第六章 ④
三十分後、宿屋に戻ると、セインたちは一足早く食堂に向かっていた。
体を動かしたことにより、俺の空腹感が限界まで高められている。今日の朝食は美味しく食べられそうだ。
食堂に入ると、昨日と同じテーブルに、昨日と同じ配置で座っていた。空いている席は二つあり、どうにも作為が感じられる。
心なしか、セインとシュガーがこちらをじっと見ていて、俺たちの様子を窺っている気がする。
俺とザックは、目配せをするとニヤッと笑い――昨日と別の席に座った。
「あぁ~……ウチの負けかぁ」
「ふふっ。だからあたしの方が、リュウに詳しいんですって」
シュガーは残念そうに机に伏せ、セインは満面の笑みを浮かべている。おそらく、俺がどのような行動を取るのか、予想して賭けでもしていたのだろう。
この様子だと、言うまでも無くセインの勝ちだ。
「やれやれ……さて、今日の朝食は何かなぁ」
しかし今関心があるのは朝食なので、反応もそこそこに水差しからコップに水を注ぐ。
軽く汗をかいた体は水分を欲していたので、普通の水もとても美味しく感じた。あるいは、元から美味しい水だったのかもしれないが。
「お疲れ様~。で、どんな稽古をしてきたの?」
興味津々という雰囲気を隠さず尋ねてくるセインに、俺は小さく手を振って簡潔に答える。
「ちょっと素振りしてから、ザックと半ば本気でやり合った」
さらりと答えると、セインは大仰に驚く。急いでザックに視線を向けているが、彼も冷静に小さく頷き、そして俺に鋭い視線を向けてきた。
「ったくよぉ、ウォーミングアップとか言ったのは何処のどいつだって話だ。
あんだけガチでやり合ったら、稽古どころか模擬戦だっつーの」
犬歯を剥き出しにして唸るように言い、コップに注がれた水を呷る。ザックも俺と同じ感想を抱いたのか、嬉々としてコップの水を飲みまくっていた。
あっという間に飲み終わると、水差しから新たに水を追加し、更に飲み続ける。
「ぷはぁ~……ここの水は最高にうめーなぁ!」
全く同感だったが、あれだけ飲んだら水っ腹になるんじゃなかろうか?
もうかれこれ十杯は飲んでいる気がするが……気にしても仕方ないか。
一同が呆れて見ている中、俺は話の流れを元に戻す。
「ま、あれだけ動けば流石に満足だ。
改めて戦ってみれば、木刀でも金属製の小刀と真っ向で切り結んでも問題なかったし」
「えぇ~? 普通は木刀の方が真っ二つになるんじゃ……」
セインの疑問はもっともで、俺も当初はそうなると思っていた。
故に、昨日襲撃されたときは本気で攻勢に出られず、結果として苦戦することになったのだ。
「普通はそうなるさ。けど、ザックによれば想創の物理において、〝想像力の密度〟ってのが物質の強さを決めるらしい。
俺の木刀は、想像力の密度が金属と同程度だったみたいで、思い切りぶつけても真っ二つどころか、刃こぼれ一つしなかったよ」
一気に話すと、もう一度美味しい水を口に含む。
喉を通る水の清涼感が心地よく、本能的な幸せを噛み締めていると、シュガーがふと疑問を口にした。
「ほんなら……ウチのハリセンも金属に勝てるっちゅーことも、あり得るんか?」
「うーん……どうなんだ、ザック?」
可能性としてはあり得るだろうが、一応この世界での先輩に聞いてみる。
しかし水を飲むのに夢中なザックは聞く耳を持たず、俺の隣で溜め息をついたラナが代弁した。
「……あり得ます。現に巻子本は紙製ですが、破る以外どのような方法でも消去出来ません」
「そうなのか? そんなに丈夫そうには見えなかったけど……」
口にしながら、シェイディアで貰った巻子本の手触りを思い出す。
手触りはいかにも紙だという印象を受けたが、よもやアレがそこまで丈夫なものだとは思わなかった。今にしてみれば、〝思い切り破れ〟と念押ししていたのは、この為だったのだろうか?
内心で妙に納得していると、シュガーもウムウムと頷いていた。
「そうかぁ……ほんなら、悪漢がナイフとか持っとっても安全やな!」
何がどう安全なのかは甚だ疑問だったが、気にしたら負けという気がした。
きっとシュガーは、ナイフさえもハリセンで受け止めるんだろうな。そういうことにしておこう。
そこで思考を止め、水を一口含むと、丁度良くお盆が目の前に飛んできた。それを筆頭に、続々とご飯や味噌汁、お新香、焼き魚などが運ばれてくる。
最終的に目の前に並んだのは、我が家でもよく目にする日本の朝食だった。
「さぁさ、若いんだからたくさんお食べ!」
おばさんの声を聞くと、皆一斉に手を胸に当て、食前の祈りを捧げる。
「「「「「我らの想像力の糧として、恵みを授かることに感謝を捧げん」」」」」
数秒間だけ静かな空間になるが、祈りが終わると全員が我先にと食べ始める。
俺とザックはガツガツとご飯を喰らい、女子一同はゆっくりと食事を楽しんでいた。
祈りの言葉がそのままの意味を持つとしたら、この食事は今日の活力になる。きちんと英気を養い、絶対にシュンを取り返さなければ……。
俺とザックがほぼ同時に食べ終え、そこからフェンリル、シュガー、セイン、ラナの順番で食べ終えた。
その頃合いを見計らい、おばさんは食器を手早く片付けていく。何度見ても食器が宙を舞うのは、面白いが不思議なものだ。
「お粗末さんだね。……さて、今日はどんな予定だい?」
机の上に何もなくなると、おばさんが俺たちに向けて尋ねてくる。
流石に正直に答えるわけには行かないので、努めて笑顔を作ると一言。
「そりゃあもちろん、昼に行われる雑種の処刑を見物しますよ」
軽々しい言葉に胸が痛んだが、それを気にする余裕など一切ない。俺はただ、シュンを取り戻すことだけを考えなければならないのだ。
俺の言葉に、おばさんは憎らしいほど柔らかい笑顔で返答する。
「おや、そうかい。私も昼には、鮮血の広場へ行こうと思っていたんだ。
……なんなら、街の案内も兼ねて一緒に行くかい?」
「えっと……俺たちは遠慮――」
「行くでっ! おばちゃん、ウチらを案内してくれへんか?」
作戦に支障が出るとまずい、そう思った俺はやんわりと断ろうとした。
しかしシュガーは、俺の思惑とは正反対の答え、つまり案内されることを選んだ。
「あいよっ! それじゃ、十時頃になったら私に声を掛けておくれ」
笑顔でそう告げたおばさんは、鼻歌交じりで厨房の奥へと引っ込んだ。
姿が完全に見えなくなったのを確認すると、俺は視線だけでシュガーに問いかける。
流石のシュガーは俺の疑問を悟り、人差し指を立てると教師のように解説を始めた。
「……リュウの言いたいことはよぅ分かる。けどな、あそこで誘いを断ったらおばさんからの心証を損なうやん?
それに、今回の作戦ではウチとラナ、フェンリルは人込みに紛れなアカンはずや。昨日思ぅたんやけど、人込みってえらく息苦しいし、はぐれる可能性もあるんよ。
せやから、この街に慣れとるおばさんに頼ったほうがえぇと思った、っちゅーわけよ」
「……言われてみれば、確かにそうかも」
相変わらずシュガーの説得力には、全く太刀打ち出来る気がしない。それは前々から分かっていたつもりだったが、今回もそれを思い知らされた。
「そーゆーこと。ほな、準備が整ったらウチとフェンリル、ラナはおばさんと一緒に鮮血の広場へ行く。
リュウとザック、セインは今朝言ったとおりの配置へ……大丈夫か?」
その場の全員が一斉に頷くと、シュガーも笑みを浮かべて頷く。
「ならえぇ……ご飯も食べたし、それぞれ準備しよか!」
パン、と拍手を打つと、各々の準備のために立ち上がって食堂を後にする。
準備といってもすることは心の準備くらいで、それ以外は特に無い。
暇を持て余すのも勿体ないので、ザックに向けて一言だけ尋ねる。
「なぁ……もう一回稽古しないか?」
「お前はアホかぁ! 体力を温存しろっつーの!」
案の定、本気でキレられたのだった。
それからの時間は、軽く木刀を振ったり、セインやシュガーと会話をしたり、なんだかんだで暇を持て余すことはなかった。
気が付けば時刻は九時五十分、そろそろ別行動を取り始める時間だ。
それはつまり、作戦の開始も意味する。
「さぁて、全員集合しやぁ!」
シュガーの号令を受けて、全員が俺たちの部屋へと集まる。
意外とリラックスしているようで、緊張感のようなものは誰からも見受けられない。士気は大分高まっていて、この様子なら皆全力を出すことが出来るだろう。
「よし、全員揃ったな? ……それじゃあ、俺たちはこれよりシュン奪還作戦を開始する。
先に言っておくけど……怖くなったら、別に逃げても構わない。その分は俺がカバーするから」
「ハッ、誰が逃げるもんか。そう言うリュウこそ、あのメルクリウス十世の強さにビビって、あっさりやられて来んなよ?」
前置きとして言ったつもりが、ザックに憎まれ口を叩かれてしまった。
ラナならともかく、ザックに関しては当たって砕けてきそうで、逆に心配なんだけどな。
俺は適当に苦笑いしておくと、皆の視線を浴びながら続ける。
「その代わり、と言っちゃあ何だけど……絶対に、諦めないでほしい。
万が一重傷を負ったとしても、誰かが倒れても、とにかく〝生きる〟ことだけは諦めるな」
神妙な面持ちで言うと、その場の空気が急に引き締まった気がした。
平和に慣れているからこそ、俺たちの行動は〝死〟と隣り合わせだということを、きちんと自覚しなければいけない。
言いたい事を全て言い終えると、今までの緊張感とは打って変わって、ニヤリと笑い目の前に手を差し出した。
「……それじゃ、いっちょ暴れるか!」
それを見たセインは我先にと手を伸ばし、そして俺の手に重ねてくる。
「そだねっ! 絶対に、シュンを取り返さなきゃ!」
次は意外にもラナが、遠慮がちにセインと手を重ねた。
「……皆の期待に添えるよう、頑張ります」
続いてザックが、ラナの小さな手に自分の手を重ねて不敵に笑う。
「俺ぁ絶対負けねぇ。どんな敵が来ようとも、全部討ち倒すっ!」
そして最後に、フェンリルを抱き上げたシュガーの手が一番上に乗る。
「いやぁ~……全然負ける気がせぇへんなぁ!」
「主の意見には同意だ」
それぞれが思い思いの言葉を口にし、重ねた手にぐっと力が入る。
重くのしかかる皆の手、そこから思いが伝わってくるようで、今までに感じたことのない一体感を覚えた。
俺は、このメンバーの命を背負わなければならない。俺が皆を信用しているのと同じくらい、俺も皆に信用されているから。
それは思いと共に、この重ねた手から伝わってきている。
全員の顔を順番に見ると、大きく息を吸い、締めの言葉を吐き出す。
「準備はいいな? ……せー、のっ!」
一度ふわりと上がった腕は、一気に下へ押し出され、そして重なっていた手が散らばった。
ここからは本格的に作戦開始で、シュガーたちとは別行動を取らなければならない。
「よし。シュガーとラナ、フェンリルはおばさんと一緒に鮮血の広場へ。
俺とセイン、ザックはとりあえず、人込みに紛れよう。……皆、上手くやってくれよ?」
「当たり前や! ウチらはえぇから、リュウは自分の心配せぇ!」
言葉と共に思い切り背中をどつかれると、よろめく俺を尻目に軽く手を振って部屋を出る。
笑顔をかませる余裕があるのなら、心配する必要はなさそうだな。
残ったメンバーはセインとザック、そして俺の三人。全員が視線を交し合うと、無言のまま頷いて部屋を後にする。




