第二章 ①
「いらっしゃい! いやぁ、お客さんなんて久しぶりやなぁ~。ゆっくりしていきやぁ」
「おじゃまします」
「お、おじゃましま~す……」
先輩の家に上がりこんだあたしと龍馬君は、広がる光景に再び驚いた。
見渡す限りぬいぐるみが沢山置いてあり、壁紙もピンクに花柄がこしらえてあるものだった。あたしの家にも、ぬいぐるみなんて二つ三つくらいしかないのに……どれだけ好きなのだろう?
「ほらこれ! 可愛ぇやろ?」
そう言ってあたしたちに差し出したのは、馬と鹿が合体したようなぬいぐるみだった。
「……あの、これ何ていうぬいぐるみなんですか?」
龍馬君が恐る恐る尋ねると、萌先輩は含み笑いを浮かべながら質問に答える。
「何って、そりゃもちろん〝バカ〟やん」
さも当然といった反応の萌先輩に、龍馬君は脱力して笑う。
「そうですか、あはは……」龍馬君、あたしもその気持ちはよ~く分かるよ?
そんな感じで十分くらいぬいぐるみ自慢をすると、やっとリビングに上がることが出来た。
こちらも少女趣味満載で、見渡す限りピンク! という感じだった。
もうそろそろあたしの目も、この風景に慣れてしまっている。重症だな、これは。
「ささ、はよ座りぃ! 今からお茶出したげるから」
あたしと龍馬君にこれまたピンク色のソファを勧めると、先輩はキッチンへと向かいお湯を沸かし始めた。結構手馴れているようだけど……あたしの方が上手いもんね。
「……天宮、先に言っておく。もし俺が死んだら、幻界はお前に任せた」
不意に、虚ろな目をして言い放った龍馬君に、あたしは大いに慌てた。
「えっ、な、なんでそんな事を今言うの? これから何が起きるの?」
「……下手したら、天宮も死ぬかもしれないな、ははは」
全く以って訳が分からない。本当にこれから何が起きるのだろう……。
まさか、あの先輩がお茶に毒でも盛ってあたしたちを殺す気なのだろうか?
「だ、大丈夫! あたしは絶対に死なないから、龍馬君も死ぬなんて冗談止めてよね!」
あたしはそんなことを言って元気付けたけど、龍馬君は一向に元気にならない。
「二人とも~、お茶入ったで~」
そうしているうちに、先輩がお茶を持ってきた。
この家は全てがピンク色なのだと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。お盆や湯飲み、急須はきちんと茶色っぽい和風な着色が施されていた。
これまでピンクだったら、あたしはきっと怒ると思う。
先輩は急須から湯飲みにお茶を注ぎ始めた。見たところ色は普通の緑茶と変わらないし、匂いも割と普通な感じだ。毒を盛ったとは考えづらいように思える。
どうやら龍馬君も拍子抜けした様子で、少し安堵の色が伺えた。
「さ、はよ飲みぃ。熱いほうが美味いで!」
先輩に急かされ、あたしと龍馬君は湯飲みを持ち、一口すすった。
ポーン、ポーン、ポーン……。
坂本龍馬 享年十六歳 死因 ショックによる心臓発作
天宮聖子 享年十六歳 死因 右に同じ
「うぅ……龍馬、何故死んでしまったの? 母さんより先に逝くなんてひどいわっ、うぅ」
「聖子ぉ~……お茶を飲んだだけで死ぬなんて、そんな死に方あんまりよ!」
あたしは、どうやら死んでしまったみたいだ。隣に龍馬君の遺影があるということは、一緒に死んでしまったのだろう。
先輩の出した、あのお茶を飲んだせいで……。
葬式は二人同時に行われたらしく、どちらも大勢の参列客が訪れていた。
これだけの人たちに見守られながら、あたしと龍馬君は天国へと昇るのか……。ちょっと嬉しいかな。
「天宮……ゴメン。俺が萌先輩についていかなければ、こんなことにはならなかったはずだ。
お前まで巻き込んじゃって、本当に申し訳ない」
隣で白い服を身に纏い浮いていた龍馬君は、俯きながらそう告げた。同じように白い服を身に纏っているあたしは元気付けるために、少しおどけた口調で話しかける。
「何言ってんの、あたしは龍馬君と一緒なら天国でも構わないよ。
離れ離れになったら、それこそあたしは本気で怒っていたけどね」
「天宮……ありがとな」
少し安心したような表情を見せた龍馬君は、あたしに向けて微笑みかけた。龍馬君は顔立ちが男らしいだけに、こういう可愛い表情を見せたときは本当に可愛いのだ。
「龍馬君……最後に一つだけ、お願いしてもいい?」
あたしは顔が赤らまないように気をつけながら、龍馬君に尋ねる。
「あぁ、何でも言えよ! ……どうせもう死ぬ身なんだからな」
何だかやけくそ気味に言い放った龍馬君を上目遣いで見つめながら、いつもより優しい口調を心がけて口を開く。
「じゃあ、さ……あたしの事、名前で呼んでくれない?」
「なんだ、そんなことか。エヘン……聖子、俺たち、もう死ぬんだな」
久しぶりに聞いた響きに感動を覚えながら、あたしは最高の笑顔で返事をする。
「そうだけど……大好きな龍馬君と一緒に死ねるなら、本望だよ?」
その言葉を聞いた龍馬君は、あたしよりも盛大に赤面させた。
その反応が面白くて、あたしは追い討ちをかけるように実体無き体に寄り添った。
「ちょ、な、何だよ?」
「あたしね、ずっと龍馬君の事が好きだった。
初めて出逢って、あたしを上級生から助けてくれて、それからずっと好きだった。大好きだったの。
……龍馬君は、あたしの事、好き?」
生前ならば言えないことを大胆に聞いてみる。どうせ死ぬ身なのなら、言いたいことはきちんと言ってしまわないと、未練が残ってしまいそうだから。
龍馬君は顔を逸らしつつ、小さな声で答える。
「俺は……好き、だ」
「声が小さくて聞こえないんだけど……ねぇ、どっち?」
あたしがさらに追い討ちをかけると、龍馬君はあたしの目を見据えて叫んだ。
「好きだっ! 俺は、聖子の事がずっと好きだった!」
今度はあたしが赤面する番だった。
そんなことをストレートに言う人間じゃないと分かっているけど、それでも気持ちをはっきりと伝えてくれたことがとても嬉しい。
「……ホントに?」
「当たり前だっ! もう一度言ってやる! 俺は聖子が大好きだっ!」
不意に、眩暈がした。幸せすぎて死んでしまいそうだ。もう死んでいるけど、精神的に。
「龍馬君……じゃあ、それを証明してくれる?」
あたしは調子に乗って、またしても爆弾を投下してしまった。後先考えずに言った言葉だったけど、証明っていったい何をされるのだろう?
そんな事を考えているうちに、龍馬君は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、あたしの目の前まで顔を近づけた。
「……目、閉じてくれないか? 恥ずかしいから」
「ふやぁっ……うん」
感触は無いけれど、今のあたしの心拍数はすごいことになっているだろう。
目を閉じると、龍馬君の顔が少しずつ近づいてくる。後一センチ程で触れ合ってしまう。
「んっ……」
静かに待つあたしの唇に龍馬君の唇がそっと近づき――。
「はよ起きんかいコラぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「きゃあっ!」
あたしは文字通り飛び起きた。
先程の葬儀場は何処にも無く、視界にはあのピンク色の風景が広がっていた。
目の前には先輩の、そばかすだらけの顔。
「あれ……あたし、死んだはずじゃ?」
あたしの言葉を聞いた先輩は、涙を目元に少し浮かべながら喚いた。
「そんなわけあらへんやろ! ホンマに死んでもうたかと思ぅたやんけ!」
「あっ……それはすみませんでした。それより、龍馬君は何処に?」
先程から姿が見当たらない。あたしと同じようにあのお茶を飲んでいたので、きっとあたしみたいに気絶しながら夢を彷徨っていることだろう。
「龍馬なら天宮ちゃんの隣でぐったりしとるわ……なんでやろな?」お茶のせいです、先輩。
「はぁ……龍馬君の言っていた言葉の意味が分かった気がする。先輩っていつも、こんなに苦いお茶を飲んでいるんですか?」
あたしの疑問に、先輩は複雑そうな表情をして答える。
「こんなに言ぅ ても、そない苦くない茶葉を選んだつもりやったんやけどなぁ……。
二人して気絶するとか、ちょいとオーバーちゃうん?」
「……それだけ未知の領域なんですよ」
あたしは溜息をつきながら、改めて湯飲みの中身を見てみる。
見た目は何の変哲も無い緑茶なのに、飲めば衝撃的な不味さだった。そうでなければ、あんな夢を見るわけが無い。
「あーあ、あれは夢だったのかぁ。現実だったら良かったのに」
あまりに恥ずかしいけど、それでもいい夢だったと思う。普段の龍馬君があれくらい積極的だったら、あたしもこんなに悩まなくて済むのにな……。
「ん、どうかしたん?」
「な、なんでもありませんよ? あはは~」
訝しげな表情で尋ねてきた萌先輩に、あたしは慌てつつも愛想笑いで返した。
気絶している間にもあんな想像|(妄想?)をしていたなんて、口が裂けても言えない。
「ふーん……ま、ええけど。
それより、さっき気絶しとる間に〝ずっと龍馬君の事が好き〟とかブツブツ言っとったんは、龍馬に言うてもええんかいな?」
「わあぁぁぁぁっ! ダメっ! 絶対ダメですっ!」
うぅ、最悪だ。どうやら夢の中の会話は先輩にダダ漏れだったらしい。
一体何処まで聞いていたのかは、尋ねたらきっと墓穴を掘りかねないよね……はぁ。
あたしの叫び声に反応したのか、隣で龍馬君がビクッと跳ねた。あたしが慌てて跳び退るのと同時に、先程のあたしと同じように跳ね起きた。
「はっ! ……あぁ、もう少しで爺ちゃんに追いつくところだった」
渋い表情を浮かべた龍馬君は、落ち着こうと再び湯飲みを持ち上げ、先程の衝撃を思い出したのか慌てて湯飲みを机の上に置いた。心なしか、息切れしているように見える。
「龍馬も大丈夫か? まさかウチの淹れたお茶で気絶するとか思わんかったわぁ」
「すみません。警戒を怠っていた俺の責任です……」龍馬君、ソレ軽く嫌味だよね?
そんな恐怖のティータイムも終わり(お代わりするかと聞かれたが勿論全力で断った)、話は幻界の話になった。先輩は興味津々な様子で色々と尋ねてきて、それをあたしと龍馬君が答えるという形だった。
「ふむふむ……要はその世界じゃ想像すれば何でも出来るっちゅうことやな!」
「まぁ、そういうことですね。でも想像するだけじゃダメなんですよ――」
想像を具現化する方法や、想創の種類、さらには種族の話などを長々と話した。先輩は少し首を傾げて唸っていたけど、分かってくれたと信じたい。
「……まぁ、大体は分かったわ。ほな、早速〝幻界〟に行こかぁ!」
急に拳を突き上げて叫んだ先輩を見て、あたしも龍馬君も苦笑した。
「一応所有者はあたしたちなんですからね? ……ちょっと待ってて下さい」
あたしは鞄からミカドを取り出すと、机の上に置いてページを開いた。先輩が興味深そうに眺めていると、黄ばんだ紙に文字が浮かび上がった。
『ふむ、今日は三人か。ならばまず萌の〝リーダーネーム〟を決めなければならないな』
リーダーネーム、つまりあたしたちで言う〝ペンネーム〟のようなものだろう。先輩はまたしても首を傾げていたが、言葉で言うより実際にやったほうが早いだろう。
「そうだね。じゃあ……この前みたいにミカドの作った空間に行けばいいのかな?」
『その通り。流石セインは話が早くて助かる』
そんな言葉を浮かび上がらせると、それを消してさらに文字を浮かび上がらせる。
『我らの世界を、その身を以って確かめたいか?』
「「はい」」
あたしと龍馬君は。息を合わせてすぐに答える。
「あっ、も、もちろんや」
先輩も、ワンテンポ遅れつつもきちんと答えた。
『では、行くがよい』
あたしたち三人は想創光に包まれると、すうっと体が軽くなりミカドの中へと入り込む。