第七章 ④
シュガーの慌しい声に反応して、あたしはすぐに彼女の指差す先、エルザと兵士のいる付近を見上げた。二人の背後にある空間から想創光が発生し、人の形に変化していく。
そして光が掻き消えると、そこには一人の男が立って――否、浮遊していた。
見た目はあたしたちと同い年くらいの好青年。全身を黒のタキシードとロングコートで包み、やや長めの髪は赤がかった紫色。いかにも執事のような姿だけど、どちらかといえば喪服にも見える。
光を湛えない虚ろな瞳が、彼から発せられる邪悪な気配を隠しきれていない。
「とりあえず、私にとってあなたは邪魔です。だから――消えてください」
唐突な宣言、兵士に突き刺さる黒い物体。それらがあたしの脳内で情報として取得された時には、既に兵士は想創光となって砕けてしまっていた。
あまりの早業に、刺された兵士も声を上げることさえ許されず、生き馬の目を抜くかのようにあっさりと殺された。
突然の悲劇に、誰もが言葉を失っていた。ただ一人、リュウを除いては。
「お前……昨日の昼間に影をけしかけた奴だな? やっと姿を現したか」
「ご明察。私の勝手な遊びに付き合っていただき、誠に感謝しています、リュウ」
「気安く人の名を呼ぶな。呼びたければ、まず自分から名乗るのが筋だろうが」
「これはこれは……申し遅れました。
私、デモリショナーの会長補佐を務めております、右腕のダルクと申します。以後お見知り置きを」
恭しく礼をした男は、笑ってこそいないものの楽しそうな表情でリュウを見た。会長補佐ということは、組織の中でもかなり身分が高いはず。
身分が高いということは、それなりに能力も高いに違いない。でなければ、想創光をほとんど発生させずに誰かを殺めるなんてことは、まず出来ないだろう。
「一応覚えといてやる。で、一体そいつに何をしやがった?」
「まぁまぁ、そう焦らないで下さい。とりあえず、先ほどの戦闘は見事でした。
私から見ても、賞賛に値する想創です。ですが……」
「……何だよ? 言いたいことがあるんならはっきり言え」
こんな状況でも会話が成立していることを不思議に思いつつ、あたしは黙って二人の会話を聞いていた。
ダルクと名乗った男は、しばらく言葉を濁していたけど、何かを決心したかのように大きく頷き、深呼吸をすると一息で告げる。
「ですが……正直申しますと、あなたはとことん甘いですね。どういう考えがあってのことかは知る由もありませんが、戦うからにはきちんと止めを刺さないといけませんよ?
息の根を止めてこそ、本当の決闘なのですから」
「……別に殺したくて戦っているわけじゃない。シュンを助けるために仕方なく戦っただけだ。
そんなことより、話の本腰を折るんじゃねぇよ」
次第に苛立ちを見せ始めるリュウに、ダルクは一層楽しそうな表情になる。口角が思い切り上がっていて、まるで笑いを堪えているような印象を受けた。
「おっと、それは失礼。えーと……あぁ! 彼女に何をしたのか、ですよね?」
「さっきからそう言ってるだろ。……早く答えろ、そいつに何をした?」
「何、とおっしゃられましても、私が答えるより見ていてもらった方が早いですから。
ほら、〝百聞は一見に如かず〟って言うじゃないですか」
その口調は丁寧でありながら、どこかリュウを弄んでいるような節が見えた。苛立つリュウを見て楽しんでいるその様は、あたしにしてみれば悪趣味極まりない。
あたしも気分が悪くなって、〝火の玉〟で撃ち落そうかと本気で考え始めた時、ダルクは今だ唸っているエルザの目の前に立つ。
何をする気だろう、と思いながら見ていると、真っ黒なグローブをはめた右手をエルザの胸に当てた。
「…………」
急に、広場が静かになった。ダルクの大胆な行動に、誰もが言葉を失っている。
「って、単なるセクハラじゃねぇかっ!」
その場にいた全員が思ったであろうことを、リュウがまるまる代弁して叫ぶ。
こんな大勢の人の前で、堂々と女性の胸を触るなんてどうかしている。今すぐ逮捕されるべきだ。
リュウの言葉を筆頭に、広場が一気に騒がしくなった。テンションの緩急が激しすぎる街の住民に呆れつつ、あたしはもう一度ダルクの行動を見る。
目を閉じながら胸を触っている――いや、単に添えているだけだ。だとしたら、一体何を……?
「想創。〝マインド・ドレイン〟」
小さな呟きと共に発生する想創光。それはダルクの右手を中心に輝き、エルザの胸の中へと侵入していく。
すると、苦しそうに唸っていたエルザが急に静かになり、彼女を覆っていた黒のオーラも消滅する。
……まさか、エルザを助けたの?
淡い期待を抱きながら見ていると、本当にエルザの黒いオーラを吸い取っているようだった。右手には凝縮された黒い塊が集まり、禍々しい空気を周囲に放っている。
完全に抜き取られたエルザは、そのまま気を失って真下に落ちていった。幸い素早く反応したアッシュが抱きとめたおかげで、大した傷を負わずに済んだみたいだ。
ダルクはというと、少し残念そうな表情で首を振っている。
「……ふむ、まぁこんなものでしょう。この程度ではまだまだ足りませんが、かのメルクリウス十世からこれだけ蒐集できたのなら、私としては満足ですよ」
足りない? 蒐集? 言葉の断片が頭の中を駆け巡り、彼の思惑を予測し過程を組み立てる。
もしもあの黒い塊が見た目どおり悪いもので、それをデモリショナーの会長補佐である彼が悪用しようとしたら……どうなる?
嫌な予感しかしない。早急に、打てる手は打つべきだろう。
幸い、ダルクはあたしの存在に気付いていない。先に仕掛けるにはもってこいの状況だ。
「……想創。〝火葬〟」
声を出来るだけ殺しての発声。もちろん、今の状況でこんなに大掛かりな想創はしない。
「……〝焦点型〟」
昨日覚えたばかりの想創が早速活きる。これなら相手に気付かれず攻撃出来るし、不意打ちにはもってこいだ。
……一応、一緒に修行してくれたバカ狼にも感謝しないと。
あたしの手元に集まる想創光を見て、咄嗟にシュガーがあたしの前に立ちはだかる。おかげで両手はダルクの死角に入り、彼の目に光が届かないようになった。
彼女の臨機応変さに驚きながら、心の中で何度か礼を言っておく。
さぁ、あの黒い塊をよーく狙え。あたしなら、絶対出来るっ!
矯正した視力を限界まで使い、遠くに見える黒い塊に焦点を合わせる。定まったところで、あたしは祈るような気持ちで手を握り、想創を発動させた。
光が掌中で弾け、微量ながら光の粒が周囲に飛び散る。
すぐさまダルクを見上げると、上手い具合に黒い塊を炎が包み込んでいた。時間が経つにつれて塊の体積は減り、じわじわと小さくなっていく。
気付けばリュウと視線が合い、驚きつつも嬉しそうにこちらに向けて親指を立てていた。
「くっ! ……一体、何事ですか」
一時は焦りを浮かべたものの、すぐにダルクは冷静さを取り戻す。半分ほどに削られた黒い塊を忌々しげに見ながら、左手を右手に重ねて燃える黒い塊を挟み込んだ。
ちりちりと何かが燃えるような音がしたが、それもすぐに止んでしまう。
「鎮火、しちゃったか……」
「セインはよぅやったで。せやから、あんまり落ち込むなっ」
前方から聞こえる励ましに頷きながら、もう一度ダルクを見上げる。
長いこと上を向いていると首が痛むが、生憎そんなことを言っている暇はない。
「……せっかく蒐集したというのに、酷いことをする。全く、誰がこんなことを?」
あの様子だと、何とか気付かれずに済んだみたいだ。とはいえ、気付いていない振りをしている可能性も考えられる。まだまだ油断は禁物だ。
「日頃の行いが悪いんじゃねぇか? ……そんなことより、それを使って何をする気だ?」
リュウも警戒心をむき出しにしながら、威圧的な口調で尋ねる。
対して、すっかり興ざめした様子のダルクはやれやれと首を振り、大事そうに黒い塊を抱えながら語り出した。
「何をする、と言われましても……私はただ、人から発生する〝負の感情〟なるものを具現化して、ありとあらゆることに活用しているだけですよ。
嫉妬、怒り、憎しみ、悲しみ、恐怖。これらは全て、こうして蒐集することで可視できるエネルギー体となるのです。
……想像力によってなりたつこの世界に於いて、このような感情は時に強力な力を発揮します。それこそ、人の心を侵食して増幅したり、異形なるものを生み出したり」
「……昨日の影も、それが生み出した異形なんだな?」
「左様です。まぁ、私は異形とも思っていないので、適当に〝影〟と呼んでいますが」
「そうかよ……んで、それを使って人々を恐怖と絶望に陥れる、って訳か」
リュウの表情はよく見えないけど、きっと怒っているのだろう。刀を持っていない右手が強く握られていて、腕もぷるぷると震えている。
今すぐにでも飛び掛りたいはずなのに、それを堪えて話を聞いているのも、きっとデーテに関する情報を聞き出すために違いない。
ダルクは少し困ったような表情をすると、頭を抱えながら話を続ける。
「あなたの言い方だと、まるでこのエネルギー体――デスピル、とでも呼びましょうか。まるで、デスピルそのものを用いて人々を恐怖と絶望に陥れる、そう解釈してしまいます。
ですが……残念ながら、これはあくまで手段、私たちの計画の序章なのですよ」
「序章、だと? ……その先にあるものは、一体何なんだ?」
神妙な面持ちで尋ねるリュウに対し、ダルクは饒舌になって更に続けた。
「やっと興味を示してくださいましたか! まぁ、全てをお教えすることは許されませんが、あえて一言で表現すれば……会長の復活、ですね」
「どう、いう……ことだ。あいつは、デーテは何処にいるんだっ!」
遂に押さえていた感情を剥き出しにして、リュウが思い切り吼えた。
怒りとも取れるその言動を見たダルクは、ニタニタと満面の笑みを浮かべる。
「さぁて、何処でしょうねぇ?
……そのようにして怒ってくれるのならば、私も最高機密をわざと漏らした甲斐はあるというものですよ!」
「くっ……そういうことか」
リュウが何かに気付き、思い切り表情を歪めて拳を更に握る。
鋭く尖った爪が鱗に貫通し、右手を暗い血の色に染めていった。
そしてあたしも、リュウの考えに遅まきながら気が付く。
ダルクの言った〝そのようにして怒ってくれるのならば〟という言葉。そして先ほどの長い解説。
それらから導かれる答え。つまり、自分が怒れば負の感情が発生する。そしてそれは、彼の蒐集しているエネルギー体、デスピルの元でもあるということ。
挑発されて怒りを顕にするということは、彼の手の平の上で踊らされているということなのだ。
「ほらほら、堪えない方がいいですよ? まだ規模が小さいので蒐集することは出来ませんが、あなたは中々の素質を持っている。いずれデスピルとして開花するでしょう」
「…………」
黙り込むリュウ。その目はぎゅっと閉じられていて、今にも溢れ出しそうな感情を押し殺しているようだった。
そんなリュウがやっとのことで絞り出したのは、消え入りそうなとてもか細い声。
「……そんなことして、楽しいのかよ? ……幸せなのかよ?」




