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薄暗い中に明々と燃える松明があちらこちらに掲げられて、神殿の周囲は人で大いにごった返す。収穫を感謝する祈りも終わり、酒を片手に笑う大人たちやはしゃぐ子供たちの間をぬって神殿へと近づいた。
祭用の特別な儀式衣装に身を包んだ水神一族の中で、渚を見つけるのは容易だった。涼やかな眼元に色を差し、どこか遠くを眺める姿は光っているようだった。
「渚っ。」
華奢な首が回り、振りかえるその姿は息がとまるほどに美しかった。体中がきらきらと輝いて、子供のように笑う顔に泣きたくなるほど焦がれた。
「俺、結婚するんだ。」
喧騒が水をうったように静まり返って、自分の声が耳の中で響いた。言ってしまったあとで取り返したくて、でもそれはできなくて、世界からおいていかれたような気持ちの中で、ただ笑う渚だけが全てだった。
「おめでとう。」
柵を越えて胸に飛び込んできた渚を思い切り抱きしめた。甘酸っぱい梅の香りと化粧の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、細く折れてしまいそうな体に腕を回した。
「未来のお嫁さんはどこだい?親友として、挨拶したいんだ。」
一流の想いなんて何一つ知らない渚は、そう言って笑った。不思議と一流は落ち着いていて、その笑みを受け止めることが出来た。
辺りを見回せば大騒ぎの最中で、絶え間なく人は流動していた。村人はそう多いわけではない、少しその辺を歩けば汐を見つけることは容易だろう。
「汐っていう名前で、頭がよくて優しくていい人なんだ。」
「きっと愛らしいんだろうな。」
「ああ。きっとうまくやっていけると思うんだ。」
はぐれないように、どちらからともなく手を繋いだ。
冷たい手だった。指は細く、白くて怪我ひとつない美しい手だった。
「ちょっと待って。手土産の一つもないと格好がつかないな。一度僕の部屋に帰ってもいいかい?」
一流は頷いた。手を引かれて渚の後ろ姿を見つめながらこれが最後なのだと思った。あれだけ体の中を蹂躙していた想いは不思議なほどに静まり返っていて、数日前の祈りが聞き届けられたのかもしれないと頭の片隅で思った。水を心の底から信仰できそうだった。
水神一族の住居に入るのは初めてだった。屋敷は静かで木の板が軋む音が響いた。渚の部屋は布団と鏡台、箪笥ばかりの簡素なもので、渚は乱雑に箪笥を開けて中から櫛を取り出した。
「お婆様の形見なんだ。きれいだろう?」
細かな彫模様を月夜の明かりに翳しながら言った。濃い陰影が模様を浮かび上がらせて、本当にそこに梅の花が咲いているような錯覚を起こした。
衣擦れのたびに渚の肌から匂い立つ梅の香りが、後頭部を殴られたような衝撃を引き起こす。あまりの衝撃に視界が舞って、体が傾くと同時にそれを支える細い腕を感じた。肌理の細かい艶めかしい肌が触れる。静まり返っていた激情が沸き上がり、柔らかい肌に噛みつくとひっと息を飲む声が聞こえた。
体重をかければ力仕事をしない軟弱な体はすぐに悲鳴を上げた。倒れ込んだ拍子に装束の襟元に手をかける。いやに滑らかな薄い装束はあっけなく破れて、月明かりに白い腹が浮かび上がる。
「なにしてる、一流!やめろ!僕はッ―――!」
拳の関節に骨が当たった。ごりっという嫌な音と、鈍い痛みが熱い。
「好きだ。」
ぽろりとこぼれ出すのは喉に閊えていた長年の想い。
血を流す渚の目は大きくて澄んでいて吐露した想いが吸い込まれるようだった。
「好きなんだ…。」
もう後には引けない。このまま何事もなかったかのように笑って戻り、汐の前に立つことなんて出来ない。
愛執と謝罪の籠った恋慕を囁きながら、下肢に手を伸ばす。
引きつるような悲鳴と拒絶する声はだんだんと小さくなっていく。
甘酸っぱい梅の香りが充満する部屋にいつしか血の匂いが混ざり合って、全てがぴたりと時を止めた。




