第五章 ④
先ほどとは違う張り詰めた空気に、あたしは思わず体を震わせる。
隣にいるシュガーは依然として平静を保っており、微動だにするどころか微笑を浮かべていた。
「えぇよ。ウチはいつでも戦えるで?」
仁王立ちするシュガーからも、ラナを凌駕するほどの威圧感が放たれている。普段のあたしならそんな気配を感じられる体質ではないはずだが、この世界ではやけに敏感だ。
きっと想像力を基にしている世界だから、あちらに比べて精神干渉には敏感になるのだろう。
この感覚に早く慣れないと、心臓がいくらあっても足りる気がしない。
「……いい目だね。じゃあ私はシュガーと模擬戦をするから、セインとフェンリルはその場で見ていて。
私たちが終わったら、次はセインとフェンリルの番だから」
「う、うん。分かった」
「心得た……生意気娘、逃げるなら今のうちだぞ?」
何故か強制的にフェンリルと戦わされている気がするが、それを指摘する間もなくフェンリルの挑発にあたしはムッとして言い返す。
「ふんっ! それはこっちの台詞よ、ペット狼」
「ペッ……やはり容赦はしない。その生意気な性格を叩き直して――」
「ほれ、喧嘩は止めんか? 気ぃ散ってまうわ」
シュガーという鶴の一声に、フェンリルは即座に黙る。こんな大きな図体をしていても、シュガーにだけは逆らわないのだから不思議だ。
あのハリセンに何か秘密でもあるのだろうか?
「想創! 〝ハリセン〟!」
そんな考えを脳内で巡らしていると、シュガーも同時に想創を始める。
右手に集まった想創光は一瞬で形を成すと、すぐに光を掻き消して一振りのハリセンを出現させた。
「ウチに何が出来るかなんて分からん。頭やって悪いし、戦い方やってよぅ分からん」
ふとシュガーが口にしたのは、そんな弱気な言葉。
意味を解しかねた様子のラナは、疑問符を表情に浮かべる。
「――けどな、ウチかて今何をすりゃあえぇかくらいは分かる」
言葉と共に右腕をピンと伸ばし、ハリセンでラナを指した。
そして一層増した威圧感を放ちながら、鋭い視線でラナを見据えて言う。
「要するに、勝ちゃあえぇんやろ? そんで、強ぅなる。簡単な話や」
格好いい、あたしは思わず内心でシュガーの言動にドキッとしてしまった。
ファンタジーの主人公が言うような台詞なのに、今のシュガーには違和感を覚えない。
それだけ、強さを求める覚悟が固まっているのだろう。
シュガーの威圧感に片目を閉じつつも、ラナも薄笑いを浮かべて杖を構えなおす。
「……ふふっ、それだけで十分だよ。
その決意こそが、この世界で最も強い力になる」
決意こそが、最も強い力。ラナの言葉を頭の中で反芻して、あたしの心にも刻み込む。
あたしだって、強くなりたいから。
「だから、私も手加減はしないよ。……想創。〝フェアリー・ウィング〟」
ラナの静かな言葉と共に、背中の部分が想創光に包まれる。
次第に四本の光の筋になった想創光が形成されると、羽ばたきと同時に想創光が掻き消えた。
すると、ラナの背中には流線型の透き通った翼が二対で生えていた。
その存在を確認したラナは、軽く羽ばたいて宙に浮く。妖精なのだから翼くらいはあるだろうと予測していたが、まさか自由に収納出来るとは思ってもみなかった。
「……どちらかが一度でも倒れたら決着する耐久勝負。それでいい?」
「構わんよ。……絶対負けへんからな!」
最後の言葉は、威圧感とはかけ離れた無邪気な声だった。
表情も何処か楽しそうで、今から本気の戦いを繰り広げるとは到底思えない光景だ。
そもそも、あたしを含めこの場の皆はシュガーのポテンシャルを知らない。今まで行った想創なんて〝黄泉帰り〟と〝ハリセン〟くらいだ。
正直なところ、どれも戦闘向きとは思えない。
対してラナの想創は、今まで見ただけでも戦闘向けの想創が非常に多い。
遠距離から近距離まで対応している、まさにオールレンジ型の魔導師とも言える存在だ。
そんなラナに、果たしてシュガーは勝てるのだろうか?
「それじゃ、始めようか。……想創。〝ウィンド・スラスト〟」
先手を打つかのように、ラナが素早く呟く。
それを聞いたシュガーが左へ避けると同時に、強力な風が数瞬前までシュガーのいた位置に吹き荒れた。
この世界において、事象が起こる為には想創光がまず現れるはずだ。しかし、ラナの想創は想創光がほとんど見えなかった。
どれだけ使い込んで、どれだけ集中すれば出来る芸当なのだろう。今の一撃に手加減は一切無く、確実にシュガーを仕留めに掛かっているのがはっきりと分かる。
「危ない危ない……流石にウチとて、同じ手は二度も通用せぇへんで?」
そう、シュガーは以前に一度だけこの想創を受けたことがあるからこそ、予測が出来たのだ。初見だったら確実に吹き飛ばされていただろう。
とりあえず一撃決着で終わることは免れたが、シュガーが体制を立て直す頃にはラナも次の攻撃態勢に入っていた。
あたしが以前ラナとザックに対して使用した戦法、すなわち上空高くに飛び上がって相手の攻撃範囲外に出ると、杖を構えて静かに呟く。
「……想創。〝シルフィード・カノン〟」
高度をかなり稼いでいるので、もちろんシュガーにはラナの声が届かない。唯一の予測手段である音声が分からないシュガーは、表情をしかめつつもハリセンを構えて発声する。
「変化! 〝拡大〟!」
シュガーの想創に関する発声はシンプルなので、聞いている側としてはどのような事象が起こるか予測がしやすい。
構えていたハリセンを想創光が包み、どんどん大きくなっていく。
「……放て」
しかしシュガーの変化よりも早く、ラナの想創した風の砲弾が発射された。
見えない砲弾はあっという間にシュガー目掛けて飛んで行き――。
ズオォォォォォッ!
「くうっ!」
思わず小さな悲鳴を、漏らして目を逸らしてしまう。
地面に激突した風の砲弾が起こす衝撃の余波がこちらまで届き、あたしとフェンリルに向けて突風が吹き荒れたのだ。
突風は次第にそよ風ほどの弱さになり、あたしの目も正面を向けるようになる。シュガーのいた位置に目を向けると、何だかよく分からない白い物体がぺしゃんこになっていた。
そしてそれはもぞもぞと動いたかと思うと、下からシュガーがひょっこりと現れる。
……あの紙製のハリセンを大きくして、盾にしたということか。
「ふぅ~……倒れとらんし、一応セーフやろ?」
間一髪、という感じで冷や汗をかいているシュガーに、ラナは悔しそうな表情で小さく頷く。
それと同時に、ラナはまたしても杖を構えると少し時間を空けた後、小さく呟いた。
「……想創。〝シルフィード・カノン〟」
あたしはこれからラナが行うであろう想創に危機感を覚え、少しずつ後ずさりする。
あたしの予想が正しければ、ラナはこの後もう一言呟くはずだ。
「――〝トルネード・スタイル〟」
……やはり、あの想創をここで行うつもりだ。
確かに手加減はしないと言っていたけど、流石にこれはあたしでもやりすぎだと思う。
ラナの目の前に現れた球状の想創光はじわじわと明るさを増し、風の砲弾に竜巻の追加効果を付与させる。もう三秒も経てば、あの砲弾はシュガー目掛けて飛んでくるだろう。
「……アレはヤバイ。これでも防げんやろなぁ~」
徐々に出来上がりつつある想創に、シュガーは気の抜けた声でぼやく。
その表情にこれから飛んで来るであろう必殺の一撃に対する恐怖は無く、むしろその状況を楽しんでいる感じすら窺えた。
シュガーは大きなハリセンを両手で持つと、野球選手のように大きく振りかぶる。
それはまるで、風の砲弾を打ち返そうとしているような構えだ。
「……放て」
そんなシュガーには目もくれず、ラナは風の砲弾を発声によって撃ち出した。
「ウチがそれをウチ返す! ……って、そんなアホな洒落ちぃ~っとも――」
恐るべきスピードで迫り来る風の砲弾を目前に、シュガーはそんなことを呟く。
そして片足立ちで構えたまま前進し、眼前にある風の砲弾目掛けて――。
「――おもろないわぁっ!」
フルスイング。その言葉がぴったり当てはまるような強烈な一撃を、風の砲弾に浴びせる。
巨大なハリセンは風の威力とせめぎ合いながらも徐々に押し返し、シュガーがもう片方の足を地面に思い切り踏み込むと、遂に風の砲弾を打ち返した。
「……嘘っ」
打ち返された風の砲弾は、驚愕の表情を見せるラナ目掛けて一直線に飛んで行く。直撃すれば、いくらラナでもタダでは済まないだろう。
しかし幸か不幸か、風の砲弾はラナとシュガーのちょうど中間の位置で形状を変え、巨大な竜巻となった。
直撃こそ免れたものの、竜巻周辺の気流は乱れに乱れ、飛行中のラナは大きく体制を崩す羽目になる。
「くっ……」
体勢を立て直そうと翼を動かすラナだったが、こういう状況は初めてなのだろう。思うように体勢を立て直せず、徐々に竜巻へと引き込まれていく。
必死に抵抗を試みるも、遂に竜巻の中心へと巻き込まれてしまった。
「くぁっ!」
以前大量のスケルトンがリュウの〝龍巻(たつまき)〟で巻き上げられる光景を目にしているが、今回の竜巻は空中で起きている。そのため、上昇したり下降したりを繰り返して竜巻から抜け出すことが出来ない様子だった。
想創の効果が切れたのか、風の勢いは徐々に弱まり始めている。
だが長いこと巻き込まれていたラナは目を回しているみたいで、翼を動かすことも無く真っ逆さまに落ちてきた。
「さぁて……トドメやな」
ハリセンで風を防いでいたシュガーは、落ちてくるラナを確認するとハリセンを構え直す。そして腰溜めのまま数歩助走をつけると大きく飛び上がり、ラナが落ちてくるであろう地点に狙いを定めた。
タイミング良くラナが目の前に落ちてきたところを、ハリセンを大きく上段に振り上げ――。
「なんでやねんっ!」
またしても容赦無い一撃を浴びせる。
バシィッ! といい音を立てたハリセンを思い切り振り抜くと、ラナは数メートル下の地面に思い切り叩きつけられた。あまりの衝撃に、墜落したラナの周りにはクレーターじみた大穴が開いている。
シュガーはというと、振り抜いたハリセンごと前方に一回転して綺麗に着地していた。
余裕の表情を浮かべているシュガーに、あたしはラナを指差しながら口を開く。
「えっと……大丈夫かな? ちょっとやりすぎな気がするんだけど」
あたしが思うに、あのまま落下していれば勝負は着いていたはずだ。なのにシュガーは追撃をかけ、見事なまでにラナを叩きのめした。
――ここまでしても心が痛まないのだろうか、この人は。
「……えぇか、セイン。ラナは〝手加減はしない〟っちゅーて勝負を挑んだんや。
せやから、ウチはラナの本気に応えるために本気でトドメを刺した。もしあのまま墜落して負けやったら、ウチが倒したことにならんやん?
それって、ラナがすごく悔しいと思うんよ」
「……そう、だけど」
シュガーの言っていることは間違っていない。
けれど、あたしはボロボロになっているラナを目の前にして、その考えを受け入れられなかった。
そんなあたしの心中を悟ってか、シュガーは微笑を浮かべて話を続ける。
「〝強くなる〟っちゅーことは、こういうことやねん。
だって考えてみぃ? もし相手がラナやなくて悪漢やったら、セインやって容赦はせぇへんやろ?
……要するに大事なんは、自分の身を守るために〝甘さ〟を捨てることなんや」
「…………」
有無を言わせぬシュガーの説得力に、あたしは何も言い返せなかった。
この人は、いつでも何が正しいのかを分かっている。だからこそラナの本気には己の本気で応え、〝強くなる〟ために〝甘さ〟を捨てたのだ。
あたしはまだ、〝甘さ〟を捨てることが出来なさそうだ。
「……セイン。〝優しさ〟と〝甘さ〟は違うって、聞いたことあるか?」
「……っ!」
まるであたしの心を読んだかのように、シュガーが話題を切り出した。もう半分以上沈んでいる太陽を背に、仁王立ちしながら諭すように話し始める。
「セインはきっとえぇ子やから、誰も傷つけたくないんやろな。……でもな、傷つけたくないっちゅー考えは、今の戦いにおいて相手を最も傷つける凶器なんや。
ラナは戦闘慣れしとるから余計やけど、体のダメージよりも心のダメージの方が大きいと思うねん。体は放っといても治るけど、心は簡単には治らんからなぁ」
十六年というこの短い人生において、あたしはそこまで深く考えたことがなかった。誰かが傷つくのを見るのはとても悲しい、そんな当たり前の事を人生の中で周りから学んで、誰も傷つけないように今まで生きてきた。
でも、それは表面的に見た話だ。もしもシュガーの考えが世間一般の共通見解だとしたら、あたしの不用意な優しさ――もとい〝甘さ〟は何人の人を傷つけたのだろうか。
「ウチが言いたいんは、本当の〝優しさ〟っちゅーのはつまるところ、如何に相手の気持ちを深く考えるかっちゅーことや。
ただ甘やかすんは相手のためにならん、〝優しさ〟っちゅうんは時に〝厳しさ〟も伴うねん。……それだけ覚えとき?」
「……うん」
あたしとシュガーの違い、それは〝優しさ〟についての考え方だったのだ。
そしてそれは、あたしの弱さとシュガーの強さの違いでもあった。
――考え方一つで、人ってこんなに違うんだな。
「分かればえぇ。ほな、そろそろラナにも起きてもらわんとな」
パチンと拍手を打ったシュガーは、ラナの傍に寄ると小さく肩を揺らす。
すると数回唸ってから目を徐々に開き、体を起こすと妙に掠れた声で小さく問いかけた。
「……負け、たの?」
「せや、ウチの勝ち。とりあえず立ちぃ?」
状況が飲み込めていないのか、キョトンとした表情で差し出された手を掴んで立ち上がる。
あれだけ目を回せば、意識が飛んでいてもおかしくはないだろう。
しかし特別痛がっている様子も無く、あれだけの衝撃を受けても掠り傷一つ付いていない。ラナの体が丈夫だったのか、それとも――。
「ウチのハリセンなら大丈夫やと思うけど……怪我、しとらんか?」
「……うん。少し痛かったけど、それ以外は何ともない」
「少し痛いって……地面に穴が開くほどの衝撃なのに?」
あたしの問いかけに首を傾げたラナは、自分の倒れていた地点を見て目を見開く。
たった今気付いたらしく、慌てて体中を見渡すが傷は何処にも見受けられない。その光景を見ていたシュガーはというと、腕を組みながら得意げな表情を見せた。
「どやっ? ウチのハリセンは〝誰も傷つけん〟っちゅー考えをそのまんま想創しとるから、思っきり叩いても痛みはちょっとしか感じんはずや。
正直自信はあんま無かったけど、これで証明出来た訳やなぁ~」
犬歯を見せて笑うシュガーに、ラナは驚愕の色を見せた。最初は感情の起伏が少ない子だと思っていたけど、こうして見ると意外に分かりやすい。
「……無意識に交配想創(クロス・ジェネレート)が出来るなんて……」
「く、クロ……何やって?」
相変わらず英語に弱いシュガーは、首を傾げながらラナに問いかける。
そんなやりとりも慣れた様子で、苦い顔をしながらボソボソと解説を始めた。
「交配想創……シュガーはさっき、ハリセンに〝誰も傷つけない〟って想像を加えたよね。
それはつまり、物理の想創に能力の想創も織り交ぜたってことなの。消費する想像力が多すぎて、どの種族でも使える人はごく一部……すごい技術を使っているんだよ、シュガーは」
「ほぉ~……別にそないな意識はしとらんけどなぁ」
特別感動した様子も無く、飄々とした態度のシュガーにラナは深く溜め息をつく。
そりゃあ簡単にすごい技術をやってのける人物がこんなに無感動だと、最早羨む気も失せるだろう。宝の持ち腐れとか思っているに違いない。
「それよか暗くなってきたし、はよセインとフェンリルも戦わんと!」




