
「いいや、僕と回ってくれると信じてるよ」
頼子はなんだか逃げ出したくなってしまった。
「おーい、頼子。仕事終わったなら帰るぞ」
救いの神がやってきた。
浩次だ。
浩次は邪悪な笑みを顔に浮かべて、言った。
「じゃあな、池田。いくらモテるからって人の幼馴染にちょっかいは出さないことだな」
「僻むなよな高井浩次。俺が日下に声かけようと個人の自由だからよ。幼馴染? ガキの時分に一緒にいたからってなんなのさって感じ」
「っけ」
「へっ」
そう言って二人は顔をそらした。
浩次は頼子の手を取ると、そのまま手を引いて逃げるようにその場を去った。
「助かったよ浩次。なんか変な空気だったから」
「良いってことよ。幼馴染だからな。好きに頼れ」
「なんか憂鬱だなあ。あの人雑そうだから、ガンガン誘って来そう。んでまた取り巻き連中に睨まれるんだよ……」
明日からの登校が憂鬱になってきた頼子だった。
「先輩もまさか誘ってくるとは思わなかった。そっちはそっちで部のお姉さま方にからかわれそうで……。けど先輩は大人しいから、大丈夫かなあ」
「開き直って、眼鏡取っちゃえば?」
「んー?」
「そういうのに巻き込まれるのが嫌で、地味な眼鏡かけてるんだろ? けど、どの道そういうことになったなら外せば良いじゃないか」
「やだよ。面倒事は避けるのが私の性分だ。いっそ太ろうかと真剣に検討しているよ」
「やだよ。可愛い幼馴染でいてくれ」
頼子は思った。なんだか、浩次らしからぬ台詞だな、と。
「なあ、明日の学校祭、意中の相手と歩かなきゃいけないってことはないよな?」
「うん、私も友達と回るからね」
「なら、池田に諦めさせるためにもさ。俺と回ろうぜ」
頼子は、心の中で叫んだ。ブルータス、お前もか。
「いや、誤解すんなよ。だって俺お前の汚部屋知ってるもん。そういうのじゃないから」
「いや、誤解しないようにはするけどさ。いやちょっと警戒してるけどさ。友達といればすむ話じゃない。なんでさらなる誤解を生むような真似をしなくちゃいけないの」
「良いじゃんか、たまにの学校祭なんだし」
「あ、スーパー近いね。じゃ、私、晩御飯の用意買って帰るから」
「おい、逃げるなよ」
「嫌だよ、逃げる」
そう言って、頼子はスーパーに駆け込んだのだった。
「姉貴って料理は上手いのに掃除はてんで駄目だよな」
掃除機をかけながら、弟の猛が言う。
頼子はソファーの背もたれに体重を預けながら、頷いた。
「結婚したらどーすんの。俺、出張して掃除しに行くのなんてやだぜ」
「それまでにはなんとか……」
「じゃあ自分の部屋からなんとかしていってみようか」
「うーん、そのうち」
「姉貴の部屋見てると苛々するんだよな。片付けたくなる」
「あんたさー、主夫の才能あるよ。養ってくれる嫁さん見つけて家事やれば」
「残念ながら普通に就職する予定です」
「そか」
掃除機の音が、二人の沈黙を際立たせる。
「なんかあった? 今日大人しいけど」
「……学校祭一緒に回ろうって三人に誘われた」
「あー……」
「しかも一人はモテモテの取り巻きつき」
「姉貴のトラウマ刺激するような人材だなあ。浩次にーちゃんも警戒してそう」
「しまくってたね。奴も中学校時代の経緯は知ってるからなあ」
「姉貴もいい加減、中学校時代のことは忘れたら?」
「なんで? 良い教訓じゃない」
「姉貴のその地味眼鏡、目立って俺の学校でまで噂になってる」
「マジかよ……」
「マジだよ。何事もやりすぎは良くないってこと」
猛は掃除機のスイッチを切ると、洗濯物を畳み始めた。
「まあ私も若かったなーとは思うよ」
「うん」
「外見だけで、相手の性格きちんと見てなかったし。告白されただけで浮かれてたし」
「そしたら取り巻きに変な噂流されて、それを本気にした相手にまで悪い噂流されたんだよな」
「っそ。散々だった。わかってくれる人もいたけどさ。顔は良いだけのサイテーの男だった。けど、あいつも、自分も、相手の顔だけ見て理想を押し付けて勝手に踊ってただけなんだ」
「けどさ。そんな男ばっかりじゃないと思うけどな。その三人の中に、まともそうなのはいないの?」
「……ジャニタレみたいで雑な男と、女装が似合いそうな男と、特徴がない男」
「……姉貴さあ。色物揃えりゃウケ取れると思ったら大間違いだぜ」
「本当の話だよ!」
「女装が似合いそうな男とか、高校生になっているはずないじゃんか」
「身長百六十センチ代の中性的な美少年だぞ。今度写真撮ってきてやる」
「……じゃあ、その人で良いんじゃない?」
「別に、悪いとは言ってないけど」
「そろそろ、その眼鏡もトラウマもさ。捨てちゃって良い時期に来てるんじゃないかなって俺は思うんだよね。高校に上がったんだから、中学校時代とはまた環境も違うだろ」
「けどね。池田みたいな奴は怖いって、未だに思うんだ。浩次の言う通りだよ。ああ言う人種と付き合うって、敵意を持ってる小姑三十人ぐらいがセットでついてくるようなもんだから」
「まあ、そういう人っているよね。まあ、姉貴はとりあえずは、部屋を片付けることから始めればどうかな」
猛はどうでも良くなったらしい。
洗濯物を畳んで立ち上がると、自分の部屋に帰っていった。
「話し引き出すだけ引き出して、最後まで聞かずに去って行きやがった……」
頼子は脱力して、ソファーにうずもれた。
猛の足音が、引き返してくるのが聞こえた。
頼子は顔を上げずに、それを迎えいれる。
「いつか姉貴の眼鏡を外させてくれる男が出てくるって、俺は思うよ」
「特に嬉しくもないけどありがとう」
猛は良いことを言ったとでも思ったのか、軽い足取りで戻っていった。
学校祭の日がやってきた。
待ち合わせの文芸部の部室に、頼子は足を踏み入れる。
早苗と恵子がいた。
そして、嬉しくないオマケ達までが一同に会していた。
「ちょっとそこのイケメンと女装の似合いそうな美少年と特徴のない幼馴染、何してんの」
「男女三対三でトリプルデートってのも面白くねって提案があって、それも良いかなあと」
早苗が面白がるような表情で言う。
いや、明らかに彼女は目の前の状況を面白がっていた。
「デートじゃないと言ってるだろ」
浩次が憤慨したように言う。
「そもそも運動部の俺達は途中抜けたりもするからな。俺が抜けてる間に誰か池田が馬鹿しないか見張ってろよな」
「保護者気取りかよ。これだからお前は真面目過ぎるんだ」
「……この賑やかなメンツで、学校祭を、回る?」
頼子は、恐る恐る現状を組み立てて、声にした。
「おう」
早苗は上機嫌に言う。
「まあ、皆で楽しく回ろうよ」
隆夫が優しい口調で言う。
「……体調が悪くなったので早退します」
「あれ、吹奏楽部の友達に、絶対に聞きに行くって約束したんじゃなかったの?」
早苗に痛い所を突かれて、帰ろうとしていた頼子は足を止めた。
逃げ場は、存在しないようだった。