第五章 ③
急に真面目な表情になったシュガーは、フェンリルの背中から飛び降りるとあたしの背中、すなわちラナに向けて話しかける。
少し前から震えは止まっていたけど、気分が優れない感じは相変わらずだ。
「……あんなの、勝てるわけが無い」
小さく呟いたかと思うと、ラナは自分であたしの背中から降りた。
夕日に照らされた表情に生気が感じられず、あたしは少しだけ不安を覚える。
「えっと……勝てるわけが無いってどういうこと? 説明してほしいなぁ」
不安を表に出さぬように、表面上は少し明るく問いかけた。
そんなあたしに気を遣ってか、ラナは少し躊躇ってから微笑を見せる。
「……ううん、知らない方がいい。もしかしたら、皆は奇跡を起こせるかもしれないから」
何とも意味深な発言に、あたしは大きく首を傾げた。
どう考えてもラナの強がりだとは思うけど、そもそも何に怯えているのかが分からない。
「ラナがそう言うんならウチらは何も言わん。さ、はよ修行するでぇ!」
詳しく聞こうと思ったけど、シュガーの一言で何も言えなくなってしまった。
もしくは、シュガー自身があたしに何も言わせまいと先手を打ったのかもしれないが。
「そうだね。……始めに聞くけど、想創の種類は分かる?」
先程より少しだけ表情が和らいだラナは、いきなりあたしたちに問いかけた。
シュガーは難しそうな表情をして答えそうに無かったので、あたしが答えることにする。
「シュンから聞いた限りでは……物理(フィジカル)、魔術(マジカル)、あと能力(スキル)の三つだったと思う」
初めて幻界で出会ったシュンに、黒コートの火蜥蜴と戦った際に教えてもらった情報はこんな感じだろう。
あくまでこの三つは〝基本〟であり、シュガーが先ほど使用した変化はきっと〝応用〟の部類なのだろうけど。
「そう、それが想創の基本である三つ。
そもそも想創というのは、〝想像力で創造〟することだから、変化というのは想創に含まれないの。変化はあくまで〝実体あるものを変化〟させることだから、想創とは意味が大きく変わってくる。
……ここまではいい?」
とても分かりやすい説明だと感心しながら、あたしは無言で頷いた。
隣のシュガーは眉根を寄せて唸っていたけど、それでも一応小さく頷く。
「それじゃあ、ここからは本格的に戦闘向けの想創について説明するよ」
そのような言葉と共にラナの表情が険しくなり、その場に緊張感が漂い始める。
彼女は黙って後ろに三歩退くと、腰に差してある三本の棒を片手に持ち、それを勢いよく振った。すると棒は一瞬で連結され、右手には少し短めの杖が握られていた。
「おぉ~、なんか格好いいねぇ」
思わず感嘆の声が漏れてしまい、それを聞いたラナは顔をうっすら朱に染める。
その表情がとても可愛らしく、少し羨ましかった。
「エヘン……私は魔術と能力専門だから、教えられることだけ教えるよ。
物理に関しては、私よりザックのほうが得意だから」
それだけ言うと、ラナは杖を前方に突き出す形で構え、海の方向を向く。
一度水平線に鋭い視線を送ると目を閉じ、静かに想像した後、小さく声を発する。
「……想創。〝ナチュラル・ブレス〟」
言い終えると共に、ラナの周辺を薄い想創光が包み込む。
そして数秒後に穏やかな光が消えると、想創光に包まれていた空間から優しいそよ風が吹き始め、海の方へと吹きぬけていった。
しばらくして風が止むと、こちらに振り向いたラナは解説を始める。
「これが魔術の初歩。本来魔術とは戦闘で使わずに、自然的に起きるはずの現象を想像の力で発生させることなの。
だから、基本的には誰にも危害を加えることは無い」
そこまで言うと、ラナは苦虫を噛み潰したような表情になって説明を続ける。
「……でも、今の時代は危険が多い。一歩街を出てしまえば、そこは法の及ばない世界。
だからこそ、自分の身は自分で守らなければならない。そこで力の弱い妖精の間で編み出されたのが、戦闘用の強力な魔術なの」
そしてもう一度海の方向へ振り向くと、先ほどと同じ様に杖を構え、呟く。
「想創。〝シルフィード・カノン〟」
今度はラナの前方に球状の想創光が集まり、先ほどよりも眩い光を放つ。
そして想創光が消えると、彼女の目前には目視こそ出来ないが、すさまじい勢いの風が渦巻いていた。
「……放て」
ラナの呟きに反応して、渦巻いていた風の砲弾は海に向かって一直線に飛んでいく。あまりの風圧に、軌道上の海面が真っ二つに割れていた。
「……すごい」
これが妖精の戦闘用魔術……あたしの〝火の玉(ファイアー・ボール)〟にも負けないくらいの威力はあっただろう。
こんな小さな体から、あんな強力な風の砲弾が想創出来るとは予想外だった。
「……これが風妖精に伝わる、基本的な戦闘用魔術。
他の妖精も、それぞれの個性に合わせて色々な魔術を使えるけれど……私は風しか扱えない」
こちらに振り向いたラナは、少し自信なさげの表情をしていた。
あれだけの想創を出来るのなら、もっと自信を持ってもいいと思うけどなぁ……。
「イヤ……十分えぇと思うけどなぁ。これで基本やったら、応用はどうなるんや?」
シュガーの疑問はもっともで、あたしもそれは気になっていた。
ラナが以前シュガーに対して使っていた想創は、あれでも手加減だったはずだ。
もし彼女が本気を出したら、どのような想創になるのだろうか……すごく興味がある。
「……じゃあ、今から応用の一例を見せるよ」
すると今度は海ではなく正反対の方向、つまり草原に体を向けた。
先ほどと同じように杖を構えたラナは、目を極限まで細めて集中し、そして呟いた。
「想創。〝シルフィード・カノン〟」
聞き違い出なければ、今ラナが想創したのは先ほどと同じもののはずだ。応用を見せるはずなのに、間違えてしまったのだろうか?
しかし、その考えこそが間違いであると、次の一言に気付かされる。
目の前に集まっている想創光に照らされたラナは、更に言葉を付け加えた。
「――〝トルネード・スタイル〟」
想創光はその言葉に反応して、一度大きく鼓動を打って広がる。
しかし一瞬広がった想創光はすぐに凝縮され、更に密度の濃く眩い想創光になった。
そして想創光が消えると、見た目は先ほどと同じ風の砲弾が姿を現す。
「……放て」
ラナは草原の中でも、特に障害物がなさそうなところに狙いを定め、小さく呟いた。
すると、風の砲弾は雑草のみが生えている草原へと飛んで行き――。
ゴオォォォォォォォォッ!
「きゃっ!」
「な、何やっ!」
「…………」
あたし、シュガー、そしてフェンリルまでもが襲い来る風の余波に目を閉じ、顔を背ける。
なんと風の砲弾は遠くまで飛翔した後に、轟音と共に姿を砲弾から竜巻に変えたのだ。
そんな中でも、ラナは平然と渦巻く竜巻を眺めている。風妖精のなせる技なのだろうか。
「……これが中級魔導師レベルの応用で、〝形式変化(スタイル・チェンジ)〟の想創。
これは魔術や能力にのみ使用可能で、起こる事象を想創光の時点で変化させる技術なの。
最大のメリットは、一つの想創を幾多のバリエーションに増やせること。幾つもの言葉を覚える必要が無いし、想像しやすい事象から変化させることによって、時間短縮と想像力の節約になる」
「へぇ~……なんか格好いいなぁ。あたしもやってみていい?」
もう言葉からして既に格好いいし、どんな魔術を生み出せるか考えるだけで、どんどん想像が膨らんでくる。
こういう想像力を育む課題って、あたしはすごく好きだ。
「いいけど……まだやり方を説明してないよ?」
「せやせや。いっくらセインでも、説明ナシに出来るわけないやろ?」
「大丈夫っ! 方法はさっきのを見ただけで分かったからね~」
要するに、今までと違う点を真似すればいいのだ。
さっきの説明からしても、変化させるための要因は、ラナが最後に付け足した言葉に間違いない。
あたしは炎を扱うため、草原に向けて想創するのは論外だ。
海の方向を向いて、まずはあの姿になるために脳内で想像し、そして言葉に乗せる。
「想創! 〝成長種族:熾天使〟!」
体が想創光に包まれる温もりを感じながら、あたしは予め眼鏡を外す。
最初は視界がぼやけていたけど、想創光が消えると急に視界がクリアになった。
同時に体が浮き上がり、髪の毛を束ねていたヘアゴムも消失する。
「……天使様って、やっぱり綺麗」
「えへへ、ありがとっ」
ラナは天使が好きなのだろうか……もちろん褒められて悪い気はしない。
そんなことを考えてから、あたしは両手を前にかざすと、静かに想像を始めた。
今までは手を前にかざすという行動は無かったけど、ラナの想創が格好よくてつい真似してしまう。これの方が、なんか〝魔術発動するよっ!〟って感じがするし。
どうせなら、実用的な想創を考えるべきだろう。例えば先ほどのラナのように、ある術だと思わせて後発的に効果が付属する、不意打ち的な意味合いを持つ魔術。
少し考えて、いきなり無理はしない方が良いという結論に達したあたしは、この世界に来て初めて使ったあの想創を派生させることにした。
「……想創! 〝火の玉〟!」
言葉と共に、目の前に球状の想創光が集まった。ラナは確か、この時点で言葉を発していたはずだ。
強敵も一撃で倒せるような強い術に、そう思ったあたしはさらに言葉を付け加える。
「――〝爆発型(エクスプロード・スタイル)〟」
手の触れない位置にあった想創光が、言葉に反応して鼓動を打ち、少しだけあたしの手に触れる。
さっきも思ったけど、想創光とは意外と温かいものらしい。
即座に凝縮された想創光はあっという間に消え、目の前には見慣れた火の玉が浮かんでいた。
かざした手を離すと、無言で右手を振り上げ、そして前方へと振り下ろす。
その動きにつられて火の玉も動き、振り下ろされる手と同時に前方に発射された。
バシュッ――ドゴォォォォォォォッ!
小さく音を上げて発射された火の玉は、火の粉の尾を引きながら飛んで行き、爆発した。
しかし威力を無視して想創したので、その余波はあたしの想像を大きく上回るものだった。
爆発した数秒後に、強力な衝撃波があたしたちを襲う。
「きゃあっ!」
「うぎゃ~っ!」
「くっ……!」
「うおっ!」
ラナの時よりも激しい四者一様の悲鳴、そして爆発地点の海に見える巨大な窪みに、あたしはとんでもない想創をしてしまったと実感した。
これだけの威力なら、使い方を間違えれば街一つくらいは余裕で破壊してしまいそうだ……。
しばらく経って海の窪みも無くなり、衝撃波も収まると、あたしは呆気に取られている皆に話しかける。
「……どう、かな?」
どう、というのはもちろん想創の事だ。今後実戦に使えるのか、それ以前に形式変化の方法が合っていたのか、少しだけ気になった。
……まぁ、後者に関しては自信があるけど。
しかしその場にいる全員が一瞬黙り込み、そして同時に言葉を発した。
「やりすぎやろ~」「……やりすぎです」「やりすぎだな」
「うっ……善処します」
二人と一匹による集中砲火に、あたしは大きく項垂れるしかなかった。
確かにあたしだってやりすぎなのは実感しているけど、これだけ言われると流石に凹むなぁ……。
「……でも、実用性はともかく、形式変化に関しては完璧だよ。
正直、あれだけの規模に発展させるのは、上級魔導師どころか天魔導師クラスに匹敵する」
「天、魔導師?」
何だかすごい言葉が出てきた。頭の中で変換して〝天窓・牛〟と聞こえてしまったのは、恥ずかしいから誰にも言えない。
「天魔導師、それは妖精の中で頂点に君臨する〝天使〟に与えられる役職。
この世界で天使は特別な存在で、唯一この世界の住民を自分の意志で、無差別に裁くことが出来るの。
そんな天使の中でも魔導師の道を選んだものが、天魔導師と呼称される」
「……なるほど~。今のあたしも一応天使だから、天魔導師を名乗ってもいいんだよね?」
字面から期待はしていたけど、やっぱりものすごく強い存在らしい。
思いつきで熾天使という成長種族を選んだあたしにとって、これほど嬉しい情報は無い。
まぁ、私利私欲で誰かを裁くなんて、あたしには無理な話だけど。
「そう、なるかな。確か熾天使は天使階級(ヒエラルキア)の中では最上級だから、どの天使にも力では負けない……と思う」
「うわぁ……セイン、えらい成長種族を選びよったなぁ」
あたしも一応、天使のことは本やネットで調べたことがある。
天使は主に九つの階級に分かれていて、熾天使は確かに一番上の存在だった。この世界でもそれが通じるのか……。
「そっか……じゃあ、天魔導師の名に恥じないよう、頑張らないとね」
大きな肩書きを持つのはそれなりにプレッシャーを感じるけど、今はそれさえも心地よい。
妙に張り詰めた責任感が、あたしを強くあれと後押しして、何だかやる気が出てくるから。
「……そうだね。それじゃあ、次は戦闘の基礎を教えるよ」
ラナがまたしても、緊張感の帯びた表情になった。
それにつられてあたしも緊張してきて、思わず背筋をピンと伸ばしてしまう。
辺りはいつの間にか暗くなっていて、夕日が沈み行く時間になっていた。東側からは大きな月も現れ始めているあたり、もうすぐ六時半というところだろう。
夕日の光を真正面に受けながら、ラナは説明を始める。
「第一に知ってほしいのは、この世界において魔術の戦闘には必ず発声を要する。
これは想創をするのに必要不可欠な要素なの。だから、相手の言葉にはきちんと耳を傾けること」
「つまり……ある程度の予測は出来るってこと?」
「……そういうこと。言葉として発するからには、どうしても相手に予測させる材料を与えてしまう。
けれど、これはお互い様だから大きなハンデにはならない」
なるほど……だとしたら、魔導師はあまり大きく発声しないほうがいいな。
そんなことを頭に浮かべていると、ラナはさらに言葉を続ける。
「……でも、想創において発声で判断できるのは、あくまでその能力や属性くらい。
たった一つだけ、発声では判断できないものがある。……さて、何だと思う?」
いきなりの質問に、あたしは慌てて頭をフル回転させる。
微笑を浮かべて楽しそうにこちらを眺めるラナに〝こんなキャラだったっけ?〟と違和感を覚えつつ、頭の中では先ほどのラナの発言を思い出す。
判断できるのは、あくまでその能力や属性くらい……だとしたら、残るのはアレしかない。
「あたし、分かった。でもシュガーが考えているから、少しだけ待つよ」
シュガーに分かるかなぁ……と、あたしは少し心配になる。
見慣れてしまった彼女の悩んでいる姿をボーっと眺めていると、突如手のひらにもう片方の拳を打ち合わせた。
「分かったで! アレや……想創の種類やな?」
シュガーが出したのは、あたしと同じ結論だった。あまりの衝撃に何度も瞬きをしてしまい、ゆっくりとラナの表情を覗き見る。
ラナ自身も驚きを隠せない様子で、目に見えるくらい動揺しながら静かに口を開いた。
「……せ、正解」
「いやったぁ~! ウチもやれば出来るんやで!」
ものすごく嬉しそうな表情で、あたしに向けてVサインを送ってくるシュガー。
まさか答えられるとは思わなかったので、自分でも分かるくらい引きつった笑顔を返す。
少し落ち着いたらしいラナは、喜ぶシュガーに対してさらに解説を続けた。
「例えば……セインの想創で〝火の玉〟がある。私たちはそれを見たことがあるから魔術だと判断できるけど、初めて聞く人には物理とも能力とも捉えられる可能性があるの。
つまり、相手の想創はあくまで相手の想像だから、自分の想像で捉えてはいけない」
「はーん、そういうことかぁ~」
今回は珍しく、きちんと理解している様子で答えた。
シュガーもこの世界に慣れてきたのか、今までよりも理解度が増している気がする。毎回教える立場としてはちょっと嬉しい。
「……それじゃ、それを前提として――」
そんな和気藹々とした空気もつかの間。
ラナは急に声のトーンを落とすと、あたしとシュガーに冷たい視線を送りながら杖を向け、言い放つ。
「――実戦、してみようか?」




