第七章 ①
「りゅ、リュウ……なの、か?」
「……お前、何者だ?」
「俺の名前はリュウ。ただの人間であり、こいつの仲間だっ!」
一瞬の出来事に、あたしは何が起きたのかを理解するまで、結構な時間がかかった。
最初のすさまじい音は、きっとリュウが猛スピードで駆け抜けた音。次に聞こえたのは、今ステージの上でリュウが片膝立ちしていることで説明がつく。
おそらくリュウは、シュンの首元へ振り下ろされる宝剣を受け止め、そして投げ飛ばしたに違いない。現に、エルザの手に握られていた宝剣は、アッシュの足元に転がっている。
やったんだ。リュウは無事、シュンを助けられたんだ!
「貴様ぁ……雑種に肩入れすることが、どれほどの重罪か知ってのことか!」
苦々しげな表情で叫ぶアッシュに、リュウは鬼の形相で睨み返す。その剣幕に、アッシュはたじろいで一歩だけ後退った。
「……うるせぇ。ちょっと特徴が違うからって、同じ命に対し生まれながらに罪を背負わせる。
お前らの方が、よっぽど罪が重いんじゃねぇのかよ!」
リュウの言葉に、あたしは心の底から同意する。
そう、命の重さは皆平等なのであって、姿や形が違うからといって変わることはない。
「お前ら、こいつの涙を見たんだろ? ……シュンにだってな、心はあるんだよ!
他の種族と一緒で、自分の為に、誰かの為に泣ける優しい心があるんだよっ!」
「だ、黙れっ!
雑種はこの世界で最も忌むべき存在、穢れなのだ! だからこそ――」
「アッシュ、口を慎め」
言葉を遮ってエルザが前に歩み寄り、アッシュを一度だけ睨みつける。すると、悪寒に襲われたように身震いし、腰が抜けたかのようにその場に崩れ落ちてしまった。
あの感じ、まさにあたしが昨日体験した、ザックの言う〝天迫〟って能力に違いない。
「……部下の躾がなっていなくて、すまなかった。
だが、彼の両親はとある凶暴な雑種の手に掛かり亡くなっている。それだけは……分かっておいて欲しい」
「そう、なのか……あんた、少しは話が分かるみたいだな。躾って言い方はともかく」
少しだけ安堵の表情を浮かべたリュウは、警戒を解かずに説得を試みる。
「それを踏まえた上で頼むが、こいつらは俺の仲間だ。だから……殺さないでくれ」
言葉は至ってシンプル。そして同時に、その場に正座すると頭を地面に付けた。
所謂、〝土下座〟という行為だ。
あたしたちの世界、特に日本では昔から使われてきた、誠意を表す最大級の手段。
リュウの行動に、シュンやザック、広場にいた人々はおろか、あのクールそうなエルザさえ目を大きく見開いていた。どうやらこの世界でも、土下座は通用するみたいだ。
「……お前の覚悟、しかと受け取った。
ならば、私とこの場で剣を交えてでも奪うことだって、想定の範囲内なのだろう?」
「当たり前だ。正直なところ、少しでも説得に応じてくれたことに驚いている」
「私だって、本当は――」
エルザが何かを言いかけたとき、ハッとした表情で口をつぐみ、大きく首を横に振る。
何か言ってはいけないことを言おうとしたように見えるが……もしかして、彼女は……。
「――いや、何でもない。
……さぁ、剣を取れ。そして、私たちから奪い返してみろ!」
「言われなくたって、そのつもりだ。……想創! 〝成長種族:龍人〟!」
叫びと共に発生する強烈な想創光に、広場の人々は誰もが目を伏せる。唐突に光が消えると、そこには見慣れたリュウの緑色の身体があった。
輝く銀色の毛、控えめに伸びた角、立派な牙と長い髭、体中を覆いつくす緑の鱗。そんな姿が、これ以上ないほど心強かった。
「な、なんだよ、あれ」「まさか……噂に聞く龍人ってやつじゃないか?」「雑種の中で最も希少性が高く、凶暴なやつだろ?」「それ以前に、成長種族って……」
ざわめく広場に、不思議とリュウに対する不満の声はあまり上がらなかった。
どうやら、成長種族の雑種、グロウ・ミックスに対しては寛容みたいだ。
そんなこと、あの火蜥蜴も言ってたっけ……やっぱり腑に落ちないな。
エルザは想創光に包まれているリュウを直視していたが、眩しそうな素振りも見せず、ただ興味深そうに一部始終を眺めていた。その表情には余裕が伺え、龍人の状態であるリュウを見ても、どこか楽しんでいるような雰囲気さえ醸し出している。
「ほぅ、少しは骨のある奴と戦えそうだ。……想創! 〝着装〟!」
張りのある声で叫ぶと、リュウのそれよりは穏やかな想創光が発生する。よく見るとそれは青いドレスの周りに集中していて、今までひらひらしていた輪郭が、滑らかな何かに覆われていく。
光がさっと掻き消え、姿を現したのは一風変わった装備のエルザだった。
頭部は光に包まれていないため、美しい金髪縦ロールのまま変わらない。
しかし胸部や肩部、スカートの周りには鎧のような鉄板が装着され、防御性能が一気に向上した。さらに手甲や脛当ても装備され、今までのように女王らしい厳かな雰囲気を残しつつ、騎士のような気品ある姿になった。
武装となるものは、左の腰に帯刀されている一振りの長剣。そして腰の部分に交差して巻かれている、革製のベルトに取り付けられたシースの中に見えるナイフ。耐久性に難があるのか、流石に先ほど用いた宝剣では戦わないらしい。
エルザの姿に心を奪われたのか、広場の人々は一斉に言葉を失っている。
そんなことは気にも留めず、静かに翼を開くと、一度だけ羽ばたいて宙に浮いた。
「……ここでは流石に動き回れないだろう。今回は空中戦で勝負をつけようじゃないか」
「空中か……ま、いいぜ」
想定外の出来事だったのだろう、リュウは少し焦っている様子だ。
一応意識的に空を飛ぶことは可能だが、戦闘となると話は違ってくる。剣を振りながら空を飛ぶということはつまり、この世界では意識と体の動きを切り離すということ。容易なことではないはずだ。
対してエルザは、この手の戦闘に慣れていると見える。リュウの焦りを感じ取ったのか、その表情には勝利を確信しているかのような、獰猛な笑みを浮かべていた。
気品ある風格だからもう少し強かな反応を見せるかと思ったけど、予想以上に好戦的だ。
遅れてリュウも一度ジャンプすると、そのまま浮遊状態に入る。まだお互いに武器は抜いていないし、あの天使が不意打ちをするとも思えないから、すぐに戦うことはないはず。
きっと二言三言交わしてから、騎士道よろしく構えを取って戦闘に入るのだろう。
上空三メートル程にまで上昇すると、ゆっくり羽ばたいて高度を維持しつつ、エルザは鋭い目つきになって口を開く。
「……お前からは、悪の気配を感じない。だが、この世界のルールに背いたのには変わりない。
故に……手加減するつもりはないと思え」
「はぁ……先に言っとくけど、俺は本気で手加減するからな?」
「……何だと?」
「だーかーら、俺は女性相手に本気で剣を向けたりしないって、そういうことだ。
頭の中ではせいぜいお前を無力化するとか、そんなことしか考えてねぇぞ?」
……やっぱり、リュウはあの坂本龍馬君なんだな。
このやりとりを聞いていて、すぐ頭に浮かんだのはこのフレーズだ。本当に、女性に対してはどこまでも優しいというか、甘いというか……簡単に言えば、極端にフェミニストなのだ。
そうじゃなきゃ、〝本気で手加減〟なんて妙な言い回しはしないはず。
まぁ、そんなところも含めてあたしはリュウが好きなんだけどね。
「ふっ……面白い。私を少しでも本気にさせたこと、後悔させてやる」
ぽわぽわと妄想が頭の中に広がり始めたけど、エルザの凄みを利かせた声によって現に引き戻される。
表情一つ変えずに言い放つところが、何ともいえない緊張感を生み出していた。
リュウなら勝てる、そう信じている。
けど……相手は女性。少しだけ心配だ。
「私の名はエルザ=メルクリウス! 水星の大天使ミカエルの下に生まれし血族、メルクリウス家の末裔であり、グランドヴェース王都ミスティナの王位第一継承者、兼王都軍第一騎士団隊長だ!」
腰から長剣を抜き取りながら自己紹介。これが彼女の、騎士としてのスタイルなのだろうか。
その後の無言にリュウも何かを感じ取ったのか、上空で軽く半身に構える。
「俺の名はリュウ! ……身分は特になし!」えぇ~……何かカッコ悪いなぁ。
あっさりとした自己紹介に、流石のエルザも怪訝そうな表情を隠しきれていない。
大真面目なつもりなのだろうけど、アレはちょっとした挑発にしか聞こえないよ……。
「……ならば浪人とでも解釈しておこう。さぁ、貴様も剣を取れっ!」
リュウの呼称が〝お前〟から〝貴様〟になったことがものすごく怖い。しかし、当のリュウは全く気にせず、左手を前に突き出すと目を瞑る。
「……想創! 〝龍刀龍尾〟!」
渾身の気を込めて発せられた声。それは丸く囲われた広場に反響し、数回こだまをした後に余韻を残して消え去る。
同時にリュウの左手には、昼間の太陽にも負けないほど輝く想創光が発生し、徐々に刀の形を成していく。
「…………」
先ほどまで殺気立っていた広場の人々も、リュウの想創光が眩しいにもかかわらず、無言で想創の様子を見ていた。
単純にリュウの無謀な挑戦を好奇の眼差しで見ているのか、リュウの想創光に心を奪われているのか、またはさっきの行動や言葉が心に響いているのか……。
想創が終わったのを感じ取ったリュウは、左手を上段に持ち上げると、半身のままエルザに向けてさっと振り下ろす。
その軌道上で想創光は掻き消え、エルザの眉間の延長線上に切っ先が向いたとき、淡く輝く緑色の刀が姿を現した。
遠目に見ると、リュウの刀は鍔の無い木刀にも見える。しかし目を凝らして観察してみれば、刀身には細やかな鱗がびっしりと生えているのが確認出来る。
峰にはリュウと同じ銀色の毛が生えていて、柄の部分はなんと艶のある白い骨で出来ていた。魚のように幾つもの関節が見え隠れしていて、外見的には少し心許ない感じもする。
それでも、あれがリュウの辿り着いた究極形。
デーテに止めを刺した、己が信念を貫き通す武器。
そして、この世界の危機を救った奇跡の一振りなのだ。
「最初の一太刀はあんたにくれてやる。さぁ、掛かって来い!」




