エピローグ①
……あれから、どれほどの時間が経ったのだろう。
確か、モノストロスの巨体を貫いたところで、俺は体力が切れて気絶してしまったはず。
「……はっ!」
そうだ、処刑はどうなった? あの混乱具合からして、シュンが殺されることはあり得ないと信じたいが……真相が分からない以上、ぬか喜びも出来ない。
「あっ、リュウ……おはよっ」
「おは――痛っ!」
何だろう、頭がガンガンと痛む。偏頭痛のような感覚を我慢しながらも、現在の状況を改めて整理してみることにした。
俺が今まで横たわっていたのは、やけにふかふかなベッド。周囲を見渡してみると、見覚えのある緑色の壁紙。窓の外には、夕焼けの沈み行く水平線が見えた。
ここは……〝カモメの巣〟なのか?
あれだけの騒ぎを起こしておいて、この宿にまだ泊まっている……ということは、つまり。
「……シュンは、無事なんだな?」
「ふふっ、やっぱり聞くと思った。あたし以外は、みんなそれぞれのベッドで寝てるよ~」
セインの言う〝あたし以外〟にシュンが入っている事を確認し、やっと安堵の息を吐くことが出来た。どうやら、俺たちはシュンの奪還に成功したらしい。
しかし、それだけではこの状況が分からない。どういう経緯で、俺はこのベッドに横たわっていたのか、そしてあの混乱を極めた事態を収拾したのか。
「その顔、リュウってば色々考えてるでしょ~?」
「……ご明察。だったら、話は早いよな?」
「そうだね。じゃあまず、あの後モノストロスがどうなったか、から話そうか――」
「「〝絶対零度(アブソリュート・ゼロ)〟!」」
二人の叫びとともに、右手の想創光がデスピルに向けて放たれた。それは一条の光となってデスピルの中心を貫き、同時に粒子となって掻き消える。
カキンッ!
一瞬の出来事だった。凝縮された光が膨張したかと思うと、デスピルの周囲が真っ白になる。同時に響く甲高い音、それは空気が凍てつく音だった。
凝結した空気はデスピルを飲み込んだまま一塊の氷と化し、真下――すなわちステージへと落ちる。
ガンッ! という鈍い音と共に落ちた巨大な氷は、シュンが捕らえられていた断頭台へ直撃、粉々に砕いて押し潰した。
上空五メートルもの高さから落ちているのに、氷が砕けた様子は見受けられない。きっと、あれがザックの決意の〝硬さ〟なのだろう。
落下の衝撃と共に冷気が周囲を包み込み、薄く霧を発生させた。しばらく視界は真っ白だったけど、優しく吹き抜けるそよ風が霧を晴らし、徐々にステージの現状が明らかになる。
まず目に入ったのは、巨大な氷の塊だった。透明度の高いそれは、自宅の製氷機で作られた氷とは違う、クリスタルのような輝きを放っている。
そしてその中央には、先ほどまでシュガーや街の人間を苦しめていた黒い霧、デスピルが存在していた。しかしザックの想創した氷塊に閉じ込められていて、微動だにしない。
その様子を見たあたしは、思わず安堵の息を漏らした。
――終わったんだ、この戦いは。
そう思ったのはあたしだけでは無かったらしく、ラナもザックもほっとした様子でお互いを見合っていた。あれだけの想創を行ったからか、かなりの疲労の色は見える。
よく頑張ったね……あとはあたしに任せて。内心で呟きながら、あたしは氷塊の上空まで高く飛翔する。
あたしの柄ではないけれど、この状況を締めくくるのは、きっとあたしの役目なんだ。
「全員、よく聞きなさい!」
いきなりの命令口調に、広場にいる誰もがこちらに注目した。今のあたしはあくまでも天使、厳かな雰囲気を醸し出さなくては説得力に欠けてしまう。
内心で広場の人々に謝りつつ、あたしは厳しい口調を意識して続ける。
「先ほどの戦い、皆さんもしかと見届けたはずですね? ……あなたたちの本当の敵は、雑種なんかじゃない。デモリショナーなのです!」
緊張感で心拍数は上がる一方だけど、不思議と言葉はすらすらと出てきた。
そんな自分に驚きながらも、更に人々へと訴えかける。
「ここにいる二人の雑種……彼らはあたしの仲間です。出会ってまだ一週間も経っていない、けれど深く結ばれた絆の下、一緒に旅をしてきた仲間。かけがえのない存在。
……この世界の人々が何故雑種を畏怖し、差別するのか、あたしには分からない!」
あちらの世界で龍馬君がしてくれたように、自分の気持ちを人々にぶつける。少し言葉が幼い子供の喚き言みたいになるが、そんなことは気にしない。
「見た目が違うから? 二つの種族を跨いだ種族だから? 昔から差別してきたから? ……そんな理由で雑種を差別するのなら、一度頭を冷やしなさい!」
あたしの叫び以外には、遠くから響く潮騒しか聞こえない。街の人々は誰もが俯き加減で黙り込み、騎士団の連中もあたしから目を逸らしている。
「この街の人々が雑種を嫌う理由は、街が雑種に襲撃されていたからだそうですね? ……けれど、話を聞いていた限り、雑種だけに否があるとは思えません。
あなたたちがこの広場で雑種を殺し、快楽を得ていたことで他の雑種の怒りを買った。そうは考えられませんか?」
あたしの言葉に、所々から息を呑む声が聞こえてきた。本当はこの街の人々も、薄々は勘付いていたのかもしれない。
すなわち、元は一緒に過ごしていた種族だったのに、純粋な種族が雑種を嫌い始めた。それが雑種にも伝播してしまい、雑種も純粋な種族を嫌ってしまった。
お互いがお互いを嫌い合う負の連鎖から、今の人々は抜け出せないでいるのだ。
だからこそ、あたしたちがその連鎖から解き放ってあげる。元通りにしてあげるんだ。
「……今ならあなたたちも分かるはず。この二人のように、雑種にも人を思いやることは出来るし、一緒に戦うことも出来る。あなたたちと同じ心を、雑種だって持っているのです!」
「…………」
街の人々は相変わらず無言で、俯いたまま反応を示すこともない。あたしの言葉が心に届いているのか、ものすごく不安になる。
「……セイン、俺から話をさせてくれないか?」
そんな時、真下にいるシュンから声が掛かった。高揚の杓文字を地面に付きたてて立つ様は、心なしか仁王を彷彿とさせる。
あたしが無言で頷くと、シュンは軽い跳躍で氷塊の上に立ち、静かに語りだした。
「……さっきも話したとおりだが、俺は純粋な人間が嫌いだった。そんな考えも、元はといえば小さい頃に、純粋な人間に石を投げられてから抱き始めたんだがな。
……彼女の言うとおり、俺たち雑種が少なからず他の種族を嫌うのは、そちらに嫌われ差別されてきたからだ」
こちらからはシュンの表情を仰ぎ見ることが出来ないが、きっと悲痛な表情をしているのだろう。疲労も相まって、話し声が時々掠れている。
「だが、リュウやセインと共に過ごして、実際はそんなに悪くないものだと思った。
こんな外見だとしても、受け入れてくれる人が一人でもいる……その事実がどれだけ俺の心に響いたか、言葉では言い表しきれない。純粋に、嬉しかったんだ」
シュンの言葉を聞きながら、シェイディアで出会った女性と二人の女の子を思い出す。別れ際に見せた屈託のない笑顔……あの輝きは、シュンでなくとも心を動かされるはずだ。
「その時になって初めて気が付いた……悪いのは純粋な人間ではない、と。
詳しくは語れないが、この世界の脅威を目の当たりにした俺は、もう純粋な人間を嫌うことはない。本当に嫌うべきは、この世界を根本から変えたデモリショナーである……そう確信した」
そこまで言うと、おもむろに杓文字を両手で構えた。想定外の行動に、あたしは少しだけ焦りを覚える。
いきなり暴れるとか……するわけないよね?
「その証拠を、今から見せてやる……想創! 〝希望の刃〟!」
発声と共に、先ほどと同じ光の刃を想創した。そういえば、あの刃のことをあたしはよく知らない……一体何なのだろう?
ふと浮かんだ疑問は、直後にシュンの口から語られる。
「はぁ……こいつは、どれだけ斬っても絶対に傷を負わせない刃だ。わざわざ実証しなくても、さっきの光景を思い出せば分かるはずだ……この想創の原動力は、仲間から教えてもらった、〝生きる希望〟だ。
誰も殺さず、大切な人を守ることに真っ直ぐなアイツから教わった、俺の本心の体現でもある」
アイツ……言うまでもなく、リュウのことだろう。彼の行動が、シュンをここまで成長させていたなんて思いもしなかった。同じ仲間として、少し嬉しく思う。
そこでシュンの想像力が限界に達したのか、光の刃はあっさりと消えてしまい、シュン自身も氷塊の上で跪いてしまった。
あたしが慌てて近寄ると、シュンはこちらを見て首を横に振り、〝後は任せた〟と言いたげな表情を見せた。
あたしは数瞬迷ったけど、小さくこくりと頷いて、視線を聴衆へと戻す。
「……今の言葉を聞いたのなら、あなたたちも考えを変えることが出来るはず。
全ての雑種が彼のような想いを抱いているとは、流石にあたしも断言は出来ない。
けれど、最初から悪と決め付けることが、また憎しみ合いの連鎖を生み出すことを……忘れないで」
――これでいい。あたしの言いたいことは、全て言ったつもりだ。
その安心感からか、急に涙腺が緩み始めた。それはもちろん悲しみに起因するものではない。純粋に、達成感がそうさせているのだろう。
パチッ。
ふと、何かが弾けるような音がした。静かに涙を流しながら鮮血の広場を見渡すと、涙で歪んだあたしの目が捉えたのは、こちらを見上げながら拍手を打つ宿屋のおばさんだった。
それは隣の人にも伝播し、次第に拍手の波が広がっていく。
パチパチパチッ。
あたしは驚きのあまり、思い切り目を見開いていた。
後ろで宙に浮いているラナに目配せをすると、こちらも魂の抜かれたような表情をしている。突然の出来事に、呆気にとられているみたいだ。ザックは頭をボリボリ掻きながらも、嬉しそうな様子を隠せないでいた。
パチパチパチパチパチパチ!
やがて拍手は嵐へと変わり、鮮血の広場を包み込んだ。よく見てみると、騎士団側でもあるアッシュやグレイグまで、遠慮がちながらも小さく拍手をしている。
エルザはまだ目を覚ましていないらしいが、起きていたらきっと彼女も、拍手をしてくれたに違いない。
――そう。気持ちを伝えれば、必ず人の心には届くんだ。
「みんな……ありがとう!」
精一杯の感謝を込めて叫ぶと、拍手の嵐は更に強まった。所々で歓声も沸き起こり、先ほどまでの殺伐とした雰囲気が嘘のようだ。
そんな空気に嬉しさがこみ上げ、気が付けば下にいるラナとザック、フェンリルに向けてVサインを送っていた。
ラナもノリ良く返してくれて、ザックは控えめに手を振る。フェンリルは呆れた表情ながらも、一応は喜んでいるようだ。
ひとしきり心地よい空気を噛み締めたところで、あたしはこの場を締めくくることにした。
「コホン……それじゃあ、あたしたち〝イニシエーター〟はそろそろ失礼します。
最後に、さっきも言った通りだけど、もう雑種を憎むのも、理不尽に処刑することも、止めてくださいね? なぜならこの世界は、〝生命あふれる希望の世界〟なのだから!」
少し気取って言い放つと、再び吹き荒れる拍手喝采の嵐。それを聞きながら、あたしは氷塊の上に倒れているシュンを抱え、地上に降り立つ。
ラナとザックが駆け寄ってくる中、あたしはシュンを地上に降ろすと、目を閉じて一言。
「ふぅ……想創。〝生誕種族〟」
すると、あたしの体を想創光が包み込み、一瞬にして消える。いつもの姿に戻ったあたしは眼鏡をかけ、手早く髪をゴムで縛ると、宿屋のおばさんを見つけて手招きした。
彼女も気付いたらしく、人込みを掻き分けながらこちらへと向かってくる。
やっとステージ前まで来たおばさんに、あたしは遠慮がちに尋ねた。
「あのぅ……そこで倒れている三人、一緒に宿屋まで運んでもらえませんか?
あたしたちも疲れているので、もう一泊したいなぁ~……って」
「あぁ、別に構わないよ。……お代はこの龍の子に免じて、今日もタダにしとくよ」
小さくウィンクするおばさんに内心で冷や汗をかきつつ、あたしは笑顔で返す。これで鱗のトリックはバレてしまったけど、本人は気にしてないみたいだから大丈夫……かな。
けれど、この三人をどうやって運ぼうか? ここにいるみんなは体格が小さいため、担いで移動するには少し苦労しそうだ。
そんな心配をよそに、おばさんは細い腕をサッと振る。すると、リュウ、シュガー、シュンの順番に宙へと浮き上がった。
あたしは驚きで開いた口が塞がらず、ザックは腕を組みながら一人で頷いて感心していた。
「アンタ……タダ者じゃねぇな。生物を三人同時に浮遊させるなんて、並みのエルフじゃ出来ないだろ」
「ふふっ、細かいことは気にするんじゃないよ。……それじゃ、行こうか」
流し目でザックへと告げるおばさんにドキリとしつつ、あたしとラナ、フェンリル、ザックは後を追う。
その光景を見ていた街の人々は、おばさんを見るや否や素早い動きで道を譲った。この様子だと、本当にタダ者じゃないのかもしれないな。
かくして、あたしたちは鮮血の広場を後にするのだった。




