第二章 ③
目を開くと、そこはあたしたちが最後に立っていた場所、つまり常闇の街シェイディアの外れに立っていた。
すぐ傍には、先程は気付かなかったが、以前のままボロボロの服装で立っているリュウ、夢見ヶ丘高校の制服で立っているシュガー、宙に浮いているミカド、そして一日ぶりに見たシュンの姿が目に入った。
あたしの服装も見事にボロボロで……。
「きゃあっ!」
思わず叫んでしまった。以前は疲労で気付かなかったけど、あたしの服装は確かにボロボロだった。
以前の戦闘の後の格好のままだったのだが、最後にデーテが放った弾丸があたしの体を貫いたときに出来たのであろう穴がぽっかりと開いている。
もちろん服に穴が開いているということは、そこから素肌も見えている訳で。
あたしの叫び声に反応してリュウが目を覚ました。なんとも悪いタイミングだったが、あたしの服装を見たリュウはすぐに目を逸らしてくれた。
「……見てないからな?」
リュウの気遣いに感謝しつつ、あたしは何事かと首を傾げているシュンに向くと、穴を両手で隠しながらすぐさま質問する。
「ねぇ……確かこの服って想像で直せるんだよね? どうすればいいの?」
シュンはあたしとリュウを見て、あたしの聞きたいことを悟ったらしく、返事をする代わりに無言で目を閉じ、そして小さく呟く。
「想創。〝着装〟(チェンジ・クロース)」
すぐにシュンを想創光が包み、一瞬にして消える。
そこには、新品同様の同じ服を着たシュンが立っていた。目を開けるとすぐに補足の説明をしてくれる。
「まぁ、見ての通りだ。自分の服装を想像しながら言葉を発するだけ、普通の想創と一緒だ」
あたしとリュウは言われたとおり、想像して呟く。
「「想創。〝着装〟」」
先程のシュンと同じように想創光に包まれ、そして消える。
恐る恐る自分の服装を見てみると、ぽっかり開いていた穴は綺麗に閉じていた。
「おぉ……この世界の着替えは簡単でいいなぁ」
「ほっ。直らなかったらどうしようかと思ったよ~」
思い思いに感想を言うと、二人で同時にシュガーを見た。もう幻界には着いているのに、未だに目をきつく閉じている。
リュウがシュガーの肩をポンと叩くと、文字通り飛び上がった。
「うひゃあ! ……なんや、もう着いとったんか」
何事も無かったかのようにサラリと流したシュガーは、シュンの方を向くと両手を腰に当て仁王立ちすると、唐突に自己紹介を始める。
「前言えんかったから言うけど、ウチの名前はシュガー。よろしく頼むな! えっと……」
「シュンだ。こちらこそよろしく頼む、シュガー」
すぐにお互いが手を差し出し、硬い握手を交わした。
シュガーは得意げな表情でシュンを、シュンは何処か遠慮がちにシュガーを見ていた。
「それとな、ウチにいらん気ぃ遣わんでえぇよ? ちょっとかしこまっとるやろ?」
シュガーの言葉を聞いたシュンは、驚きを隠せない様子だった。
「……何故、そう思った? 間違ってはいないのだが」
問われたシュガーは、さも当然というような表情で簡潔に答える。
「だって、表情に出とるもん。先に言うとくけど、ウチに敬語とか禁止やで?」
「う、うむ。分かった」
やっぱりシュガーはすごいと思う。表情だけで気持ちを読み取るなんて、あたしには到底真似出来るとは思えない。
人付き合いの経験が豊富な人は、みんなこうなのだろうか?
「それよりさぁ、ちょいと抱きついてもえぇ? 毛並みが気持ちよさそうやわぁ~」
あたしの心中を知らぬであろうシュガーは、急にシュンへとにじり寄る。怪しい笑みに表情を引きつらせつつも、シュンは冷静を装って答えた。
「別に構わないが、毛並みはともかく意外と筋肉質だぞ? 気持ち良いとは保障しかねる」
「構へんよ。
……おぉ~! 筋肉質やけど毛並みは最高やわぁ~」
シュンの二の腕や頭を撫でたり、ほお擦りしたりしながら恍惚の表情を浮かべるシュガーは、いささか変態のように見えた。もちろん口には出さないけど。
そんな状態がしばらく続くと、リュウが我慢しきれない様子で口を開いた。
「シュガー、シュンで遊ぶのはそれくらいにして、そろそろ移動しないか? 早く次の街に行きたくてうずうずしてるんだけど……」
こういうときに見せるリュウの表情はとても輝いている。まるで好奇心旺盛な子供が、新しいおもちゃを手に入れたときのような、そんな表情だ。
「あたしも賛成! それにシュガーの服も新調しないといけないし」
あたしの言葉を聞いて、シュガーは初めて自分の服装を眺めた。
そしてあたしとリュウを交互に見ると、しょげた声で小さく呟く。
「……ウチ、浮いとらん?」
心の中では皆が同意しただろうけど、ここにいるのはそれを口にするほど無遠慮な人たちではない。
リュウは慰めるべく、優しい表情で話しかける。
「そんなことないさ。それに、浮いてたとしても似合ってるぜ? その制服」
羨ましい! と、心の中で叫んでしまう。
あんなに優しげな表情を見せることは、あたしが知っている限り滅多に無いのだ。人と話しているときは特に。
「ホンマか? 嘘やないやろな?」
シュガーも上目遣いで小さく言うから、女性に免疫の無いリュウは顔が赤くなる。
あたしはこれ以上見ていられなくなって、リュウが口を開きかけたところを割り込んだ。
「嘘じゃないですよ~? ……でも、やっぱり幻界の服を着たほうが良いかもしれないね。
シュン、一回シェイディアに戻ってシュガーの服を買ってくるのはどうかな?」
「そうだな。あいつの店でもう一回貸しでタダ買いしてやるか……」
「……それって買うとは言わないだろ」
「リュウ、ナイスツッコミやで!」
一通り話がまとまったところで、あたしたちは踵を返してシェイディアの街へと戻った。
シェイディアの門をくぐると、入り口の近くにある衣服店に向かった。
今回は店の中に店主の姿が見当たらなかったけど、あたしたちが店の前に行くとすぐに現れた。
「いらっしゃいまし~。……って、シュンの旦那じゃないですか。
もうこの地を発たれたものだとばかり思っていたのですが……おや、お連れ様が増えていらっしゃるようで」
「そうだ。またしても悪いが、この子の衣服を見繕ってくれ。
代金は……また貸しで」
「はいはいすぐに持ってきますからお待ちくださいね~!」
すぐに店の奥へと引っ込んだ。この光景は以前も見た気がするけど……気のせいかな?
「なぁ……あれがリュウの言っとった〝妖精〟って種族か?」
「あぁ。あれは妖精の中でもゴブリンっていう種類らしい」
「ふーん……種族ってのもいろいろあるんやな。覚えるのが大変そうや」
そんな会話をしているうちに、店主がカウンターに戻ってきた。腕にはたくさんの巻子本を抱えていて、カウンターにドサッと置いた。
「よーし、好きなものを一つだけ選んでくれ! いいのが見つかるといいな!」
なかなかの作り笑顔だったけど、少しだけ表情が硬い。そんな表情ではシュガーに作り笑顔だとバレてしまうだろう。あたしでも分かるくらいなのだから。
「……どうすればえぇのん? 笑えばえぇのか、怒ればえぇのか」
やはりシュガーは、状況を飲み込めていない様子だ。シュンが以前と同じように説明する。
「とりあえず、一本手に取れば分かるはずだ」
短い説明に憮然とした表情を浮かべつつ、シュガーは巻子本を手に取った。
「……おぉ! 何か分からんけどイメージが流れてくるわぁ!」
手に持っている巻子本を置くと、面白そうに他の巻子本をとっかえひっかえし始めた。そうしているうちに、一本の巻子本を手に取ると動きが止まる。
「これ、可愛ぇなぁ。……決めた! ウチ、これにするわ!」
その様子を見ていた店主は、一度シュガーから巻子本を預かると目を見開く。
「おぉ、姉ちゃんお目が高いね! これはここで取り扱っている女性用衣服の中でも、かなり上質なモンだよ。
いやぁ~、いい買い物したねぇ!」
そんなことを言っている店主の目は、全然笑っていなかった。
きっと買おうと思うとものすごく高いのだろう……ご愁傷様です。
「……で、どうすればえぇのん?」
またしても尋ねたシュガーに、シュンはまたしても簡潔に答える。
「その巻子本を思い切り破ればいい」
「ホンマか? どうなっても責任取れへんで?」
シュガーにしては珍しく慌てた様子だったけど、少し躊躇ってから思い切り破る。
すると、巻子本の切り口から想創光が溢れ、シュガーの体を包み込む。それは衣服の輪郭を作り出し、想創光はあっという間に消えてしまった。
「……」
誰もが、言葉を失っていた。この光景は何度か見たことがあるから驚くことは無いのだけど、シュガーの服装にはその場にいた全員が驚いていた。
一言で言えば〝お人形さんみたい!〟だろうか。その言葉が一番しっくり来る。
予想通り、全身はピンクで包まれていた。薄いピンク地に白いフリルがたくさん付いているブラウスに、同じようなジャケットを重ね着して、膝がギリギリ見えるくらいの丈のフリル付きスカートを身に纏っている。
ピンクと白の二色でストライプ柄のニーソックスと、可愛らしいピンクのエナメル靴を履き、ヘアバンドもレモン色から薄ピンクでフリル付きに変わっていた。
これだけ少女趣味が満載の服を着こなせるシュガーは、ある意味すごいと思う。
「……どや、似合っとる?」
その場にいた男性は皆無言で頷き、あたしも遅れて頷いた。あまりに似合いすぎて、言葉が詰まってしまったのだろう。
あたしでさえ一瞬見とれてしまったくらいなのだから。
「うーん、やっぱこの世界はえぇなぁ! 一度でえぇからこういう服着てみたかったんよ~」
シュガーは全身を見渡すと、その場でクルクルと回り始めた。
屈託の無い笑顔で回っているその様子は、本当に一国の王女様を彷彿とさせた。
「おっちゃん、ホンマおおきに~。この服大切にするでな!」
シュガーが礼を言うと、店主は顔を紅潮させながら少しにやけて答える。
「お、おぅ! こんな美人さんがもらってくれるんなら、服も本望だろうねぇ」
「おだてたって何も出ぇへんで~? ほな、次の街に行こかぁ!」
回転をピタッと止めると、上機嫌な様子で歩き出した。ボーッと眺めていた男二人組も我に帰り、慌ててその後を追う。
あたしは振り向きざまに店主に一礼し、すぐに三人の後を追いかけた。
「……何よぅ。あたしの時と反応が違うじゃない」
あたしの呟きは、あたし以外の耳には届かなかった。