ラスト デイズ オブ ショーグネイト
「しかし今日は、患者が馬鹿に多いな畜生め」
「そら仕方ないよ、またダンダラさん達がやったってんだから」
「京都も住みにくい街になったもんだなしかしよ」
関西なまりではない男は医者だ
その相手をしている女は、遊女のような少し危うい色気を出している
縁側と言うでもないが、土間にこしかけて
足をぷらぷらとさせながら、陽の光の下で白い足の甲を見守っている
「いいじゃないか、商売繁盛、今の京都周辺じゃ先生みたいな人は重宝されてるじゃない」
「冗談じゃねぇぜ、俺ぁもともと尾張でこじんまり過ごす予定だったんだ何の因果で」
「幕府の為になんだから立派じゃない」
「別になりたくもねぇんだがな」
言いながらも、手を水桶に鎮めてしっかりと洗っている
外科の施術があるのだろう、女は土間から暗がりとなっている中を眺めて見る
そこに、中肉中背、冴えない男が医者の服装で立っている
なるほど、言う通りに奥は騒々しそうで、確かに忙しいんだろうと伺わせる
「しかし姉さんよ」
終わったのか、手桶から腕を出して男が外に声を出した
「ちゃんと養生してるか?風邪は万病のもとだぜ、一度真剣に看てやるよ?」
「あいよ、先生」
朗らかな笑顔を見せて、遊女の風のそれは
その土間口から消えた、相変わらず診られようというそぶりはないらしい
わかっているのか、とかく先生は忙しい
「おう、患者はどれだ」
施術をする、もともと内科のようなことが本職だ
東洋医術の本懐、鍼灸だとかそっちを究めたかったのだが
このご時世、医者と聞けばなんだってできなきゃいけない
しぶしぶ内科もやれるだろうと甘い考えで、
藩からの話もあって、上京したはいいが
天下は、やれ今孔明以来の転覆騒動だということで
そこかしこできな臭いことが立ち上がっては消え、打ち上がっては砕け
その度に病気ではなく、けが人が山となって運ばれてくる
確かに実入りのいい仕事ではあったが、本道じゃない施術を施し続け
先生が救えた人間が5割、もともと死に損ないばかりだから
結果はいい方なんだろうが、医者先生としては、その沽券だか、自尊心だとかが
まぁいたく苦しむこととなって、そろそろ故郷へ帰りたい
そんなことを考えている
おかげで患者に死なれることにも慣れてしまったな
その慣れが、酷く自分を哀しいことへと連れていってくれると
悲嘆にくれながら、やめていた酒を呑みだしたころ
くだんの遊女と知り合った、もっとも服装が遊女臭いだけで
そんなこともないらしい
「先生ってのは儲かるんだろ?どうだい、抱いてかないかい?」
「冗談でもそんなこと言うんじゃ」
「ふふ、こんなこと言うのは今日が初めてだよ」
「はぁ?」
「なに、親もなくして、器量も特にないしね、そろそろ本気で金子に困ってねぇ、
この誘い方じゃどうやらダメだね、この商売もとんと難しいらしいね」
へへへ笑いをして、遊女は寂しそうに笑った
その笑顔に釣られてしまい、考えてみれば
まんまと騙されたのかもしれないけども、医者先生
このところ酷く疲れていた癒しをもとめたか、女を隣に座らせた
小料理屋にはあまり人はおらず、二人しっぽり、とでも言えば座りがいい
そんな具合で、銚子を傾けあった
「年は?」
「やだよ、いきなり女の年齢なんざ聞くもんじゃないよ、もう20を8つは過ぎてるさ」
「年上か」
「なんだい先生、見かけの割に若いんだね」
「そうでもない、20真ん中過ぎてヨメも無いなんてのは、男片輪に違いねぇって故郷を追われてな」
「ははは、そりゃいいね、ここならそんなの気にならないからね、今じゃ京都は、
外からの客ばかりで胡散臭いのも溢れて、居心地いいだろうえ?」
「別に俺は胡散臭いからモテねぇわけじゃねぇんだがな、おい」
「あはは、先生面白いね、大丈夫さ、伊達モノのダンダラさんの鬼副長様も30絡みで独り身だってんだから」
「あんなのと一緒にすんなよ」
笑いながらの食事はうまい
食事というほどではないが、いつになくおでんが美味いと思った
それを上げた頃、医者先生、酩酊までいかずとも
銚子をカラにしている、隣に女、これは自然ななりゆきだろう
「姉さん、で、いくらなんだ?」
「え」
囲うでもないが、それに近いこととなった
幸い、その忙しい仕事のおかげで金には困っていない
故郷へ仕送りはしているが、それにしても充分に潤っている
それを使うアテが無かったのだから、慈善事業めいたつもりもあった
一人の女が、不器用な夜鷹をやるよりは
そんなことを思って過ごした
「先生、あんまり慣れてないんだねぇ」
夜の布団が生暖かい
そのまどろんだ世界で言われた言葉は
馬鹿を言うなよ、そんな反論を覚えるが
心地よすぎて、ははは、先生笑うのが精一杯だったのは好い思い出
そんなことを考えながらも、今は患者を見ている
今日はそれでも、死に損ないは少ない様子だ
だが、けが人は増えてきている、何か嫌な風がまた吹いてきているんだろうか
京都の街が日に日に不穏になっていく様子が、夜更ける様と似ている
「月夜か」
忙しく過ごして、一日がまた終わった
看板を片づけようと、やれやれ先生は外へと出た
ぽっかりと空に白い穴が空いたみたく
暗闇の空に、月が控えることなく、煌々と輝いている
遊女なりのそれと出会ってから
暫くは、金での関係を続けてずるずるしていた
その約束めいた何かは、診察が終わったこの看板片づけの時
ひょっこり女の方からやってくるそれで続いていた
だが、ここのところ、とんとそんなことは無くなった
代わってと言うのか
昼間、忙しく働いている時に裏口に顔を出して
他愛の無いことを言って帰るくらいだ
「御免」
「?ああ、診察ですか?今日はもう」
先生、サムライ風の相手にも物怖じすることなく断りを入れる
名が通ったといえば聞こえがいいが
少々増長しているとも思える、実際は、疲れているから面倒になっているが相応だ
本来ならば、刀を腰にしている相手にこの口利きは先生でも許されないはず
「そこをなんとか、怪我じゃないんですよ、ちょいと病の方を見てほしいんでさ」
京都なまりじゃない
それに驚いて、じっと顔を見つめた
先生の目が闇になれる、いや、月明かりが一際強くなったように思える
うっすらとそこに浮かんだのは、色の白い好青年だ
なるほど、銀月のせいで顔色はよくないようだ
「あがんなさい、看板しめてるから暗いが、見立てくらいはできるさね」
「かたじけない」
サムライは言われるままに医者に続いて庵に入った
背が随分と高い、すらりとした長身だが、その着物の内にある骨は
非常に太くたくましいと見える
「随分やると見えるね」
「先生は剣術も?」
「からっきしだよ、でも、京都にきて随分使える人を診てきたからわかるさ、あんた相当使えるね」
言いながら、東洋式のそれで、丹念に診て回る
医者先生は既に、その病について見当が付いている
顔色、そして、胸元に当てた音、たったそれだけで
この世の中で救いようのない、労咳という病ではないかと疑いを持って診ている
青年は心配そうな顔で、その診察の結果を待ち続けている
先生の指先が、とんとんと胸元をつつきながら、ミゾオチや、肺近くを丹念になぞっていく
くすぐったいのか、青年は一度だけ、くすりと吐息を漏らした
「・・・・・どうでがす?」
「うーん、こいつぁよくないな」
「冗談でしょう」
「いや、肺の中に猫がいる」
青年はそれに大きく笑った
サムライというよりも子供という形容が具合いよくはまるような
そんないい笑顔を見せる
だが先生は少々重苦しい顔をしている
「猫のごろごろ言う声がするんだ、あんた、これは労咳だね」
「・・・・・」
「流行病なんてのは誰でもなるもんだからな、まぁ、薬は出すから剣術もしばらく控えるこったな」
「参ったな、剣術はやめられませんよ、わたしにはなんせそれしかないんだから」
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ、おてんとさんの下歩いている内は、それしかねぇなんつー生き方は無いよ」
「はは、先生は見かけのわりに説教臭いんですね」
「ほっとけ」
先生が薬を出そうと奥へといった
青年は朗らかな笑顔を讃えたままだが、いささか暗い影がさしたように見える
もっとも、予期していたのだろうか、言われてやはりといった顔をした
その後は何も無い、薬を受け取ると、やはりその笑顔で礼を一つ言って帰っていった
今度こそ看板だ、医者先生はそこを閉めた
明くる”夜”、久しぶりに遊女風は医者先生の隣で寝ている
具合が相変わらず好かったのか、うっとりとした脳味噌が
油断を隅々にまで拡げている
三千世界がかくも狭い、そんな台詞が浮かぶほどぽっかりとしている
少し息が上がった風の女は、ゆっくりともたげるという形容そのままに
乱れた髪のまま、頭を起こして先生を見た
「先生はやっぱり佐幕なんだよねぇ」
「なんだい、急に」
「だって宮仕えだろう?」
暗がりでも月明かりに反射した丸みをもった光が
その茶色を含む瞳孔を撫でている
先生は随分場に合わない話題だと思いつつも
面倒になって、適当に答えることにしている
「宮仕えなら勤皇になるだろうさ」
「じゃぁ先生は勤皇?」
「なに、佐幕も勤皇も流行病だ、どっちもどっち選ぶものでもねぇのさな」
「そうかい?世の中を乱している勤皇の輩を排斥するんじゃないのかい?」
先生は、するりと脳味噌の目が醒めたのを自覚した
急速に頭の中がすっきりとし、もう油断の類はおいやった
明晰になっていく視界で、暗がりに揺れる女の影
無知で、可愛らしい年上の女は、今、病気にかかっている
女は小頭が不自由だ
先生は常々そう思っていた、ノータリンという素晴らしい言葉が
これほど似合う人をついぞ見たことがない
先生はそこまで、彼女のその何も無さが好いと思っていた、それに実際好いのだ
だが、それが、それ故に病気になっている
「姉さん」
「どしたの、もう一回する?」
違うよ、そう思ったがその足らない風がそそると先生まだやっぱり
どこかが弛んでいる、そんなことを思いつつ、一点の不安を抱えたまま
「先生はまるで子供だね」
「なんでぇ急に」
「男と女のことはてんでわからない、難しいことはわかってるってのにねぇ」
先生いつかに、慣れてないとか言われたから、少し頑張ってみたが上記の通りだ
から笑いをするが、先生いたく傷つく、それを気遣ってか女は柔らかくそれを慈しむ
やがて外は白み、もやをまといて朝が起きた
遊女風は、したりしたり、そのもやの向こうへと帰っていった
猫も杓子も攘夷攘夷
そんな声が聞こえる世相に辟易している
先生、それでも毎日運ばれてくるそれらの犠牲者と
流行病の病人達を看病するだけで手一杯で過ごす
「先生、俺ぁ治るのか治るのかい?」
「五月蠅ぇ、黙って治療受けろ、暴れるな血が流れる」
「治してくれよ、頼むよ、俺ぁこのままじゃ勤皇志士になれねぇんだ、こんなざまじゃなれねぇんだ」
「黙ってろつってんだ馬鹿野郎、そんなもん、生きてりゃそこらの猫でもなれらぁっ」
運ばれてくる血みどろのそれらは
病が脳にまで至っている
まったく困ったものだ、そう思いつつ先生は
ワケ隔てなく、全ての運ばれてくる病人を診ていく
先生はあくまで内科だ、外科は仕方なしで、ついでにやっている
「あああ、先生、先生、俺の血が、血が抜けてくんだよ、母ちゃんから貰った血が」
「おらおら安心しろ、馬鹿野郎、その程度で死にやしねぇ、奥で黙って寝てろ馬鹿」
「国に帰りてぇんだ、けどな、国抜けしちまったから、もう、もう帰れねぇんだ、帰れねぇんだよ」
「うるせぇっ」
「帰りてぇんだ先生、頼むよ治してくれよ、そんで、先生からよ、お上にお願いしてくれよう」
「たわけたこと言っとんじゃねぇ、男が泣き言ぬかすな」
「ガラじゃねぇんだやっぱりよ、刀じゃなくて鍬持つんだぜ、持てるよな鍬持つほどまで治るよな」
黙らない患者はおそらく、片腕を失う程度で済むだろう
だが、その後はどうなるのかわからない
病は治るだろうし、傷も癒えるだろうが、肝心要の生きていけるかどうかは別問題だ
人間50年、病でも、傷でもなく死ぬ時は死ぬ
先生は治せない病と傷を相手に今日も草臥れる
そんな日はやっぱり、年上の女とだらりとしたい、そう強く願うのだが
一点の曇りが、心内に染みた、不気味な墨点が、じわじわと広がっていくように思う
夜、連夜になるが女がやってきた、先生は少し身持ちを糺して告げる
「姉さん、俺と祝言あげてくんねぇかな」
医者先生はまっすぐにそう言った
「京都はもういいだろう、うちの故郷に行こう、一緒にな、なに人間はあくどいのが多いが
飯はうまいんだ、鳥がうめーし、きしめんもあんだ、な」
医者先生のそれは、ただただ女の笑いを誘い続けた
女はゆっくりとそれを、とてもうれしそうに見て
もう一度笑った、笑うだけ笑った後
まだ、その余韻の残る、少し赤みを帯びた頬をはにかませて
もう一度笑って、頷いた
月の出ていた夜だった、大喜びで抱きすくめた先生、じっくりとっくり一晩過ごした
一夜は、ゆっくりと更けて、明くる朝は
医者先生が、長く生きてきて見たこともないように光り大きく輝いていた
六月五日の朝だった
どっかりと、先生の中で何かが大きく前進したような
昨日までの辟易が嘘のようになった
自分の中の歴史が大きくうねったのを感じたからだろう
心が大きくなにか、寛容になった、何かに焦っていた心が落ち着いた
女は一度家へと戻る、先生は診療があるからその場に残る
それまでと同じように、また日中が続くかと思う
「先生」
「おや、これはいつかのお侍さんかい、おあがんなさい」
「えへへ」
一番の患者は、例の労咳だ
上げて、診て、その病状が進んでいることがわかった
「いけないな、猫が山猫になってるぜ」
「・・・・・」
「あんた、養生してなかったね、随分酷使をしているようだし」
「うーん、そうかぁ」
あまり気のない返事をする
先生、祝言のことがあってか、少し心が広くなっていて
また自分が幸せなら、他人も幸せにならなくちゃならねぇなんて
そんなことを考えてしまう
「何、そんなのは辞めてしまえ、田舎でヨメでも貰って暮らしなさいや」
「私が、ヨメ、ははは、それは面白いことを言うね先生、労咳だぜ?」
「田舎で養生すれば治るもんさ、それにそういう優しい女だっているはずだ、世の中捨てたもんじゃねぇよ」
「どうだかね、あぶれた浪人崩れが金欲しさに、生きたいがためにそれを
思想だとかにすり替えて、人斬り盗みをする世の中ですぜ」
「そんなのばかりじゃねぇさ、それにすり替えている奴もいれば、信念の奴もいるんだ」
「迷惑ですよ」
「?」
「信念だとかなんだとか、わかんないことで先生が言うような捨てたもんじゃない人が殺されることがあるんだ」
澄んだ瞳が一つ冷えた
先生、初めて自分の立場が危ういことを悟った
うかうかしすぎているんだ
少し後ずさった
「いや、先生を脅すわけじゃないんでがす、思うだけ、わからないんですよ難しいことは私には」
言って立派な体躯はまた着物を糺した
そして、一礼と謝礼を置いて出ていった
先生、少し心が冷えた心地を抱えている
「そうだ先生」
「うあ」
「いや、今夜は忙しくなりますよ、閉めるんならどこか別に移動なさいな」
???
先生はわからないが、青年の声を胸にとめて夜を待った
女がやってきて、日取りの話とかそんなことをしていた
ふと、気になる咳が一つ、二つ
「風邪、まだ治ってねぇな?」
「長引いちゃって困ってんだ先生、お嫁さんになったら治してくれる?」
そんな言葉に少し紅くなる先生だが
気がかりがある、胸にそっと手を当てる、耳を当てる
女はそんなことだと勘違いした眉をハの字にする顔
先生の耳を震わす猫の声
それならそれで、先生は思う故郷に帰ればゆっくりと養生させられる
療養させられる、いいことだ、先生はそれを黙ることにした
黙るためにと女を抱くことにした、しどけなく夜が進む
その夜が、らしからぬほどに騒がしくなる
どうどうと、喧噪が近づいて、夜の診療所は一気に慌ただしくなった
先生は、渋々、と言っている間もなく
すぐに患者を運び込まれてしまい、女を奥に寝かしたまま
最後の仕事だと腹をくくって過ごした、切り傷ばかりで、最後に相応しい
死ぬかもしれない、死ぬ、死んだ、そんな輩が多く運ばれてきた
それを熱心に過ごして、最後の、この日最後の患者が運ばれてきた
「言ったでしょう、だから・・・」
「黙れ馬鹿野郎、痛むだろうがよ」
「・・・先生、お願いだから、黙っておいてくださいね」
「・・・・」
青年の胸から猫の声が聞こえてくる
女の胸から聞こえた声と同じそれが聞こえてくる
傷はない、また、内科の加減だろう
ただ、血みどろに濡れてしまったそれは
相当の病症進行を伺わせるに充分だった
先生は外科処置をしたように見せかけて、暫くの養生をさせる手はずを整えた
この後、彼がどうなるのかは、もう先生の知ったこっちゃない
今はただ、目を伏せて、耳を塞いで、一連のことを
過ぎ去る時を、そこから逃げ出す時を見つめるのみだ
耳に残る猫の声、近い内にここを去って尾張へと帰る、そうだ、決めている
「先生、故郷へ行く日は、もう少し早いほうがいいかもだねぇ」
女はぽつりと言った
女はずっと奥に居た
ただそれでも、その瞳がどこか冷たくなっている
先生はわかる、おかしなものだ、誰にもわからなくても
先生だけはわかる、だから言ってしまう
「冗談じゃねぇ、患者を置いていく医者なんざ辞めちまえってんだ」
「だけど先生は内科がやりたいんだろう?ここじゃ外科ばかり」
「でもねぇよ、でもねぇんだよ」
「けどね」
「うるせぇよ、姉さん、頭悪いんだから俺の言われたまんまにしとけばいいんだよ」
何にそんなにイラだっているのか、先生はぼちぼちわかってきている
きていて、そんなことも上手にやれない
なるほど姉さんの言う通り、とんとわかっちゃいやしねぇ
そんな男なんだぁね、先生は自分で自分を笑って
一通りの患者を見終えた、そして最後の患者のところへと戻る
「おう、どうだ」
「少し、寒い感じがしますよ」
「おう、それさえ乗り越えればなんとかなる」
「へへ、なんとかなってもいいのかどうか」
「馬鹿野郎、お前は早いところ病を治すために山奥へ隠居すんだよ」
「そうはいかない、わたしたちはここで踏ん張って幕臣にならないといけないんでがす」
青年は、本気でそう思ってるのか
煩わしい、誰かに聞かされ続けた世迷いゴトを口走っている様子だ
先生は、口と思って聞くことにする、ただ、喋らせすぎるのはいけない
体力を消耗する、だから、先生が喋ることにする
先生、気付いている、彼がどうで、この場を見ているもう一人がいることも
「・・・やめときな、似合わねぇよ」
「はは、そうかな、会津あたりじゃ評判なんですよ、らしいって」
「そうか、言い方間違えたな、やめときな、損な役回りだ」
「せんせい?」
「幕臣てのはな、昔からいい目にあわねぇんだ、忠義を尽くすならなおのことな」
「・・・・」
「明智十兵衛光秀、最後の幕臣だよ、見ただろう」
「そいつは酷いな、光秀が幕臣だなんて、僕らは楠公ですよ」
「は、山賊じゃないか」
きっ、青年は強い眼光を向けてきた
だが先生はそれをほうほうとかわし、胸元に妙な漢方を貼り付けた
それが冷たかったのか、ひゃっ、と喉の音をさせて青年は黙った
「ま、俺が診てやるから安心しろ、ただ前線はもうよしたほうがいいよ」
「それは無理だ、先生、明日立つんだろう?」
先生驚いて青年を見た
だが、すぐにその謎は一本に繋がった
笑うまでもない、それにそうだと先生薄々気付いたじゃないか
狭い町で、同じ病に罹る、同じ馬鹿が、同じように生きてんだから
先生は、だからそうするべきだと以下を続ける
「何、大丈夫だ、ちょうどお兄さんと同じ病の女がいてね、俺ならあんたを診てやれるんだ」
「そいつはいけない、祝言をあげるんだろう、山奥で隠居するのは先生の方だよ」
「おい、こっちだちょっと手伝ってくれ」
先生、聞く耳持たず、強引な具合で
奥へと、すぐそこにいると解っていながら奥に向かって声を投げた
戸惑った感じで、女が入ってくる、柔らかい笑顔をしている
それを見て、青年は一度朗らかな笑顔を、あの笑顔を讃えた
だが、すぐにそれは陰になって消えた
それを見て、いたたまれなくなって、先生すぐに台詞を残して消える
「とりあえず、診ておいてくれ、なんぞあってから俺を呼んでくれ、姉さん」
とん、音はしないが、そんな幕間を告げるなにかが鳴った
先生はから笑いを浮かべつつ、病人蠢く巣窟を歩く
ゆったりと、それでいて、職業柄、苦しんでいる人を見逃せないままで
痛みに唸る、どちらの病かわからぬけが人に手当を施す
先生はよい医者なのだろう、そういう評判が立つゆかりがある
顔は不細工だし、身なりも頼りない具合だが、一点仕事を真面目にやる
美徳と褒めてやりたくなるそれがある
先生そのまま寝た、枕が冷たくなったかどうか、本人すらもわからない
「起きとくれ、起きとくれよ先生」
「ん・・・」
朝、揺らされる感覚で目を醒ました
ゆっくりと頭を持ち上げる、血圧がやや高め、それは
朝の寝起きにおける卓抜した才能を開花させる
先生はその声の主が、女房にしようかと思った女だとすぐわかった
そして、悲観的な未来についての覚悟も決まった
「おう、どうだ青年の様子は」
昨夜のことについては一切聞かないし、聞くつもりもない
そんなことを聞いて身もだえする趣味は先生にはない
だから、さっさとことを済ませようとしている、脳内にリピートされている
青年の看護につく全てのことが
「何ゆっくり寝てんだい、さっさと尾張へ帰ろうよ」
「はぁ!?」
「ほら、とりあえずもう療養所に患者は移ったし、先生、早く行こうよ、鳥がうまいんだろ?」
「と、待て、他のはともかく、青年は、おい、サムライはどうした」
女は、困ったことを言う人だねと
そんな顔をして柔らかく、初めて、先生に説教をする
いつも、先生が女にしていたそれを
今日ここで、そっくり返す
「先生は、ちょっとだけ男と女がわかるようになったけど、まだまだだよ」
「あんだって?」
「先生の見立て通り、私が結局生活のために夜鷹をしたのさ、その相手がおサムライさんだったよ」
「・・・・・」
「でね、だからね、あたしみたいな足らない子でもさ、攘夷だの、佐幕だの勤皇が悪者だのが
わかるようになったんだよ、まったく先生は頭よくなって困るよ」
「違うよ姉さん、姉さん、サムライに惚れてんだろう、でなくちゃいきなり思想なんざ
理解しようと思うわけもねぇぜ、そこは俺が虚しくなるからよしとくれ」
「先生、違うよ」
女は仕方ないな、そういう顔をした
それこそ、だだをこねる弟をみる姉の顔だろう
先生は、ぼんやりそう思った
先生、兄弟居ないからそういうのはとんとわからない
解らないままに、そうではないか、そう感じた
「私は先生が好きだよ、だって、ほっとけないよ、先生、今にも果てそうだもの」
「・・・・・姉さん」
「先生は、ちょっとだけ男と女がわかるようになったけど、まだまだだね、
女はね、抱かれた男全てに惚れるわけじゃぁないんだよ、先生、大事に扱ってくれたのは
ついぞ、先生だけだもの、こんなだけど、どうか、貰っておくれよ、尾張へ連れてっておくれよ」
先生、恥ずかしながら男泣きに泣いた
姉さんはそんな先生を、なでなでとして、ただ笑っていた
喉の奥、肺のそれは、猫の鳴き声を出しつつ
それでもただ、女は笑って、先生の男を立てた
かくして、全てが幸せになる手はずが整った
すぐに先生は仕度をして、京都を立つ、尾張に向かいそこで祝言を上げた
サムライの青年は、その後、やはり病を酷くしほどなく絶えた
そして、女もやがて治るわけもなく先生に見取られて美しく果てる
「先生」
「姉さん、御免よ、俺のまったく甲斐性が足らねぇからよ」
「そうじゃないよ、先生からいっぱい貰ったよ、こんな身なりでも先生のおかげで立派に生きてこられたよ」
「馬鹿言ってんじゃねぇ、俺の女房ならそんなこと言うんじゃ」
「先生、ありがとう、幸せだったよ先生」
「・・・・・姉さんよ」
先生はまた男泣きをした
愛した女を失った涙は美しい
純粋無垢で、女が下手な先生だからこそ美しい
「じゃぁね先生、来世でまた会おうね、先生、また口説いておくれよ、居酒屋で待ってんだからね」
涙をたむけられた女は、もう、死骸になりながらも
その涙と先生の無垢さにあの世で涙する
それでいてこう呟く、これは心の、魂の言葉だ
いかんせん、もうくたばっちまった姉さんにはこれは呟けなかった、いや、呟かなかったんだ
『やっぱり先生は、男と女がわかってないね、ごめんね先生』
つまるところ
同じ病で倒れた男女が、あの世という場所で再会する
あの夜、そんな約束をしていたんだ、それでも先生の優しさは痛いほど感じていた
でも、女は思う
抱いた男全てが惚れた男ではないよ
残酷だとおのから思う、でも、女はそればっかりは嘘をつけない
先生もいい人だと愛した、だけども、もっと哀しい青年をほっとけなかった
情け深いは、非道の入口、ただ、その非道を悟らせない女は立派だった
女は絶対にそれを、先生に悟らせなかった
全ての人が幸せになる、そんなことが、誰にも誰彼にも語られることなく
静かに、一つ、ぽんと成就した
全ての人々が幸せになった、そんなお話
先生は、幸せなまま、失った悲しみを偽りと知らず偽りのまま受け入れるのだ
先生、まるで本当に、失ったというのにね
切なくはあるが、先生、気付いていないままで幸せを成就する
ただ、先生なら
気付いていたとしても、それをそれとして幸せと為す
せわしない世の中で、そんな物語があってもいいか
そう思いつつ、うすらぼんやり、やがて新しい世界が拓ける
まるで関係無いそんなことも
大きな時代の中で、あったのだろうと、想い思いつつ
ここに一つ、書いておく